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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
183/398

フィニッシュラインの向こう側

 ラニーニが、6コーナー手前の短い直線でブレーキング勝負を挑む。愛華も譲らない。

 両者はスペインの伝説レジェンドライダーの名を冠したコーナーに先に入ろうと、ぎりぎりまでブレーキングを我慢して、同時にリアを浮かせる。

 コーナーに入っても、ラニーニのタイヤの暴れは収まらない。それでも構わず寝かし込む。

 愛華も躊躇なく、真横から被せて行く。


 並んで立ち上がり、裏のストレートと高速コーナーを、触れ合わんばかりに接近して駆け抜ける。少しでもスロットルを弛めたら負けだとばかり、手首を目一杯捻ったまま……。


 タイヤの状態とか、パワーの差とか、テクニックすらも、もう二人には関係ない。ただ前に行くことしか頭にない。

 絶対に負けないという気持ちを、互いに見せつけ合っているようでもあった。

 

 

 見ている方が怖くなる。

 どちらかが、一瞬でもミスをすれば、二人とも転倒するだろう。


 二人とも転倒かコースアウトすれば、シャルロッタのチャンピオンが決定し、愛華の目的は果たせるかも知れないが、愛華がラニーニを巻き込むような事になれば、愛華にとっては負けるより辛い事だろうと、誰もが知っていた。


 二人ともわかっていて、どうしてこんなにも危ない競り合いが出来るのか?

 

 

 愛華もラニーニも、互いに信じ合っていた。一歩間違えば大事故につながるようなスピードの中で、ぶつけ合うほどハードな競り合いを繰り広げていながらも、相手のことを信頼していた。

 チームメイトとは違っても、命を預け合う信頼関係。勝ちたいと思う気持ちと互いを認め合うライバル同士にしか理解できない絆で結ばれていた。



 どちらも譲らぬまま、最後のコーナーが迫る。

 昨年、ここでエレーナとシャルロッタの勝敗が決した。このコーナーに陣取った観客の興奮は最高潮に達する。レーシングバイクの排気音をもかき消すほどの歓声とホーンと鐘の音が、スタンド中から沸き起こり大気を震わす。


 愛華は立ち上がりに優位なラインを奪おうとラニーニをアウトいっぱいまで押しやろうとする。ラニーニもそこは譲れない。


 二人とも、スロットルを捻る右手が戻ろうとするのを必死に我慢する。


 真横にいたラニーニの影が、少しだけ後ろに下がった!


 愛華は、その隙間にバイクを寄せてフルブレーキング、クリッピングポイントに向けてバイクを寝かし込む。が、旋回性能を速度が上回っている。ラインをキープできない。バイクは遠心力にあがらいきれず、どんどんアウトに孕んで行く。

 フロントを無理矢理こじって曲がろとするが、ハンドルが切れ込むだけで、余計に曲がらない。滑るフロントタイヤを、膝とバランス感覚で耐える。転んだら、すべてが終わる。


 フロントは縁石ぎりぎりで、グリップを取り戻した。


 気がつけば、ラニーニも愛華のすぐ内側にいた。彼女もオーバースピードだったらしい。しかし、ラニーニの方がいち早く加速体勢に入っている。


「諦めないっ!」

 愛華はフルバンク状態のまま、スロットルを開けていく。

 ラニーニもリアを暴れさせながら加速する。


「ラニーニちゃんのタイヤはもう限界、まだ行ける!」


 ラニーニが愛華より一車身ほど前に出た時、彼女のリアタイヤが大きく振られた。ラニーニの脚がバイクから離れるのを、スローモーションのように見えた。


 振り落とされそうになりながらも、必死に立て直そうとするラニーニ。ラインが乱れ、愛華の進路に寄ってくる。


 愛華はアクセルを弛めず、縁石の上にかわした。ゼブラの震動が伝わるが、構ってられない。


 すぐ後ろにいたナオミには、ただ見守るしか出来ない。


 なんとか姿勢を立て直したラニーニが、再び愛華と並んで加速する。ここでは、諦めた方が負けだ。

 ラニーニは、一台分だけコースを空けるが、愛華はそのままゼブラの上を走り続けた。

 スピードが増すにつれ、フラットなコース上を走るラニーニが前に出て行く。


 愛華がコースに戻る。ラニーニのリアタイヤと愛華のフロントタイヤが並んでいた。

 フィニッシュラインまで、200mぐらいしかない。


 二人揃ってシフトアップする。愛華のギア比の方が速度に合っているのか、少しずつラニーニとの差が詰まる。しかし、それより速い速度でゴールが近づいて来る。愛華の方が少しだけ早く、もう一度シフトアップ。


 競技委員長の掲げたチェッカーフラッグが僅かに揺れる。


「あと少しっ!」




 愛華の頭が、ラニーニの背中の辺りまで追いついた時、チェッカーフラッグが振り降ろされた。

 

 

 

 


「わたし、負けちゃった……」


 振り返るとナオミがすぐ後ろにいた。そして通り過ぎてきたフィニッシュラインでは、リンダとハンナがチェッカーを受けていた。


 前に向き直った愛華の瞳から、涙が溢れてくる。

 自分がラニーニに負けたからではなく、シャルロッタをチャンピオンにさせてあげられなかったのが、悔しかった。


 ラニーニを祝福しなくちゃいけないとわかっているのに、それが出来ない。


 ラニーニも、歓びを露にしないで、ただ愛華と並んでゆっくりと1コーナーをまわって行く。


 ナオミが近づくが、どちらにも声を掛けられない。ハンナとリンダも追いついて来たが、二人の様子を見守るだけだった。


 ケリーと琴音が、ラニーニに『おめでとう』と、愛華には『グッドレース』とジェスチャーで示し、追い抜いて行った。


 愛華は涙が止まらなくなり、肩を震わせて泣いた。


 パコーン!


 突然、ヘルメットを叩かれた。

 驚いて振り向くと、シャルロッタがいた。


「シャルロッタさん……ごめんなさい……、わたし……」

「なに泣いてんのよ!」

 愛華はヘルメットのシールドを開けて、グローブをはめた手で涙を拭った。

「わたし……シャルロッタさんを、チャンピオンにさせてあげられませんでした……」

「はあ?あたしがチャンピオンになるときは、絶対優勝で決めるって言ったでしょ?!もう一度最初からやり直しよ。あんたのレース、あとでビデオ見ながら反省会するから、覚悟しなさい!」

 また涙が溢れだす。

「うっ……だあっ!」

 込み上げてくる嗚咽を堪えて、なんとか返事をした。


「アイカちゃん、お疲れさま。よくがんばりましたね」

 先にラニーニと言葉を交わしたスターシアが、やさしく話しかけてくれた。

 そのやさしさが、余計に涙を溢れさせる。スターシアは『いい子、いい子』するように、愛華のヘルメットを撫でた。

「でも、ちゃんとラニーニちゃんに『おめでとう』と言えましたか?」


「………」


 ラニーニの方を見ると、シャルロッタがラニーニに握手を求めていた。


 そうだった、どんなに悔しくても、全力で戦った相手を称えるのは、競技者として忘れてはならない事だ。愛華はもう一度涙を拭いて、ラニーニに近寄る。


「ラニーニちゃん、おめでとう!」

 シャルロッタ越しに手を伸ばして、精一杯明るく握手を求めた。ラニーニの視線が、シャルロッタから愛華に移った。

「アイカちゃん、最後にわたしが外に押し出しちゃったから……」

 走路妨害までにはあたらないが、ラニーニは最終コーナーの立ち上がりの乱れを謝った。

「あれは仕方ないよ、うん。そのあと、ラニーニちゃんがコース空けてくれたのに、縁石の上走り続けたわたしの負け。チャンピオンおめでとう!」

「ありがとう……」

 ラニーニはシャルロッタの手を放して、愛華の手を握った。

「でも」

「ちょっと、あたしが握手してたんだから、アイカは後ろで待ちなさいよ!」

 ラニーニが何か言おうとしたが、目の前で握手する二人にシャルロッタは、ぷんすか文句言って二人の握手を断ち切った。それがシャルロッタらしくて、愛華もラニーニも、くすくす微笑んでいた。


 グリップを握り直したラニーニは、真面目な表情に戻って、口を開く。

「でも、わたしなんかがチャンピオンで、本当にいいのかなぁ……、一番優勝いっぱいして、一番速いのはやっぱりシャルロッタさんなのに……」

 ラニーニ自身、自分がチャンピオンになった自覚が持てないらしい。

「「あたりまえ(だよ)(でしょ)!」」

 同時に愛華とシャルロッタが答えた。

 愛華と声が揃ったのが、余程恥ずかしかったのか、シャルロッタは少し照れて、愛華になんか言いなさいよと目配せした。


「ラニーニちゃんが一番ポイントたくさん取ったんだから、チャンピオンに決まってるよ」


 愛華の言葉に、ちょっと不満ありそうな顔をしたシャルロッタは、少し間をおいて言い足す。

「あたしが一番速いのは間違いないけど、そのあたしが認めるんだから、誰にも文句言わせないわ!」

 シャルロッタは、ハンドルを握るラニーニの右手を掴むと、レースの興奮醒めやらぬ観客席に示すように、高々と持ち挙げた。


 歓声が一段と大きくなった。


「この風景、よく憶えとくといいわ。あんたが見ることは、もうないんだから」

 シャルロッタは、ちょっと悪役ぶった台詞を言ってみる。

「来年も、おねがいします」

 ラニーニにさらりと返された。

「はあ?なに言ってんの?来年は、あたしが全戦優勝するのよ」

「わたしだって勝ちます!」

「あたしなんて、引退するまで全部のレース優勝するんだから!同じ時代に生まれたことを嘆きなさい!」


 レーシングライダーとして、すごく成長したと思うシャルロッタだったが、こういうところはやっぱりシャルロッタのままだ。こんな子供っぽいところはずっとシャルロッタさんでいてほしいと、ちょっとだけ思う愛華だった。


 愛華は反対側にまわり、ラニーニの左手をとった。

「えっ、ちょっと、両手は無理!」

 ラニーニは思わずシャルロッタに掴まれていた右手を振りほどいて、ハンドルを握った。

「なんであたしの手を放すのよ!アイカの方を放しなさいよ!」

「だってスロットル握る方だから……」


 やっぱりシャルロッタには、少しは成長してもらわないとめんどくさい。


 最終ランキング1位2位3位の三人が、称え合いながらまわるウイニングランに、バレンシアの観客たちは熱い歓声で応えた。





「わたしら、チームメイトなのに完全に置いてかれてますね」

 ラニーニと歓びを分かち合おうと待っていたリンダが呟いた。

「仕方ありませんね。みんなよく頑張りました。でも私たちは所詮裏方なんですから」

 ハンナがリンダを慰める。

「でも、アイカだってわたしたちと同じアシスト……」

 最終ラップ、何も出来なかったナオミも呟いた。嫉妬というより、愛華との差を実感しているようだ。


 愛華とシャルロッタに置いてかれたスターシアもそこにいた。

「私たちが負けたのは、あなた方が強かったからです。チャンピオンチームなんだから、胸を張ってください」

 同じアシストとして立派に仕事を果たしたライバルたちを、スターシアが称える。シャルロッタに倣って、ナオミの左手を高く挙げた。


「それじゃあ、わたしも」

 リンダも、愛華がしたようにスターシアの左手を握った。

「あら、ちょっと!そこまで真似しなくも」

 スターシアはタンクを挟んだ両脚で、器用にバイクを操りながらもナオミの手を放す。今度はナオミがハンナの手を挙げ、観客席に示した。


 同じレースを戦ったアシストたちにも、観客席から惜しみない拍手が贈られた。


 後続のライダーたちも、それぞれに「おめでとう」「グッドレース」と声を掛け、握手を求めたり、肩を叩いたりしながら追い越して行った。

 



 長く激しかった彼女たちの季節(シーズン)は、終わった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 本当に現場で見てみたいです。
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