亜理紗ちゃんの秘密
智佳たちの話題は、亜理沙ちゃんの正体に移っていた。
「でもさ、亜理沙ちゃんって、意外にレースに詳しかったりするんだよね。全然興味なさそうなイメージだけど、けっこう予想当てたりしてたじゃん」
「私もそれ思った!初めてのレース観戦だったんで、誰が勝ってるのかもわかんなかったけど、亜理沙ちゃんの説明すっごくわかりやすかったもん」
「なんであんなに詳しいんだろうね」
ロードレースは、存外素人にはわかり難い部分がある。しかし亜理紗ちゃんは、初めて観る女子高生にもわかり易く解説してくれてた。
「私の母が学生時代、亜理沙ちゃんと同じクラスだったことあるそうですけど、確か実家は、オートバイ屋さんだとか聞いたそうです」
キーボードを弾く手を休め、みんなの話に耳を傾けていた美穂が新情報を伝えた。
「亜理沙ちゃん、白百合の卒業生だったんだ。まあ、うちの女の先生の半分以上は白百合出身だから、別に不思議じゃないけど」
「あの雰囲気は絶対白百合でしょ。他所では生きていけんわ、あの人」
「トモ、何気に自分の学校のこと馬鹿にしてない?わたしたちみんな白百合だよ」
愛華が智佳の偏見を注意した。ゆるくても生きていける。
愛華は、亜理沙ちゃんに負けないくらいゆるいけど、世界中のライダー憧れの人を知っている。
「そっか。でも、美穂のお母さんと同級生ってことは、歳いくつなんだ?」
「女性の年齢を詮索してはいけませんよ、“王子さま”」
今度は紗季が智佳をたしなめた。
亜理沙ちゃんの年齢については、白百合の七不思議に数えられる謎であった。
紗季が中等部の時、生徒会で高等部の先輩から聞いた話では亜理沙ちゃんは二十代後半。その先輩も、中等部の時に先輩からそう聞き、更にその先輩もと、どこまで遡っても亜理沙ちゃんは二十代後半であり、世代によって「三十路手前」「もうすぐ30」「アラサー」などと表現は違うが、現在も二十代後半と信じられている。
美穂の証言は、有力な新情報でもあったが、今さら本当の年齢を明かしてなんになるだろうか?亜理沙ちゃんにも生徒たちにも、これから女学院に入学する子たちにとっても「亜理沙ちゃんは永遠に二十代後半」の方が楽しい。みんなには、ここだけの話として口止めしておこう。
「年齢の話は置いといても、バイク屋の娘だからって、そんなにレースに詳しいもんですか?」
体操部の後輩、由加里が話を戻した。
「友だちの彼氏、けっこう大きなオートバイ店の息子なんですけど、本人は全然バイクに興味なくって、友だちの方が詳しいくらいだそうですよ」
「おや、由加里しゃん、それ本当に友だちの彼氏かなぁ?じつはおぬしの彼氏なんじゃないのぉ?」
智佳は体操部の後輩にも遠慮なく突っ込む。その話題には愛華もちょっと気になる。
「ちがいます!私は愛華先輩一筋ですから!」
……………………
一堂、しーんとなった。
「あっらららら………いきなりの告白。どうする?あいか」
やっと智佳が愛華の脇をつんつん突っつきながら口を開く。
愛華としては、後輩に好かれるのは嬉しいが、どうもこれは、そういう好きじゃなさそうだ。
「智佳、ライバル現れたからって、あんまり後輩をいじめると嫌われるわよ。愛華はみんなに好かれてるんだから。私たちだけじゃなくて、世界中にファンがいるのよ。智佳には私がいるから、妬かないの」
みんなプッと吹き出し、気まずい空気を美穂が一瞬で緩めてくれた。ちょっと聞き捨てならない部分もあるが、由加里の発言は、先輩を慕う後輩の気持ちということで流せそうだ。
「そうですよね!私が自転車買った地元のオートバイ屋さんなんて、大きいバイクは奥に古そうなのが一台飾ってあるだけで、スクーターしか売ってなかったですし、亜理沙先生の実家が仮にオートバイ屋さんだったとしても、そんなにレースに詳しいのは何か秘密があると思います!」
美穂をフォローして、脱線しまくってなかなか進まない話を戻そうとしたのは、地方出身のバスケ部の二年生。背はそれほど高くなく、女学院でもぎりぎりスタメンに入れるポジションだが練習熱心で、部の練習が終わってからも、いつも自分から智佳の練習に付き合っている子だ。
そこで気を取り直した由加里がスマフォを操作して、みんなに何かを見せようとした。
「私、茂木に先輩の応援に行って以来(本当は先輩がアカデミーに行っちゃってからずっと)、レースに興味持っていろいろネットとかバイク雑誌読んでるんです。それで……、えっと、どこかな?あった!これなんですけど、『ヤマザキ』って有名なチューナー見つけたんです!」
「チューナーってなに?調律師のこと?」
美穂が覗き込みながら尋ねた。
「えっと、基本的にはそういう意味なんですけど、バイクの世界では性能をあげるための改造することも含まれるみたいです」
チューニングの本来の目的は、美穂の言った通り調律である。楽器と同じように、使ってるうちにずれてきたり、気温や気圧などの環境によって変化するエンジンの調子を合わせる事にあるのだが、クルマやバイクの世界では、本来以上の性能を引き出す事もチューニングと呼ぶため、改造する事をチューニングだと勘違いしてる人もいる。
愛華は、メカニックの人たちがエンジンセッティングの事を、チューニングという言葉をよく使っていたので自然に覚えたが、由加里も実際にバイクに乗っていなかったことが逆に、世間に広まる誤った使い方に触れずに済み、正しい知識を身につけられたようだ。
「これって、亜理沙先生の実家じゃないでしょうか?」
由加里は先輩たちに、自分のスマフォを見せた。
「いやいや、さすがにこれはないわ」
由加里の指し示した画面を少し読んで、智佳が即否定した。
智佳が信じないのも無理はない。ヤマザキの解説には、世界的に知られた名チューナーとある。
そこには、日本のみならず、海外のレースでも数々の素晴らしい実績が並んでいた。
オートバイそのものは作らないチューニング専門のメーカーではあるが、ヤマザキの名を冠したマシンが、四大メーカーのワークスマシンを打ち負かす事もしばしば。日本を代表するオートバイメーカーの一つ、スザキなどは、ヤマザキと親密な協力関係を結び、市販車ベースのレースカテゴリーにおいては、実質的に同社のワークスチームのという位置づけにある。
yamazakiSUZAKIと言えば、チューニングバイクの象徴でもあり、日本で最も有名な耐久レース、鈴鹿8耐でも毎年優勝候補にその名があがっている。
ヤマザキは当初、ヤマダ製のバイクを主に手掛けていたが、ヤマダ創業者の山田高一郎との間に何らかの意見の食い違いがあったようで、暫く絶縁状態であったが、現在はヤマダ製バイクのパーツも販売している。但し、レースの場においては、打倒ヤマダワークスがヤマザキの目標である事に変わりはない。
また先代は、2ストロークエンジンが嫌いだったともいわれ、2ストが主流だったGPには関わって来なかったが、Motoミニモ以外のGP各クラスの4スト化に伴い、最近はMoto2Moto3用のキットパーツ開発と供給もしている。
現社長の山崎亜希雄は「シンプルでローコストな2ストの小型バイクが、レース底辺拡大の鍵」として、2ストロークエンジンにも興味を示しており、Motoミニモへの参戦も噂されている。
「いくらなんでも、これは凄すぎるでしょ。それに本社神奈川県ってあるし」
「でも、はじめの頃は三重県の鈴鹿サーキットの近くでやってたって書いてありますよ」
智佳が否定しても、由加里は食い下がった。智佳とて、はっきりと否定できる証拠があるわけではない。
「でも鈴鹿でしょ?確かに三重県から通ってる生徒もいるけど、桑名や四日市ならともかく、鈴鹿からうちの学校って、ちょっと遠くない?」
智佳もバスケの試合や練習で、鈴鹿市にある体育館には何回か行ったことあるが、毎日通うにはちょっと大変そうだ。
「自宅はもっとこっちにあったかも知れないじゃないですか。もしかしたら、寮に入ってたかも?昔は寮に入ってる生徒も、いっぱいいたって言いますし」
「う~ん、どうかな?」
智佳は首を傾けた。少し期待してたりしてる。
「ひょっとしてヤマザキチューンのバイクで高速通学してたかも!?」
「そりゃないわ。でもちょっとおもしろいかも。あいか、このヤマザキって、なんか知ってる?」
愛華も世界で活躍するトップライダーだ。亜理沙ちゃんの実家について知らなくても、ヤマザキについて何か知ってるかもしれない。
「わたしは……ヤマザキって名前は聞いたことあるけど、Motoミニモのことしかよくわからないから……ごめんなさい」
愛華はエレーナを知るまで、まったくオートバイに興味なかったし、アカデミーに入ってもGPにデビューしても、目の前のことに精一杯で、他のカテゴリーのレースについては、たぶん由加里より知識がないかも?と自分でも思った。
「あっ、でもシャルロッタさんなら知ってるかも?」
そういえば、ここには誰よりもオートバイを知ってる人がいるんだった。知識的には、あまり期待できないけど……
「シャルロッタさ~ん、『ヤマザキ』って知ってますか?」
愛華は一年生の子たちと仲良く話してるシャルロッタに呼びかけた。
「ほへ?」
突然訊かれても、なんのことだかわからないだろう。これは愛華がわるい。
「あんた、なに言ってるの?あたしは今、とり込み中なのよ」
どうやらバスケ部の一年生にアニメ好きがいたらしい。余談だが、バスケ部員にはアニメ好きの中二病予備軍は意外と多い。アニメキャラになりきって、気配消したり、超ロングシュート放ったり、『天帝の眼』とか言ってカラコン入れたり……さすがにこれはいないか。
愛華はシャルロッタと一年の子たちに謝って、改めてヤマザキについて尋ねた。
「ヤマザキなら知ってるわよ。アリサちゃんちでしょ」
「「「「「えええーーーっ!」」」」」
聞き耳立ててた上級生から一斉に衝撃の声があがって、一年生も驚いた。
しかし、よくよく聞いてみれば、シャルロッタも名字が同じだから身内に違いないと思い込んでいたに過ぎないとわかって、ほっとするやらがっかりするやら。まあ外国人ならよくある、『織田』姓なら『信長』の末裔?みたいなものだろう。
ただ亜理紗ちゃんには、シャルロッタが直感的に感じた何かがあったことを、愛華も見過ごしていた。




