エレーナの復帰と死亡フラグ
散々待たされた挙げ句、競技委員長からバレンティーナに対するペナルティは、タイム加算0.3秒と発表された。これにより公式な順位は着順通り、バレンティーナの三位、愛華の四位が決定した。
この頃には愛華も、結果について落ち着いて受け入れられる心境になっていた。
確かにバレンティーナさんが得したか損したかと言えば、たぶん得をしたと思う。でもあの場面で、ショートカットして来たバレンティーナさんに心乱して走りまで崩したのは、自分自身の責任だ。フラッグも振られてなくて、特に危険でもなかった。実際、フレデリカさんとラニーニちゃんはそのまま走り続けてた。
愛華はペナルティに対する不満より、あの程度で集中力を乱す自分の弱さを反省した。
観客もアンチバレンティーナファン以外は、特に騒ぎはなかった。むしろバレンティーナにではなく、タイム加算0.3秒という中途半端で無意味なペナルティを下した競技委員会に対する不信の声が多かったようだ。
競技委員としても苦肉の決定だったであろう。バレンティーナが故意でなく、危険を避けようとして結果的にショートカットしてしまった事に異論の余地はなく、ゴール直前でフレデリカとラニーニを先にゴールさせている。
確かにショートカットがなければ愛華、ナオミ、スターシアの後ろでゴールする事になっていたかも知れないが、実際の着順を覆すほどの根拠はない。
ショートカットにはペナルティを課すという姿勢を示しながらも、危険回避の為に仕方なかった事、ゴール目前にして勝ちを譲る行為をした事を考慮すれば、あながち不公正な裁定とは言い切れない。
ストロベリーナイツにとって、バレンティーナのペナルティなどより重要な問題があった。
Motoミニモには『二戦以上欠場する場合、代役を出走させなくてはならない』というルールがある。
これはエントリー台数の少なかった時代、欠場者が出るとスターティンググリッドが埋まらないという事態を防ぐために作られた規則だ。
シーズン途中で資金難によって出場台数を減らすというのは論外としても(プライベートチームにとっては最も深刻な問題ではある)、ライダーが生身の人間であり、リスクの高い競技である以上、欠場しなければならない状況は誰しもあり得る。だが主催者としては、観客や視聴者に熱いレースを提供する責任がある。現在のようにエントリー台数が決勝出走台数を上回る状況にあっても、目当てのチームの出場台数が少なければ、観客動員や視聴率に関わってくる。
要するに主催者側の都合なのだが、ファンあってのGPであり、愛華や琴音のように無名の新人がチャンスを掴むこともあるので、出場チームからもファンからも、批判的な意見はあまりない。
ルール上の縛りだけでなく、やはり愛華とスターシアの二人だけでレベルの高くなったライバルたちと戦い続けるのは厳しいことがはっきりした。
今回は他のチームも総力とはならなかったが、それでも表彰台すら上がれなかった。
確かに最終ラップのイレギュラーはあった。
では、もしなければ勝てたか?
わからない。結果だけが現実の世界だ。
はっきりしているのは、シャルロッタを欠いたストロベリーナイツは苦戦をし、即戦力となるライダーの増強なければ、更に厳しくなるということだ。
おそらく次のレースでは、ケリーやアンジェラ、マリアローザたちも対策をしてくるはずだ。リンダとハンナも次はおとなしくしていないだろう。
「まったく、ニコの奴があれほど私を信用していないとは。何年つきあっているんだ!」
エレーナがレース復帰するつもりであることを、チーフメカニックであり、現在チーム運営の右腕でもあるニコライに伝えたところ、どうやら反対されたらしい。それを部屋に戻ってスターシアに愚痴り始めていた。
「ニコライさんは、エレーナさんを心配しているのでしょう。半年以上も実戦から遠ざかっている上に、身体も万全ではありませんので」
「その話は聞き飽きた。ずっと前からテストコースでは走っている。全く問題ない」
「疲れたらいつでも休憩できるテストと実戦が異なることは、エレーナさんが一番わかっていらっしゃるはずです。それに今季は、昨年以上にハイレベルな戦いになってます。序盤に誰かがスパート仕掛けたら、全員が一斉に呼応する。そしてそのまま最後までハイスピードバトルが続きます。ついて行けない者は容赦なくふるい落とされる。精神的にも肉体的にも、随分ハードになりました」
「それも聞き飽きた。私ではついていけないと言うのか?」
そこで剥きになるところが、やはり無理していると感じさせるのだが、実際のところ、ブランクのあるエレーナであっても、彼女以上の代役をこの時期探し出すのは難しい。
無名でも、ポテンシャルを秘めたライダーはいる。だが、即GPの実戦で通用する者は稀だ。そういったライダーは大抵自信過剰で、GPの猛者たちに少し可愛がられると潰れてしまう。愛華のような人材はそういない。それに今ストロベリーナイツが必要としているのは、海千山千のライバルたちと渡り合える、経験豊富なアシストだ。
「ニコの奴、私が走るのには協力出来ないとぬかした」
「それで、どうやって説き伏せたのですか?まさか脅したりしてないでしょうね」
ニコライに言われて考えを変えるエレーナではない。また、エレーナのセッティングを知り尽くしているニコライの協力なしでは、余計な苦労が増えるのも事実だ。ニコライの意見に賛同するメカニックも出てくるだろう。勿論、エレーナの身を案じてではあるが。
「それは最後の手だ。タイトルを獲得したら、なんでも願いをきいてやると言ってやった」
「なんでも!?」
エレーナが自慢気に答えると、スターシアは一瞬で顔色を変えた。
「それでニコライはなんて……」
名前も急に呼び捨てになっている。
「あいつ、あれで意外と現金な奴だな。深刻な顔して『考えさせて欲しい』とか言い出した」
「エレーナさん!あの男がなにを要求してくるか、わかっているのですか!?」
今度はあの男になってしまった。
「常識ある男だ。ボーナスぐらい特別はずんでやるつもりはある。まさか別荘が欲しいとかまで言うまい」
気づいているのに知らないふりしているのかも?と思ったりしていたが、この色恋に鈍感な女王は本気でわかっていないらしい。
ニコライがエレーナを好意を持っているのは、誰の目にも明らかだ。「likeでなくloveのほう」というどこかのアニメのセリフが浮かぶ。
間違いなく、タイトルを獲得したらニコライはエレーナに告白するだろう。最悪、プロポーズまでしかねない。
「すぐにその約束を撤回してください!」
スターシアは、その美しい顔を鬼の形相に変えてエレーナに迫っていた。
「いったいどうした、スターシア。何故だ?」
「あの男は、エレーナさんに告白するつもりです!」
「アッハッハッ、それはない、ない」
思わず声を出して笑い出した。恐い顔してなにを言い出すかと思ったら、とんでもないジョークだったという感じだ。
「いえ、彼は本気でエレーナさんに惚れています」
尚もスターシアはエレーナを説得しようとする。
「いやいや、ニコが私を尊敬してくれているのは知っているが、私は彼よりずいぶん歳上だぞ。スターシアから見れば大した男ではないかも知れんが、見た目もそう悪くないし、メカの腕は確かだ。その気になればキャンギャルでもレースクィーンでも口説けるだろう。なんでも叶えてやるというのに、どうして私なんかに告白するんだ?」
「世の中には、年端もいかない幼女好きの男もいれば、オバサン好きもいます。あの男はそういう男です!」
「私を好きになるのは、ロリコンと同列か!?ずいぶん失礼な気がするが、仮にそうだとしても、このエレーナ・チェグノワが一度交わした約束を、勝手に反古にすることはできん」
「勝手ではありません!犯罪者です!」
「私を好きになることが犯罪なのか!?いくらスターシアでも言葉が過ぎるぞ!いいだろう、私からニコに言ってやる。『タイトルを獲得したら結婚しよう』とな」
「っ!」
スターシアの最も怖れていた言葉である。「この戦いが終わったら結婚しよう」「生きて帰れたら結婚しよう」……映画やアニメでは、それを口にした者は絶対に助からないと言われるセリフ、俗に言う死亡フラグである。死亡フラグを立てるセリフは数多くあるが、中でも「~したら結婚しよう」というのは、最強のフラグだろう。そのセリフを口にした者の生存率は1%にも満たない。(個人的見解です)
それを阻止しようとしたスターシアが、図らずも進めてしまった。
「ニコが望むなら、私に二言はない」
こうなったらエレーナは、意地でも撤回しない。
「これ以上話しても、わかってもらえないようですね」
もはやニコライを説得するしかない。エレーナの命に関わると説明すれば、彼もわかってくれるはず。それに望みを託して、スターシアはメカニックたちが作業しているテントへと駆け出した。
スターシアは、レース後の後片づけをしていた自分担当のメカニック、イリーナを見つけると、ニコライを見掛けたか尋ねた。
「ニコライさんなら、アイカちゃんの整備テントにいると思いますよ。なにかあったんですか?なんかすごく幸せそうな顔してましたけど」
スターシアはあとで話すと伝えて、愛華のマシンを整備しているテントへと急いだ。
(まったく呆れた男だわ。チームが惨敗したというのに幸せな顔してるとは。きっとエレーナさんへのプロポーズの言葉を考えて頭の中がお花畑になってるにちがいないわね。誰かに話す前に捕まえて懲らしめてやらないと)
「ニコライはどこ!?」
愛華のテントでは、セルゲイが一人でパーツのチェックをしていた。シャルロッタの欠場中は、甥っ子のミーシャを手伝って、愛華のマシンをみている。
「ニヤけた顔でうろちょろされて目障りだったんで、アイカちゃんが負けて落ち込んでるミーシャを気分転換にでも連れ出してくれって言ってやったら、二人で出て行ったよ。あんな浮かれたニコを見たのは初めてだ。どうなってるんだ?プロなら感情持ち込まず、きっちり自分の仕事しろって二人に言っといてくれ」
「よ~く伝えておきますわ」
エレーナの約束をなかったことにしてくれるよう頼むつもりであったが、スターシアの怒りは「頼む」から「脅す」に変わっていた。言って拒むなら、物理的手段も辞さない覚悟だ。
日没の遅いオランダの六月とはいえ、夜も更けたパドックは夕闇が包み、それでも各チームのテントではメカニックたちが煌々と灯りをつけ、まだ作業している。その灯りが逆に影を濃くし、ニコライとミーシャをなかなか見つけられなくしていた。
スターシアはパドックを一回りして、ストロベリーナイツのトレーラー横に置かれていたベンチに腰掛け、溜め息をついた。
(どこへ行ってしまったのかしら?あの二人。まさかニコライさんは、年増好きじゃなくて、少年好きだったりして……)
自分でも現実逃避と思いながらもくだらない妄想をしていると、トレーラーの中からぼそぼそと話す声がするのに気づいた。
「……メカニックが……に恋しちゃいけないのは、わかっているんですけど……」
「……本来は……とライダーの恋はご法度……」
間違いない!ニコライとミーシャだ。こんなところを見落としていたとは。
それより二人の会話内容が気になる。どうやらニコライはミーシャから恋愛相談をされてるらしい。
ミーシャの相談対象はわかりきっているが、二人の弱味を握るのもいいかもと考え、そっと聞き耳を立てた。
「メカとライダーができちまうと、上手くいってる時はいいが、関係が拗れた時、メカとしての仕事まで拗れるから問題だ」
(プププ、よくそんなこと言えますね、ニコライさん。それにしても、エレーナさんに相手にされてないニコライに相談するなんて、ミーシャくんも絶望的ですね)
「だけどな、たとえ喧嘩しても気持ちが変わらず、きっちり自分の仕事をやり遂げられる自信があるなら、いいと思うぞ。むしろこの人のために尽くすんだって気持ちは、メカニックとして最高のモチベーションになる」
(ちょっと、なに純粋な若者をそそのかしているんですか!)
「でも僕なんかが告白したら、アイカちゃん迷惑じゃないかって」
「なんだ?おまえの好きな子って、アイカちゃんだったのか?」
「え?だから僕、メカとライダーって言いましたよね?」
(これは二人ともダメですね。エレーナさん並みにとんちんかんです)
「ふむ、薄々は気づいていたが、やはりそうか。アイカちゃんはいい子だからな。うむ、迷惑なもんか、きっとあの子も、もっと頑張れるって歓ぶはずだ」
「そう思いますか!」
(迷惑この上ないです!)
「そうだ!次のレースに勝てたら告白する、っていうのはどうだ?」
愛華にまで死亡フラグを立てるその一言で、スターシアは完全にぶちギレた。
トレーラーのドアを引き剥がすように開けて中に踏み込んだ。
ナイショの恋愛相談をしていた二人は、突然現れた侵入者に驚いて、身を寄せて固まる。
すかさずそれを、スターシアは持っていたスマートフォンで写真に撮った。
「スターシアさん……?」
ようやく鬼のような形相で乱入してきたのがスターシアであることに気づいたニコライだが、まだ状況が理解できていない。その機に乗じて、スターシアは一気に攻め立てる。
「あなたたちは、今後、メカニックとして以外の言葉をライダーと交わすことを禁止します。もし破ったら、この写真と共に『二人は深夜のトレーラーで、不適切な密会をしていた』と公表します。当然エレーナさんとアイカちゃんにも知られるでしょうね」
「ちょっと、待ってください!誤解です。私たちは不適切なことなんてしてません。だいたいある訳ないでしょ!ミーシャと密会って、私はエレ」
「黙りなさない!なんでしたら今すぐエレーナさんに釈明してもらってもいいのですよ。ご法度と言っておきながらそれを容認する発言、その上推奨までしていましたね。エレーナさんは信頼を裏切られたと、さぞがっかりされるでしょう」
「そ、それは……」
「アイカちゃんも、きっとキモいって引くでしょうね」
「勘弁してください……」
二人並んで肩を落とし、暗澹たる思いに打ち拉がれた。
「これまで通りの関係でいたいなら、邪な思いは抱かぬことです。わかりましたね?」
「「はい……」」
こうして、エレーナと愛華に死亡フラグが立つのを未然に防いだスターシアは、鬼の形相から見とれてしまうほど魅力的な笑顔に戻り、
「理解いただけてうれしいです。これからもストロベリーナイツのメカニックとして、よろしくお願いします」
そう言い残すと、美しい金髪をなびかせ去っていった。
第7戦終了時点でのシリーズランキングと獲得ポイント
1シャルロッタ・デ・フェリーニ(ITA)ストロベリーナイツ スミホーイ 150p
2 ラニーニ・ルッキネリ(ITA)ブルーストライプス ジュリエッタ 119p
3 バレンティーナ・マッキ(ITA)team VALE ヤマダ 92p
4 アイカ・カワイ(JPN)ストロベリーナイツ スミホーイ 90p
5 アナスタシア・オゴロワ(RUS)ストロベリーナイツ スミホーイ 77p
6 ナオミ・サントス(ESP)ブルーストライプス ジュリエッタ 77p
7 フレデリカ・スペンスキー(USA)リヒターレーシング LMSヤマダ 74p
8 コトネ・タナカ(JPN)リヒターレーシング LMSヤマダ 58p
9 ハンナ・リヒター(GAR)リヒターレーシング LMSヤマダ 48p
10ケリー・ロバート(USA)team VALE ヤマダ 46p
11 アンジェラ・ニエト(ESP) team VALE ヤマダ 45p
12 リンダ・アンダーソン(USA)ブルーストライプス ジュリエッタ 40p
13 マリアローザ・アラゴネス(ITA)team VALE ヤマダ 27p
14 エバァー・ドルフィンガー(GAR)アルテミス LMSジュリエッタ 14p
15 クリスチーヌ・サロン(FRA)プリンセスキャット ジュリエッタ 8p
16 アンナ・マンク(GAR)アルテミス LMSジュリエッタ 7p
17 ソフィア・マルチネス (ESP) アフロデーテ ジュリエッタ 4p
18 ドミニカ・サロン(FRA)プリンセスキャット ジュリエッタ 2p
19 ジョセフィン・ロレンツォ(ESP)アルテミス LMSジュリエッタ 2p




