苺騎士団は永遠に
表彰式を終えた愛華は、スターシアとシャルロッタ、それに何人かのスタッフと一緒に自分たちのパドックに戻る途中、エリアの真ん前に停められた、一台のピカピカのスミホーイカラーに塗られたトレーラーに気づいた。
あれ?レース前にあったかな?
カラーリングは、いつも愛華たちのバイクやパーツを積み込んでいるトレーラーと同じだ。だけど新車みたいにピカピカで、ハッチは閉じられている。
他のトレーラーは、スタッフの人たちが撤収の準備をしてるはずなのに……
「スターシアさん、あのトレーラーなんですか?」
表彰台には上がれなくても、愛華の入賞とラニーニのタイトルを祝福につきあってくれてたスターシアに訊いてみた。
「たぶんタイトル獲得記念モデルの発表会でもするつもりだったんでしょう」
スターシアは何気なく言う。そういえば、去年もエレーナさんのタイトル記念バージョンの限定バイクが発売されてた。あの時は、ひと月くらいあとから発表されたはずだ。
「去年は最後に大逆転でしたけど、今年はシリーズ後半にシャルロッタさんが大きくリードしていて、タイトルはほぼ確定的と言われてましたからね。気の早いスミホーイの偉い人たちが、最終戦に合わせて発表しようと用意してたんでしょう」
「へえ~、って!それって、わたしが負けちゃったんで、無駄になったってことですか?!」
愛華は、自分が負けた事で、メーカーにも多大な迷惑をかけた事を思い知った。
限定バージョン自体は、去年も現行の市販車に特別なカラーリングと少し高価なパーツを組んだ程度だったので、たぶんそれほどコストは掛かってないと思われたが、おそらく宣伝広告の準備だけでも、大変な費用のはずだ。あのピカピカのトレーラーにも、きっと派手な仕掛けがしてあるのだろう。
それよりも、スミホーイの面子は丸潰れだ。
「どうしよう……わたし、消されちゃうかも……」
愛華は縮み上がった。なにしろスミホーイの母体は、ロシア最大級の軍需公社だ。
「大丈夫です。消されるなら、タイトルを獲り損ねた張本人のシャルロッタさんでしょう」
「ほへ?……って、なんでですかっ!?あたしは精一杯やったのに、アイカが負けたから悪いんです!消すなら絶対アイカでしょ!」
ボケ~としていたシャルロッタは、自分の名前が出たことに慌てて、まさかの裏切りで愛華を売った。いや、まさかでなく、シャルロッタらしくと言うべきか。
「冗談ですよ。流石にスミホーイも、そこまでしません。でも、これだけ大恥かかされたお偉いさん方は、誰かに責任を押しつけるでしょうね」
「それじゃあやっぱり、わたしが……」
消されないにしても、自分が責任を取らなければならないんだとしゅんとなる。
「アイカちゃんは心配しなくても大丈夫ですよ。もちろんシャルロッタさんもね。全部エレーナさんに任せておきましょう」
そういえば、スターシアさんはレース中にもそんなこと言っていた。全部エレーナさんが責任取るって……?
「どうしてエレーナさんが?」
「偉い人たちは、昔から自分の保身については手段を選びませんからね」
「???……っ!まさか、エレーナさんが辞めさせらるってことですか!?」
愛華は自分が消されることを想像するよりも慌てた。もちろん消される方が怖いのだが、こちらはリアリティーがある。
「そうなったら、どうします?」
「そんなの絶対間違ってます!わたしたちだって絶対に勝とうと一生懸命走って、でも、ラニーニちゃんたちだって同じ気持ちで、どっちも本当に全力で戦った結果だから、そりゃあ負けたのは悔しいですけど、どうなるかわからないのがレースですよね!?なにもしてない人が勝手に予定して、潰されちゃったからって責任押しつけるなんて、がまんできません!エレーナさんを辞めさせるんだったら、わたしも辞めます!!!」
愛華は興奮して一気にしゃべった。最後はかなり大きな声を出していたので、辺りの人たちも何事かと振り向いていた。
「ゴッホン、アイカちゃん落ちついて」
ニコライさんが辺りを気にしながら愛華をなだめようとした。しかしスターシアに気にする様子はない。
「そうねぇ、アイカちゃんとエレーナさんが辞めるんだったら、私も辞めようかしら?」
「スターシアさんまで!こういうことは、戻ってからゆっくり話しましょう」
ニコライは慌ててスターシアもなだめなくてはならなかった。
「自分の保身のために命かけてやってる現場に責任を押しつけるような連中の下では働けん。俺も辞めさせてもらう」
なんとスミホーイGP参戦当初からのメカニック、セルゲイおじさんまで辞めると言い出した。
「セルゲイさんが辞めるんなら、僕も!」
ミーシャくんも手を挙げる。
「ミーシャさんは、別の人のためでは?」
彼はスターシアのちょっと意地悪な質問に、紅くなって愛華の方をチラチラ見ている。
が、愛華の顔には「?」が浮かんでいるだけだった……。
まあ、それも青春だ。がんばれミーシャ!
彼はそっとしておいて、みんなの視線が、シャルロッタに集まる。
「………………」
辺りをキョロキョロ見回して、みんなの視線が集中しているのは自分しかいないと観念するシャルロッタ。
「あたしは……どうしても、って言うなら、辞めてあげてもいいわ」
「シャルロッタさんまで辞める必要ないです!みんなもです。わたしが辞めれば、エレーナさんも責任取らなくてもいいかも知れないし……」
愛華は感情に任せて口走った発言が、こんなにも大きくなってしまったのに戸惑い、自分だけで責任取ろうとする。
「ちょ、ちょっと!なに自分だけカッコつけてんのよ!エレーナ様とスターシアお姉様のいないチームなんて、あたしだって辞めてやるわ!別にあんたのためなんかじゃないんだから、勘違いしないでよね!」
シャルロッタが見えすぎる本音を駄々漏れにして、ツンデレお約束のセリフで愛華を黙らせた。
「シャルロッタちゃんまで!」
ニコライは、無駄に目立とうとするシャルロッタに、ついに頭を抱えてしまった。
今度はみなの視線がニコライに集中する。
「えっ、私?」
全員コクコクと頷いた。近くにいたチーム以外の人間も混じっている。その中には、なにかとエレーナさんと因縁あるスベトラーナさんの姿もあった。
「私は……」
「まあ聞かんでもわかるわなぁ。ニコライがエレーナから離れる訳ないんだから」
「ちょっとセルゲイさん!なに言い出すんですか!そういうの、ないですから!」
「そういうのって……なんですか?」
愛華には、ニコライの慌てる意味がわからなかった。
「どうしてこうも苺騎士団の男はみな純情で、女は鈍感なんだろうか」
溜め息をつき頷き合うセルゲイおじさんとスターシアお姉様であった。
「ということで、ここにいない人たちも含め、全員同じ気持ちだと思います」
スターシアにみんな力強く頷く。
「ということは、切り捨てられるのはエレーナさんではなく、スミホーイということになってしまいますね」
相変わらず危険な発言をさらりと言ってしまうスターシアさん。ニコライさんは呆然とした表情で「心にしまっていたのに……、誰も知らないはずなのにどうして……」とかブツブツ呟いているだけだった。
「でも、そんなことになったらバイクはどうするんですか?乗るバイクがなければ、どうしようもなくなっちゃいますよね」
愛華が根本的な心配を口にする。
しかしスターシアはなんでもない様子で顔を傾けた。
「さあ、どうでしょうか?私たちがスミホーイとの契約を打ち切ったと知ったら、ヤマダさんなんか大喜びで飛んで来るじゃないですか?」
「「あっ!」」
愛華とシャルロッタが、同時に声をあげた。
その手があった!
ヤマダは愛華を、是可否でも欲しがっている。しかし愛華は、今のチームを離れる意思がないことを再三示してきた。
もし、チームごと契約出来れば……
今シーズン、ヤマダはトップクラスのライダーを揃えながらも散々な結果に終わった。マシンが未完成だったのもあるが、最大の原因は、チームがまとまっていなかった事にある。
Motoミニモ独特のマシンノウハウを熟知したメカニックを含め、チームまるごと取り込めれば、ヤマダにとってこれ以上おいしい話はない。
「でも、それって……」
愛華には、ツェツィーリアのテストコースやお世話になった人たちの思い出がある、去年のシーズンオフに日本へ帰った時にも、特別に飛行機に乗せてくれた事なんかを裏切るみたいで、自分一人ならともかく、チーム全員を引き抜くみたいな真似は、心が重かった。
「これは正々堂々としたビジネスの駆け引きだから、気に病むことありませんよ」
暗い表情に変わった愛華を、スターシアが勇気づける。
「エレーナさんにすべての責任を押しつけて、辞めさせるという最悪の決定をした場合、私たちの選択肢を彼らに示しておくのは裏切りでも卑怯でもありません。対等な交渉ですから」
スターシアがどこまで本気か、愛華にはわからなかったが、確かに別の選択肢もあると本気で思わせるのは、有効な手段といえる。
別にもっと待遇よくしろとか契約金あげろとか言ってるんじゃない。エレーナさんに理不尽な責任を押しつけるなら、私たちには他の道があるんだと教えるだけだ。
スターシアさんだって、セルゲイおじさんだって、ニコライさんや他のスタッフの人たちもみんな、スミホーイへの想いは自分以上に決まってる。でも、それ以上にエレーナさんを大切に思っているんだ。
「随分遅かったな。シャルロッタがまた、問題でも起こしているんじゃないかと心配してたぞ」
ストロベリーナイツのエリアに戻った愛華たちに、パドックで待っていたエレーナが話しかけた。
「どうして遅いとあたしの問題と!?」
「いや、他に理由が思いつかんかった」
シャルロッタの抗議を、エレーナは一言で遮った。
「いえいえ、あるでしょういくらでも!あたしが熱狂的なファンに取り囲まれてたとか、GPのアイドルであるあたしが、マスコミからの取材責めにあってたとか!」
「そうだな、ところで」
「ちょっと!軽くスルーしないでください!」
「たった今、ロシアから電話があってな」
「エレーナさま~ぁ」
自分から振っておいてスルーするのも気の毒だが、まともに相手するのもばかばかしい。それよりロシアからの電話が気になる。
「タイトルを逃したことは残念だが、よくやったとわざわざ言ってきた。特にアイカの頑張りには、向こうでもみな熱くなって見てたそうだ」
愛華は、きょとんとして聞く。なんか想定と違うみたいだ。
「来シーズンも、このままの体勢で走る事を条件に、契約金アップの用意もあるそうだ。楽しみだな、アイカ」
愛華の顔が、ぱっと明るくなった。もちろん契約金アップの話にではない。
「このままの体勢ってことは、それじゃあエレーナさんも?」
「そろそろ楽しようと思っていたのに、まだコキ使うつもりらしい。まあシーズンオフに脚の手術をする事になるだろうから、それによってエントリー出来るかわからんが、引き続き監督としてチームを率いるように要求してきた。まったく、若い頃のようには無理できないっていうのに、きつい仕事押しつけやがって」
「すぐにサインします!契約書はどこですか!」
大きな声でエレーナに詰め寄っていた。
「落ちつけ、アイカ。正式な契約書はまだない。慌てなくても逃げたりせん。それに他のチームもおまえを欲しがっている。特にヤマダなんかがな。彼らは私に筋を通して最終戦が終わるまで、おまえとの交渉を控えて来たから」
「わたし、ヤマダなんかに乗るつもりなんて、ぜんぜんありません!」
『いや、それを言っちゃだめでしょ』、とスターシアをはじめ、みんなが突っ込みたくなったのは、言うまでもない。
「気持ちはうれしいが、筋を通したヤマダには、私も筋を通さなくてはならない。おまえにそのつもりがなくても、話だけは聞いてやってくれ。うちとの契約金交渉の駆け引きにも使えるぞ」
「うちとの」というのは、監督であるエレーナとの交渉を意味する。勿論、交渉には会社からのマネージャーも立ち合うが、エレーナのこんなところに、みんなついて行こうと思うのだろう。
「それにしても、勝った時は自分の手柄みたいに自慢するが、都合悪くなるとライバルチームよりたち悪く脚を引っ張るあの連中が、媚びるみたいに電話してきたのには驚いたな。まるで監視してる選手に亡命でもされたら、自分がシベリア送りにされる社会主義時代の政治委員みたいに必死だった」
愛華の頭に、角が突き出たフードをかぶり、お尻に先が三角のしっぽをつけてニヤニヤ笑ってる、エレーナを大好きなスベトラーナさんの姿が、ふと浮かんだ。




