愛華の身勝手
日曜日、ドイツGP決勝を迎えたザクセンリンクの空は、雲一つない快晴に恵まれた。ドイツだけでなく、国境を越えて詰めかけた大勢の観客にとって、絶好のレース観戦日和となった。しかし、走る側にとっては難しい条件でもある。
高温多湿な日本の夏と比べれば遥かにすごし易いが、真夏の太陽は早朝からジリジリと照りつけ、路面温度を上昇させていた。路面温度は、タイヤ選択の重要な要素だ。
フルバンクさせた状態が続くこのコースは、タイヤへの負担が大きい。しかも左コーナーが圧倒的に多いため、タイヤ左側が極端に減る。
昨年、愛華はタイヤコンパウンドが剥がれるというトラブルで転倒リタイア、シャルロッタもレース後半、ペースがあげられなくなり、二位に甘んじている。
耐久性のあるハードタイヤを選択すれば、展開によっては序盤で大差がつけられてしまう可能性もある。といってソフトタイヤでとばせば、最後までもたない。
どのチームにも条件は同じだが、作戦と実際の展開次第では、優勝争いに加わる事すらできなくなってしまう。
それに加え、気温が高くなれば、十分な準備ができないまま復帰戦に挑むエレーナには、より厳しいレースとなることも想像できる。
ストロベリーナイツとしては、序盤に勝負を決めてしまいたいのが本音だが、それに絞ってはリスクの高い賭けとなる。
愛華は、得意のスタートをぴったりと決めた。しかし、ラニーニとナオミの反応も同じくらい素晴らしかった。
第1コーナーに愛華とナオミが並んで入る。すぐ後ろにラニーニがつける。
ラニーニとナオミとしては、スターシアとエレーナ、或いはバレンティーナたちに迫られる前に抜けたいところだろう。
愛華もバレンティーナまで加わる混戦は避けたいが、単独でラニーニとナオミの二人と張り合うのはきつい。逸早くスターシアとエレーナが上がってきてくれることを願いつつ、ラニーニたちとのトップ争いに集中する。
スタートで愛華たち小柄なライダーよりは遅れたが、バレンティーナのスタートも絶妙だった。
ヤマダの出力特性は、余計な神経を使わなくても必要十分なパワーを路面に伝えてくれる。そしてそれは、コーナーリングにこそ真価を発揮する。
長々とフルバンク近くまで寝かし込むコーナーの続くコース前半部で、早くもラニーニの背中を捉えた。愛華がナオミ、ラニーニとやり合ってくれてるおかげで、思ったよりペースが上がっていない。
このペースなら、アンジェラやケリーが追いつくのも時間の問題だ。
久しぶりにグリッドスタートしたエレーナは、リンダに先行を許したものの、まずまずの発進をした。斜め前からスタートしたアンジェラに遅れず、1コーナーに入って行く。
オープニングラップでリンダとアンジェラをパスして、スターシアと合流できそうだ。
しかし、アンジェラが思ったより粘る。粘るというより、こっちはぎりぎりまで攻めているのに、余裕があるかのように前を行く。
フリー走行の時から感じていたが、ヤマダのスロットル制御は想像以上らしい。ミディアムタイヤを選択したエレーナがリアタイヤに全神経を集中させて走っているのに、ハードタイヤのアンジェラが最初から躊躇なく体をインに落とし込んでいる。
アンジェラだけでなく、3コーナーですでにケリーとマリアローザにまで迫られていた。
早い段階で愛華とスターシアを逃がしたら役目を終えるつもりでいたが、それすら許されないらしい。コース後半の上り区間では、フレデリカたちまで絡んで来るだろう。
そうなると四チームが入り乱れた大混戦のレースとなる可能性が高い。
それはそれで、大ベテランであるエレーナの底力の発揮しどころだが、最後までタイヤと体力が続くかだ。
オープニングラップを、愛華が先頭でメインストレートに戻って来ると、スタンドが揺れるほど沸き立った。
愛華が一人で、ブルーストライプスの二人を相手にトップを争う。思わず二年前を思い起こさせる展開だが、愛華にとってはあの時よりずっと難しい状況だ。
二年前はエレーナさんとスターシアさんを信じて、ただ一生懸命頑張ればよかった。
しかし今、愛華がチームの中心となってレースを組み立てなくてはならない。
愛華自身も含め、ラニーニやナオミたちライダーのレベルも上がっている。バイクの性能も進化している。
ピットからのサインボードで、スターシアとエレーナのポジションを確認する。
後ろでは、バレンティーナから琴音まで、愛華、ラニーニ、ナオミの三人以外の4チーム9台のマシンが団子状態になっているようだ。
スターシアとエレーナはまだ合流できていないが、バレンティーナもチームを整えられていない。
愛華は早くも選択を迫られた。
スターシア、エレーナとの合流を優先すべきか、後ろの集団が混乱状態の間に、ラニーニたちを利用して引き離すべきか。
スターシアたちを待てば、おそらくバレンティーナも割り込んで来るだろう。
後者を選択した場合、ロングスパートにタイヤが最後まで耐えれるか不安になる。そもそもラニーニとナオミとは仲の良い友だちだが、レースではライバルだ。都合よく愛華に合わせてくれる保証はない。
愛華単独では、自滅するのが目に見えている。
(シャルロッタさんだったら、一人でも迷わずスーパーナントカライドとか言ってスパートするんだけど)
シャルロッタのめちゃくちゃな自信とそれを裏付ける才能が羨ましかった。
(でも、もしかしたらラニーニちゃんたちも同じ気持ちかも知れない。うんう、向こうは二人だから、わたしよりスパートしたいはずかも?)
おそらく彼女たちが踏み切れないのは、リンダひとりに後続集団を押しつけることをためらっているのだろう。確かにリンダひとりでは無理がある。
(もしわたしから動けば、スターシアさんとエレーナさんが集団をコントロールするから、ラニーニちゃんの心配はなくなる。それどころか、どちらかが抜け出してわたしのフォローに入る可能性もあるから、ラニーニちゃんもスパートすしかなくなる)
「スターシアさん、エレーナさん、動けますか?」
この場合、決めたら迷いは禁物だ。バレンティーナやハンナたちが対応できる態勢を整える前に仕掛ける方が、成功する見込みは高い。
「バレンティーナさんを抜くには、少し時間がかかりそうです」
「私もすぐには身動きとれない」
スターシアとエレーナから、予想通りの答が返ってくる。
「了解です。わたしはスパート仕掛けますから、バレンティーナさんたちをそのまま釘付けにしておいてください」
「ちょっと待て、アイカ!一人では無謀だ」
「大丈夫です。ラニーニちゃんたちを巻き込みますから」
「リスクが高過ぎます。引き離せたとしても、三人とも最後までもたない可能性が」
「そのときは、お二人でワンツーフィニッシュお願いします!」
スターシアが説得しようとしてる最中に、愛華はスパートを仕掛けた。ラニーニとナオミも、愛華のスパートを待ち構えていたかのように、即反応する。
「もう、いつからそんな勝手な子になってしまったのかしら」
スターシアは文句を言いながら、三人を追ってペースをあげようとしたバレンティーナのインにマシンを割り込ませた。
「勝手においしいところだけもっていって、後始末を押しつけるのは間違いなくスターシアの悪影響だ。責任もってバレを抑えろ!」
エレーナは、バレンティーナのフォローに入ろうとするアンジェラを牽制するが、後ろからケリーとマリアローザ、それにフレデリカたちに煽られて、思うように動けない。
「押しつけているのは、エレーナさんでは?レースに出る以上、甘えないでください」
久しぶりにスターシアとエレーナの名コンビ復活だが、やはりまだエレーナはレース勘を取り戻せていない。それでもマシンの性能に優れる前後のヤマダライダー相手に奮闘ぶりはさすがだ。
スターシアは懸命にエレーナの遅れを補おうとするが、次第に後手にまわらされていく。
スターシアはアンジェラにまとわりつかれ、とうとう13コーナー手前でバレンティーナをフリーにしてしまった。
ここを如何に通過するかで、最終コーナー、そしてストレートの伸びが全然違って来る。愛華たちとの差は、すぐに追いつかれることはないがレースの配分を考えると、絶対にフリーに走らせてはならないポイントだ。しかし、如何にスターシアといえど、もう手が届かない。
バレンティーナは、このコースで最も速度の出る下り坂を駆け下り、最小限の減速で邪魔する者のいない13コーナーにマシン向けようとしている。
その時、内側からスターシアとアンジェラを一気に抜き、バレンティーナの横に並ぼうとするバイクが目に入った。リンダだ。
その速度では、コーナー後半で膨らんで、立ち上がりで大きく遅れることは明らかだが、並ばれた状態ではバレンティーナもクリップに寄せられない。バレンティーナはマシンを少し起こし、リンダを前に行かせるしかない。
リンダのアタックのおかげで、スターシアは再びバレンティーナに追いついた。アウトに膨らんだリンダにチラリと目をやると、フルフェイスのヘルメットの奥でニヤリとしているのが見えた。
「あなたのチームのライダーを、二人も逃げるの助けているんですから、それくらい手伝うのは当然です」
まだまだ協力が足りないとを独り呟きながら、スターシアも微笑んだ。




