勝ちたい!
1コーナーでラニーニとナオミがインに飛び込む。しかし速度が高すぎる。
琴音は二人が膨らむと読んで、すんなりインを譲った。
予想通りラニーニとナオミは、通常のクリップ手前でインを掠めるとアウトに膨らんで行く。琴音は空いたスペースに向けて、体を頭ごとバイクの内側に入れて寝かせ込んだ。
ラニーニとナオミは、一旦は前に出たものの大きくアウトに膨らんで、クロスラインをとった琴音とフレデリカに再び前で立ち上がられる。
やはり簡単にはパスさせてもらえない。続く緩やかな2コーナーで態勢を整え直して追いつき、複合の3、4コーナー、そしてタイトな5コーナーでパッシングを狙う。今度は琴音たちも警戒しているだろうが、もうアタックし続けるしかない。バレンティーナや愛華たちが積極的に加わってくれればほかの崩し方もあるが、彼女たちにも思惑があるだろう。それに彼女たちが積極的に出たら出たで、新たな困難が生まれる。
(ここはわたしたちだけで突破するしかない)
琴音、フレデリカ共に、4コーナーを小さくまとめ、次の左ヘヤピンに備え、右一杯に寄せる。ラニーニとナオミは、4コーナーの立ち上がりから直線的にヘヤピン頂点をめざす。
琴音の前に入り、インベタで小さく曲がろうとするが、やはり速度が出過ぎている。ヘヤピンの先は長く全開で加速する区間が待っている。できる限り減速はしたくない。無理にでも曲がろうとするが、ラニーニは遠心力に押し出されて行く。
琴音は奥にとったクリップを掠めながらスロットルを開けた。
インに大きく体を入れているため外側は見えないが、ラニーニたちは外側の苦しいラインを旋回中で、まだ加速態勢に入れないはずだ。
狂暴なまでにチューンされたヤマダエンジンのパルスを感じとりながらスロットルを開け、バイクを起こしていくと、初めて外側に並ばれているのに気づいた。
(まさかあの速度を維持したまま曲がった!?)
外から被せられ、これ以上アウトに膨らむことが出来ず、加速を鈍らせざるをえなくなる。琴音は頭をあげて右に振り返った。
(フレデリカさん!?)
外側に並んでいたのは、Motoミニモのライダーとしては異例の長身を自分と同じカラーリングのつなぎに包んだフレデリカだった。
「まだ早いです。終盤まで温存を」
琴音は英語で叫んだが、彼女の拙い英語発音が理解できたかわからない。フレデリカも琴音が近寄り過ぎて思うように加速できないでいる。さすがにフレデリカも、同じチーム同士での接触なんて事態は避けたいのだろう。琴音に向かって何か言っているが、琴音には理解できなかった。
フレデリカを前にやり、その後ろに入ろうとした時、
!………?
フレデリカの後ろにもう一人いる。
同じように長身だが、独特のライディングフォームのフレデリカと違い、見惚れてしまうような美しいフォーム。
スターシアだ。
琴音はスロットルを更に開いて、起こしきらないバイクを加速させた。外側のスターシアも加速する。正確な操作で定評ある二人が、リアをぶるぶると震わせながら立ち上がって行く。二台の距離が触れあわんばかりに狭まる。それでも二人とも譲らない。
スターシアはアウトのゼブラいっぱいまで粘ったが、そこで根負けしたように後ろに下がった。
フレデリカを先頭にして、緩やかな6、7コーナーを全開で駆け抜ける。ヘヤピン立ち上がりでのゴタゴタで、ラニーニとナオミはそれほど遅れないですんだ。この区間をスリップに入れないと、差は一気に拓いていただろう。
これにより先頭集団は、フレデリカ、琴音、スターシア、愛華、ナオミ、ラニーニ、バレンティーナの順となり、トップはLMSに変わりないものの、レースは確実に動き始めた。膠着してやや中弛みしかけていた観客が、その期待に再び賑やかになる。
「行けると思ったんですけど、ちょっと無理でしたね」
たった今、ギリギリのバトルを演じたにもかかわらず、スターシアは愛華に向かって呑気に『てへぺろ』みたいな仕草をした。
行けると思ったなんて、明らかに嘘だ。シャルロッタさんならともかく、スターシアさんがこの場面でそんな無謀なパッシングを仕掛けるはずない。
「スターシアさん、今の……」
「フレデリカさんとコトネさんのコンビが本物か試させてもらいました」
それはあるだろうが、愛華には、ラニーニが遅れないようにもフォローしたように思えた。
愛華とて、ラニーニには最後までトップ争いに残って欲しいが、───勿論、最後に勝つのは自分かスターシアであると信じている───シャルロッタとのポイント差を考えると、ラニーニたちが遅れるのは、自分たちにとっては助かる展開のはずだ。
「アイカちゃんは、トップグループからラニーニさんたちが遅れることをお望みですか?」
愛華の疑問を見透かしたスターシアから逆に訊ねられた。
「………」
愛華は返答に困った。勿論そんなこと望んでいない。
ただ、自分はストロベリーナイツのリーダーをエレーナさんから任されている。今日のレースは、欠場しているシャルロッタさんのために、他のチームに優勝させないことが目標だ。
「アイカちゃん、あなたはここまで、ストロベリーナイツのリーダーとしての責任を果たそうと一生懸命頑張ってきました。そしてその責任は、十分果たしています。シャルロッタさんが現在ランキングトップにあるのも、アイカちゃんのおかげでしょう。でも、今季のアイカちゃんには、“アイカちゃん”らしさが少し足りないのが残念です」
フレデリカ、琴音の後ろにいながら一向に攻めようとしない愛華たちを、ラニーニとナオミが追い越して行く。そしてまた、リスクを省みずトップに挑んで行く。
その姿に、愛華は胸の奥にもやもやとした何かを感じた。
「わたしらしさ……?」
「責任を果たそうとするアイカちゃんの姿勢は、私も尊敬しています。朝練はつらいですけど。でも、アイカちゃんの本気は、今年、まだ見せてくれてませんよね?」
今年からの愛華は、レース中の司令塔として、常にレース全体を見渡し、冷静に合理的にチームを引っ張ろうと心掛けてきた。シャルロッタを勝たせるために全力で、1ミリも手なんて抜いていないと誓って言える。
───でも、確かに去年までのような、がむしゃらな頑張りはないかも……
「これまで何度もチームのピンチを救ったのは、アイカちゃんの純粋な勝ちたいという気持ちでしたよね」
───今思えば恐いもの知らずだっただけかも知れないけど……
「正直に言いますと、フレデリカさんに勝ち方を覚えられると、この先とても厄介だということもあります。でも、それより重要なことがあります。アイカちゃんは何のために走っているのですか?シャルロッタさんのタイトルのため?だからラニーニさんには絶対勝たせられない?そうじゃありませんよね。“アイカちゃん”が、ラニーニさんに、そしてフレデリカさんにもバレンティーナさんにも勝ちたいんですよね?」
この場合、「ライバルに勝たせたくない」と「自分が勝ちたい」とは、めざす結果は同じでも、心構えは世界選手権と地区大会ほどちがう。そのことに愛華は、ハッと気づいた。
───そうだった。シャルロッタさんのリードを守らなっきゃって思いから、いつの間にかレースに臨む姿勢まで守りになっていた。でもそれは、わたしなんかが守れるようなものじゃない。シャルロッタさんがいないわたしなんて、ただの挑戦者でしかないんだ。ディフェンディングチャンピオンのラニーニちゃんが必死に攻めてるのに、わたしはポイントの算段とか策略とか考えて、そんなんでシャルロッタさんの首位を守れるはずない!
「スターシアさん、わたし、勝ちたいです!むちゃかも知れないけど、絶対に勝ちたいです!わたしのわがままに、つきあってくださいっ!」
「むちゃなんかじゃありませんよ。私はアイカちゃんが本気で勝ちたいと望むなら、シャルロッタさんにだって勝てると思ってましたから」
愛華とスターシアは、激しくトップを争うフレデリカ、琴音、ラニーニ、ナオミの間に飛び込んで行った。




