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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
175/398

カモメのシャルロッタさん

 スターティンググリッドのトップから三番手までを占めたストロベリーナイツにとって、決勝での戦い方ははっきりしていた。


 シャルロッタを無事にゴールさせること。


 セルゲイによれば、「余程無理しなければ、レース中にエンジンが壊れることはないだろう」という。

 レースに勝つことを意識したシャルロッタの予選での走りとラニーニとのポイント差、スターシアと愛華のアシストとしての能力、シャルロッタと因縁あるバレンティーナが実質的に消えたことを考えれば、普通にゴールまで走り切ればタイトルは手堅い。

 ブルーストライプスやヤマダのケリー、琴音などを見下すつもりはないが、最悪でもシャルロッタは、四位以内でゴールすればいいのだ。このメンバーで四位以内を逃すとすれば、マシントラブルの可能性が最も高いだろう。今のシャルロッタなら、それを理解出来ると思えた。



 スタートから愛華とスターシアで、シャルロッタを速いペースで引っ張る。ラニーニたちがどう動こうと関わらず、ペースを維持すればそれほど離されることはない。後半にはリンダとハンナあたりが苦しくなってくるだろう。マシンの調子良ければ抜きに行けばよいし、無理したくない状況ならスターシアか愛華が道を切り開けばいい。レース中のエンジンの調子はシャルロッタが一番よくわかっているはずだ。


 エレーナが決勝について説明する。不測の事態についても、ほぼ基本通りの対応を指示、ラニーニが二位だった場合のシャルロッタがチャンピオン獲得できる順位、三位だった場合なども、一応頭に入れておく。


 愛華を含め、皆が予想していた通りの作戦だ。勿論、誰もが優勝でチャンピオンを決めたいと思っていたが、レースの怖さを知っているこらこそ、確実な勝ち方を選択し、不確実性に備えることを知っていた。

 全員が頷いた。


 愛華も自分の役割を全力で果す覚悟で力強く頷いたが、シャルロッタの顔に一瞬だけ翳りが浮かんだのが気になった。


 エレーナとスターシアも、シャルロッタの表情に気づいていた。反論こそしなかったが、シャルロッタが安全策を好まないのは、最初からわかっている。彼女の様子に注意していた。

 

 

「シャルロッタさん、大丈夫でしょうか?」

 スミホーイの宣伝担当やスポンサーなどに挨拶をして、夜遅くホテルの部屋に戻ったエレーナに、スターシアが気掛かりだったことを尋ねた。

 シャルロッタのここまでの走りぶりを見れば、彼女も現実を理解しているのはわかっている。しかし、ブルーストライプスも、シャルロッタを熱くさせようと狙っているのは間違いない。アレクセイは競技者の心理を熟知している。バレンティーナの存在が最大の懸念だったが、彼女たちにもその実力はある。

「シャルロッタが本当にチャンピオンに相応しいかが問われるだろうな。もしチャンピオンを逃したら、年間10勝あげておきながらチャンピオンになれなかったという、私にも成し得なかった記録を打ち立てることになるだろう」

「ふざけないでください。私には、結構現実的な話だと心配しているのです」

 スターシアは真剣な顔でエレーナを睨んだ。

「私も自分が走れないのがもどかしい。スターシア、押し付けるようで悪いが、レース中のことは頼む」

 エレーナも真面目な表情で、そして自らが動けないもどかしさを滲ませて答えた。

「勿論そのつもりですが、シャルロッタさんが熱くなってしまったら、私にどれほど彼女を止める力があるでしょうか。彼女はエレーナさんの次に、私に敬意を示してくれてますが、本能が剥き出しになったとき、彼女を抑える自信がありません」

 シャルロッタの本能が剥き出しになった時、抑えれる人間は誰もいない。たとえエレーナであっても、力で抑え込むことは不可能だろう。

「あいつにとっては、速さで負けることは死ぬより辛いことだからな。私がどんなに厳しく言っても、実際にレースになればどうしようもない。ハンナたちはそこを必ず突いてくるだろうしな」

 予選できっちりエンジンをセーブした走りを見せたのも、タイムでは必ず勝てる自信があったからだ。しかし長丁場の決勝で、ブルーストライプスだけでなく、ヤマダのケリーや琴音にまで遅れをとるような場面に於いて、冷静さを保てるだろうか。

 シャルロッタが生まれながらの習性を抑えられるとすれば、彼女の本能より強い“思い”を感じさせるしかない。

「また、アイカに頼ることになるかも知れんな」

「アイカちゃんの思いが伝わってくれると、いいんですけど……」




「あたし、カモメの群れってキライ……」

 愛華がシャワーを終えて部屋に戻ると、ベッドの上で膝を抱えて座り込んでいたシャルロッタが、ぽつりと言った。

「カモメ……ですか?」

「カモメじゃなくて、カモメの群れ」

 突然カモメの話題を持ち出されても、愛華には話が読めない。フリップアイランドで(フン)をつけられたことを、いまだに根に持っているのだろうか?しかしなぜ、今その話なのか……?

「あたしね、ちっさい頃からコミックしか読んでなかったの。でも一冊だけ、お母さまにプレゼントされた本、薄っぺらいけど、文字ばっかりの本を読んだことがあるの。わたしが最後まで読んだ唯一の小説」

 シャルロッタは、らしくない表情でそう言うと、テーブルを指差した。


 そこには一冊の薄い文庫本、それも日本語の本が置いてあった。


「日本でサキにそのこと話したら、彼女も読んでくれたみたい。それであたし、アイカにも……ちがうくて、サキがアイカにも読ませたい、って送ってくれたの……」

 シャルロッタと紗季の間に、そんなやり取りがあったなんて全然知らなかった。

 愛華はその本を手にとってみた。題名は聞いたことがある有名な小説だったが、愛華は読んだことがない。シャルロッタは文字ばっかりと言ったが、美しいカモメの写真のページがたくさんある。紗季は昔から読書家だから、前にも読んだことがあったのかも知れない。


「借りていいんですか?」

「あんたに読んで欲しかったから、送ってもらった……じゃなくてサキがどうしてもあんたにも読ませたいって言ったんだから!」

 シャルロッタさんが、わたしのためにわざわざ紗季ちゃんに送ってもらったんですね。

「ありがとうございます。レース終わったら読ませてもらいますね」

「ダメよ!せっかくサキが送ってくれたんだから、今すぐ読みなさいよ」

 自分の気に入った本を、早く読んでもらいたい気持ちはわからなくもないけど、明日はレースだよ。

 取り敢えず愛華はその本を置いて、シャワー後の髪と肌の手入れを始めた。

 それでもシャルロッタは、じっと愛華が読み始めるのを待っていた。


 まあ、それほど長い話でもなさそうだし、レース前で気持ちも昂っているからすぐには眠れそうになかったので、愛華は髪を乾すともう一度その本を手にとった。



 それは、スピードに魅せられた一羽のカモメが主人公の、ちょっと変わった童話のような物語だった。

 彼は、ただ餌を獲るためではなく、速く飛ぶことに目覚めた。そして遂に、カモメの限界速度を超える。その中で彼は、飛ぶこと、生きることの意味を見いだす。しかし、群れの仲間はその価値を理解しなかった。それどころか彼は、「カモメは餌を獲って暮らせればいい」という群れの長老たちによって、追放されてしまう。

 群れを追い出されても速く飛ぶことを求め続けた彼のもとに、二羽の光り輝くカモメが現れ、更なる高みへと連れていく……


「これって……」

 そこまで読んで愛華は、シャルロッタの顔を見た。

「そうよ、ジョナサンはあたしそのものなの」

 シャルロッタの言う通り、前に聞いた彼女の過去によく似ていた。

「この本には、あたしの運命が予言されていたのよ」

 まるで迎えにきたきた光り輝く二羽のカモメこそ、父親や兄たち、社会から浮いていたシャルロッタさんを迎えにきたエレーナさんとスターシアさんだと言いたいらしい。愛華でもそう思うのだから、シャルロッタが信じ込むのも無理はない。

「でも、シャルロッタさんはケンタウルスの末裔って設定じゃなかったんですか?」

 少しいじわる心で、愛華はシャルロッタの思い込みの矛盾点を突いた。

「うっ……設定言うな……」

 否定するにも、いつもの意味不明な自信がない。というより、いつになく真面目な表情なので、ちょっと気の毒な質問したと反省する。


「わかったわよ、本当のこと言うわ。その本のイタリア語版、お母さまからプレゼントされたのは本当よ。お祖父様の会社が事実上なくなって、あたしが一人ぼっちになってた頃のことよ。でもそのときは、本なんて読む気持ちになれなくて、ずっとそのままになってたの。日本GPのあと、紗季にそんな話したら、あたしならきっとおもしろいから、ぜひ読んでみて、って言われて……」


 やっぱり紗季ちゃんは読んだことあったんだ。シャルロッタさんがエレーナさんたちに出逢った経緯(いきさつ)を知って、薦めてあげたんだ。


「チェンタウロの話は真実だけど、精神的にはその話の方が近いわね」

 いろいろ突っ込みどころはあるものの、愛華に自分のことを理解してもらいたくて、紗季にわざわざ日本語版を送ってもらったのは間違いないみたいだった。

 シャルロッタが、それだけ愛華にわかってほしいと思ってくれてるのがうれしい。


「シャルロッタさんにとって走ることは、生きてく手段じゃなくて、生きてる意味なんですね」

「そうよ、あんたにもわかるのね!」

 嬉しそうに顔をほころばせた。この顔を、紗季にも見せてあげたかった。

 しかし、シャルロッタが嬉しそうな顔をしていたのもそこまでだった。


「あたし、ジョナサンと同じで、誰よりも速くなりたいの。みんながあたしのこと、頭がおかしいって言ってること、知ってるわ。あたしだっておかしいって思ってる」

 シャルロッタは、ベッドに膝を抱えて座り込んでいた時のように思い詰めた表情でつぶやいた。

「そんなことないです。シャルロッタさんのこと、わたしはすごいって思ってます」

「無理しなくてもいいわ」

「無理してません。エレーナさんもスターシアさんも認めてます。ラニーニちゃんだって、シャルロッタさんはすごい、って言ってます」

 シャルロッタは顔をあげて、遠くを見るような瞳で壁を見つめた。

「ありがとう。あんたホントにいいやつね。でもね、バイクに乗ってるときのあたしは、頭悪いとか、人からバカにされてるとか褒められてるとか、そんなのぜんぜん気にならなくなって、ただ速く走りたい、ってことしか考えなくなるの。もっと速く、もっともっと、ってことで頭がいっぱい」

 それだけじゃない気はするけど、たぶん概ね本当のことだと思う。愛華もスイッチ入っちゃってるときは、自分は特別な存在なんだと思う瞬間がある。違いはシャルロッタはそれを、本当の自分だと信じている。いや、愛華だってそんなときは、本当の自分を見つけられた気がしていた。


 愛華が自分の姿に重ね合わせていたのを、シャルロッタは理解されてないと受け止めたらしかった。

「そりゃあ最初は目立ちたいとか、みんなをあっと言わせたいとか考えてるけど、結局あたしには速く走るしかなくって、速く走ることだけがあたしの存在意義なんだって、……ああ、なに言ってるんだかわからなくなってきた。やっぱりあたしの頭、おかしいわね」

「おかしくなんかないです!わたしだって、ずっとエレーナさんみたいになりたいって思ってきて、エレーナさんとスターシアさん、それにシャルロッタさんと一緒に走ってる時は、本気で苺の騎士に成りきってますから!シャルロッタさんがおかしいんだったら、わたしも頭おかしいです」

 割りと本気でシャルロッタに同意している。だってライダーなんてみんな、ライダーだけじゃなくて、人がスポーツに夢中になるのは、なりたい自分になろうとするからだと思う。

「あんたも中二病ね」

「たぶん誰でも中二病のウィルスは持っていると思います。だけど、大人になってもそれを堂々と言える人に、嫉妬してるんだと思います」

 ゴスロリファッションにカラコンは遠慮したいが、有無を言わさぬ才能は素直に羨ましい。

「そう言えば、あんた初めて会ったとき、あたしの話を大真面目に聞いていたわね」

「今でも真面目に聞いてますよ」


「…………そうね、でも、今からあたしも大真面目で話しするわ」

 そう言って、シャルロッタは大きく息を吸った。


 愛華は息を呑んで次の言葉を待った。


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[一言] 波乱の幕開け。
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