女の子を魅了するもの
名古屋から鈴鹿までは、渋滞などなければ高速で一時間ほどの距離なので、日帰りも可能だが、番組制作会社が鈴鹿サーキットホテルを予約していてくれた。
夕食や夜くつろいでいるシーンも撮りたいのもあるが、世界のトップライダーに出演願うのだから、せめて行き帰りの時間だけでも節約して欲しいという思いもあるのだろう。部屋用意してくれていた。世界を転戦している愛華たちには、早朝や深夜の移動も気にならなかったが、友だちみんなとホテル泊は、なんだか修学旅行みたいでわくわくする。別の宿泊施設に滞在していたハンナと琴音とフレデリカも、この日は一緒に泊まることになった。
一日の疲れを癒すために、みんなでお約束の大浴場に入る。残念ながらカメラは入れてもらえない。当然だ。
如何にも外国人が好みそうな「日本の露天風呂」という感じのクアガーデンの露天風呂に、シャルロッタは大喜びで、子どものようにはしゃぎまくる。
はじめは恥ずかしがっていたラニーニも、みんなが裸なのに慣れてきて、満足そうに湯に浸かるナオミと並んでまったりしていた。
露天風呂の岩に登ったり、そこから飛び込んだりしてはしゃぐシャルロッタを、紗季がやさしく注意するが(他のお客さんはいないとはいえ、正直とっても迷惑だ。今どき小学生の男の子でもそんなことしない)、浮かれるシャルロッタが大人しくするはずもなく、湯船でスイミングをしはじめたところで由美から、
「シャルロッタさん、みなさん迷惑しています。せっかく昼間、素晴らしいアドバイスをくださり、敬意を抱いておりましたのに、はしゃぎすぎです!」
と、手厳しく叱られた。エレーナのようにどついたりしないが、由美の毅然とした言い方に、シャルロッタは大人しくなるしかない。
「やっぱりユミって、なんか苦手なのよね。べつに恐くないけど、なんかエレーナ様に叱られてるみたいで……」
紗季の影に身を隠したシャルロッタは、小声で不満を漏らした。
常々、由美の威厳ある雰囲気を羨ましくもちょっぴり畏れを感じていた紗季には、シャルロッタの言う意味もわからなくもないが、どう見てもシャルロッタが悪いので、苦笑いするしかない。
「でもサキはスターシアお姉様みたいで好きよ。あんた、あたしの妹にしてあげるわ。あたしのこと、シャルロッタお姉様とお呼びなさい」
年齢の上下というより、人間として明らかに紗季がお姉さんでしょ!と突っ込みたいところだが、紗季としては「スターシアお姉様みたい」と言われたことと、シャルロッタの妹という事は、スターシアさんの妹と認められたわけで、「スターシアお姉様」とお呼びする許可をもらえたみたいで、ちょっとうれしそうな顔をしている。
べつにシャルロッタの許可など要らんと思うのだが……。
その時、先に湯船に浸かっていた本物のスターシアが立ち上がり、湯船から出てきた。
気づいた女の子たちは、そのまま目がくぎ付けになってしまった。先程まではしゃいでいたシャルロッタも、それを厳しく注意した由美も、あるいは昼間見た「スミホーイのメカニックのミーシャくんって、ちょっとカッコいいよね」なんて言ってた子たちまでも、全員の視線がスターシアの肢体に釘付けになっていた。当然、紗希もぼうと見惚れている。
「ヴィーナスの誕生……」
美術科教師の亜理沙ちゃんがつぶやいたように、湯気の中に浮かびあがったその裸体は、まさに『ヴィーナスの誕生』を現実にしたようであった。
少女たちの憧憬を知ってか知らずか、少しだけ体をくねらせ、露天風呂からの景色を眺めている。
美しいという言葉では物足りない神々しいまでの裸身に、全員のぼせてしまった。
部屋に戻って、のぼせた体を涼ませてから、夕食の用意されているホールに向かった。
このイベント自体、気楽な気持ちで参加してくださいと言われていたので、みな普段着だ。智佳や由加里など運動部の子たちは、合宿気分でジャージ姿でいる。愛華やラニーニたちも、スポンサーのロゴの入ったチームのスウェットの上下だったが、ホールの扉を開けて戸惑ってしまった。
並んだテーブルには、各々何種類ものグラスと銀のナイフとフォークが整然と置かれている。まるで豪華な晩餐会でもはじまるかのようだ。
「ねえ、もっと気楽な宴会みたいなの想像してたけど、こんな格好でよかったの?」
さすがの智佳も、ちょっと不安の声を洩らした。といっても、誰もフォーマルなドレスなど、持って来てない。
「気になさらなくても大丈夫です。ドレスコードの指定はありません。私たちの晩餐会です」
そう言って由美は、つかつかと先頭でホールに入って行き、愛華たちGPライダーを席に案内した。
因みに由美は、上品なスカートにハイヒールまで履いている。それでも彼女にしては、十分にカジュアルな服装なのだろう。
このイベントが、四葉商事主催みたいなものであり、ヤマダも協賛であることを考えれば、ある程度それなりのパーティーなのは予測できたが、智佳など、
「おのれ由美め!完全に嵌められたわ!」
と、浅野内匠頭一歩手前状態だ。メインの愛華たちも似たような格好なので、まあ気にしなくてもいいと思うのだが、自称日本通のナオミは「おお、忠臣蔵!」と目を輝かせていた。後輩の璃子なら、本当に仇討ちしかねない。
戸惑っていたのは、番組スタッフも同じだ。むしろ彼らの方が、もっと緊張していたかも知れない。
タキシードを着た司会役の中井真治は、セリフを間違えないように何度も練習していた。
現役時代の後半は、決して恵まれていたとは言い難かった中井は、メーカーとスポンサーのありがたさを実感した。それでも走っている時はまだ自分の力で乗り越えられると信じていた。
レースを降りた今、スポンサーにすがって生きている。そしてこれから紹介するのは、低視聴率の番組としては分不相応な大スポンサー様、それもその企業のトップ、日本経済界の超大物、四葉商事名誉会長の水野銀次郎とヤマダ技研代表取締役の伊藤隆明社長なのだ。ワイドショーの人気司会者でも緊張せずにはいられないだろう。
彼らがMotoミニモに関心を寄せているのは知っている。四葉商事のモーターサイクル事業は、周囲の反対を押しきって、水野会長が自ら言い出したという。ヤマダも本格的にMotoミニモのタイトル獲得とそれに倣う市販車の販路拡大に乗り出している。
それにしても、一介のテレビ収録イベントに、財界のトップである二人が顔を揃えるとは、思ってもいなかった。
中井は現役時代のスタート前ですら、これほど脚が震えたことはなかった。
水野銀次郎と伊藤隆明は、日本を代表する経営者だが、共に経済学とか経営学というのを学校では学んでいない。
銀次郎の少年時代、海運業で財を成した四葉商事創業一族の水野家であったが、太平洋戦争のうねりに呑み込まれていっていた。当初、軍時需要で莫大な利益をあげていた四葉商事だが、戦況の悪化とともに、先行きの見通せない状況になっていく。敗戦が色濃くなっていく中で、水野家後継者の銀次郎少年は、兵役を逃れる事も可能であったが、自ら海軍兵学校に入る事を選択している。
銀次郎が配属された頃には、武勇を誇った大日本帝国海軍も、米国の圧倒的物量の前に、一方的に叩かれるしかない状況だったが、彼は幸運にも生き延び、復員後、すぐに四葉商事建て直しに取りかかっている。
伊藤は、大学で工学を学んだ技術畑出身であり、二輪の世界GPが最も盛り上がっていた時代の現場を経験し、ヤマダのF-1エンジンが無敵だった時代の開発チームを率いた。役員になって以降も、日本で開催される世界選手権などでは、現場を覗きに現れ、叱咤激励したりしている。この叱咤激励というのがくせ者で、気の弱い者、自信のない者はプレッシャーで潰されかねない。
これは山田高一郎からの伝統のようなもので、中井も現役時代から何度も目にしている。伊藤は直接現場に口出すことはないものの、ヤマダのスタッフなどは、天覧試合と呼んで特別な緊張感を漂わせていたのを思い出す。
二人とも、人を動かすものは何かを、究極の現場で学んだ。
銀次郎は幼少の頃より人の上に立つ者としての教育を叩き込まれてきたが、経営者としては破天荒な人物として語られている。
伊藤にはぶっ飛んだエピソードはないものの、大ホラ吹きと言われたヤマダ創業者、山田高一郎を最も尊敬する後継者だ。
決して経営学、或いは経済学者を見下している訳ではない。専門家の意見にも耳を傾ける。ただ、銀次郎が以前のインタビューで語った言葉に、実戦主義の彼らの本音が表されている。
経済学というのは、データの解析であり、天気予報のようにこれからの動きを予測し、対処するには役立つが、気象現象そのものを変える事は出来ない。社会を変えるのは人だ。そして人を動かすのが我々の企業であり、企業はまた、人で成り立っている。
表現の違いはあるものの、伊藤の師、山田高一郎も同じようなことを言っている。
共に、人の資質、人を突き動かすものに強い関心を持っていた。
由美は祖父に、自分の企画したイベントを是非見て欲しいと言った。
伊藤は、かつて直接指導した海老沢から、おもしろいものが見られるから、観に来ませんかと誘われた。
世界選手権の懸かったレースでもないのに、二人ともわざわざ鈴鹿までやって来て、中井から今日のレッスンの様子を聞き、スターシアとハンナたちからも、詳しく話を聞いた。
個性豊かな一流のライダーたちとまったくの素人の女子高生。
運動部と文化系、競争心の強い子とそうでない子、リーダーシップを発揮する子と役割に従おうとする子。たった一日のことなので、長期的に見守りたいが、それぞれが意欲的に能力を伸ばしていることを聞かされた。
トップまで上り詰めたGPライダーたちなら当然としても、一般的に男性よりバイクに興味が薄く、リスクを伴う競争を好まない傾向にある女の子が、積極的に対抗戦に意欲を燃やしているのに興味を抱いた。
また、協調性とは程遠いと思われていたシャルロッタとフレデリカが、とても有益なアドバイスをしたというのも、興味深い。
教える側自身、得るものがあるとは昔から言われてきたことだが、ハンナのような一流のライダーであり指導者にとっても、新しい発見があったというのだから、やはり人の可能性は無限だ。
これまで、Motoミニモのトップチームをライダーのモチベーションから解析した研究はいくつもされてきた。一般の女性が興味を持つきっかけを探る研究は巨万とある。
彼女たちの話を聞くと、それを裏付けるものもあれば、予想外のことも起こっている。これは研究者でなくても興味深い試みといえる。
銀次郎にとっては孫娘の提案した事業の宣伝、伊藤にとっては企業イメージアップと将来の愛華獲得への敷石として、企画、協力したイベントだが、それに留まらないほどの収穫が期待できる。これだけのライダーが協力してくれて、詳細をこの眼で見られる機会など、滅多にない。
どちらも、いま展開しているプロジェクトの成否は、如何に女性を惹き付けられるかにかかっている。
女性にとってオートバイは、まだまだ特殊なスポーツだ。だがモータースポーツこそ、もっと女性にアピールしなくてはならない。
乗馬がオリンピックで唯一、男女の区別がないのと同じように、ロードレースも男女平等だ。女性が男性と対等に競えるスポーツ。小型のモーターサイクルは、すべての人にとって魅力的な趣味になり得るはずだ。
この中には、巨大な市場を開拓するヒントに溢れている。
なにしろ、世の中のほぼ半分は女性なのだ。




