調律(チューニング)
シャルロッタは、愛華に語った決意が本物である事を示すように、いつになく真面目にテストに取り組んでいた。初日のベストタイムは、トップのバレンティーナから約1秒遅れの7位であったものの、それが逆に、まわりに不気味さを感じさせるからとことん変人扱いだ。
昨年、シャルロッタは長いシーズン展開が組み立てられず、最終戦で使えるエンジンがなくなるという失態を演じた。
これまでのシャルロッタなら、開幕前のテストであっても自らの偉大さを誇示しようと、初日からマシンの調子など関係なく、シャカリキになってトップタイムを狙いに行ったはずだ。
さすがのシャルロッタも、配分というものを覚えたとちょっとした話題になっている。
因みに今季、エンジン使用台数制限のレギュレーションが変更され、オートバイ製造メーカーであるジュリエッタ、スミホーイ、ヤマダのプロトタイプエンジンを使用するチーム(実質的なワークスチーム)は年間7台まで、市販されているエンジンをベース(シリンダーブロックとピストンの改造は禁止)として使用するチームは、制限なしと緩和された。技術の進歩と、より多くのチームに入賞のチャンスを拡げ、レースを面白くする試みとして妥当なハンディといったところだが、現時点では勢力図が大きくかわるとは思えない。昨年このルールが適用されていたら、という仮定の論議は無意味だ。シャルロッタはもっとおバカになっていたろう。
シャルロッタが少し大人になったと評価するレース記者たちだが、今季の本命はやはりヤマダのバレンティーナだと見る者が多い。
なんと言ってもストロベリーナイツは、チームの顔であり中心であったエレーナがいなくなるのは痛い。新たにライダーを加えることなく、今季シャルロッタを支えるのは、スターシアと愛華の二人しかいない。スターシアは言うに及ばず、愛華とて今や十分エースとしてチャンピオンを狙える実力とまで言われるようになっていたが、エレーナの抜けた穴を補うのは難しいところだろう。それほどエレーナは、単に速いだけでなく、豊富な経験とチームをまとめ、勝利へと導くカリスマ性があった。愛華もその資質を感じさせるものは持っていたが、やはりエレーナと比べ圧倒的に経験が足りない。もっとも、エレーナに代われるライダーなどいるはずもないのだが。
対するヤマダワークスは、好調なバレンティーナ始め、ベテランのケリー、マリアローザに加え、アンジェラ・ニエトという、かつてバレンティーナがタイトルを獲得した時のチームメイトを新たに呼び寄せた。彼女も華やかな経歴はないものの、昨シーズン、三大ワークス以外で唯一表彰台に上がっているレース巧者であり、バレンティーナのスタイルを知りつくしている。
若く才能のあるライダーを多く寄せ集めたものの、全くチームとして機能しなかった昨年の反省から、TEAM VALE と呼ばれる、完全にバレンティーナ中心のチームを作り上げてきた。
そして何よりも、ヤマダYC214の仕上がりが群を抜いている。もともと他を圧倒するパワーを誇っていたヤマダエンジンだが、そのパワーに車体がついて行けず、持て余していた感があったものを、プログラムを見直し、車体も剛性を求めるだけでなく、バランスのとれたものにリニューアルしてきた。もてぎ、鈴鹿、セパンで行われたYRCのテストでは、どこもコンスタントに昨年のYC213を上回るタイムを記録している。
個々のライダーとしては、シャルロッタやスターシアに見劣りするとしても、それを補って余りあるバイクの性能差、加えてエレーナを欠いたストロベリーナイツとハンナの抜けたブルーストライプスが、昨年以上に劣勢に立たされると予想するのは当然だ。もっとも、予想は裏切られるから面白いのであって、多くのGPファンは、シャルロッタの規格外の才能(というか常識はずれの思考)が、エレーナの後継者たる愛華の潜在能力を目覚めさせ、また、愛華の思いが、シャルロッタの溢れる才能(無駄に浪費されてた才能)を花開かせ、奇跡を起こしてくれることを期待していた。
これはストロベリーナイツファンの贔屓目というより、強いチームが当たり前に勝つレースより、なにが起こるかはわからないレースを望んでいるすべてのMotoミニモファンの本音だろう。勿論、昨シーズン、粘り強い走りでチャンピオンとなったラニーニが、今季もタイトル争いを最後までおもしろくしてくれることも期待していた。
合同テスト二日目、バレンティーナがトップタイムをキープしていたものの、午後のセッションでラニーニが一時バレンティーナを上回るタイムが記録されると、各ライダーは一気にタイムアタックモードに入り、レース前さながらのアタック合戦が繰り広げられた。
結局、前日から1秒近く短縮したバレンティーナのベストタイムが、二日目もトップタイムとなった。
シャルロッタは、終了間際にバレンティーナから0.01秒だけ控えたタイムを出して終えている。彼女は直前まで明らかに抑えた走りを見せており、たったワンラップのアタックでこのタイムと、周囲を驚かせただけでなく、意図して百分の一秒だけ遅く走ったのでは?との憶測を呼んだ。さすがにシャルロッタでも、それは無理だろう。
終了後のシャルロッタのちょっと悔しそうな顔を目撃した愛華は、去年の最終戦の予選の時みたいに、最後のおいしところを狙っていた彼女の目論みが失敗したんだとわかったが、闇雲に全開していた以前よりはましな傾向だと思うことにした。
この日の結果も、公表されたリザルトの順位だけ見れば、今季のMotoミニモは、ヤマダ中心にまわると予想させた。二番手タイムを記録したシャルロッタ以外、上位をチームVALEで占められている。
しかし、三番手タイムのケリーからアンジェラ、マリアローザに続いて六番手のラニーニ、さらに七番八番手で同タイムを記録したスターシアとナオミまでが、コンマ3秒差という僅差にひしめいている。レースや予選であれば、一千分の一秒でも明確な差として順位付けされるが、今年初めての合同テストにおいて、その差はないに等しい。しかもヤマダ勢が昨年末から日本国内でテストを繰り返し、十分マシンに乗り込んでいるのに比べ、ジュリエッタもスミホーイも、ニューエンジンの開発が遅れており、ベストタイムを記録したのはどちらも昨年型のエンジンを載せた仕様である事を考慮すると、決してヤマダ優勢とは言えないところがある。
新しいエンジンに載せかえたら全体のバランスが崩れてしまったというケースも少なくなく、実際パワーアップしたエンジンのセットアップに苦労している両チームの現状ではなんとも言えないが、レース関係者や長年GPを追い続けている記者などは、簡単にヤマダのタイトル奪取とはいかないのでは?と考えを変えはじめていた。
シャルロッタが大人になったこともあるが、ディフェンデングチャンピオンのラニーニ、そのチームメイトのナオミなども、昨年よりレベルアップしている印象を受ける。
どこがどう違うかを具体的に示すことは難しい。元々、しっかりとした技術を持ったライダーたちだ。キレがよくなったというか、安定しているというか、全体的に一段階レベルが上がったような気がする。完成されたテクニックと言われるスターシアまでが、さらに美しさに磨きがかかったと感じることからも、願望がそう錯覚させているだけかも知れないと、安易なコメントは控えたので、世間にはバレ優位のレポートだけが広まっていった。
一方、愛華は初日、トップのバレンティーナから5秒遅れに終わり、日本から詰めかけたマスコミを落胆させるスタートとなった。
ただ、監督に専念することを発表したエレーナは、さほど気にする様子もなく、黙って見守っているようだ。
なにしろ愛華は、昨年の最終戦から、鈴鹿でのイベント以外、バイクに乗ってすらいない状態で合同テストに臨んでいる。シャルロッタに比べ、慎重に走り出す愛華なので、この時点で落胆する必要がないのは、エレーナでなくともわかっている。
愛華自身、はじめは緊張したものの思ったより感覚は鈍っておらず、上々の走り出しだと納得していた。
二日目には、愛華も徐々にペースを上げて行き、気持ち良く走れるペースでトップから1秒遅れのタイムまで詰めたところで、走行終了となった。
それでも、初日にバレンティーナの出したベストタイムと同じレベルまで詰めれた訳であり、確かな手応えを感じていた。もっとも、こうなって来ると欲が出るもので、愛華としてはもう少し走って、ラニーニちゃんたちと同じレベルまで持って行けることを紗季たちに見せたかったが、無理は禁物だ。マスコミはともかく、友だちはそこまで望んでいない。
シャルロッタさんが大人になったのに、自分が無茶しちゃおバカさんだ。
合同テストも三日目になると、各チーム、集団での調整に入った。別に取り決めがされてる訳ではないが、合同テストの主要な目的の一つが、他のチームとの比較にあるので、大きな問題でもない限り、どのチームもまわりが集団走行に移れば、自分たちもチーム単位での走行へと移っていった。
場合によっては、レースさながらのバトルも繰り広げられたりするので、観る側としては、一人一人がバラバラに走るより、わかりやすく面白い。
愛華も、一人で走るよりシャルロッタやスターシアと走る方が調子がいい。特にスターシアの後ろを走るのは、いつもながら自分まで上手くなった気にさせてくれる。その姿を追っているうちに、完全に本来の感覚を取り戻していた。
(エレーナさんが一緒じゃないのは残念だけど、スターシアさんやシャルロッタさんと走れるのは、やっぱり楽しい!)
乗れなかった期間が新鮮な気持ちを思い出させてくれて、もっと上手く乗りたいと前より強く思うようになっているのを自覚した。
スターシアと愛華が先頭を交替しながらシャルロッタを引っ張るハイペース走行に慣れた頃、前方にラニーニたちが目に入った。彼女たちもこちらに気づいて、明らかにスピードを上げた。
「アイカちゃんの調子も出てきたようですし、ちょっと試してみましょうか」
スターシアが二人に問いかけた。向こうもそのつもりでスピードアップしたのだろう。
「あたしにはちょっと物足りないけど、アイカの練習相手としては、ちょうどお手頃じゃない」
無意味なお目立ち行動は控え目になっても、シャルロッタの上から口調は相変わらずだ。ここまで彼女としては、ずいぶん我満してきたのだから、少しは発散させたいのが本音だろう。
「どうですか?アイカちゃん」
まあ愛華としても、レベルが同じくらいで、気心知れてるラニーニたちとの模擬レースは、実戦の感覚を取り戻すにはちょうどいいと思った。というより、
「望むところです!」
正直、シャルロッタさんと同じ気持ちだ。早くラニーニちゃんたちとも走りたい。
「では、無理しない範囲で、お相手願いましょうか」
スターシアはきれいなフォームで、ブルーストライプスの背後に迫った。
「ラニーニ、どうする?シャルちゃんが真っ先に突っ込んで来るかと思ってたけど、スターシアさんが先頭で来てるよ」
一番後ろで構えていたリンダは、ストロベリーナイツが誘いに乗ってきたのを確認して、ラニーニに伝えた。
「リンダさんの判断に従います!」
ハンナの抜けたあと、リンダがレース中の司令塔を受け持つことになっている。
ただリンダも、愛華同様ここまで十分に走り込めないまま、このテストに参加している。
病に伏せていた実父が先月末に他界し、チームに合流するのが遅れたのだ。
当初、ラニーニやナオミと一緒に、日本の愛華の家にも行くつもりだったが、父親が倒れたとの知らせを受けて、急遽アメリカに帰らざる得なかった。しかし、みんなの楽しみにしていた休暇を、自分のために気を患わせたくないという配慮から、日本に行けなくなった理由をラニーニにも知らせなかったあたりは、力任せの感もある荒削りな走りとは一致しないように思えるかも知れないが、周囲に気を使える姉御肌の側面もある。
「誘っておいてシカトも出来ないよね」
(どこから仕掛けて来るか予想できないシャルちゃんより、お手本みたいなスターシアさんの方が好都合だしね。何回か震えるほど凶暴な牙も見せつけられてるけど、今日その牙を剥くことはないでしょ。もっとも、予想できるからといって対応できるものでもないけど、新生ブルーストライプスとしてどこまで通じるか、挨拶がてら胸借りますか……)
病院のベッドで父親は、医師や看護師に、娘はチャンピオンチームの一員だといつも自慢していた。
ハンナが移籍して、リンダが司令塔となった今年、シャルロッタもバレンティーナも、雪辱を果たそうと昨年以上に強い覚悟で挑んでくる。
(自分には、ハンナさんのような仕事ができるとは思えないけど、お父さんにチャンピオンチームの司令塔として、恥ずかしくない姿を見せると約束した)
リンダの指示に、ラニーニとナオミが瞬時に反応する。
(この子たち、このオフの間に数段レベルアップしてる。この二人なら、本気で連続チャンピオンを狙える力がある。お姉さん役である私が足を引っ張る訳にはいかない)
厳しいのはわかっているけど、精一杯やるだけだ。




