じゃあね、またね!
「アイカちゃん、みんな、ありがとう!すっごく楽しかった」
ラニーニとナオミが、涙を浮かべてお辞儀をした。
鈴鹿でのテレビ収録から二日後、愛華たちは、来週からイタリアでブルーストライプスのテストが始まるラニーニとナオミを、空港まで見送りに来ていた。来た時の出迎えは、愛華と紗季とシャルロッタだけだったが、今日は愛華の祖父母と、一緒に鈴鹿のイベントに参加した友人たち、スターシアにハンナと琴音、フレデリカまで見送りに来ていた。二週間ほどの滞在だったが、忘れられない思い出で一杯だ。見送る生徒たちの中からは、すすり泣く声も聞こえてくる。
「オジイチャン、オバアチャン、オ世話ニ、ナリマシタ……マタ、アソビニ、キテモ、イイデスカ?」
普段口数の少ないナオミが、片言の日本語で愛華の祖父母に挨拶をした。
「もちろん、自分の家だと思って、いつでもおいで」
おばあちゃんは、にこやかに答えたが、その目は涙ぐんでいる。
「これからも愛華と仲良くしてやってください。レースでは、ちょっと手を抜いてくれると」
「おじいちゃん!変なこと言わないで。レースはいつも真剣にやってるんだから」
おじいちゃんの冗談に本気で抗議する愛華らしさに、ちょっとだけみんな微笑んだ。
愛華は勿論、学校の友だちだけでなく、世界のトップライダーたちにとっても、予想外に得るもののあった休暇だった。
特に鈴鹿でのテレビ収録は、長いキャリアを誇る彼女たちにとっても、新たな可能性と新鮮な気持ちを与えてくれた。
『うさぎさんチーム』と『かめさんチーム』のチーム対抗タイムトライアルは二本目、智佳のコース後半からの巻き返しによって一勝一敗となり、それで番組的には収まって、よかった、よかった、なのだが、負けず嫌いのシャルロッタが収まるはずがない。他のライダーたちも、なんだかんだ言っても、皆白黒はっきりつけたいアスリートたちだ。
放送には使わないという条件で、『講師たちに拠るうさぎさんチーム対かめさんチームの対抗レース』が行われる事となった。
ラニーニ、愛華、フレデリカ、琴音の『うさぎさんチーム』と、シャルロッタ、ナオミ、ハンナ、スターシアの『かめさんチーム』という、GPでは絶対観られない夢の組み合わせが実現した。当然タイムトライアル形式ではなく、僅か5周のスプリントではあったが、最初にゴールしたライダーが勝ち、という実戦レース形式で行われた。マシンも昨年モデルとはいえ、本物のワークス仕様という、正にドリームレースだ。
シャルロッタとフレデリカという、GP史上でも突出したエース同士による夢の対決は、公開出来ないのが惜しまれるほどスリリングで興奮するものであった。
その場で目撃した者も幸運だったが、当人たちにはそれ以上の忘れられない貴重な経験となった。
愛華やラニーニ、琴音にとっては、いつものチームメイトを相手に、シーズン中はライバルとして戦っている者と組んで走るのは、戸惑うどころかワクワクする体験だった。
スターシアもハンナも、希代のアシストのスペシャリスト同士、互いの上手さを改めて確認し、ナオミにも大いに学ぶものを得た。
その現在Motoミニモを代表するアシストに囲まれながらも、シャルロッタは自分にとっての愛華の大切さを思い知った。
フレデリカは、Motoミニモのレースにおいて、自分一人だけの力では勝てないことを初めて実感した。
「アイカちゃん、本当に楽しかったね」
「わたしも!次はライバルだね」
「手加減なんてしないよ」
「あんたにそんな余裕あるわけないでしょッ!あたしがシリーズ全戦優勝したあとで『友だちだから手を抜いてました』とか言い訳するんじゃないわよ!」
いつものように、愛華とラニーニの会話に、シャルロッタがつばをとばしながら割り込んで来る。友だちと認めつつも、こういう親愛の表し方しかできないところは、相変わらずだ。
「アイカちゃん、勉強頑張ってね」
「うん、今度逢うときは、合同テストだね」
「今年はオーストラリアが最初だったよね」
「あそこは、カモメがいっぱいいるから……」
愛華は、昨年のオーストラリアGPの時の「シャルロッタのカモメの糞事件」を思い出して、吹き出しそうになった。
「なによ!?」
「いえ、なんでもないですぅ」
愛華がシャルロッタと目を合わせないようにして必死に吹き出すのをがまんしている様子に、シャルロッタは不服そうだが、わかっているだけにそれ以上問い詰められないようだ。
「ねえ、オーストラリアの合同テストって、いつからなの?」
愛華の隣で聞いていた智佳が尋ねた。
「えっと、二月の終わりぐらいだったはずだけど……」
「ねえ、紗季、例のやつ、オーストラリアにしない?」
智佳は紗季の顔を見て微笑んだ。唐突に振られて、紗季は最初きょとんとしていたが、なにか思い出したように顔をぱっと明るくする。
「そっか!いいわね、それなら愛華の日程合わせなくてもいいし」
「例のやつって……?」
愛華にはなんのことだか理解できていない。
「卒業旅行だよ!」
「ずっと前から行こう、って相談してたんだけど、愛華はいろいろ都合あるだろうから、どうしよう?って決められなかったの。そのうちいろいろなイベントとかであって、そのままになっちゃってたけど、私たちの卒業旅行兼ねて、オーストラリアの合同テスト見学に行くってのはどうかしら。それなら愛華もいるし、もちろん、愛華はチームのテスト第一だから、ずっと一緒にいられないのはわかってるけど、スターシアさんやシャルロッタさん、ラニーニちゃんたち皆さんにもまた会えるし、卒業旅行はオーストラリアに決定ね」
由美が英語に通訳して伝えると、シャルロッタやラニーニはもちろん、フレデリカまでもが嬉しそうに顔を綻ばせた。だが、肝心の愛華だけは、浮かない表情をしている。
「どうした?あいか。なんか都合悪いの?テストは関係者以外観られないとか?」
「ううん、そうじゃないけど……」
合同テストは公開なので、サーキットへの入場料さえ払えば、基本誰でも観られる。愛華が気にしてるのは、みんなが楽しみにしていた卒業旅行を、自分なんかの都合に合わせてもらうことが申し訳なかった。そのことを智佳に伝える。
「なんだ、そんなこと気にしてるの?」
「だってわたしなんて、ずっと高校行ってなかったのに、今でもすごく迷惑かけて、助けてもらってるばかりなのに……」
「私たち、愛華にすっごくいっぱい勇気と感動もらってるのよ。それに愛華だけでなくて、皆さんと再会できるのが楽しみなんだから」
「紗季は、特にスターシアさんに逢いたいんだよね~ぇ」
智佳が茶化すと、紗季は顔を紅らめて「スターシアさんだけではありません!」と強調した。
スターシアさん、素敵だもんね……。
「でも、他のみんなだって、行きたかったところがあるんじゃ……」
「じゃあ、みなさんに訊きま~す!卒業旅行はどこに行きたいですかぁ?」
「「「「オーストラリア!」」」」
智佳が問いかけると、申し合わせていたように全員揃って答えた。二年生の由加里や璃子まで手を挙げて答えていた。
「あれ?なんで由加里や璃子たちまで答えてるの?」
智佳はニヤニヤ笑って、後輩たちについ意地悪な質問をした。
「先輩たちばっかり、いつもずるいです!わたしたちも一緒に卒業旅行、行きたいです!」
「いや、卒業旅行って、卒業する人が行く旅行だから」
「でも、わたしだって愛華先輩と一緒に行きたいです!」
「だから二年生はまだ三学期の授業あるだろ!」
「じゃあ、春休みに入ってからにしましょう!」
「合同テスト終わってるし!」
なんだか智佳と由加里は、本当はとっても仲良しな気がしてきた。
「みんな、ありがとう!」
愛華は智佳たちに向かってお礼を言うが、みんなお礼を言われるようなことをしたつもりはない。
「わたしたちは、行きたいからオーストラリアに行くんだよ」
別れのさみしさは消え、みんな再会を楽しみな顔になっていた。
「盛り上がっているところ悪いんだけど、愛華さんが今月の卒業試験で合格点に満たない場合、二月末に再試験となりますよ」
せっかくいい雰囲気になっていたところに、亜理沙ちゃんが水をさしてくれた。たまに教師らしいことを言う亜理紗ちゃんだが、なにもこんな時に教師らしさアピールしなくても、と智佳たちが恨めしそうな視線を向ける。しかし、
「エレーナさんからも、学校を最優先するようにと言われてますからね」
スターシアさんからも、きっぱりと言われてしまった。
「でも、新しいマシンのテストもしないと……」
愛華としても、まだニューマシンには一度も乗っていないので、合同テストにはなんとか参加したい。
「あんたの分まであたしがやっといてあげるから心配ないわ。がんばって勉強してなさい。でも、みんなは予定通り、卒業旅行に来てもいいからね。特別席用意しておいてあげるわ」
シャルロッタから「勉強しろ」と言われると、なんかすごくダメな人間になった気がする。
「由美、なんとかならないの?」
智佳が女学院で絶大な権力を握るお蝶夫人に頼んでみた。
「卒業試験の不正は、学校の信頼に関わります。私の口を挟める問題ではありません。ただでさえ特別処置がされている愛華さんです。生徒や教師、保護者の中には、愛華さんの卒業を認めるのに疑問を持っている方もおります。そのような方たちから批判されない為にも、愛華さんには優秀な成績で、勿論一発でクリアしてもらうしかないでしょうね」
由美は、至極当たり前にして、重要な事を言った。
特別な人間には、背負う責任も特別になる。
これはエレーナがよく言っている事と同じ意味だと、愛華も理解できる。しかし、理解できるからといって、思い通りにいかないのが人生だ。高校三年分の授業内容を三ヶ月で詰め込んで、優等生揃いの白百合女学院の中でも優秀な点数を獲らなくてはならないというのは、愛華にとって表彰台に上がるより困難なことに思えた。
「智佳先輩が余計なこと言うから、ハードル上がっちゃったじゃないですか!」
「えっ、わたしのせい?」
智佳と由加里の掛け合いに、くすくすと笑いも漏れるが、愛華はそれどころではない。
「あの……ぅ、もし点数が届かなかったら?」
「当然、留年ということになります。場合によっては、最悪退学、或いは除籍もありえます」
由美は冷酷に言った。おそらく事実なんだろう。部活では優秀な成績を収めた特待生であっても、学業成績の悪い者を特別扱いしないのが白百合の伝統だ。
「スターシアさん、わたし、卒業出来なかったら、どうなるんですか?」
「契約の条件に、高校卒業とあるので、留年となると一年間レース活動を休止して、学業に専念してもらう事になるでしょうね」
スターシアさんの言い方は優しいが、エレーナさんなら本当に休止させかねない。
「どうしよう……」
卒業旅行の話題で盛り上がったみんなの顔も、急に暗くなった。
「そんな事を心配してるより、一発で合格すればいいのです」
由美の一言に、紗季が頷く。
「そうだよね!私が、全力で教えてあげるから大丈夫よ」
「わたしも応援します!」
由加里も手を挙げる。
「私は日本史」「じゃあ私は古文」とみんながそれぞれ得意な教科を教えようと名乗り出てくれる。
「みんなついてるし、わたしも教えてあげるから、心配ないって」
「智佳は自分の追試があるでしょ!」
再びみんなが、どっと笑った。
「智佳先輩も応援してあげますよ」
これ見よがしに由加里にまで言われた智佳は、なんとも悔しそうな顔をした。
「そんなこと言って由加里、愛華が留年って聞いてちょっとうれしそうな顔してたろ?」
仕返しとばかりに、智佳が言い返した。
「な、なんですか、それ!愛華先輩が留年してうれしいはずないじゃないですか」
「と言いつつ、顔を紅くしているところを見ると、やはり図星のようだな」
「由加里ちゃん……」
由加里の焦り方に、愛華まで顔を覗き込んだ。
「だって愛華が留年したら、四月から同級生として一年間一緒にいられるもんな」
「ちがいます!そりゃあ愛華先輩と一緒にいたいですけど」
「ほ~ぉら、やっぱり」
「智佳!後輩苛めるのもいい加減にしなさい!そんなこと言ってると、智佳が同級生になるかも知れないわよ」
見かねた紗季に叱られた。由美も智佳の悪ふざけを責める。
「いくら冗談でも、今の言い草は由加里さんに失礼ですね。由加里さんに謝罪すべきでしょう」
なんだか気まずい空気になってしまった。
「ごめん、由加里。ちょっと悪のりしすぎたわ」
自分でも少し言い過ぎたと、智佳も反省したようだ。
「由加里ちゃん、智佳も本気で言ったんじゃないから、許してあげてね。こういうキャラなんだから」
愛華が一緒に謝ってくれた。
「大丈夫です。同じクラスになっても、ちゃんと『智佳先輩』と呼びますから」
「なっ!……同じクラスでそれはやめて」
「なんだか若いっていいですね」
「みんなで力を合わせて、きっとアイカちゃんを合格させてくれるでしょう」
「ええ、白百合女学院の誇るドリームチームですから」
スターシアとハンナと亜理沙は、愛おしい生徒たちを微笑ましく眺めていた。
今の時代、当然といえば当然と言えるが『講師たちによるうさぎさんチーム対かめさんチーム』の模様は、その後、動画がインターネット上に流出して大きな騒ぎになってしまった。




