あたしの獲物に手をだすな
愛華の考えた事は、やはりバレンティーナも考えていた。しかも、まったく同じことを、同じタイミングで。
マシンのポテンシャルで上回っているバレンティーナにとって、最終ラップまでこの大集団を率いて迎えるのは、リスクが高いだけでメリットがない。
ラニーニたちの逃げ失敗が明らかになった今こそ、第二弾の逃げを仕掛けるチャンスだ。
とは言っても、手持ちの札では、LMSとストロベリーナイツを振り切るだけの力はない。当然バレンティーナ単独でも不可能だ。
はっきり言ってチームとしての力は、やつらの方が上だ。
イカれたバカが二人、巧みに嫌なところに絡みついてくるヘビみたいな女が二人……。
コトネだって侮れない。ヤマダにいた頃は、寡黙なだけの地味なやつだと思ってたけど、敵になるとなんとも鬱陶しい。
そして、チームの為なら命掛けの小型エレーナが一人、こいつが一番目障りだ。
いくら速いバイク乗ってても、こんな連中をまともに相手するなんて馬鹿げてる。
今の状況では、ストロベリーナイツとLMSが潰し合ってくれる望みは薄い。その時は確実に自分も巻き込まれる。
せめてどちらか一方だけなら……!そうか、その手があるじゃないか!
バレンティーナは、レース終盤にきて、突然予選タイムアタックのような走りに切り替えた。それまでも十分速いペースで走っていた上に、急激なリズム変化にハンナも琴音も、チームメイトのマリアローザとケリーすら置き去りにする単独スパートを仕掛けた。
直前に察知したハンナだが、マリアローザに引っかかって間に合わない。
「バレンティーナがスパートするわよ。フレデリカ、行って!」
そう叫ぶのが精一杯だった。
しかしフレデリカは、見事に反応した。魔法のタイヤでも履いているかのように加速するヤマダYC214に、暴れ馬のようなLMS H-03を振り回して追いすがる。
それもバレンティーナの予定通り。
集団を引き離すなら、フレデリカを利用すればよかったんだよ。どっちみち、こいつとは勝負しなきゃなんないし、味方が頼りなんないなら、邪魔は少ない方がいい。
バレンティーナは、フレデリカのスピードを利用して、ハンナたちとストロベリーナイツを集団ごと引き離そうと企んだ。
シャルロッタとフレデリカを比べたら、たぶんフレデリカの方がやり易い。なにしろシャルロッタを相手するには、疫病神まで相手しなくちゃならないのだから。
フレデリカはまんまと乗ってくれた。そのローテクなマシンで、よくそんなに速く走れるもんだと呆れるほど、立ち上がり加速にもついてくる。スピードに乗ったら、先行させて引っ張ってもらう。
いずれシャルロッタたちも追いかけてくるだろうが、追いつくのはフィニッシュラインを過ぎたあとだ。
その時点で、すでにストロベリーナイツもスパートしていた訳だが、それ以上にバレンティーナの誤算は、ラニーニとナオミを甘くみていたことだろう。
すでにフレデリカとの一騎討ちに、どうやって競り勝つかという難題で頭がいっぱいになっていたバレンティーナにとって、ラニーニなどたまたまチャンピオンになれただけの、自分の元アシストでしかなかった。
人の習性というのは、上下関係が基本にあるのか、一度序列が出来上がるとなかなかそこから抜け出せない。対等な力をつけても、意識は簡単には変えられないものらしい。
残念なのは、追いついた側はすぐに自覚して自信を持つのだが、追いつかれた側というのは、なかなか認めることができない傾向にあるようだ。
勢いのある若い勢力が、停滞する自分をあっという間に追い越して行く屈辱。対等になった時点で、もはや逃れられない敗北を、かつて自分も味あわせてきただけに、おいそれと認めることができない。
昨シーズン、ボクがブルーストライプスを抜けたおかげでエースにしてもらい、こっちが完成に程遠いマシンとチーム内のゴタゴタで結果が残せないでいる間にポイントを稼いで、シャルロッタの自滅でチャンピオンになれただけの、本来、アシストの器でしかないライダーでしょ。
おそらくバレンティーナは、ラニーニが強敵に成長したことをわかっていながら、無意識に過小評価することで心理的優位性を保とうとしていた。
残り2周。
先にスパートを仕掛けたラニーニとナオミだったが、バレンティーナとフレデリカがものすごいペースで追い上げてきていることを、ピットからのサインボードで知らされた。
ナオミが1コーナーを抜けて振り返るとバレンティーナとフレデリカは、もうすぐ背後まで迫っている。
「思ったより早い。とりあえず二人だけ。どうする?」
引き離すことだけを考えて全力でスパートしてきたラニーニとナオミには、とても彼女たちと競り合う余力は残っていない。幸い後続集団はまだ見えない。彼女たちの後ろにへばりつけば、三位表彰台の可能性は残されている。
ラニーニは、ピット前を通過する時、ストロベリーナイツのスタッフもサインボードを構えていたのを思い出した。
(シャルロッタさんたちもすぐ後ろにいる!)
どのみち最終ラップには追いつかれる覚悟をしていた。混戦になれば、アクシデントでもない限り表彰台の可能性はなくなる。可能性を計算するなら、バレンティーナとフレデリカの後ろに入ってゴールまで運んでもらうのが最も確実だろう。もしかしたらどちらか、或いは両方飛ぶかも知れない。
(でも、今トップを走っているのは、わたし!)
「もしかしたら馬鹿みたいかも知れないけど、やれるだけ頑張ります!ナオミさん、もう少しだけ、力を貸してください」
「わかった」
ナオミの淡々とした返事が、不思議と心強い。
もしかしたら、ラニーニが粘ることでバレンティーナたちのペースが落ち、シャルロッタに追いつかれることになるかも知れない。いや確実に、粘れば粘るほどそうなるだろう。しかし、ラニーニは逃げたくなかった。
エースライダーとして、リンダさんとナオミさん、アレクセイ監督やたくさんのスタッフの人たちの思いを背負ってる。
チャンピオンとして、シャルロッタさんから逃げたと思われたくない。
そしてきっと、懸命にシャルロッタさんを助け、先頭のわたしを追いかけてきてるアイカちゃんに、わたしは三位をめざして走ってたなんて、絶対に言えない!
「ラニーニ、まずはインを塞いで」
ラニーニが一人熱くなっていたところへ、ナオミの大きな声にハッとさせられた。いつの間にかバレンティーナの射程圏内に捉えられている。
ラニーニは慌ててインをおさえる。ナオミは少し外側のラインで後ろを警戒してくれてる。
(いけない、いけない。気持ちは熱く、頭は冷静にだった)
ラニーニは、昨年ハンナから教わったことを思い出した。ナオミは自分に比べたらずっと冷静だ。それでも、彼女があんなに大きな声をあげるなんてめずらしい。この状況に、ナオミの気持ちも昂っているのだろう。
ラニーニとナオミ、バレンティーナとフレデリカ。現在の個々の能力を比べれば、やはりバレンティーナとフレデリカが上だろう。しかもラニーニたちは疲れている。
しかし、バレンティーナとフレデリカとて、実力をすべて発揮できる状況ではなかった。
とにかく二人の間に、連係がまったくない。勝手なタイミングで仕掛け、時には互いを邪魔しあっている。
ラニーニとナオミは、ハンナから徹底的に叩き込まれたチームワークで、それをなんとかしのいでいられる。それでも徐々に、ライダーもマシンも疲労の色が隠せなくなっていく。
「大人しくしてれば、表彰台まで連れて行ってあげるから、通してくれるかな?」
はじめはこの二人に、フレデリカの足止めさせようかとも考えたバレンティーナだったが、自分まで通そうとしない元アシストに次第に焦り始めた。このままだと、シャルロッタたちに追いつかれる。
「さっさとどけよ。おまえたちにかまってる暇なんてないんだから!」
それでもラニーニとナオミは気力を振り絞って耐え、バレンティーナは益々苛つきを募らせた。
シャルロッタを中心にして集団を突っ切ったストロベリーナイツは、ようやくトップ争いを繰り広げるラニーニたちを捉えようとしていた。レースはまだ一周とちょっと。三人全員が揃うストロベリーナイツなら、逆転は可能だ。
ラニーニとナオミが、必死に先頭を死守しているのが、間近に見えてくる。
フレデリカがリアを振りながら被せて行くが、ナオミは怯まず、触れ合わんばかりに思いきりアクセルを開けて加速する。
次のコーナーでは、バレンティーナが強引にナオミのインに入ろうとした。ナオミはかなり疲れているらしく、強引にラインに入ってきたバレンティーナに、一瞬よろけた。
その時、バレンティーナがほんの僅かだがバイクを起こしたのが見えた。
姿勢を立て直そうとしていたナオミは、バレンティーナに弾かれる形で外側に孕む。転倒は免れたものの、コースから外れ、愛華たちにも追い越される。
「スターシアさん、今の……」
「ええ、明らかにナオミさんのハンドルを狙いましたね」
走路妨害とまでは言えない些細なアクション。それどころか、外からはバレンティーナのマシンが少し振られただけにしか見えなかっただろう。しかし、真後ろで見ていた愛華たちには、意図的にバレンティーナが、それも即転倒の危険性のあるハンドルまわりを狙ってバイクを起こしたことは、はっきりとわかった。
「抗議すべきです!」
「あれくらいでは、レーシングアクシデントとして受理されないでしょう。バレンティーナさんはしたたかです」
確かにあれくらいの強引さは日常茶飯事だし、コーナーリング中にマシンが振られることはよくある。しかし、不可抗力でそうなるのと意図的にするのは、まったく違うはずだ。本気でぶつけるつもりはなかったかも知れないけど、ただの脅しだとしても、危険なハンドルを狙うなんて、どうしても愛華には許せない。
その間にバレンティーナは、一人になったラニーニにも仕掛けて行く。愛華は今すぐ手をあげて、バレンティーナの行為を訴えようとした。しかし、その行動に出る前に、シャルロッタの怒りの声に引き戻された。
「なに好き放題してんのよ!そいつはあたしの獲物よ!その前に、ごみをかたずけてあげるわ!」
前にもこんな場面があったのを思い出す。
「だめです!落ち着いてください、シャルロッタさん!」
愛華は必死に叫んだ。二度目は失格だけでは済まない。
「大丈夫、正々堂々と魔力のちがいを思い知らせてやるだけよ。あたしは今のあんたよりクールよ」
愛華は自分の耳を疑った。同時に、シャルロッタより熱くなっていた事実に気づいて、恥ずかしくなった。
まさかシャルロッタさんに教えられるとは思ってもなかった。いえ、シャルロッタさんは、世界(最狂じゃなくって)最強にして最速なんだから、学ぶことはいっぱいあるんだった。
「絶対、思い知らせてやりましょう!」




