苺騎士団を継ぐ者
その夜、レースオーガナイザー主催のパーティーでもシャルロッタは愛華と目も合わせようとせず、不機嫌そうに並んだ料理を食い荒らすと、一人でホテルに戻ってしまった。
愛華は同じ部屋に戻るのを気が重く思っていたところへ、エレーナさんが「私の部屋で少し飲みなおすか?」と誘ってくれた。
スターシアが作ってくれたアルコール抜きの綺麗なカクテルをじっと眺めたまま、しばらく時間が過ぎていた。
「今日はよくやったな」
PCを操作していたエレーナがようやくそれを閉じ、バーボンを注いだロックグラスを手に、愛華の向かいに腰掛けた。
「あの……せっかくシャルロッタさんが優勝したのに、わたしが余計なこと言ったせいで嫌な雰囲気にしちゃってすみませんでした」
「ふっ……」
エレーナが笑いを洩らすと、グラスの氷がカラリと音をたてて揺れた。氷に反射する光りもキラキラと輝いてすごく綺麗だ。
「気にするな。アイカが言わなくても私が言っていた」
どこまで本気かわからないが、愛華は少しだけ気が楽になった。
(エレーナさんってすごくカッコいい……)
なんだか場違いなことをふと思う。
「私はむしろ、あの場でアイカがそれを言ったことを評価している」
「……?」
「私たちの相手は、今回の勝ちパターンが毎回通じるほど甘くない。ヤマダはすでに、スタート加速の向上を画策しているだろう。或いはアイカの言った通り、次回はラニーニたちがスタートダッシュ&逃げ切りを成功させるかも知れん。なにしろシャルロッタとアイカが完璧な勝ちパターンのモデルを示したのだからな」
「すみません」
「謝る必要はない。おまえたちがしなくても、いずれどこかがやっただろう。条件さえ揃えば有効な作戦だ」
「わたしの言いたかったのは、そういうことじゃなくって……」
ではなにが言いたかったかと問われると、具体的に説明できないのも事実だ。ただあの場の空気に、漠然とした不安を感じただけだ。
「今季、四つのチームが横一線に並んでいると言われている。ヤマダが頭半分とびだしているというのが正直なところだろう。それは実際に現場にいる誰もが認識していた。だがいざ蓋を開けてみれば、アイカの作戦が完璧過ぎるほど完璧に決まり、独走で優勝した」
「それはシャルロッタさんとスターシアさんのおかげで」
「それを有効に機能させたのはアイカだ。長年GPの現場で働いてきたニコライまでもが、アイカを私の後継者ともて囃した」
「そんな……」
愛華は否定しようとしたが、確かにあの場の空気は、アイカを勝利をもたらす女神のようにもて囃す熱気があった。
「厳しいレースを予想していたのに、これほどまで完璧な優勝を成し遂げたのだ。シャルロッタでなくても浮かれるのも無理はない。だがあの盛り上がった雰囲気には危険性も孕んでいた」
愛華はカラフルな色を放つグラスからのびているストローに口をつけた。柑橘系の酸味が喉に滲みて、とても美味しい。
「私は元からおまえを後継者として育ててきたし、期待以上に育ってくれてる。しかしまだまだ修得してもらわなくてはならないことも多い」
「もちろん、わかってます」
後継者として期待されてると言われてうれしいのと畏れ多いのと、これからもっともっと努力しなくちゃいけないと胆に命じる。
それがわかっているからこそ、浮かれちゃいけないと思った。
「アイカが自惚れることなどないだろう。だがな、まわりの人間はおまえが自分で思っている以上におまえを頼りにしている」
エレーナがなにを言いたいのかわからなくなった。
自分は決して自惚れてはいない。まわりの人たちはわたしを信頼してくれてる。
未熟なところもあるけど、なにが問題なんだろう?
それでも漠然とした不安の正体をエレーナは知っている気がして、黙って次の言葉を待った。
「私がアイカのことを最も買っているのは、なんだと思う?」
自分のいいところを言え、みたいな質問は苦手だ。特に自惚れてはいけないなんて決意した直後には。
「えっと……粘り強いこと、ですか……?」
「そうだな、それも買っているが、おまえの本当の凄さは、まわりを熱くさせ、自分も頑張ろうという気持ちにさせるところだ」
愛華にとって、これ以上うれしい褒め言葉はなかった。
智佳は愛華の頑張ってる姿を見て留学を決心した。美穂も愛華のおかげで音楽大学受験を頑張れたと言ってくれた。
大怪我で体操ができなくなって、引きこもりのようになってた自分が、エレーナに憧れて立ち直ったように、自分も誰かの力になりたい。ずっとそう思ってきた。
「だがあの時の雰囲気は、皆おまえへの信頼が高まり過ぎて、自分たちの置かれた状況を忘れていた。勝って歓ぶのはいい。アイカが信頼されるのもいいことだ。だが信頼が依存へと代わると組織は堕落する」
世界の頂点で働いてきた一流のメカニックの人たちに、あれほど褒められたことは嬉しかったが、漠然と感じた不安はそれだったのだろうか。
きっとスターシアさんとセルゲイおじさんも感じていたんだ。
「アイカが言った通り、今日のレースは偶然とは言わないが、たまたまこちらの思惑通りにフレデリカたちが動いてくれたおかげだ。バレンティーナも次はもっと警戒してくるだろう。たとえそうであっても条件さえ揃えば、もう一度仕掛けるべきとは思うが、絶対の勝ちパターンと思い込むのは危険だ。同じように、アイカならなんとかしてくれるという空気になってしまうのも、私はおそれている。私自身、シャルロッタに関してはアイカに頼ってきたので偉そうなことは言えないのだがな」
「そんなことないです!去年も負けちゃったし、わたしなんかぜんぜん頼り甲斐なかったです」
「まあシャルロッタのことは置いておいて、メカニックの連中までもがアイカに依存してもらっては困る。ライダーが負けた理由をマシンのせいにするのは見苦しいが、勝てないマシンしか用意できない技術屋が、アイカならなんとかしてくれるだろうと頼るのは責任の放棄だ。うちのSu-37とヤマダのYC214では一世代違うほどの差があるからメカニックの連中ばかりを責めることはできんが、各々がベストの仕事を果たそうとしなければならない」
エレーナがグラスを口にするのを見て、愛華もスターシアの作ってくれたカクテルに手を伸ばしたが、すでに飲み干していた。すぐにスターシアは新しいグラスを持って来てくれた。先ほどのものよりカラフルな気がする。
「アイカはこれまで何度も危機を救ってくれた。あの連中も本当にアイカを信頼している。しかし人間とは弱いものだ。いつも信頼に応えてくれる相手に対する気持ちが、いつしか頼りから依存へと代わってしまう。それは彼らを堕落させるだけでなく、アイカをも圧し潰すことになるだろう」
愛華は口の渇きをおぼえて、カラフルのグラスに直接口をつけて、ゴクリと飲み込んだ。
「アイカとしてはそこまでわかった上であんな話を口にした訳ではなかろうが、心配するな。あの連中は気を悪くするどころか、今ごろ尊敬するアイカのために、命をかけて働きたいと思っているだろう」
それはそれで、凄いプレッシャーだ。
「だけどシャルロッタさんが……」
愛華はやはり一番気になっていたシャルロッタのことに話を戻した。
「あいつについては、私が余計な口出しをしたばっかりに余計に拗らせてしまったな。すまない。だがあまり気にするな。ほっとけばいい」
シャルロッタに対する冷たい態度に、彼女が最後に口にした言葉を思い出す。
「ほっとけませんよ!エレーナさんひどいです。せっかくおバカなことしないでちゃんと走ってくれたのに、わたし、褒めないできびしいこと言っちゃって……」
「いや、アイカの方がひどいこと言ってないか?実はバカにしてるだろ?」
バカにするつもりなんて毛頭ない。スタートからゴールまで二人で一度も首位を空け渡すことなくレースを走りきれたなんて、それこそ快挙だ。あのシャルロッタさんが、真面目にちゃんとゴールまで走ったんだから……。
「うっ……バカになんて、してません……」
愛華の声は弱々しかった。
「まあ、あいつもレースに関しては言われるほどバカじゃない。まわりが強くなっていることは感じていたはずだ。それゆえ、アイカから言われて過剰に反応したのだろう。頭で理解していても体と口が勝手に動くのがシャルロッタだ。勝つためにはアイカが必要なのもわかっている。そのうち向こうからちょっかい出してくる」
「そうだといいんですけど……」
「シャルロッタについては、おまえを全面的に信頼している。私が余計な口出しするより、アイカならなんとかしてくれるだろうとな。任せたぞ」
「それは依存というより、押しつけなんじゃないでしょうか?」
愛華の中で、エレーナに対する信頼が揺らぐのを感じた。そのかわり悩んでいたことも忘れていた。
それから三人でグラスを傾けながら、司令塔としての心構えやこれからのことについて、じっくり話をした。
実は前からこういうシチュエーションに、少し憧れていたりする。ちょっと大人になった気分だ。
「今回バレンティーナさんたちと実際に一緒に走った上での感想は、今年のヤマダはタイヤにやさしいだけでなく、乗り手にもやさしくなったことでしょうか。一瞬の速さだけならLMSの方が速い場面もありました。短時間のバトルならシャルロッタさんが負けることはないでしょうけど、長引くと苦しいでしょうね」
セカンドグループで直接バレンティーナたちとバトルしたスターシアは、今回のように複数のチームが入り乱れた状況からすぐに抜け出せるほどの瞬発力はないが、長引くほど真価を発揮する印象を受けたという。レースがもう少し長ければ表彰台に上がっていたのはラニーニではなくバレンティーナだったでしょうとの見解を述べた。
レース後半は一歩下がってじっくり観察していたスターシアなので間違いない。
「それじゃあ、やっぱり一気に突き放すしかないってことですか?」
「LMSの方が上回っていたと言っても、低速コーナーからの立ち上がりといった特定の区間のみです。それも決して遅いわけはありません。むしろこれはLMSとフレデリカさん、コトネさんたちが速かったと評価すべきでしょうね」
「それじゃあわたしたちとバレンティーナさんたちがバトルになったら、じわじわと追いつめられちゃうってことですか?」
「よほどの体力と集中力の持続が出来なければ、厳しいでしょうね」
「アイカはともかく、シャルロッタが問題だな」
シャルロッタはGP一のトレーニング嫌いで知られている。因みに愛華はGP一の練習熱心と言われている。
「シャルロッタさんの集中力と体力ですか……」
愛華は、勝ち続けるチームにする方法を時間を忘れて夢中で考えた。レースの疲れなんて、ぜんぜん感じない。エレーナさもスターシアさんも、とことんつきあってくれた。
夜遅くまで、グラスを傾け語り合う。
なんだかエレーナさんとスターシアさんの仲間入りしたみたいで、すごくうれしかった。
気がつけばもう東の空が明るくなり始めていた。




