悩めるトップランナー
「ねえアイカ、あたしがチャンピオンなったらサキたち歓んでくれるかな?」
イタリアGP決勝の前夜、愛華はバスルームから出てきたところで、ベッドにちょこんと座っていたシャルロッタに不意に質問された。
この雰囲気は前にも経験がある。これは面倒なことを頼まれるフラグだ。
ランキング首位を独走しているシャルロッタなので、もっと慢心するんじゃないかと心配した愛華だが、意外にも大人な態度に、逆に不安を感じていた。
愛華は、シャルロッタの様子を探りながら、言葉を慎重に選んで答えた。
「チャンピオンにならなくたって、みんなシャルロッタさんに会うのを楽しみにしてますよ」
「でも、あたし、チャンピオンになって日本に行く!ってみんなに約束したから……」
現在開幕から負けなしの四連勝中で、明日も優勝に一番近いポールポジションからのスタート。例え優勝できなかったとしても、普通に走れば表彰台は手堅い。もしノーポイントに終わったとしても、ランキング首位の座が揺らぐことはない。今のところ、チャンピオン獲得を阻むものは、シャルロッタ自身以外にない。
(シャルロッタさんがプレッシャーを感じてる?)
愛華には、シャルロッタがまるで崖っぷちに追いつめられた仔犬のように気弱に見えた。
昨シーズン、10勝もあげながら自分の愚かさから最後に逆転された経験が、いくら優勝を重ねても不安にさせているのかも知れない。それに加え、全戦全勝などと宣言してしまったことで、さらに重圧を感じているんだろうか。
こんな時、なんて言葉をかけたらいいのか、レース前はいつも緊張する愛華だが、シャルロッタの感じているような重圧とはレベルが違いすぎるので、愛華にはわからない。
「まだ五レース目なので、チャンピオンとか本当のところ誰にもわかんないと思います。でも、今GPで一番速い人はシャルロッタさんで、エレーナさんもスターシアさんもわたしも、───わたしじゃ不安かもしれませんが───、チームの人たちもみんな、シャルロッタさんをチャンピオンにするために全力で頑張ってます。だからシャルロッタさんも、一戦一戦、精一杯頑張ればいいと思います。そんなシャルロッタさんを、サキやトモカやユミさんたちみんな、応援してくれるんです」
「みんなは、わたしじゃなくてアイカを応援してるだけで……」
「シャルロッタさん!それはみんなに失礼です。お正月にみんなで楽しくすごしたのはなんだったんですか?シャルロッタさんは、サキたちのこと、好きじゃないんですか?わたしの友だちだから、仲良くしただけだったんですか?」
好きに決まってる。シャルロッタが紗季とメールを交わしていることは、愛華はとっくに知っている。
「サキは好き……」
「じゃあトモカは?」
「トモカも好き。でもユミは、ちょっと苦手……」
愛華も由美に関しては……、苦手というか完璧すぎて、気楽な友だちのようには接しられないところはある。
愛華が少し考え込んでいる様子を見て、シャルロッタはなにを思ったか慌てて継ぎ足した。
「でもユミは、すごく頼りになるから!えっと、苦手だけど好きっていうか……そうよ、エレーナ様みたいで、こわいんだけどすごく好き!みたいな」
シャルロッタの弁解がおもしろくて、愛華は思わずクスッと笑いを洩らしてしまった。
「なんで笑うのよ!」
「ごめんなさい。でもそれ、なんかわかります」
エレーナさんも由美さんも、もちろん完璧な人間じゃない。容姿とライディングの正確さで言えば、スターシアさんの方が完璧に近く、外見だけなら近寄り難い美しさがある。でもスターシアさんは緩い(抜けてる)ところもあって、話してみるとやさしい(あぶない)お姉さんみたいで、親しみやすい。
エレーナさんにも残念なところはあるけど、完璧であろうとするストイックな姿勢が、側にいるとこちらまで、そうあらねばという気になってしまう。由美からも、エレーナと同じような雰囲気は感じていた。
愛華はエレーナの側にいる緊張感が嫌いではないが、シャルロッタはいつもドつかれているので、愛華よりストレスは大きいのだろう。それはシャルロッタが大きくしてるだけではあるが。
実際にはエレーナも由美も、他者に能力以上の厳しい要求を押しつけたりしないし、足りない部分は自分が無理してでも補おうとするやさしさがある。それを悟られることを嫌っているところも、二人とも共通していると、ふと思った。
(由美さんともっと親しくなりたいなぁ……シャルロッタさんとも仲良くなってくれるといいなぁ)
そう考えたところで、由美がシャルロッタをドつく光景が浮かんだ。
「大丈夫ですよ。ユミさんはドついたりしませんから」
「ホントに?」
シャルロッタは尻尾を振る仔犬のように、愛華に顔を近づけて訊ねた。
「たぶん……」
「たぶんってなによ!?」
「シャルロッタさんがおバカなことしたら、ドつかれるかも?」
愛華の一言で、シャルロッタの顔が一瞬で曇った。
(しまった!シャルロッタさんは自分のおバカなミスでチャンピオンを逃してしまうことを、一番怖れているんだ)
「大丈夫です!去年のわたしは力足りなかったけど、随分成長しました。シャルロッタさんが少しぐらい失敗したって、わたしがカバーしてみせます。だから一戦一戦、目の前のレースを勝っていきましょう!」
「あんたなんか、あてにしてないわよ!」
せっかく感動してくれると思って言った決意も、シャルロッタに拒否されてしまった。
「そんな……」
「あんな状況には、今年は絶対ならないわ!……でも……まあ、あ、ありがとう……」
シャルロッタはそう言うとベッドに潜り込んだ。
「えっ?なんですか?もう一度言ってください」
頭から被ったシーツの膨らみから、わざとらしい寝息だけが聞こえてきた。
決勝は、四人のエースがフロントローに並び、四強チームのライダーが全員上位グリッドからスタートという総力戦となった。
昨夜のシャルロッタの不安な様子を心配した愛華だが、朝から元気にウォームアップする姿にほっとしていた。
シャルロッタ、愛華、スターシアの三人は、スタートをきれいに決め、すぐにチームを堅める。ライバルたちも気合を入れてこの一戦に臨んでおり、スタートで遅れる者はいない。各々チームを堅め、ストロベリーナイツを先頭にした四つのチームが一つの集団となった。
思えば、四チームすべてのライダーが一つの集団に揃うのは今季初めてではなかろうか。
予選タイムではシャルロッタが圧倒的だが、集団となると簡単に抜け出せない。ほかのチームもこれまでの経験から、脚の引っ張り合いをして逃げられないよう、ターゲットをシャルロッタに絞った動きをする。
絶えず三人以上の攻撃的アタッカーに攻め込まれては、愛華とスターシアでも守り切れない。シャルロッタを集団から抜け出させるどころか、出来るだけエースを温存させつつ、三人でポジションをキープするのが精一杯な展開となった。
そんな状況にあっても、シャルロッタは冷静さを保ち、チームに合わせて走っていた。愛華は昨夜抱いた不安より、彼女が本気で勝ちたいと願っていることを感じずにはいられなかった。
(ちがう、シャルロッタさんはいつだって本気で勝ちたいと思ってる。わたしなんかがカバーするなんて生意気言ったけど、シャルロッタさんに敵う人なんて誰もいないんだから、わたしにできることは、シャルロッタさんが思いきり走れるようにサポートするだけ)
苦しいのは攻めてる側も同じだ。脚の引っ張り合いこそ避けてはいるが、チーム間の協力があるわけではない。自分たち以外が有利になるのを警戒しつつ、隙あらば自分たちだけ抜け出そうと狙っている。
シャルロッタさんが実力を発揮できる状況さえ作れば、勝算はストロベリーナイツにあると愛華は自分に言い聞かせた。
大集団は、激しくポジションを争いながらも終盤まで保たれた。
エレーナからの『タイミングをみてシャルをスパートさせろ』のサインボードを見て、愛華はラスト二周でシャルロッタにスパートを指示。それに合わせて各チームのエースが一気にスパートを仕掛けた。
それぞれのアシストたちも一斉に追いかけるが、愛華とスターシアがそれを制する。
時間稼ぎは不要だ。シャルロッタを先頭としたエース四人は、限界までコーナーを攻めながら離れて行く。もうエースたちにしてあげられることはない。ラニーニとバレンティーナには読まれていただろうが、フレデリカまで逃したのは悔やまれるとしても、個々の実力ならシャルロッタが負けるはずないと信じて、セカンドグループとなったアシスト同士の競い合いに専念する。
四チームの総力戦のは、エース四人による個人の戦いとなってクライマックスを迎えた。
それぞれ特徴あるエースたちのバトルは、今季のMotoミニモの縮図とも言える形で幕を閉じた。
アシスト抜きの苛酷な個人バトルを制したのは、やはり今季無敗のシャルロッタ。彼女の予選の時のスーパーラップを上回るスパートに追随して、最後までシャルロッタを追い込んだフレデリカが二位。二人からやや遅れてラニーニ。
バレンティーナは今回も表彰台を逃した。ライディング、勝利への意欲、チーム体制、マシンの性能など、すべての点で上位三人に劣っていないはずのバレンティーナの、ここ二年の勝利の女神から見放されたような現状が、そのまま現れた結果とも言えるだろう。どこかで歯車が狂ってしまっている。
ただ、バレンティーナ自身は諦めていない。彼女自身がそうであるように、勝利の女神は気まぐれだ。これまでの自分の態度を神様がお気に召してないとしても、あのシャルロッタに微笑む女神なら、自分の方に振り向かせることも可能なはずだ。誘惑してでも振り向かせてやろうと決意に揺るぎはなかった。
セカンドグループでは、先頭を走っていた愛華がラストラップ最終コーナーでアンジェラと接触、二人ともコースアウト手前まで姿勢を乱し外れ、スターシア、ナオミ、琴音、ハンナ、ケリー、アンジェラ、愛華、リンダ、マリアローザの順でゴールした。
これでランキング三位だったラニーニは、再び二位となったが、首位シャルロッタとのポイント差はさらに拡がった。
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第5戦終了時点でのシリーズランキングと獲得ポイント
1シャルロッタ・デ・フェリーニ(ITA)ストロベリーナイツ スミホーイ 125p
2 ラニーニ・ルッキネリ(ITA)ブルーストライプス ジュリエッタ 79p
3 アイカ・カワイ(JPN)ストロベリーナイツ スミホーイ 71p
4 バレンティーナ・マッキ(ITA)team VALE ヤマダ 60p
5 ナオミ・サントス(ESP)ブルーストライプス ジュリエッタ 55p
6 アナスタシア・オゴロワ(RUS)ストロベリーナイツ スミホーイ 54p
7 フレデリカ・スペンスキー(USA)リヒターレーシング LMSヤマダ 49p
8 コトネ・タナカ(JPN)リヒターレーシング LMSヤマダ 39p
9 ハンナ・リヒター(GAR)リヒターレーシング LMSヤマダ 34p
10ケリー・ロバート(USA)team VALE ヤマダ 31p
11 アンジェラ・ニエト(ESP) team VALE ヤマダ 30p
12 リンダ・アンダーソン(USA)ブルーストライプス ジュリエッタ 29p
13 マリアローザ・アラゴネス(ITA)team VALE ヤマダ 19p
14 エバァー・ドルフィンガー(GAR)アルテミス LMSジュリエッタ 11p
15 クリスチーヌ・サロン(FRA)プリンセスキャット ジュリエッタ 5p
16 アンナ・マンク(GAR)アルテミス LMSジュリエッタ 4p
17 ドミニカ・サロン(FRA)プリンセスキャット ジュリエッタ 2p
18 ジョセフィン・ロレンツォ(ESP)アルテミス LMSジュリエッタ 2p
19 ソフィア・マルチネス (ESP) アフロデーテ ジュリエッタ 1p




