最後の6ラップ
長かったシーズンも、いよいよ残り6ラップを切った。
このレースでのブルーストライプスは、ここまで今シーズン最高のパフォーマンスを見せている。ラニーニの逆転タイトルは、もう目の前まで近づいていた。
あと少しだけと、気が緩んではいなかった。エレーナがいなくても、ストロベリーナイツは最強のチームだ。絶対に最後まで諦めない。
その好調さと警戒心が、返ってハンナに読み違いを招かせた。
一旦下がっていたスターシアが、再びアタックを仕掛けてきた時、ハンナはそれが囮である可能性を疑い、内側から愛華が飛び込んできたのにもすぐに気づいた。
ここでのハンナの読みは流石だ。しかし、彼女の中では、シャルロッタも必ず来ると予想していた。
(ここまでスターシアさんは、本気でトップを狙おうとはしていない)
実際には、本気で攻めなかったのではなく、ハンナたちの守りの堅さに攻め切れなかったのだが、ペースダウンさせ続けただけのスターシアの動きは、シャルロッタの上位入賞を諦めていない推測を、確信へと変えていた。
これを判断ミスと批判するのは酷かも知れない。
ラニーニが二位に終わっても、シャルロッタの順位次第ではチャンピオンの可能性はある。しかし、シャルロッタの四位以内を許せば、ラニーニの順位に関わらず、可能性は消える。
優先すべきは、シャルロッタに最終ラインを突破されない事。
最悪のケースに備えるのが、ディフェンスの基本だ。
ハンナは愛華に対応する前に、シャルロッタを捜した。
(見当たらない、見失った?)
ハンナの常識では、エースのシャルロッタを一人置き去りにする筈がなかった。彼女のバイクに不具合があるのなら尚更だ。
シャルロッタは後方にいるのだから、ハンナから見える筈もないのだが、絶対にシャルロッタを抑えなくては、という強い意志が、逆にハンナの冷静を失わせた。
ここまで完璧なレース運びをしてきたブルーストライプスに、一瞬の空白が生じた。ハンナはすぐに状況を把握し、スターシアを閉め出すが、その一瞬の隙を縫って、愛華にリンダの前、ラニーニとナオミの真後ろまで侵入を許していた。
愛華には、ここまでスターシアを弾き返してきた鉄壁のディフェンスの内側へと、呆気なく潜り込めたことに、もしかしたら行けるかも?と自信を持ちもしたが、でもきっと、スターシアさんの囮が上手かったんだと思うことにする。
「もう少し驚いて頂けると思ったのですが、さすがハンナさんですね。でもアイカちゃんも、さすがです。その勢いで、トップチェッカーめざして、がんばってください」
やはりスターシアさんのおかげみたいだ。だけど愛華は、もっと自信持っていい。
「だあっ!……って、あたし一人で、どうやって!?」
スターシアはブルーストライプスのど真ん中に、愛華を一人残してシャルロッタの位置に戻って行く。
前には、最大のライバルと思っているラニーニとナオミの二人。後ろからは、愛華にバイクの乗り方を一から教えてくれたハンナ、そして圧力勝負ならエレーナ相手でも退かないリンダの二人に挟まれている。
どうしたら脱け出せるの?でも前に行かないと、シャルロッタさんは負ける……。
「もうっ、どうなっても、知りませんから!」
もうヤケクソな気分だ。
「スターシアのやつ、また楽しようとしてるな」
ピットで展開を見守っていたエレーナが呟く。
スターシアは毎度こうだ。
主役を演じる資質を持ちながら、いつもクライマックスを迎えると大変な役を人に押し付けて、勝手に裏方にまわる。しかもその裏方の仕事ぶりが絶妙な職人技で、主役にスポットライトを当てるものだから文句も言えない。
「まったく、要領のいい女だ」
そう毒づきながら、愛華を最高のステージに押し上げたスターシアを労っていた。
「まんまと出し抜かれました。最近のエレーナさんは、そんな小細工も教えるようになったんですね」
愛華に割り込まれたハンナは、彼女にしては熱くなっていた。
そしてハンナはここで、再び読み違いを犯す。
「ラニーニさん、ナオミさん、二人でアイカさんを振り切りなさい!リンダさんは私と、後ろのスターシアさんとシャルロッタさんを抑えます。タイトルは目の前ですが、まだどんな小細工を隠しているかも知れません。最後の瞬間まで気を緩めないで、絶対に勝ちますよ!」
「「「はいっ!」」」
四人とも、愛華を甘く見てはいない。
愛華の実力は、ラニーニとほぼ互角。それに加えて、ラニーニにはナオミがいる。ナオミとて決して愛華に劣っている訳ではない。充分に勝算はある。
ただ、ラニーニとナオミが、スターシアのアタックにずっと耐えてきたのに比べ、愛華はここまでシャルロッタに合わせ、安定した走りをしてきた。
傍から見て「甘い」と言うのは簡単だが、この切迫した場面で、しかも後ろのシャルロッタを絶対に前に行かせてはならない状況では、他の選択は出来なかったかも知れない。
ハンナの最大の見落としは、こういった場面に、“愛華はめっぽう強い”ということを忘れていた事だろう。
最後の力を振り絞ってラストスパートをかけたラニーニとナオミに、愛華はぎりぎりで食らいついた。もう少し遅れていたら、完全に離されていたろう。
チームメイト同士、スリップストリームを使い合って逃げる二人に、なんとかついて行く愛華だが、そこからの攻め手がない。
このままでは逃げ切られてしまう。
ラニーニたちも、スリップに入らせないように直線でラインを振るが引き離せず、残り少ないタイヤではコーナーで詰められる。
僅かなミスでもオーバーテイクされてしまう。
どちらも、緊張と焦りを背負って、懸命に走る。
シャルロッタとスターシアの最後の攻勢に備えていたハンナは、二人がラスト3ラップで更にスピードを落とし、ケリーと琴音にもパスされたのをピットからのサインで知らされた。完全に騙された事にようやく気づくが、既にラニーニたちは追いつけない距離まで離れていた。あとはラニーニとナオミに託すしかない。
同様に、シャルロッタが順位を落とした事を知った愛華は、今度こそ、もう本当に自分がラニーニを抜くしかないと、腹を括った。
「ラニーニ、アイカは私が足止めする。先に行って」
ラストラップに突入し、ナオミが一人で愛華を迎え撃つ構えを見せる。
ラニーニの動きを察知した愛華は、一か八かで強引にインに飛び込む。ここで離されたら終わりだ。
愛華はオーバースピード気味でナオミをインから抜き、ラニーニにも並ぶが、ラインを維持できず、外側に膨らんで行く。
「ラニーニちゃん、ごめんなさい。でも優勝はさせられないの!」
内側に入られたラニーニだったが、ここで引く訳には行かない。
「アイカちゃんの気迫はすごいけど、わたしだって譲れないの!」
どちらも一歩も退かず、互いの意地と意地をぶつけ合う。そこには親友としての遠慮も駆け引きもない。絶対に負けられないライバルがいるだけだ。
二人は並んだままラインをはずれ、コース外側ぎりぎりまで膨らんだ。
意図せず先頭に押しやられた形のナオミは、ラニーニを待つが、愛華が『邪魔しないで!』という、殺気に近い気迫を放って迫って来る。
後れず追いかけて来るラニーニも、まるで自分などいないかのようにライバルとの競争に集中している。
僅かにナオミを避けるラインをとった愛華に、ラニーニが重なる。
ナオミは二人に、コースを空けた。というより譲るしかなかった。ラニーニだけを通すのは不可能だ。それよりも、この二人のレースを邪魔することは、誰にもできないと悟った。
二人は、肩と肩を押し合うようにしてナオミの傍らを抜けて行った。




