鈴鹿で
12月半ばになると、三重県の伊勢湾沿いの地域には北西の山並みからの冷たい風が吹き下ろす。今朝、この冬一番の冷え込みと発表されたこの地方だが、ヤマダの創業者によって日本で最初に作られた本格的サーキット、鈴鹿サーキットには、冷たい風を引き裂くようなMotoミニモマシン独特のカン高い排気音が響き渡っていた。
YRCは、ドイツのLMSと合同で、ヤマダのホームサーキットであるこのコースを借り切り、Motoミニモマシンのテストをしていた。
YRCに関しては、マシンテストというより、来季GPを戦うワークスライダーの選抜が主な目的と言えた。
と言っても、中心的ライダーはほぼ決まっている。
愛華の獲得がうまくいっていれば大幅なライダーの入れ替えもあり得たのだが、この時期からチャンピオンを狙う体制を整えるとなると、今年の実績を踏まえ、やはりバレンティーナを中心に組み立てるしかないだろう。
レース中にチームをまとめ、随時的確な指示をするリーダーとして、ベテランのケリーの継続はシーズン中から決定していた。
肝心のエースだが、フレデリカは、そのライディングスタイルと大柄な体格から、このクラスでタイトルを狙うには適さないという理由で外された。実際には、彼女をエースとした場合、その特異なライディングスタイルをチームとして扱い切れないという事情がある。
そうなると、やはりエースはバレンティーナ以外ない。以前のような勢いがなくなったと言われるが、フレデリカを除くと、ヤマダ陣営にシャルロッタに勝てる可能性のあるライダーは、彼女しかいない。むしろマシンのポテンシャルで優位なヤマダとしては、エースとして未知数の若手より、ベテランの域に入ったバレンティーナの駆け引きと安定性の方が都合良いとも言える。
ラニーニのチャンピオン獲得により、このクラスでは「ずば抜けた速さよりコンスタントな速さ」という考え方が見直された。その意味では、どんな状況でもベストを尽くす愛華をケリーが引っ張るという構図がタイトルを狙う上でも、宣伝戦略的にも、ヤマダの理想の体制であったが、今となっては幻となった。少なくとも来シーズンは叶わない夢である。
現実に目を向け、バレンティーナのサポートは、引き続きマリアローザにほぼ決定していたが、彼女以外にもう一人欲しい。
ここでYRC内でも意見が別れた。サポートがもう一人必要というのは共通する意見であったが、問題は「レースを知り尽くしているアシスト」か「シャルロットに慌てさせられる元気のいい若手」か、という選択だ。
レースを知り尽くしているアシストというのは、マリアローザと同じように、リーダーの指示通りに走れる実力を持ち、場合によっては、エースを勝たせるために自ら判断して動けるライダー。
マリアローザのアシスト能力は、スターシアほど突出したものはなくても、GPトップレベルの経験と実力を誇る。シャルロッタのような異常なエースライダーでなければ、アシストとしては総合的には愛華より上だろう。堅実なアシストをもう一人加えれば、マシンポテンシャルの上で優位にあるヤマダとしては、確実にポイントを稼いでいける。
しかし、シャルロッタが今年と同じように、大事なレースを何もしないで取りこぼしてくれると期待するのは楽観的過ぎる。エレーナは今季の失敗を踏まえ、シャルロッタの手綱を締めて挑むであろう。愛華も今や頑張るだけのライダーではない。少しぐらいマシン性能が優位であっても、ストロベリーナイツが楽に勝たせてくれると考えるのは危険だ。ディフェンディングチャンピオンのラニーニも侮れない。
正直、マリアローザクラスのアシストが一人増えても、ストロベリーナイツのスピードを抑えるのは困難に思えた。
レース全般を通じてバレンティーナをサポートするのはマリアローザとケリーがいれば大丈夫だろう。
もう一人は、シャルロッタに実力で勝てないまでも、ストロベリーナイツを一瞬でも慌てさせられる、元気のいいライダーにすべきだという意見にも、一理あった。
エレーナ、スターシア、愛華の壁を突き破って、シャルロッタがミスを犯すぐらいその気にさせられるライダーとなると、フレデリカぐらいしか思い当たらない。しかし、ヤマダにとってフレデリカは、不安要素の方が多かった。手首の回復具合にも懸念が残っているし、レース中、ケリーの指示に素直に従うのか疑わしい。特にシーズン中からいろいろあったバレンティーナは、強く反対していた。
今年の失敗から、最小限のライダーに絞る決定は、すでになされている。残るシート枠は一つしかない。フレデリカがシャルロッタに劣らぬ天才だという事実はバレンティーナも認めていたが、彼女のようなタイプは、ライバルだけでなく、自チーム内のリズムも崩す危険性がある。
更に、日本でのMotoミニモ人気に目をつけたスポンサー企業が、日本人ライダー片部範子の起用を強く推していた。
現場の人間としては、如何にYC214のポテンシャルがスミホーイやジュリエッタにアドバンテージがあるとしても、範子があの強豪チーム相手にどれほど役に立つのか、というのが偽ざる本音だ。
少数精鋭の決定を覆して、遊撃要員として別枠で走らせるという案も出たが、フェアプレーを好むヨーロッパのMotoミニモファンの反感を買うのを恐れ却下された。ヤマダはもう新規参戦チームではない。二輪界の巨人としての戦い方を見せつけなくてはならない。
結局、ベテランからアカデミー生までの中から候補者を選び、そこから更に数名に絞り込んで、実際にチームと走らせて公平に最後の一人を決めることになった。
選考をするのはケリーとYRCのチームディレクターだが、ヤマダ本社の伊藤社長まで見学に来ていた。
伊藤氏自身は選考に口を挟むつもりは毛頭ないが、彼が立ち会う事により、YRCはもとより、ヤマダ社内やスポンサーからも文句を言わせないという、レースを心から愛する彼なりの目論見がある。
YRCは四人まで絞り込んでいたが、鈴鹿にやって来たのは三人。アカデミーで愛華と同期だったスペイン人の若手は、この顔ぶれの中でシートを勝ち取る自信がなかったのか、すでに別のチームと契約してしまっていた。彼女にとっては大きなチャンスではあったが、もし選考に漏れた場合、この時期に別のシートを捜すのは新人にとってリスクの大きすぎる賭けである。確実に乗れるチームがあれば、結論を急いでしまうのも仕方ないことだろう。
フレデリカと範子は、当然、ヤマダのメカニックとも既に顔馴染みで、YCについてもよく知っている。
そしてもう一人、バレンティーナが強く推しているアンジェラ・ニエトも、長くGPで活躍しており、ヤマダのスタッフも彼女のことはよく知っていたが、ヤマダのマシンに乗るのは初めてであり、他の二人より長くウォームアップ走行の時間が与えられた。
アンジェラ・ニエト。
ブルーストライプスにラニーニが加入する以前、バレンティーナが最も頼りにしていたライダーであり、二年前にバレンティーナがタイトルを獲得した時のチームの中心的メンバーであった。
若い頃は、相当なヤンチャ娘で知られ、格上ライダーにも強引に仕掛け、度々問題になったこともある。ただエレーナなどは彼女をわりと評価しており、「コース上にいたずら好きの天使がいた」と元気のいい新人を大目にみていた。ラフで派手な走りはファンにも人気となり、「悪戯な天使」と親しみを込めて呼ばれるようになった。
そんな彼女も二十代後半になり、トップチームのエースを望むのが厳しくなってきた頃、プライベートチームのアフロディーテからエースライダーとして迎え入れたいと声が掛かった。
ワークスからプライベートチームへの移籍にあたっては、アンジェラもかなり迷ったが、元々エースライダーをめざしていた彼女にとって、バレンティーナのアシストで終わるより、弱小チームでもエースとして走れるチャンスを選んだ。若い才能がどんどん出て来る世界の宿命だ。年齢的なピークと今の自分のポジションを考えれば、プライベートチームであってもエースとして走ることに賭けた。
アフロディーテでのエースとしての二年間は、予想通り入賞すら厳しいものであったが、今年の日本GPで四年ぶりのワークス以外の表彰台入賞を果たし、シャルロッタとラニーニのタイトル争いの影で、GP通の間では快挙と賞されている。
アンジェラ自身、プライベーターとして表彰台に立てたことにある程度満足しており、一線から身を退くことも考えていた。
エレーナやケリー、スターシア、バレンティーナと言った偉大なチャンピオンたちと名を連れられないにしても、実力は証明できた。今後は、多くのピークを過ぎたGPライダーと同じ希望、自分の培ってきた技術と経験を後身に伝えたい、願わくば自分のチームを作り、レースに関わって行きたいと思っていた。
そんな時、かつての盟友バレンティーナからオファーがあった。アンジェラにとってこれは、最後のチャンスかも知れない。
今更エースに拘りはない。バレンティーナやシャルロッタの才能に敵わないのは承知している。
しかし、長年トップチームのアシストとして走ってきた経験と、劣勢なチーム体制の中でもベストな成績を残した誇り、それに、GP史上最もタレントの揃った激戦クラスと言われる現在のMotoミニモにおいて、ヤマダにタイトルをもたらした立役者の称号は、彼女のキャリアを輝かせてくれるだろう。ここでもう一度名を馳せ、ヤマダに貢献すれば、その後の希望を叶えるのにも好材料となる。
アンジェラは、なんとしてもヤマダのアシストシートを確保しようと決意した。
初めて走らせた来シーズン用のヤマダYC214は、アンジェラの想像していたものとはまったく違っていた。
有り余るパワーを、どう手なずけるかを心配していた彼女にとって、YC214は拍子抜けするほど乗り易かった。
サテライトチーム仕様のジュリエッタとは別次元の力強さを示しながら、リアが暴れるような暴力的なパワーでなく、まるでツーリングを楽しむように楽に走らせられる。
それで退屈かと言えばそんな筈もなく、逆に安心して攻めていける。しかも、どこまで攻めても素直さは失なわれず、限界付近の挙動も穏やかで掴み易い。
圧倒的パワーを誇りながら、タイヤ消耗の激しさに苦しんだヤマダは、車体の熟成と共に、出力制御プログラムを徹底して見直した。特にコーナリング中の中間スロットルからフルスロットルへの移行時に、不必要にパワーが盛り上がらないようよく調教されている。最高出力は前モデルより控えめに抑えられているが、タイヤの限界を超えたパワーは、タイヤを消耗させ、ハイサイドのリスクを増やすだけだ。
ワークスと市販車というレベルではない。若かりし頃の無謀さは影を潜め、客観視できる目を養ったアンジェラにも「これなら、自分でもシャルロッタやスターシアにも勝てるかも知れない」と思わせるほど、その完成度は高かった。
しかし、その進化はもう一人の候補者フレデリカにとっては、決して歓迎すべきものではなかった。
フレデリカのライディングの特徴は、並外れたバランス感覚とタイヤスライドに即応するアクセルコントロール、それが揃って初めて可能となる、豪快なドリフト走行にある。それが制御されたパワーコントロールによって、発揮出来なくなっていた。
発揮出来ないというのは語弊があるだろうか。彼女にとっても、YC214はこれまでの213より乗り易いし、タイムも上回っている。ただ、右手首の酷使という代償を払い、天才フレデリカにしか出来ないと言われたアクセルコントロールの結果を、下位ライダーの範子まで可能となってしまったのだ。
フリー走行でのラップタイムはフレデリカがトップであったが、アンジェラとの差は極僅か。乗り込めば逆転する可能性もある。
エースバレンティーナとの相性は試すまでもなかった。
フレデリカは、チームとして走るより、バレンティーナに勝負を仕掛ける始末だ。おそらく彼女も、このマシンでレースをすることを望まなかったのだろう。
クリスマス直前、アンジェラ・ニエトを加えた新しいヤマダの体制が発表された。




