学校の友だち
二学期の授業は、先週までで終わっていたが、キリスト教系の学校である白百合では、クリスマス礼拝が最も大切な行事の一つであり、それまでは正式に冬休みとはならない。なので進路相談や補習授業を受ける生徒、部活やクリスマスまでは旅行にも行けず、家にいても退屈な生徒など、けっこう学校に来ている生徒も多い。
愛華は当然、補習授業を受けるために登校していた。
教室に入るとテストで落第点取り、補習を受けなくてはならなくなった智佳や他のクラスの生徒以外にも、紗季はじめ、成績優秀な数人のクラスメイトがいた。
「あれ?どうしてみんないるの?」
大学入学がもう推薦で決まっているような真面目な子たちまで、なぜ此処にいるのか。補習受けなければならないとは思えない。
「高校の勉強をおさらいしようと思いまして……推薦入学決まったと言って、遊んでいては大学に行ってから苦労しますから」
前期まで生徒会長をしていた由美さんが答えた。由美さんは白百合女学院でも、紗季と並ぶ正統派お嬢様と言われており、愛華とは中学の時にも一度同じクラスになったことがあるが、どこか近寄り難い雰囲気があり、紗季ほど親しくはなれなかった。
隣で紗季がニコニコ微笑んでいる。因みに紗季は、副会長だったそうだ。
「みんなあいかにつき合ってくれてんだよ、私も含めてね」
「トモはあいかいなくても補習でしょ」
イケメン顔でウィンクする智佳に紗季がつっこむと、みんながくすくす笑った。
愛華は感謝の気持ちで涙が溢れそうになった。
(みんな、わたしに学校での思い出をつくってくれようと、休みなのにわざわざ登校してくれたんだ)
しかしそれは、愛華の自惚れというものだ。みんなも、愛華と高校の思い出がつくりたいと思っている。愛華が有名になったからでなく、みんな愛華が本当に好きだった。
教室にやって来た担当教科の先生は、もっと驚いた顔をした。
どちらかというと日頃から手をやいている生徒たちの補習授業は、ただでさえ12月の忙しい時期に、憂鬱の種でしかない。特に智佳など、目の前で長い腕を机に拡げて、堂々と居眠りをしてくれる。普段の授業より少人数とはいえ、彼女一人でももて余すのに、なぜか教室には、関係ない生徒まで大勢いる。こんな人数いるなんて聞いてない!
しかし、元生徒会長と副会長である由美と紗季から「なにか問題でも?」と問われては、今年採用されたばかりの新任教師は何も言えなかった。
二人とも、家柄も成績も素行も非の打ちどころがない、白百合女学院を代表する生徒だ。他の職員からの信頼も厚く、新米教師の自分なんかより間違いなく力をもっている。実際、生徒の自主性を重んじる女学院では、生徒の代表として理事会に意見する事もあった。
戸惑いながら補習授業を始めてみれば、勉強が好きでない生徒たちを、優等生たちが面倒みてくれたので非常に助かった。
特に愛華は、真面目な生徒ではあるが高校の授業をほとんど受けていないので、別の課題をさせなくてはならなかったが、紗季が付きっきりで教えてくれていたので、他の生徒たちの授業に集中できた。
他の生徒にも言えるのだが、愛華が1月のテストで落第点でも取ったら、自分のクビが飛ぶんじゃないかと、けっこう本気で心配していた。
他の教科もそんな感じで、智佳はクラスメイトに居眠りを許されず、愛華は遅れていた学習を友だちから教えてもらいながら、昼休みには机を輪に並べてお弁当を食べ、自由登校初日の補習授業は順調に過ぎていった。
午後の補習もようやく終わると、智佳は真っ先に体育館に飛んで行った。
たぶんルーシーさんもそこにいるから、愛華も体育館に向かう。紗季と何人かのクラスメイトも一緒について行く。智佳とルーシーさんの練習は、素人が観ても迫力がある。それに智佳は、以前から女学院の王子様だ。
最近は、愛華も体育館でトレーニングするようになっていた。シーズンオフでも、レースを走る体力は維持しておかなくてはならない。
体育館に通うようになって、中等部の頃の体操部の後輩、由加里から「どうせトレーニングするなら、体操部にも顔だしてください」と言われたので、補習が早く終わった時は、体操部の練習に参加させてもらっている。
体操競技を離れてしばらく経つが、愛華の身体能力の原点はここにある。本格的な技は出来なくても、マットや平均台の上に立つと気持ちも引き締まる。
GPアカデミーで、ハンナさんから最初に言われたのは、「常にオートバイの中心軸を意識しなさい」だった。
オートバイの中心と言われても、普通、初心者は動いていない状態の中心しかイメージ出来ないだろう。いわゆる静的重心というやつだ。しかしライディング中のオートバイは、加速、減速、旋回と絶えず力の加わる点と、中心軸の向きと大きさも変化している。長く乗っていても、意外と解っていない者も多い。
愛華は、最初から動いてるバイクの中心軸に、体の重心を持っていけた。意識したというより、体が自然に動いた。体操をやっていたおかげだ。体操ではいつも、動きながら体の軸を意識してきた。
体操に限らず、ほとんどすべての競技で、体軸というのは運動の根幹だ。競技によっては、小手先の技が低レベルなら通じる事もあるが、軸がブレてる一流選手はいない。体操ではより顕著で、倒立すらまともに出来ない。
なんにせよ、あるレベルまで達した選手であれば身に付いているものと言えるのだが、愛華には自分が真剣にやってきたものが生かされることが、そして尊敬するエレーナさんと同じ体操出身ということが誇らしかった。
軽く体を動かしたり、柔軟体操を念入りにして、少しずつ大きな技をやってみる。昔痛めた古傷に注意しながら、出来る範囲でやってみれば、意外と様になっているのか、見学していた紗季たちから拍手された。
少し恥ずかしいが、現役の由加里や後輩たちも「さすがです!」と褒めてくれたので、まんざらでもない。
それはいいのだが、いつもは隣のバスケ部のコートに群がってる智佳ファンまで、愛華の練習を見ている。
(なんでみんなわたしを見てるの?)
愛華が気づいて不思議に思っていると、智佳が不機嫌な顔でこちらにやって来た。
「あいかー、ルーシーさんどうしたの?」
そういえば、姿が見えない。今日は補習だけだったから、いつもより時間が早いからなのだろうか?
「たぶんもうすぐ現れるんじゃないかな?」
(考えてみれば、愛華が学校で授業受けている間、あの人なにしてるんだろう?)
気にはなっても、経験上、エレーナさんの関係者は、自分から語らない以上詮索してはならないというルールがあるのを愛華も学んでいた。
なんだか危険な世界にいるみたいでカッコいいけど、実はリアルに踏み込んじゃいけない世界だと知っていた。
(それで普通に接していられるわたしも、なんか怖いけど……)
まあ、あまり気にしないで、自分のトレーニングしたり、中等部の初級者部員に指導したりして、先輩風なんてのも吹かさせてもらった。
部活の練習時間が終わる頃になっても、ルーシーさんは姿を見せなかった。少し不思議に思いつつも着替えを済ませて、みんなと一緒に体育館に近い通用門へと向かった。ルーシーさんはいつも、通用門を入った所の職員用駐車場に車を停めている。たぶんそこにいるはずだ。
しかし、そこにもルーシーさんの姿も、いつも乗ってきてる車もなかった。あまり目立たない、ありきたりのワンボックス車なので見落としていないか、きょろきょろ探してみるが何処にもないようだ。
「あれ?ここにもいない……」
「携帯に電話してみれば?」
愛華の呟きに、紗季が提案した。由美や他の生徒たちも頷いている。
(学校内で携帯の使用は禁止だけど、この場合は仕方ないよね。それに元生徒会長と副会長もいいっているんだから……)
本来、愛華が学校に通うこと自体、特別な配慮なんだから、他の生徒以上に校則は厳守しなくちゃいけないと思っている愛華だったが、この状況では誰も咎めたりしないだろう。愛華は背中に背負っていたリックからスマートフォンを取り出し、電源を入れた。
起動するまでが、ずいぶん長く感じる。気づけば愛華のクラスメイトだけでなく、バスケ部や体操部の後輩たちも脚を停め、心配そうに見守ってくれていた。
ようやく起動すると、ルーシーさんから伝言があることを知らせる表示がでていた。
愛華は伝言をチェックするより先に、かけ直した。




