天才はダメな子?
シャルロッタが計測ラインを通過した瞬間、サーキットは一瞬のため息と落胆のあと、拍手と喝采に包まれた。
電光掲示板に点ったシャルロッタのタイムは、断トツのポールタイム。バレンティーナの記録したばかりのMotoミニモのコースレコードを、コンマ3秒も上回るものだった。
最初の落胆は、Moto2のポールタイムに届かなかった事にあった。
当然と言えば当然なのだが、観客たちはシャルロッタの人智を超えた才能と暴力的な野蛮さに、マンガの世界に引き込まれた子供のように荒唐無稽な夢を見ていた。
愛華は無事に終わった事に安堵するとともに、無茶とも言える走りを見せたシャルロッタが、エレーナに叱られないか心配した。
ここでミスして、全部ぶち壊してしまわないか、エンジンを壊してしまわないかと愛華も胃が締め付けられる思いで見ていたのは事実だが、あれほどの神懸り的なタイムアタックを成功させたシャルロッタが叱られるのは、ちょっと気の毒な気がする。
ピットに戻ったシャルロッタのマシンに、後ろにまわったセルゲイがスタンドをあてがうとほぼ同時に、シャルロッタはバッテリーの切れたロボットのようにバイクから崩れ落ちた。愛華はバッテリー切れのロボットというのを見たことはないが、なんとなくそんなイメージだ。
シャルロッタさん、たった一周でエネルギー使い果たしちゃったんだ……などと、ぼうっと見ていた愛華の目の前で、セルゲイおじさんの顔がひきつった。
シャルロッタがずり落ちる時に横の力が加わって、まだしっかり嵌まっていなかったスタンドが外れてしまった。
セルゲイは懸命に立て直そうとしてるものの、一度傾いたバイクはテールカウルを掴んで引き起こそうとしても、思うように力を入れらない。床にはシャルロッタが小さな胸を「ぜぇぜぇ」と上下させて横たわっている。近くにニコライとエレーナがいたがニコライはノートPCを抱えており、エレーナは松葉杖なので咄嗟に動けない。
愛華は慌ててハンドルに飛びついて支えた。
「「ふぅーっ」」
愛華とセルゲイは、同時に息を大きく吐いた。
セルゲイおじさんがスタンドをしっかりと固定したのを確認して、我関せずで横たわるシャルロッタに顔を近づけた。
「シャルロッタさん!大丈夫ですか?」
「うぅ……、魔導力を、使い果たして……しまったわ……ガク」
シャルロッタは少しだけ頭をあげて呻くと、力尽きたようにヘルメットをガツンと床にぶつけて再び目を閉じた。
バッテリーの切れたロボットでなくて、魔導力を使い果たした魔女という設定らしい。……ってこの人、絶対に動きたくないだけだ。
「もおぅ、疲れてるのはわかりますけど、ちゃんとセルゲイさんにバイク渡してから降りてください!」
シャルロッタは少しだけヘルメットのシールドを開けて愛華を見る。
「あんただって、シルバーストーンでカッコつけて跳び移ってたじゃない」
エレーナたちに聞こえないように小声で言い返してきた。
愛華が初優勝したイギリスGPの雨の中のマシン交換を言ってるらしい。けっこう話題になって、プロモーションビデオとかでも必ず流れるシーンになっている。
「あれはカッコつけてたんじゃありません!レース中だったし、ミーシャくんにちゃんと受けとめてもらいました。シャルロッタさん、危うくバイクの下敷きになるところだったんですよ」
「それじゃカタロニアGPんときは?ゴールした時、バイクに乗ったまんま気絶してたでしょ。あれ、あたしも一度やってみたかったの!」
あの時は本当に気を失なってしまった。やろうと思ってやってたんじゃない。
「とにかく、そこに寝てたらセルゲイさんの邪魔になるから、向こうで休みましょう」
「うぅぅ、ガク」
シャルロッタはもう一度気を失ったふりをして、身動き一つしようとしない。
愛華としても小姑のような小言は言いたくないが、このままだと確実にエレーナさんの雷が落ちる。ニコライさんがバイクに積まれたデータロガーにPCを繋ぐのを待っているエレーナさんは、最初から心配していないみたいだけど、氷みたいな瞳をいつまでも寝ているシャルロッタさんに向けている。
「シャルロッタさん、エレーナさんがこっち見てますよ」
「どんな顔してる?」
シャルロッタはヘルメットを動かさず、愛華に訊ねる。
「スッゴく恐い顔してます」
びびらせようと大げさに言ってみた。
「あたし決勝まで意識失ってるから、上手いこと言っといて。頼んだわ」
「ちょっとシャルロッタさん!本当に怒られますよ。とにかく起きてください」
愛華はシャルロッタのシールドをカバッと開いて、大きな声で言った。
「どうしたアイカ?」
とうとうエレーナ様が声をかけてきた。勿論、シャルロッタにも聞こえるように。
もう知らないからっ!
「シャルロッタさんは明日の決勝まで、ここで寝てるそうです」
「ばっ、ばか!なんてこと言うのよ、アイカの裏切り者!」
承諾した覚えはないので、裏切り者とは心外だけど、突然魔導力が甦ったみたいで良かった。
「エレーナさん、走行データが表示されました」
エレーナの眉間に皺が寄ったその時、タイミングよくニコライさんがPCのモニターを指し示してくれた。
たぶん愛華に助け船を出してくれたのだろう。エレーナはシャルロッタを起こしてやるのをあとまわしにして、ニコライの手元のモニターを覗き込んだ。
四輪のF-1などと違い、走行中のライダーとピットの間は、会話も含めて通信は一切禁止されているので、走行データも終わってから読み取るしかない。
「驚いたな。あれだけ攻めてても、きっちり1万3000で抑えてますよ」
1万3000とはエンジンの回転数の事だ。スミホーイのエンジンは、だいたい7000回転辺りからが使える回転域の下限で、回すに従い曲線を描いてパワーは盛り上がっていく。1万3000手前ぐらいでピークに達すると、そこからは出力は頭打ちになり、1万3500回転からがレッドゾーンとなる。レッドゾーンを超えても回転は上昇するが、先細りのトルクは有効に使えないばかりか、エンジンを壊してしまいかねない。
フレデリカのように過回転特性を、物理的トラクションコントロールとして利用してしまう例は特殊としても、タイムアタックやレース中などで、深く寝かせた状態でシフトチェンジしたくない時やもう少しだけ引っ張りたい時、あるいはホイルスピンをさせてしまった時などに、どうしても瞬間的にレッドゾーンまで入ってしまうものだ。当然エンジンにとっては、よくはない。
「ほぉぉ、まるで人間技とは思えんな」
エレーナの驚きとも呆れとも取れる声を聞いて、セルゲイもモニターを覗き込んでいる。愛華も気になって、横から覗いてみた。
回転数を示すグラフの縦軸は、確かに1万3000より上にいっていない。なのにコーナーでは、愛華より低いギヤを使っていた。
普通コーナーでは、特に低速コーナーなどではフルバンクしている時に極端にレスポンスが過敏になるのを嫌って、有効なパワーバンドの下端辺りを使う。クリップポイントを過ぎて、徐々にバイクを起こすに従いパワーが盛り上がってくるので、安定したコーナーリングとなる。バンクしている最中は、出来るだけシフトアップしたくない。そしてレッドゾーンに飛び込むぐらいまで引っ張ってシフトアップ、再びパワーの盛り上がる回転数に繋がって、強い加速を続けられる。
しかしシャルロッタは、愛華より一段低いギヤでコーナーに進入し、レスポンスの一番敏感な回転域でクリップを通過、即強烈なパワーを掛けて加速していた。その上、まだ深く寝ている状態にも関わらず、レッドゾーン手前できっちりとシフトアップしている。姿勢も乱れていなかったし、外からでは殆どわからないほどスムーズに加速していたので、絶妙のスロットルワークとハーフクラッチを駆使しているのだろう。
そして愛華がレッドゾーンまで引っ張ってしまう最後のひと伸びも、きちんと上のギヤに入れている。ストレート後半のトップスピードに達するところでは、通常スリップストリームの時しか使わない7速まで使っている上に、ストレートエンドで一気に2速まで落としながら、それでいて回転数のリミットはしっかり守って、安定して1コーナーに入っていっている。
フルブレーキング時には、リアタイヤはほとんど浮いた状態になっているから、2サイクルの場合、スロットルを閉じてもすぐには回転が落ちない。急激なシフトダウンでは、リアブレーキを上手く使ってタイヤとエンジンの回転を合わせなければ、オーバーレブさせたりリアが暴れるような状況になる。シャルロッタの走りにそんな挙動は、まったく見られなかった。
進入から立ち上がりまで、一つのコーナーで愛華より四回も余分にシフトチェンジをしている。
デリケートなクラッチ操作、スロットルワークとブレーキコントロールを素早く正確に駆使して、必要以上にエンジンにストレスが掛からないように、そして速く走るために。
他にも数えあげればきりがないほどたくさんの、愛華には真似出来ない微妙なコントロールをして、速さとエンジンを傷めないという課題を両立させているのが、走行データから読み取れた。しかも、肩が芝生に触れるほどハードなライディングの中に行っているのだ。
琴音のように、マシンの特性を知り尽くした開発ライダーでも、ここまで絶妙な操作は出来ない。実際シャルロッタは、理屈でなく、自分の一部のようにバイクを感じ、肌にカミソリの刃をあてるような繊細さでマシンを操っていた。
まだバイクの横の床でぐたぐだしてるダメな子みたいなシャルロッタが、エレーナを以て人間技とは思えないと云わしめた同一人物とは思えなかった。




