レベルアップの秘密
「なんであいつら絡んでくんのよ!」
チーム揃っての走行を終えてピットに戻ったシャルロッタは、ヘルメットを脱ぐなり愛華に詰め寄り、ぷんすか文句を言い始めた。しかも笑顔で……。
「まったく、こっちはまだマシンのセッティングも詰めてないのに、フレデリカったらあたしを挑発しようとちょっかいばっかり出してきて」
「でもシャルロッタさん、一番ノリノリで楽しんでましたよね」
「うぐっ……あたしは、べつに楽しんでいないわよ!アイカこそ、ずっとバイク乗ってなくて昨日までヨタヨタしてたくせに、ラニーニと一緒になったら急にはりきってたじゃない!」
確かにそれまでさぐるように乗っていた愛華も、ブルーストライプスと合流してからは、知らないうちにアクセル全開で走っていた。
しかし明らかにシャルロッタの方が張り切っていたはずだ。とくにフレデリカたちが加わってからは。
「あんなのあたしの実力の百分の一も出してないわよ!あんたまさか、あたしが本気だしてなんて思ってないでしょうね?」
シャルロッタが剥きになって否定するのを、スターシアは愛華の横でクスクス笑っている。
「100パーセントではないにしても、七割から八割ぐらいは出していたように見えましたが。そういう私も、結構本気で走らないとついていけないペースでしたから」
スターシアがどこまで本気で言っているのか愛華にはわからないが、久し振りにチームで走れて、いい感触で終われたのは愛華も満足していた。もっと慣れるのに時間がかかると思っていたのに、すごく気持ちよく走れた。
「そんなところでいつまでも駄弁ってないで、早くメカニックにフィーリングを報告しろ。このあと大切なオモテナシをするんだろ?」
エレーナに言われて振り返ると、紗季と美穂が手を振っていた。
「「「だあっ!」」」
三人は嬉しそうに声を揃えて答えると、それぞれのメカニックに走行中の感触を伝えていた。
同じ頃、ブルーストライプスのピットでも走り終えたライダーたちが、興奮した様子で喋り合っていた。
「なにがあったんだ?二人とも。ちょっと見ない間に、ずいぶんレベルが上がっちゃったみたいだぞ」
「そうかな?でもリンダさんも、久し振りなのにぜんぜん調子よかったみたいでしたよ」
ラニーニが答えるとナオミもコクコクと頷く。
「私は二人に合わせようと必死に走ってただけだって。合わせられてたか自信ないけど」
「大丈夫、すごく走りやすかった」
「シャルロッタさんもハンナさんも、びっくりしてたみたい」
ナオミとラニーニから言われ、ヘルメットのあとの残る髪をクシャクシャしながらリンダは照れた。
「私はまあそれなりだけど、本当に二人ともどうしたんだ?ナオミなんて、シャルちゃん顔負けの鋭い切り込みしてたし」
「鈴鹿で……、シャルロッタさんからライディングの奥義を聞いたから」
「ええっ!なにそれ?」
「ライディングは苺大福と同じ」
「…………?」
ナオミは、鈴鹿でシャルロッタが紗季たちに教えてたことをリンダにも話した。
「よくわかんないけど、それで本当に上手くなったんならすごいや。ラニーニもそれで速くなったの?」
「わたしはフレデリカさんから極意を……」
「なになに?なに教えてもらったの?」
ラニーニが言いかけて急に恥ずかしそうに口ごもってしまったので、リンダは自分も天才の極意が知りたくてしつこく訊いてくる。ナオミも知りたそうだ。
「えっと、ライディングは、せっ、セックスと同じ……だって」
消えそうな声でようやくそれだけ言うと、真っ赤になって俯いてしまう。
「……?なにそれ?どういうこと?」
「わたしはただフレデリカさんの話を聞いただけだから」
リンダはナオミの顔を窺うが、別のチームだったからと首を横に振った。
「ねえラニーニ、自分だけで独り占めしてないで教えてよ」
「だからわたしにはよくわからないのっ!」
「だけどそれで速くなったんでしょ?」
リンダはフレデリカのライディングの極意を聞き出そうと尚も食い下がる。というか恥ずかしがるラニーニをいじって楽しんでいる気がしないでもない。
「フレデリカさんの『ライディングとセックスは同じ』って話聞いて速くなったってことは……!もしかしてラニーニ」
「知らないうちに大人になってた……」
「だからっ!フレデリカさんはべつに男の人とセックスしなくてもいいって!」
「それじゃ女の子と……?」
リンダは少し考えて、ぽつりとつぶやいた。それからナオミに視線を向ける。
「わたしはフレデリカさんの極意は聞いてない」
ナオミも無関心そうに答えつつも、ちょっとだけ興味があるようだ。
「相手がナオミじゃないってことは、やっぱり……あ」
「イメージだけだからっ!フレデリカさんはそういうイメージでバイクを操ってるんだって。わたしはそんなことしてないから!」
「ラニーニも今年19歳なるんだから、べつに恥ずかしがることないと思うけどなぁ。コースに出たら、チームメイトとライバルさえ間違えなければ」
「だからアイカちゃんとはそんなんじゃないから!」
かわいそうなので、これくらいでいじるのをやめようとした矢先、ラニーニが自分で墓穴を掘った。
(ホントにアイカをイメージしたんだ……)
「御取り込み中、申し訳ありませんが少しよろしいでしょうか?」
気まずい雰囲気になったところへ、流暢な英語で語りかけてくる女性の声に三人が振り向くと、愛華のクラスメイトだった由美が、やはり見覚えのある女の子数人とそこにいた。
「あっ、ユミさん!くだらない話してただけですから、全然大丈夫です」
女の子たちは先ほどまでの会話をどこから聞いていたのか、くすくす笑いをこらえているようにも見える。由美は自然な微笑みを1ミリも崩さず、丁重にお辞儀をした。
由美の完璧な仕草一つ一つが却って取っつきにくい印象を持っていたラニーニだったが、今は由美が救いの神に思える。
「オーストラリアでの合同テストは、今日ですべてのスケジュールが終了と伺いまして……」
「はい、あとはメカニックの人たちと打ち合わせをするだけですけど、とくに問題はないと思います」
「というか、新しいエンジンは今回試せなかった」
「お疲れ様です。ご存知かも知れませんが、一月にみなさんのご協力で収録した鈴鹿でのライディングスクールの模様が、先週と今週に渡って日本で放送されまして、大変好評だったそうです」
「わたしたちもうれしいです!」
「ちょうど今、そのときの話聞かせてもらってたとこ」
「それはありがとうございます。それで、せっかく私たちもオーストラリアに来ているのならと、番組制作の方が食事会の場をご用意くださいました。ジュリエッタとスミホーイの日本における総輸入元をさせてもらってます私の祖父も大いに乗り気で、是非協力するようにと連絡がありまして、よろしければみなさんにも参加していただきたく」
「日本の輸入元って、今年からうちのサブスポンサーになったところだよね!もしかしてユミさんって、すごいお嬢様?」
由美とは今回初めて顔を合わせたリンダが驚いて大きな声をあげた。
「大したことありません」
「行って来なよ、二人とも。アレクのおっさんには言っておくから。いいなぁ、すごい食事会なんだろうな」
「もちろん、リンダさんにも参加していただくつもりですが?」
「えっ、いいの?」
「うちの宣伝も兼ねてますので、ブルーストライプスのライダーの方には全員参加していただきたいと思っています。それからアレクセイ監督にはこちらからすでに許可は頂いておりますので、心配ありません」
「わぁぉ、もちろん全員参加でよろしくお願いしま~す」
リンダはラニーニとナオミの返事も聞かず、勝手に承諾していた。
「低回転のトルクはもう十分だから、もっとピークパワーをあげて頂戴」
「これ以上高回転よりに振ると車体とのバランスが」
「大丈夫、この子の骨格ならまだまだ全然破綻する気がしないから。むしろもっとガンガン責めて欲しがってるわ」
フレデリカは、LMSのメカニックにもっと過激な仕様を求めた。
ハンナの父親の会社が開発してきたLMS H-03は、それほど期待していなかったフレデリカの予想を超えるものだった。中排気量クラスを思わせるがっしりとしたフレームは、フレデリカの過激なライディングにもどこまでも耐えてくれそうな気がする。その分、中途半端な操作では曲がるきっかけが掴み難いのだが、アグレッシブに攻めれば鋭く反応する。まさにフレデリカ好みの車体だ。
レーシングマシンの世界でも、最近は素直で乗りやすくする傾向にある。
進化したタイヤとコンピューターによる車体設計、それを効率的に活かすよう制御されたエンジン特性。ライダーはマシンに合わせて操縦すれば、誰でも速く走れる。
デビュー前からフレデリカは、YC211系の開発に携わってきた。鈴鹿も何度も走っている。昨年暮れ、鈴鹿で乗ったYC214は、これまでのものとは比較にならないほど速かった。フレデリカは手首が完璧に回復していなかったにも関わらず、容易くベストタイムを叩き出せた。
しかし、どんなに速く走らせてもフレデリカには高揚する気持ちが沸いてこなかった。今日の技術で理想とされる設計理論に従って作られたYC214は、彼女にとって「走らせる」という表現が適切な代物ではなかった。ただ単に、マシンに合わせて乗っていただけだ。それ以外は許容しない。
つまり、YC214は最先端の技術で、乗り手に特殊な能力がなくても限界まで走れるように設計されているが、その限界は誰にとっても限界であることを意味していた。
誰でも速く走れると言っても、ミリ単位のライン選択、僅かな操作のちがいで大きくタイムが変わるのは当然で、誰でもという表現にも語弊があるが、フレデリカがYC214に乗った印象は、自分がマシンを操るというより、自分がマシンの制御装置の一つになった気がした。
その意味では、リヒターのH-03は時代に逆行するマシンと言えるだろう。本来YCのものよりマイルドな市販用エンジンをベースに、チューニングにより過度なパワーを絞り出し、ピーキーだが最高出力だけならワークスをも上回っている。しかしおそろしく凶暴で、技術と体力のない者には、まともに走らせることすら困難なマシンになっていた。
「これ以上パワーアップしても、扱い難くなるだけでタイムは伸びないでしょう」
「あなたたちの仕事は認めているし、感謝もしてるわ。でも、速く走らせられるかどうかは、私が決めることよ」
「しかし、フレデリカさんだけ速くなっても……」
「彼女の言う通りにしてあげて」
「ハンナさん!?」
「私もどこまでパワーをコントロールできるか興味あるわ。次のセパンのテストまでに用意できるかしら?」
今以上に過激なマシンにする要望をハンナが認めたことに、フレデリカまで驚いた。彼女と自分とは、タイプが違う。
「あなただけ飛び出しても、シャルロッタさんには勝てないでしょ?」
「ハンナさん……」
琴音もタブレットを指し示した。
『H-03の限界はまだ見えてない。この子を満足させられるかは乗り手次第。私も一緒に気持ちよくなりたい』
翻訳機能によって液晶に表示された文字は、彼女もフレデリカと同じ仕様を望んでいた。
「ということで、今後の方針は決まりね。私たちの限界は私たちが決めるバイクをめざしていきます。フレデリカさん、うちのチームではすぐにはタイトル争いに参加させてあげられませんが、必ずシャルロッタさんと勝負できる舞台まであがるつもりです。焦らず協力していきましょう」
GPに来て、はじめて信頼できるチームリーダーに出会えたことに、フレデリカは柄にもなく、目にゴミが入ったふりをして目頭が熱くなっているのを誤魔化さなければならなかった。
「ハーイ!フレディー、相変わらずドタマぶっ飛んだ走りしてるね。打ち合わせは終わった?」
いい雰囲気のところへ、陽気な、しかしあまりきれいでない英語が響いた。
「トモカ!」
フレデリカはぱっと明るい表情に変わり、両手を挙げた。
智佳がダッシュで駆け寄ると、その手にハイタッチを交わす。
「どうしてここにいるの?」
「ハイスクール卒業の記念旅行だよ。ラニーニたち見送るとき、空港で約束してたじゃん」
「本当に来てたのね。っていうか、フレディーてのはやめなさいよ。まるで金曜に人を襲う化け物みたいじゃない。私はか弱い女の子よ」
「走りはモンスターでしょ?さっきのアイカたちとのバトルも見てたよ。やっぱ鈴鹿の時とは気合いがちがうね」
「鈴鹿の時の方が、けっこう本気になっていたわ。正直、あれがきっかけでチームメイトを意識するようになったから、気合い入っているように見えるのは、そのせいかもね。でも開幕までには、まだまだ高めていくわよ」
フレデリカと智佳は、親しみを込めたげんこつを握った手をガツンと合わせた。
「久し振りです、ハンナさん。琴音さんも調子良さそうで、ワクワクしちゃいました」
智佳はハンナと琴音にも挨拶をした。
「お久し振り。相変わらず元気ですね。いつからこちらに来てたのですか?」
「オーストラリアに来たのは一昨日ですけど、フィリップアイランドには昨日つきました」
「あら、それで私のところには今ごろ挨拶ですか?アイカさんたちのところには、昨日行ってたみたいですけど」
ハンナは智佳たちが来ているのに気づいていたらしかった。
「いやぁ、ごめんなさ~い♪わたしは真っ先に行こうって言ったんですけど、取り込んでたみたいなんで、サキがあとにしようって」
GP初参戦でスタッフも少ないLMSのピットが慌ただしかったのは事実だ。部外者が近寄り難い雰囲気だったのも理解できる。
「それでもトモカさんなら、気にしないで来てくれると思ってましたけど」
「いやいや、そこまで図々しくないッスよ。それで今日は改めて正式に挨拶したいと思いまして、挨拶っていうかご招待なんですけど」
智佳は由美がラニーニたちに説明したのとほぼ同じ内容を説明した。同じ内容のはずなのに、まるでちがうパーティーをイメージさせたのは、なぜだろう……。




