開幕ダッシュ
開幕戦も最終戦も、シリーズ全17戦の中の一戦に過ぎず、獲得ポイントも他のレースと同じで、どのライダーもチームも、本気で挑むことに変わりない。
ただ、物理的には一戦一戦すべて同じ価値であっても、シリーズを戦う上で特に重要なレースが存在するのも事実だ。
「あのレースで波に乗った」「あのレースが流れを変えた」「あのレースが決定づけた」などと、あとで振り返ってそのレースの重要さに気づくことが多いのだが、誰もが始まる前から特別な思いで臨むレース、それがシーズン開幕戦だ。
開幕戦に勝つというのは、サッカーの試合に例えるなら先制点をあげるようなものだ。それで試合が決まる訳ではないが、その後の展開を優位に進められる。開幕戦の勝者がタイトルを獲得するという明確なデータがある訳ではないが、少なくともファンやスポンサーは盛り上がり、チームの士気も高まる。先ず最初のレースを制することが、どのチームにとっても目標達成への第一歩と意識している。
「スターティンググリッドはこのように並ぶことになった訳だが、ここから確実な勝利をものにするには、どのようにレースを展開する?アイカ、答えろ」
エレーナはホワイトボードに貼られたスターティンググリッド表を指し示しながら、愛華に尋ねた。
ミーティングは監督であるエレーナが取り仕切っていられるが、レースが始まれば、ピット前を通過する時にサインボードで伝えるぐらいしか指示はできない。エレーナの欠場した去年の最終戦は、スターシアが中心となってチームを指揮したが、このレースからは愛華にその役割を担うことになった。
「バイクの性能で上回っているバレンティーナさんたちは、集団から早く脱け出して、独走体制にもっていきたいと思います。でもシャルロッタさんだってスピードでは負けていません」
ここまで言って愛華は、決してわたしたちのバイクの性能が劣っているって意味じゃないです、とメカニックの人たちに伝えようとしたが、ニコライさんから「続けて」と促された。セルゲイおじさんとミーシャくんも頷いてくれた。
「えっと、同じぐらいの性能のタイヤ履いている以上、いくら馬力があってもホイルスピンしちゃうだけで、スタートではそれほど差は開かないと思います。わたしもスタートだけなら自信あります、って言うか体重が軽いだけなんですけど」
「どうせ私は重いですから」
スターシアが拗ねてぼやいた。
「そんなことは」
「スターシアの僻みは気にするな。話を続けろ」
いちいち気をつかう愛華に、エレーナは話を進めるように促した。
「えっと、だから、逆にわたしたちがとびだして、独走の逃げ切り体制にもっていけるんじゃないかと思んですけど……」
最後の方はちょっと自信なさげに声がしぼんでしまった。
「バレンティーナは振りきれるとして、ラニーニたちはどうする?ラニーニもナオミもスタートではおまえたちに遅れをとらんぞ」
「ラニーニちゃんは一列目でも一番後ろのグリッド、それも内側です。たぶん斜め前のフレデリカさんやバレンティーナさんも警戒してるからラインを塞ぎにくるはずです。ナオミさんはラニーニさんから一番遠い外側のグリッドなので、すぐにサポートには入れないと思います」
「バレンティーナとフレデリカとラニーニがやり合っている間に、シャルロッタとアイカで逃げる訳か」
「そうです。できればスターシアさんがあの人たちを煽ってもらえると助かります」
「逃げるなんて、あたしは気に入らないわ。真っ向勝負で叩きのめしてやるわよ!」
「勝負する機会はこれからいくらでもありますから、先ずはシャルロッタさんの速さを世界中に見せつけてやりましょう」
「……。まっ、それもわるくないわね」
シャルロッタが文句を言いかけたところを、愛華が上手く言いくるめた。なかなかシャルロッタの扱いが上手くなったと感心する。
「だがバレンティーナがおまえのとびだしを予測してラインを塞ぎにくることも考えられるぞ?やつはおまえのことを特に警戒しているからな」
可能性はある。というより、この条件で作戦を立てるとするなら、エレーナも愛華と同じ考えだ。当然バレンティーナもそれを読んでいるはずで、普通に邪魔してくるであろう。
「その時は、突破します!」
愛華は力強く答えた。
上出来だ。どんな作戦だろうと思い通りに行かせてくれる相手はいない。無謀な作戦は論外だが、自信と覚悟で乗りきる部分は必ず出てくる。その覚悟があるならエレーナに言うことはなかった。
「私だけ除け者みたいですね……」
スターシアはまだ拗ねているみたいだった。
「いえ、だからえっと、スターシアさんにはバレンティーナさんたちを」
「いつもやっていることだろ?適当に焚きつけたら、アイカたちに合流しても構わんぞ。ただし、連中を引き連れてくるなよ」
「無茶言わないでください!酷いです」
エレーナの当然のような言い草に、透き通ったエメラルド色の瞳をうるうるさせて愛華を見つめた。
「うっ……、すみません、スターシアさん。でも、お願いします!」
愛華はなるべくスターシアの瞳を見ないようにして、深々と頭を下げた。
(チームのリーダーって、たいへんだ……)
愛華は自分が無茶な要求されるより、させる方が苦しいんだと少しだけわかった気がした。
ダミーグリッドに並んだMotoミニモマシンの群れが、ゆっくりと動きはじめる。これからコースを一周して、全車が正規のスターティンググリッドにつくと、今シーズンのMotoミニモシリーズ開幕のカウントダウンが始まる。
愛華は選手紹介などのセレモニーの時から、バレンティーナが自分をすごく意識しているのを感じていた。おそらくシャルロッタと愛華がとびだそうとしていることは予測されているのだろう。「自分の斜め前にいるシャルロッタを抑えることは難しいけど、愛華だけは絶対に前に行かせない!」そんな敵意を隠そうともしていない。むしろ威嚇するように愛華の目の前でマシンを左右に振りながらフォーメーションラップを回って行く。
「アイカ、あんたの作戦、バレにばれてるみたいよ」
シャルロッタが心配して呼び掛けてくれたが、なんだかあまり緊張感がない。シャルロッタだけでなく、愛華にも。
(バレンティーナさんだけにバレバレ!って日本語のダジャレ言ってもシャルロッタさんには通じませんよね、えへへ)
ヘルメットの中でのん気に口元を緩めてしまっていた。なんだか絶対にいける気がする。
「なんだったらここであたしがコテンパンにしてやるわよ」
愛華から返事がないのをどう感じたのか、シャルロッタは作戦を変更してスタート直後からバレンティーナとのバトルを持ちかけてきた。愛華を心配してというより、シャルロッタ自身がバトルしたいだけみたいな気がしないでもない。
「大丈夫です。シャルロッタさんは誰よりも速く1コーナーに入ることに集中してください。わたしも必ずついて行きますから」
愛華がここにきて弱気になるとは思わなかったが、自信溢れる声にシャルロッタは思わずドキリとした。
(なに?こいつ、バレに負けるとはこれっぽっちも思ってないって言うの?)
「いいわ、バレンティーナ如きは敵じゃないってことね。でもバレは小細工が得意な狐だから、引っかからないように気をつけなさいよ」
「だあっ!わかりました」
一団はコースを一周し、メインストレートに戻ってきた。
正規のスターティンググリッドにマシンを止めたバレンティーナは、長い両足で路面をしっかりと踏みしめ、上体をやや起こし気味にした背中で、愛華の気配をさぐった。
愛華が挑発や威嚇に動じないのは想定済みだった。スタートと同時にシャルロッタと愛華がとびだそうとしているのもわかりきっている。愛華はその狙いを隠すつもりもないらしい。
(ボクに勝てるつもり?まあ、こっちも負けるつもりはないけど、今回は敵が多すぎるから、そのまっすぐな気持ちで自滅してくれると助かるんだけどね)
スターティンググリッドにすべてのライダーが静止したことを確認して、競技委員がコース上から退く。
並んで点灯していたレッドシグナルが、一つずつ消えていく。それに合わせて、グリッドが排気音と緊張に包まれる。
バレンティーナはブレーキレバーをしっかりと握りしめ、最後のランプが消える直前のタイミングで、長い両足で支えた腰を前に異動させると同時に上体を伏せた。
愛華は赤いランプが消えると同時にマシンを発進させ、バレンティーナの横をすり抜けるとシャルロッタに続いて1コーナーをめざした。
実は少し危なかった。スタートのカウントダウンが始まった時、スターシアさんが注意を呼び掛けてくれなかったら、危うくバレンティーナの動きに釣られてフライングを犯していたかも知れない。現に愛華の後ろにいたライダーは、バレンティーナの動きに釣られてシグナルの消える前に動いてしまっていた。
シャルロッタの言った通り、バレンティーナはこういう駆け引きにかけては本当に狡猾だ。だけどもう関係ない。シャルロッタと二人で、集団を突き放すことだけに集中する。
愛華をフライングに誘うことに失敗したバレンティーナは、ラニーニにも前に出られ、1コーナーまでにようやく並ぶところまで追いついたが、その状態でコーナーをまわることを強いられた。
ペースがあげられないまま、フレデリカやナオミ、スターシアにも囲まれる。
予選ではシャルロッタの捨て身のタイムアタックに後れをとったが、あのペースでレースを走り切ることはできないはずだ。それがわかっていても、集団を抜け出さない限りバレンティーナのペースもあげられない。
ラニーニとフレデリカが協力しているとは考えられない。むしろ互いに牽制し、少しでも優位なポジションを獲ろうと無秩序に動いている。それをスターシアが煽る動きを見せる。琴音やハンナ、リンダまで入り乱れ、下手に動けばアクシデントに巻き込まれかねない状況に追い込まれてしまった。頼りのアンジェリカとは、こういう混戦での連係はまだ慣れていない。ケリーとマリアローザも身動き取れない様子だ。完璧な連係をめざしたことが裏目に出ていた。
その間にシャルロッタと愛華はみるみる差を拡げ、余裕の独走体制を作り上げていった。




