選ばれし者を従わせる責任と覚悟
アルゼンチンGPの開催されるアウトドローモ・テルマス・デ・リオ・オンドという非常に長ったらしい名前のサーキットは、2007年に新設された新しいサーキットだったが、GPの開催をめざして二年前に大幅な改修が行なった。当初、この前の年に初開催の予定だったが、政治的な理由により延期され、この年が初開催となった。
当然ほとんどのライダーにとって初めてのコースであり、走り慣れたコースで強味を発揮するベテラン勢にとっては、その強みは少ないと思われた。
しかし、初日のフリープラティスクが始まると、感性で走るシャルロッタとフレデリカは別格として、バレンティーナ、スターシアというトップクラスのテクニシャンだけでなく、ケリーやハンナ、リンダやアンジェリカ、マリアローザといった普段あまり目立たないが実力のあるベテランたちが前戦表彰台の愛華やラニーニらを差し置いて上位のタイムを記録した。
彼女たちも伊達に代謝の激しいこの世界で生き抜いている訳ではない。初めてのコースであっても、手早くセッティングを合わせると、適格にタイム短縮のポイントを見抜いてくる。特にスターシアは好調のようで、アルゼンチン入りしてから毎朝ランニングするなど、今回は気合い入りまくりだとささやかれた。
二日目にはコースに慣れてきたラニーニやナオミたちもタイムを詰めてきた。それでも経験豊富なベテラン勢も健闘し、二日間を通じてスターシアがトップタイム。シャルロッタが二番タイムとストロベリーナイツの二人がTOP2を占めるが、愛華はなかなか初めてのコースを攻略できず、二日目が終わった時点で全体の15位、ワークスカテゴリーとしては最下位のタイムに沈んでいる。周囲を驚かせたのは、ブルーストライプスのリンダが、バレンティーナ、フレデリカに次ぐ5番手タイムを記録したことだろう。
只、これはあくまでフリー走行のタイムであり、決勝のスターティンググリッドは土曜日の予選タイムトライアルで決まる。愛華にしても、彼女なりにまだじっくりとコースの研究していた段階だ。本格的なタイムアタックには挑んでいない。
自分が一番経験が少なく、シャルロッタやフレデリカのような才能もないのを自覚している。だから決勝レースでのパッシングポイントも含めて、しっかりと見極めておきたいとコースを憶えることに専念していたら走行時間が終わってしまった。
(スターシアさんに教えてもらうのが早いんだけど、いつまでも教えてもらうばかりじゃダメだから。コースのポイントは掴めたし、予選じゃもう少しいいタイムが出せると思う。明日はシャルロッタさんの近くのポジションを獲れるように頑張らないと……)
「あんた、だらしないわね!プライベートのジュリエッタにも負けてるようじゃ、どうやってあたしたちを指揮するのよ」
愛華の考えなど露知らず、なんにも考えずに好タイムを叩き出すシャルロッタに叱られた。
「すみません、レースになったらどこで仕掛けたらいいかなとか、他の人がどこで仕掛けてくるかとか考えてたら、時間なくなっちゃいました」
「そんなこと考えてたって、後ろの方からのスタートじゃ仕方ないじゃないの!どうせレースじゃ、あたしのぶっちぎりなんだから、あんたはあたしのそばのポジション獲得することだけ考えればいいの」
「まあまあ、シャルロッタさんの気持ちはわかりますけど、アイカちゃんはコースを研究しながらタイムを詰めていくスタイルです。明日はもっとタイムアップしてくれるはずですから、信頼して見守りましょう」
「仕方ないわね……しっかりしてよね」
興奮するシャルロッタを、スターシアが優しく諭した。シャルロッタの言葉の端から彼女自身、レースでは愛華を必要としていることが窺えるのだが、そこには触れず「見守る」という表現でシャルロッタの優越感を満足させるあたりは、さすが『スターシアお姉様』だ。
「でも、アイカちゃんも少し力入り過ぎているみたいね」
「え?それには意識して気をつけているんですけど、やっぱり力入ってますか?」
敢えて全力のタイムアタックを控えたのも、冷静にレースまでの組み立てを考慮したからだ。それでもスターシアさんから見たら、どこか力が入っている部分が見えるのだろうか?愛華は素直にスターシアの意見を受け止めようとした。
「力入っているというか……ちょっと疲れているみたいなの。やっぱり朝早く起きてトレーニングするのは、よくないと思うんだけど……」
真面目に受け止めようとして損した気分だ。スターシアは単に自分が早起きしたくないだけだった。
「なに言ってるんですか!?トレーニングって言っても、軽いランニングとストレッチしてるだけですよね。スターシアさんだってそれで調子よくなってるじゃないですか!いいですか?身体は目覚めてからすぐにはベストな動きはできないんです。これから動くぞ、って脳や筋肉に血液を送って、準備しておかなきゃいけないんですよ。だから―――」
「それはわかってるのよ。でもね、早起きって誰でもできることじゃないの。私は朝、血圧が低くって、急に体動かすのは無理なの」
「だからこそ、朝の準備運動で身体を起こしてあげることが必要なんです!急に激しい運動は禁物ですけど、最初は歩くぐらいからだんだんスピードあげて、身体温かくなったらストレッチって具合にしてますから、スターシアさんでも無理なことじゃないはずです。証拠に今回は午前の走行からすごく体の切れがよくって、タイムも出てたじゃないですか」
「そんなに無理しなくても、乗ってる間にだんだんほぐれてきて、午後には調子よくなるから。本来私もアイカちゃんと一緒で、じっくり攻めてくスタイルだから」
否、全然違う。マシンの調整や、コースやライディングの確認などしなくてはならないので、すべての走行時間を全力で走るのは不可能だし必要もないが、限られた走行枠を有効に使うには、少なくとも身体のコンディションはベストな状態で挑みたい。そうあるべきはずだ。
「わたし、スターシアさんのことはすごく尊敬してますけど、そこは間違ってます!スターシアさんはもっともっと凄いライダーです。スターシアさんもシャルロッタさんも、もっと凄くなれるのに、才能を無駄にしているんです!これからは改めてもらいます!」
愛華は、ほんとうは二人の才能に嫉妬しているじゃないかと少し胸が傷んだが、それ以上に、神様から選ばれた人は、絶対にその才能を無駄にしちゃいけないと思う。優れた才能を授かった人は、そうでない人より自分に厳しくあるべきだ。すべての人が憧れる存在なのだから、誇れる生き方をしなくてはいけないと思う。
「アイカがエレーナ様になっちゃった……」
「アイカちゃんにエレーナさんがとり憑いてしまいました」
シャルロッタとスターシアは、恐ろしいものを見るような目で愛華を見ていた。
「痛っ!」
「あっ、痛~い」
突然シャルロッタとスターシアが頭を押さえてうずくまった。
「私はとり憑いてなどおらんわ!」
二人は本物のエレーナにどつかれていた。
「アイカは当たり前のことを言っているだけだ。おまえらを見てると誰でもどつきたくなるわ」
エレーナの怒りに、愛華は少しほっとする。自分は嫉妬しているだけじゃないと言ってもらえた気がした。
(どんなに強くても、たとえ世界一だとしても、もっと強くなれるとしたらそれを追い求めなくなっちゃいけないという考えは、やっぱりエレーナさんと同じだ。確かにシャルロッタさんやスターシアさんの才能は世界最高かも知れない。でも、少しでも怠けてたら、必ず誰かに追いつかれる。自分だって……)
実際、フレデリカはシャルロッタと同じレベルと言っていい。そして今や、ラニーニやナオミ、それに愛華もその領域に近づいているのだ。
只、正論であっても、それを実力で劣る者が、才能ある者に諭すことはなかなかできることではない。
スターシアは理解しているだろう。最近のシャルロッタならわかってくれるかも知れない。問題は愛華だ。
パッとしないタイムに終わった愛華だが、チームを率いる者としてこの二人に言うべきことを、勢いで言ってしまったにせよ、とてつもなく大それた事のような気がしてくる。
(こんなんで、レース中にちゃんと指示できるのかな。自分ができないこと人にやれなんて……、わたしも、もっともっと頑張らないと)
チームの司令塔という重役を任された愛華の不安は、シャルロッタはもちろん、スターシアにもエレーナにも、まったく伝わっていなかった。
伝わっていないというより気にしていない。
三人とも、愛華の走りのセンスはとっくに見抜いている。経験を除けば、すでに自分たちと変わらぬレベルだ。彼女たちが愛華に求めるものは、自分たちに命令を下す度胸だ。
愛華のリーダーとしての心構えを、エレーナは、まずは合格点とした。
スターシアは、明日からも早起きする覚悟を決めた。
シャルロッタは、まあ、少しは言うこときいてやってもいいと思った……。




