思いきり走ろうね
予選が終了して、公式な予選結果が発表されたが、そこに二番手タイムを記録したはずのバレンティーナの名がなかった。代わってセカンドポジションにはスターシアが入っており、愛華は三番め、ラニーニは四番めのグリッドに繰り上がっていた。
バレンティーナのタイムが取り消された理由は、エンジンの使用台数制限違反。
ヤマダは参戦初年度なので、シーズンを通して各ライダー、八台までのエンジン使用が認められている。しかしバレンティーナの予備のマシンに、チームメイトのエリー・ドーソンのエンジンが載せられているのが発覚した。
予選を走ったのはメインのマシンであったが、二日間の公式フリー走行と予選当日午前の練習走行では、二台のマシンを乗り代えて走っていた。つまり九台めのエンジンを使用していた事になる。
予備のマシンに積まれていたエンジンが、日本GPでエリーがレースに使用したものだったので、オフィシャルの刻印もしてあった。そのためにフリー走行時にピットオフィシャルが見逃してしまったらしい。
ヤマダ側は、各ライダー専属のメカニックとは別に、エンジン専門の部門がすべてのエンジンを診ており、そこで取り違えた単純なミスである、新品を投入した訳でもなく、金曜までは規定のエンジンが載せてあったと弁明した。
今となっては、金曜までのフリー走行がどのエンジンだったかを確かめる方法はない。だが、今日のフリー走行では、間違いなく九台めのエンジンを使用したのは事実なので、ヤマダに対して罰金10000ユーロ、バレンティーナには予選記録なし、決勝は最後尾スタートとされた。
即失格となってもおかしくない違反に対して、ヤマダの弁明が認められたといえるペナルティーに落ち着いたのには、ゴルナ(GP主催組織)がバレンティーナを特別扱いをしているとの声もあったが、実際には彼女がチャンピオン争いに関わっておらず、このクラスに於いて長く続いたストロベリーナイツ対ブルーストライプスの二強の構図と、実質的にはスミホーイとジュリエッタ以外に車両の選択肢のない他のチームの実状を、エキサイトなものにしてくれるであろうヤマダに、気を使ったというのが真相だろう。
事実ゴルナは、ヤマダにプライベーターへのマシン供給と、一般向けの80cc競技車両の販売を要請している。実現すれば、次世代を担う若いライダーたちが競う、地方のレースも活気づくだろう。そうなれば、頂点であるGPも更に盛り上がるという算段があった。
真剣にレースに取り組んでいる者たちには関係のない、大人の事情ではある。しかし、今ブームに成りつつあるこのクラスであっても、その人気がいつまでも続くとは限らない。
長年Motoミニモの象徴であったエレーナの引退もそう遠くないだろう。スターシアもバレンティーナも、いずれは退く日がくる。今はまだ若いシャルロッタやラニーニ、日本でのブームの立役者、愛華であっても、突然のアクシデントで走れなくなる可能性もある。
それでもこのクラスを、MotoGPのおまけのクラスとしてでなく、GPのもう一つの頂点として発展させようとする運営側の思惑は、正しいとは言えないにせよ、安易に批判することは避けたい。
愛華は、オフィシャルの下した裁定よりも、違反をしたバレンティーナとヤマダに怒りを覚えていた。
ズルしようとしたのかミスなのかなんてどうでもいい。単純なミスだってルール違反に変わりないのだし、ズルしたってシャルロッタさんが負けるはずがない。でも、シャルロッタさんは規則を守って、エンジンをいたわる走りに徹したんだ。本当ならもっと思いきり走りたかったはず、もっと凄いタイムが出たはずなのに!シャルロッタさんにとってもラニーニちゃんにとっても、すごく大事なレースなのに、エンジンを間違えたとか、ズルしてたとか、どっちにしたって許せない!
シャルロッタの神懸ったタイムアタックは、観てた人々にも強烈なインパクトを与えた。まさに魔法のライディングだ。しかしいくらシャルロッタがテクニックを駆使したとはいえ、エンジンの疲労は確実に進行した。なによりシャルロッタ自身が、たいへんなストレスを感じたことだろう。
バレンティーナのタイム取り消しによって、スターティンググリッドが繰り上がった愛華だが、遣りきれない苛立ちを感じていた。
なんだか、せっかくのシャルロッタさんのスーパーアタックに、唾吐かれた気分……
愛華は苛々した気持ちのまま、申し込まれていた日本のテレビ局の取材を受けた。インタビュアーは最初にインタビューを受けた時のチャラいタレントでなく、前回好印象を抱いた上野だったが、ヤマダの息の掛かったテレビ局という事実が、愛華に苛立ちを露にさせた。
しかし上野は、元GPライダーらしく愛華の怒りに理解を示しながらも、怒りが鎮まるように上手く誘導した。インタビュー後半には愛華もバレンティーナの件を忘れて、シャルロッタのタイムアタックが如何に凄かったかを、夢中で喋っていた。
上野が愛華の怒りを抑えたのは、番組スポンサーのヤマダに気を使ったばかりではない。
今回のバレンティーナの件には、上野自身、納得出来ないものがある。エンジンを間違えるなど、常識ではありえない。しかしそれを、自分たちが言っても仕方ないことだ。それよりも、決勝を翌日に控えたライダーが、負の感情を抱えていることを心配した。
特に愛華は、一途な思いで走るタイプだ。普通なら諦めてしまう状況でも、前向きな情熱で周囲を巻き込み、奇跡を呼び起こしてきた。だが一途なライダーほど、一旦囚われると引きずられやすい。時には誰かが頭を切り替えてあげることも必要だと思った。負の感情を抱えたままレースに臨めば、愛華の良さを発揮出来ないだけでなく、危険ですらある。エレーナのいないレースであれば尚更だ。
上野は辛抱強く愛華に不満を吐き出させつつ、話題を予選での走りや決勝への意気込みへともっていった。
愛華ちゃんみたいにひた向きなライダーは、前さえ向いていればどんどん成長できる。
上野自身、一途なライダーだったので、愛華には本心から頑張って欲しかった。
煩わしく思っていたテレビ局の取材で、意外にも気持ちが落ち着いた愛華は、上野に感謝しつつ、今日一日、いろいろと疲れた心と体のクールダウンを兼ねて、ぷらぷらと夕暮れのパドック内を散歩していた。
一般の観客は閉め出され、明日のレースに備えて忙しく作業するメカニックたちや、彼らと真剣に話し込んでいる者、冗談を言い合ってリラックスしている者など、いつもの夕刻のパドック風景。いつもと少しだけ違うのは、これでシーズン最後だという緊張と意気込み、安堵と寂しさが、どこかに混じっていることだろうか。
他のクラスの関係者も、愛華に気づくと気軽に声を掛けてくれる。彼らは決まってシャルロッタの予選での走りを称え、決勝での愛華の活躍を期待してくれた。
シャルロッタさんの自慢ばっかりじゃなくて、わたしも明日はもっと頑張らないと!
愛華は前向きな決意を胸に、Motoミニモクラスのチームパドックが並ぶ方へと引き返した。
ブルーストライプスのテント近くを通り掛かった時、ちょうどラニーニとナオミに出くわした。二人ともトレーニングウェア姿をしているので、愛華と同じようにコンディショ二ングに向かうところなのだろう。
愛華は彼女に話し掛けようとしたが、急に言葉が出てこない。向こうも愛華に気づいたが、どこかぎこちない様子だ。
ナオミが小さく会釈すると、気を使ってかラニーニに「先に行ってる」と声を掛けて走り去った。
思えばラニーニとは、日本GP以来言葉を交わしていない。避けてきた訳ではないが、やはりタイトルを争うライバルチームとして意識してしまっていた。
それまでも今も、ライバルであり、親友であることに変わりないが、これで決まってしまうと思うと面と向かうのが躊躇われた。
正直に言って、ラニーニの逆転の可能性は低い。シャルロッタとタイトルを争っているとはいえ、実力の差は歴然としている上に、たとえ明日のレースでラニーニが優勝しても、シャルロッタが四位以内に入ればチャンピオンはシャルロッタのものとなる。
バレンティーナの予選タイム取り消しで、ラニーニの可能性はますます低くなった。バレンティーナがシャルロッタに絡んでくれることが、彼女の最大の勝機だったのは愛華でもわかる。
ラニーニにもわかっている事実であろうが、だからこそ優位な側の愛華から話し掛けるのは、なんだか傲慢じゃないか、ラニーニに余計なプレッシャーを与えるんじゃないかと躊躇していた。
ラニーニも同じように遠慮していた。
まともにレースしても勝てない自分たちが、シャルロッタのチームメイトである愛華と仲良くしてたら、あらぬ誤解を受け、愛華に迷惑を掛けるんじゃないか、愛華を動揺させるんじゃないかと心配していた。
互いに思いやる気持ちが、二人をぎこちなくさせていた。
でも、レースの前にどうしても伝えたいことがある。
「ラニーニちゃん」
「アイカちゃん」
二人は同時に口を開いた。
「「明日、思いきり走ろうね」」




