わがまま魔王の課題
ヘレスの澄みきった空にイタリア国歌が響き渡る。
今季三戦目にして三度目のこの曲が、すべてシャルロッタによるものであることを、この場にいるすべての人が知っている。そして誰もが今年のシャルロッタは、これまでとはちがうことを感じずにはいられなかった。
世界中で人気者のシャルロッタだが、強すぎるシャルロッタを望んでいる者ばかりではない。むしろ、なにかトンデモをやらかしてくれるのを期待しているファンの方が多いのではなかろうか。
『イタリアの兄弟』とも称されるこの国歌が、「死の覚悟はできている、イタリアが呼んでいる」と繰り返す部分にさしかかると、母国から応援に詰め掛けた観客やイタリア人メカニックや関係者から合唱が沸き起こった。
それはシャルロッタを称えると同時に、今日のレースを盛り上げてくれたラニーニへの応援でもあるようにも思えた。
国旗掲揚が終わり、表彰台の三人にシャンパンが手渡されると、シャルロッタは真っ先に栓を開けて、溢れ出すシャンパンをガブガブと自分で飲み始めた。いつもなら表彰台下の観客や両隣の選手に浴びせて、さらにはレースクィーンのおねえさんをしつこく追いかけまわして子どもみたいにはしゃぐシャルロッタが、まず自分の喉を潤すのは、余程疲れているのだろう。
口から溢れさせながらシャンパンを喉に流し込んでいるシャルロッタに、両脇からラニーニとナオミが思いきり浴びせかけた。
むせ返るシャルロッタに、観客がどっと沸く。シャルロッタは顔を真っ赤にしてボトルを振り、ラニーニに反撃をする。すると反対側からナオミがさらに勢いよく浴びせて来る。ナオミの方に振り返るとまたラニーニが浴びせる光景は、観客をおおいに楽しませた。
開幕戦は愛華と二人でポール トゥ フィニッシュの圧勝。
第二戦は集団後方からの追い上げ逆転優勝。
そして今回は集団の先頭を守りきっての勝利。
どのようなレース展開にも、今年のシャルロッタに死角がないように思える。
しかしラニーニは、三位、三位、二位と着実にシャルロッタに近づいており、特に今日の二位は、あと一歩というところまで迫った。それに対しストロベリーナイツは、シャルロッタ以外、初戦で愛華が二位に入った以降表彰台に上がっていない。
そこにファンの心配と期待があるのだが、日本のテレビ局のインタビューを受けた愛華は、エレーナから言われてきたことを引用し、落ちついて答えている。
「アシストの使命は、エースを勝たせることです。わたしの成績よりシャルロッタさんの優勝が優先される、それだけです。逆に言えば、アシストが目立たなきゃならないというのは、エースがそれだけ厳しい状況なわけで、わたしが裏方として目立たないのは、チームにとっていいことなんです」
「なかなかチームリーダーとして堂々としてきたじゃないか」
「そうですか?生意気みたいで少し恥ずかしいです」
すべてのレーススケジュールが終わり、苺ショートケーキを前にした打ち上げの席で、愛華は取材の受け答えについてエレーナに褒められた。
以前エレーナに言われたことを話しただけなので、愛華としてはなんだか恥ずかしい気分だ。
「アイカちゃん、裏方は私に任せて、シャルロッタさんより目立ってもいいんですよ」
「ちょっ、スターシアお姉様!」
愛華にひたすら甘いスターシアの容赦なき甘やかしっぷりに、ぶっちぎりランキング首位のシャルロッタが声を荒げた。
「いい!?あんたはあたしの引き立て役なんだから、あたしより目立とうとか、よけいなこと考えるじゃないわよ。スタンドプレーはチームを乱す凶元なんだから!」
その言葉、そのまま本人に言ってやりたい。
「もちろん、わかってます……」
言い返すとますます乱れそうなので(シャルロッタがさらに反論してエレーナにどつかれるというお約束パターンで)、ぐっと堪えた。今回はシャルロッタも最後までよく頑張った。
「でも、課題もはっきりとしました!」
ラニーニたちが追い上げてきた段階で接戦に備えたのは、愛華も同意したものなので文句を言う気はないが、ラスト二周で苦しんだのは、シャルロッタが変に目立とうとしたせいだ。このままシャルロッタに言わせっぱなしも癪なので、愛華はこの機会に、レース中に確かになったシャルロッタの弱点を、みんなの前で発表することにした。
「な、なによ?」
シャルロッタはギクリとした顔で訊き返す。まあ自分でもわかっている顔だ。エレーナやスターシア、メカの人たちもニヤニヤしている。
「シャルロッタさんは、やっぱり基礎体力が足りないと思うんです!」
「べ、べつにもんだいないわ、きょうだって勝てたし○☆△」
愛華の予想通りの指摘に挙動不審になるシャルロッタ。それを見て全員が笑いを堪えている。
「はっきり言って危なかったです。シャルロッタさんのスパートは最速です。でも、今のみんなのレベルは、ついて行くことはできるまでになってます。もっと長いスパートをしなくちゃならない状況になったら、絶対に危ないと思うんです」
エレーナはじめ、ニコライたちも頷いている。対策は一つしかない。スターシアだけは横を向いていた。
「明日から、基礎体力トレーニングのサボりはいっさい認めません!」
「待ちなさいよ!ライディングに必要な体力は、バイクに乗ってつけるのが一番大事でしょ?自分の脚で走ったり、重いもの持ち上げたりしたって、効果なんてないわ」
シャルロッタの言うことも一理ある。ライディングに限らず、トレーニングとは、競技で使われる筋肉を鍛えるのが基本だ。
陸上選手と水泳選手では必要とする筋肉は違う。同じ陸上であっても、長距離種目と短距離種目では筋肉の質が違う。
行う競技種目に合わせた動きをシュミレートする、つまりその競技そのものをすることこそ、効果的トレーニングとも言える。
シャルロッタはバイクに乗ること自体は嫌いではない。それどころか、長く乗らないでいると死んでしまうのではないかと思われるほどライディングが好きだ。バイクさえあれば、一日中遊んでいられるだろう。
ただ残念なのは、トレーニングというのは、筋力であっても持久力であっても、限界まで追い込むことで効果が高まる。
通常、野球の投手が練習で何十球も全力投球が出来ないように、行うスポーツの動きの中で限界まで持っていくことは難しい。フォームが乱れ、怪我のリスクも高まるからだ。
ライディングであれば命に関わる。
転倒した時などに体を守るための、普段は使わない筋力も鍛えなくてはならない。
そのために、基礎トレーニングが必要とされる。
愛華が体力トレーニングの必要性を説き、エレーナも補足してくれたおかげで、シャルロッタは渋々同意した。彼女自身、才能だけでは苦しくなると感じていたのだろう。「必要ないけどエレーナ様の命令だから、仕方なくトレーニングしてあげるわ」と強調するあたりは、ツンデレらしくて微笑ましい。
「スターシアさんも、いいですね!」
まるで無関係のように苺ショートケーキを食べていたスターシアにも、愛華は念をおした。
「はい?えっと、私は自主トレで……」
「前にもそんなこと言ってましたけど、ぜんぜんしてませんよね?」
「アイカちゃんが知らないだけです。水面を優雅に泳ぐ白鳥も、水面下の脚は絶えず水を掻いているのです」
「なに!?それは私も知らなかった」
宿泊するホテルでは大抵スターシアと同室のエレーナがわざとらしく驚いた声でつっ込む。
「水面下で忙しなく動かしている姿なんて、たとえエレーナさんであっても見せられませんから……」
スターシアが自分を優雅な白鳥と例えても反論できないが、愛華にはその白鳥が水面下でも緩く優雅に脚を動かしている光景しか思い浮かばない。
考えてみれば、すごいことだ。必死に練習してもGPにデビューすることさえ大変なことなのに、シャルロッタだけじゃなくスターシアも、間違いなくGP史に語り継がれる偉大なライダーだ。
そんな二人と一緒に走れるだけでなく、説教までしている自分に気づいて、震えてくる。
子どもの頃から体の一部みたいにバイクに乗ってきたシャルロッタも、ロシアのスポーツ学校出身のスターシアも、普通のレベルのライダーより優れた身体能力を持っている。だがそんな経歴も、GPライダーの中では特別ではない。愛華だって身体能力だけなら二人に負けていない。そんな人たちが、すべてを捧げて努力して、やっとついていける桁はずれの才能。その凄さに畏怖すると同時に、もし本気で努力したら、いったいどこまで速くなるんだろう?と思わずにいられない。
わたしなんかがスターシアさんはもちろん、シャルロッタさんにだって厳しいこと言うのは畏れ多くて震えが止まらない。でもエレーナさんが期待している自分の使命は、この人たちの才能を発揮させ、最強のチームにすることだ。そのためには、わたし自身が、最速の女神に仕える者として、強くならなくちゃならない!
愛華にとって今年の目標は、なによりシャルロッタをチャンピオンにすることだ。




