誓い
ラニーニと合流したバレンティーナは、これまでのストレスを晴らすかのようにラストスパートを掛けた。エレーナたちも追随するが、既に10メートルほど遅れていた。
バレンティーナがそろそろスパートを仕掛ける頃だとは予測はしていた。レースは残り5周だ。フルパワーで走っても耐えれると踏んだのだろう。一気に勝負に出た。
如何にパワーで優っていようとバレンティーナ単独であれば、スターシアと二人でスリップストリームを使い合えば勝てるつもりだった。
ラニーニがカバーに入るのも予想はしていた。しかし、ラニーニはスタートから愛華とトップ争いを繰り広げ、マシンに相当の負担をかけているはずだ。オーバーヒートに到らなくても、かなり疲弊していると考えていた。
しかし、バレンティーナとラニーニは力強い加速でコーナーを立ち上がっていく。コーナーを抜けても交互に風を避け、スピードが鈍らない。エレーナとスターシアも同じようにスリップを使い合うが、パワーの差は如何ともし難い。一旦離されると徐々にその差を拡げられていく。
エレーナはこの時初めてラニーニのマシンだけトラブルを抱えていない可能性に気づいた。迂闊だった。いいマシンの優先権はバレンティーナにある。彼女のペースが上がらない時点で、すべてのマシンにトラブルがあると思い込んでいた。よりによって優先順位の一番下位にいるラニーニのマシンだけノートラブルだとは予想していなかった。
完全に自分のミスだ。エースライダーが一番いいマシンに乗るというのは一般論であり、そんなルールがある訳でもない。どんな事情があるのか知らないが、バレンティーナのマシンのトラブルを、すべてのブルーストライプスのジュリエッタの問題と勝手に思い込んでいたのは、スタート直前に変更した作戦とは言え、エレーナらしくないミスだった。
愛華は、凄まじい勢いでラニーニが迫ってくるのに気づいて慌てた。バレンティーナまで一緒に追って来てる。エレーナたちが遅れているのが見えた。
「わっ、大変だ。わたし何やってるの!ぼーとしてる場合じゃないよ。わたしのばか!」
いろいろ反省することはあったが、それはあとだ。ラニーニとバレンティーナはすぐ背後にまで迫っている。
「なんとか抑えてエレーナさんたちが来るまで踏み留めなくちゃ」
もう一度ラニーニと競い合えるのは嬉しかったが、今度はバレンティーナも一緒だ。デビュー戦でも同じ場面を経験したが、あの時はバレンティーナも本気ではなかった。残りの周回も少ない今回は、遊びなしで勝ちにくるだろう。それでもエレーナたちとの差も僅かである。少しでも足留め出来れば、すぐに追いついてくれる。それに、愛華はあれから随分上達してるはずだ。
「アイカちゃん、二人きりで競争するのは私も楽しかったよ。でも私はバレンティーナさんのアシストなの。二人でアイカちゃんひとりを相手するのはゴメンねだけど、本気でいくよ」
無線はチーム毎に周波数が違うので、ラニーニの声は愛華に届かない。それでも愛華にはラニーニの気持ちが伝わった。お互い全力で戦った。相手の心理を読みあった仲だ。
「二人が相手でも、わたし絶対退かないから!バレンティーナさんが一緒でも負けないよ」
二人の間にわだかまりはない。個対個であろうとチーム対チームであっても、どちらが速いか競わずにいられないのがライダーの本能だ。どんなに親しい友だちであっても、互いの立場で本気で戦う。
コークスクリューでは、なんとか愛華が抑えることが出来た。抜きに来たバレンティーナだったが、ラインを外れコースアウトしかける。相当イラついているのがわかる。
愛華は毎周繰り返してきたように、早めにスロットルを戻し最終コーナーに備える。ラニーニがインを刺す。
一旦、ラニーニに先を越された愛華だが、アウトいっぱいから一気にマシンを寝かせると鋭角に向きを変えた。そこからラニーニの背中を目指してスロットルを開け始める。ラニーニはまだ加速の体勢にない。
「勝った!」
愛華がそう思った瞬間、視界にバレンティーナのフロントタイヤが入った。
バレンティーナは、愛華と同じラインを、愛華より鋭く抜けていた。
やはりテクニックも経験もバレンティーナが上回っていた。何度もラニーニ相手に試し、自信を持っていた渾身のコーナーリングをいとも容易くかわされた。
ラニーニより前に出られたが、バレンティーナにイン側に並ばれ、どうする事も出来ない。スピードは向こうの方が乗っている。バレンティーナはするすると前へと抜けていく。
「ラニーニちゃんに勝ってもバレンティーナさんに抜かれちゃったら、なんにもならないじゃないの!もおぅ、わたしのばか」
「それほど馬鹿でもないぞ」
突然、エレーナの声が飛び込んできた。エレーナはバレンティーナのすぐ後ろから愛華に並びかけていた。
「アイカちゃんは、バレンティーナの天敵ね」
その後ろにはスターシアもいた。あの時と同じパターンだ。愛華の足留めは功を奏していた。自分がなんとかチームのために役立てたことは、バレンティーナに抜かれたショックから立ち直らせてくれる。
エレーナとスターシアの後ろについて、バレンティーナを追う。ラニーニも自分のエースをサポートしようと愛華のスリップに入る。
バレンティーナは、ラニーニが三人に後ろに落ちたのを知ると単独で逃げに入った。残りは3ラップしかない。このまま押し切るしかないだろう。
バレンティーナの本気走りは、単独でも凄まじかった。エレーナ・スターシアコンビもパワー差を覆えそうと猛追する。
レベルが違う。愛華とラニーニは、もうついて行くのがやっとのペースだ。それでも愛華は、パワーで勝るラニーニが、エレーナとスターシアに迫ろうとするのを懸命にブロックする。
ラニーニは、エースバレンティーナが逃げ切れるようにエレーナとスターシアの追撃の邪魔をしようとし、愛華は、そのラニーニを抑える。もうレースの脇役でしかなくなっても、若い二人は必死にチームに貢献しようと走った。それしか出来る事はない。悔しくてもそれが今の二人の実力だ。
レースは結局、エレーナ・スターシアコンビの猛追も僅かに届かず、バレンティーナに逃げ切られた。
バレンティーナにとっては三戦ぶりの優勝で、彼女のファンは歓びを爆発させた。イタリアから応援に駆けつけた彼女の親衛隊が、ウィニングランの途中にコースになだれ込み、バレンティーナを囲んで大騒ぎを始める始末であった。
しかし、バレンティーナは手放しで喜べない。ニューマシンの問題は何も解決していない。もう一周あれば負けていた。その事はバレンティーナ自身が一番よく知っていた。彼女は、最後のストレートでエンジンに異常な兆候を感じた。まさに薄氷の勝利だった。
愛華は4位でフィニッシュした。ラニーニには勝てたが、トップ3との実力差に情け無さを覚えた。それはラニーニも同じ気持ちだ。
大騒ぎをするバレンティーナ親衛隊の横を通過したあたりで、ラニーニが握手を求めて来る。
「アイカちゃんと走ってる時は、とっても楽しかったよ」
「わたしも楽しかった。でも、バレンティーナさんは本当に凄いね」
「エレーナさんとスターシアさんも凄かったね。私たち、全然ついていけなかったもん」
「わたしたち、まだまだだね。いつかあの人たちに追いつけるように頑張ろう」
「うん、私、アイカちゃんより先に追いつくから」
「わたしだってラニーニちゃんに負けないよ」
愛華は繋いでいた手を放すとバイクを加速させた。凹んでいた気持ちがやる気に充ちてくる。ラニーニもスロットルを捻って、愛華の横をウィリーで追い越していった。