勝たせてあげたい
「あたし、どうしても世界一になりたいの!誰よりも速く走って、世界中にあたしの存在意義を証明したいの。あんたにはずいぶん迷惑かけてきたけど、もう少しだけ、力を貸して」
シャルロッタは、溜め込んでいたものを吐き出すように一気にしゃべった。
「なに言ってんですか。わたしもスターシアさんも、チームの全員が、シャルロッタさんを世界一にするために全力出してますよ」
もっと重たい何かを覚悟していた愛華は、ちょっと拍子抜けした感だ。
「わかってる。わかってるけど、……そうじゃないの。あたしが今ここに居られるのも、エレーナ様とスターシアお姉様、セルゲイとかたくさんの人たち、そしてあんたのおかげだってわかってる。バカなこと言ってても、あたし一人の力じゃないって、そんなのずっとわかってるから」
シャルロッタらしくないと言ったら失礼だろうか。彼女のレースにかける思いは本物だから、意外に本心なんだと愛華は思った。しかしそれを口に出すのは、明らかにシャルロッタさんらしくない。
「実は、あたしのバイク、相当くたびれてるの。セルゲイは無理しなければ大丈夫なんて言ってたけど、明日のレースは無理しないで勝てる相手じゃない。自分のバイクのことも、ラニーニたちのことも、あたしだってよくわかってる」
いつになく弱気な発言。逆に言えば、冷静で、それだけに勝ちたいという気持ちが伝わってくる。
「いつものようになにも考えないで突っ走ってたら最後までもたない。エレーナ様の言う通り、たぶん途中でラニーニたちに前を行かせることになると思うわ。あたしはそれでも我慢する……」
悔しさを堪えながらも、はっきりと皆の心配を否定した。しかしまだ、シャルロッタはしゃべり続ける。
「だけど、明日のレースは、どうしても一番最初にチェッカーを受けたいの!」
やはりというか、誰だってそう思っている。
「わたしもシャルロッタさんが優勝できるように、全力を尽くします。でも、一番大事なのは、確実にチャンピオンになることです。だからもし、少しでもエンジンが危ないようだったら、四位以内の走りに切り替えてください」
おそらく、自分のバイクのことは担当メカニックのセルゲイよりもわかっているのだろう。セルゲイすら気づかないようなピストンの小さな傷も、データロガーにも表れないような僅かな違和感も、シャルロッタには感じられるのかも知れない。
だったら尚更、最初から四位狙いでいくべきだ。
「シャルロッタさん、本当のところ言ってください。エンジンの具合、セルゲイおじさんが言ってるより悪いんですか?」
愛華は思いきって訊いてみた。答えによっては、エレーナに伝えなくてはならない。シャルロッタは悲痛な表情を浮かべた。
「正直に言って、あたしにもわからない……。どこがどう、ってことはないんだけど、乗ってるとなんかしこりがあるっていうか……気のせいかも知れないし、もう少し回せばはっきりすると思うけど、怖くて回せない。壊しちゃったら、もうおしまいだから」
予選でのシャルロッタさんは、高回転まで使わなかったのでなく、怖くて使えなかったんだ。どっちにしても、それであのタイムなんだから、すごいテクニックとシャルロッタさん自身がストレスを被ってたのに変わりない。
決勝の長丁場を、果たしてそれで走りきれる?
「それなら予備のマシンで走れば」
「あっちはもっとくたびれてる。レインレースならなんとかなるけど、ドライじゃ市販のジュリエッタにも負けるわ」
エンジンがそこまで深刻な状態なのを、エレーナさんは知っているのだろうか。エレーナさんに言って、作戦を変更した方がいい。
「やっぱり優勝は諦めましょう。わたしとスターシアさんが頑張れば、きっと表彰台にはあげてあげられます。シャルロッタさんは10勝もしてるんだから、最終戦に優勝出来なかったって、世界最速のチャンピオンだって、みんな認めてくれます」
優勝でチャンピオンを飾りたいのはわかる。でも、リタイヤなんてしたら、なんにもならない。どうしてそこまで優勝にこだわるのか、愛華には理解できなかった。
「ダメよ!仮に四位狙いで走ったって、最後までもつ保証はどこにもないわ。それにエンジンの変な感じだって、あたしの思い込みかも知れないじゃない!最初から勝つのを諦めて走ったら、四位だって危ないわよ!ケリーだってコトネだっているのよ!」
なんだかんだと言っても、手堅いと思っていたタイトル獲得が、実はシャルロッタすらわからない賭けになっていたとは、思ってもいなかった。
「とにかく、エレーナさんに相談しましょう。わたしはエレーナさんの指示に従います。シャルロッタさんもそうしてください」
愛華は今すぐエレーナに伝えに行こうと立ち上がった。
「待って!」
シャルロッタは、立ち上がった愛華の手首を掴んで叫んだ。
「あたし、運命に挑戦したいの!あたし、ちっさい頃から才能に自惚れて、すごく生意気な奴だった。だから神さまにまで嫌われちゃったのかも知れない。お祖父様の会社がなくなって、バレンティーナを恨んだ。現実から目を背けて世の中を馬鹿にして生きてきた。そしてエレーナ様とスターシアお姉様に出逢って、あんたにも出逢った。去年、ちょうどこの部屋で、アイカに無理なお願いしたわよね」
あの時、シャルロッタは愛華に自分を負かせてほしいと頼んだ。
「でもわたし、叶えられませんでした……」
「それ以上のことをしてくれたわ」
結果的にシャルロッタは、エレーナを優勝させた。
「みんな、なんにもなかったみたいに許してくれた。だから今、あんたにはすごく感謝してる。エレーナ様にもスターシアお姉様にも感謝してる。チームの人たち全員に感謝してる。だけど、神さまはまだ、あたしを許してくれてないかもしれない。あたし、知りたいの、神さまがあたしを認めてくれるかを。スターシアお姉様は、あたしのバイクの異変に気づいたら、必ず安全な走りに切り替えるわ。だからアイカだけが頼りなの。もし壊れたら、きっと神さまがまだ早いって言ってるって諦めるから。アイカ、お願い、あたしに力を貸して!アイカを信頼して話したんだから、言わなきゃ良かった、って後悔させないで」
昨シーズンの愛華とシャルロッタのレベルの違いは歴然としていた。能力として、願いを聞き入れることが出来ないことは最初から明らかだった。だからこそ、無我夢中で頑張れた。
しかし、ラニーニたちと勝負させてほしいという願いは、頑張れば出来るだけに、愛華に正しい判断を要求していた。
「シャルロッタさんのバイクは、シャルロッタさんが一番よくわかっているはずです。レースが始まったら、大丈夫なペースを指示してください」
エレーナの作戦通りの答えを伝えた。
シャルロッタは、がっくりと肩を落とした。
もともとセルゲイも気づいてなかったバイクの違和感だった。ベンチテストでも異常がないと言われた。だけどコーナーからの立ち上がりで感じる、筋肉がつっぱるみたいな感覚、前にも経験したことがある。そのまま走り続けて、エンジンは焼き付いた。セルゲイもそのことを覚えていた。だからこんな大事になっている。
自分が黙ってれば、スターシアお姉様もアイカも、優勝するために協力してくれたはずだった。
愛華が話し続ける声が、どこか遠くで話してるように聴こえる。
「それから一つだけ、約束してください。もし、少しでもおかしいって感じたら、必ず正直に言ってください!それを約束してくれるなら、エレーナさんには黙ってます。そしてレース中は、シャルロッタさんの指示に従います」
………
「えっ!?」
シャルロッタの顔が、パッと明るくなった。
「ありがとうアイカ!約束するわ。あんたが味方になってくれたら、負けるはずないから!絶対にチャンピオンになってみせる!」
愛華はシャルロッタに抱きつかれた。
その瞬間から、愛華は前言を後悔した。
この人、本当にわかっているの?絶対わかってないよね?
どうしてこんなにいつも、わたしを問題に巻き込むの?
もしリタイヤなんてことになったら、責任重大だ。




