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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
172/398

理性を狂わす危険な香り

 シャルロッタが、速度を乗せて最終コーナーから立ち上がってきた。

 計測ラインを通過して、モニター画面下のタイム表示が時を刻み始める。通過速度は、スターシアや愛華をやや上回っている。しかし、スターシアと愛華のタイムから、その程度ではバレンティーナを上回るのは難しいだろうと予想された。それでも「シャルロッタなら何かやってくれる」、そんな期待にサーキット中が、彼女の走りを注目していた。


 熱い眼差しは、必ずしもシャルロッタを応援するものばかりではない。囃し立てるような声援は、いろんな意味の期待がある事を物語っている。

 

 

「もうッ、もう少し静かに応援できないんですか!?シャルロッタさん、フリー走行でもエンジン労わって、満足に走れていないのに、まるで転ぶの期待してるみたいじゃないですか!」

 愛華はスタンドで無責任に騒いでいる観客に叫びたかった。


「仕方ない。そういうキャラになったのは、これまでのあいつ自身の責任だ。それで潰されるようなら、それまでのライダーだったという事だ。まあ、どうせ聞こえていないだろうが」

 エレーナが冷たく言い放った。

「えっ?」

 愛華は聞き間違えかと思った。


(確かにトンデモキャラに設定されたのは、シャルロッタさん自身の責任もあるけど、今は真剣にやってるんだから、まじめに応援してあげてくれてもいいじゃないですか。エレーナさんだって、いつも迷惑かけられてても、最後はシャルロッタさんの味方だと思ってたのに……)


 つい先ほど、自分の走りを褒めてくれたエレーナの、まるで駄目なら見離すみたいな言い方に、愛華は少しショックを受けた。去年だって、なんだかんだって言いながら、最後までシャルロッタさんを庇ってくれてたはずなのに。

「エレーナさん、ちょっと冷たいです……」

 愛華が呟いても、エレーナは顔色一つ変えず、モニターを凝視し続けていた。


「アイカちゃん、エレーナさんは初めから冷たい人です。でも、観客に文句言っても仕方ないのも事実ですよ。観客にとっては、GPはお祭り。なんだかんだと言っても、そのお祭りを盛り上げるのが、私たちの仕事でもあるのだから。その意味では、シャルロッタさんは本当のプロと言えるでしょう。ちょっとサービス精神旺盛すぎるところもあるけど、プロとしての彼女のプライドが、必ず良い方向に向かうとエレーナさんは信じているのです。信用して見てあげましょう」

 スターシアに言われて、モニターに目を移すと、シャルロッタが1コーナーを抜けて、愛華が苦労した第2コーナーに向かって行くところだった。


(期待になんて応えなくてもいいから、失敗しないで走ってください!)

 シャルロッタさんなら、無理しなくても琴音さんたちより速いタイムが出せるはずだ。決勝は自分たちがついているから、必ず勝てる。とにかく予選は確実に走ってほしい。


 モニターに映るシャルロッタは、短いストレート区間から最小限の減速で、2コーナーの頂点へと鋭く切れ込んでいく。その切り込みスピードが、彼女が絶好調なのを物語っている。

 狙い澄ましたラインは、タイヤがアスファルトとゼブラの境界を辿り、寝かせた車体は、完全にコース内側にある。

 ゼブラの内側から砂埃が舞うのが、モニター越しにも見えた。


「すごい……」

 今、肩が内側の芝に触れてた。絶対に失敗できないタイムアタックで、練習じゃあ一度もあそこまで攻めてなかったのに、しかもこの失敗を期待するみたいな悪意の混じった空気の中で、あんなぎりぎりの走りができるなんて!


 コーナーからコーナーへと繋ぐ、バイクが瞬間移動するような切り返しも、いつも以上の切れ味だ。


 その逝っちゃってる走りに、観客席も歓喜に揺れる。


 二つ目のタイムチェックポイントを通過する。モニターのスプリットタイムの、トップとの差を表す数字の頭が、+から-に変わると、観客だけでなく各チームのピットからも驚愕の声があがった。

 コーナー区間に入って、バレンティーナの途中タイムを上回ったのだ。


 シャルロッタの攻めは、さらにハードさを極め、神がかり的パフォーマンスを魅せ続ける。

 スターシアの言った、「異世界チートレベル」とはこの事か。


 はじめはシャルロッタらしい派手なアクションも多かったが、異常な領域に入るに従い、無駄な動きが削ぎ落とされていく。シャルロッタ自身、見せている余裕がなくなっていくのがわかる。


 シャルロッタらしくなくなっても、観客たちは落胆するどころか、魅せるためのパフォーマンスでなく、速く走るための究極のパフォーマンスに酔いしれた。


 観客たちのシャルロッタに寄せる期待は、最早とんでもアクシデントなんかではなくなっていた。

 

 

 以前からのファンは覚えている。レースに興味を持ち始めた頃を。サーキットにどきどきしながら足を運んだ日を。


 サーキットが近づくにつれ、聴こえてきたあのかん高い音。漂ってくるあのオイルの燃える匂い。


 かつて最強のレース用エンジンと言えば、2サイクルエンジンだった。

 シンプルな構造で軽量コンパクト。ピーキーだが、加速時のパンチ力は、4サイクルとは別次元のインパクトがある。

 燃費も悪く、じゃじゃ馬のように扱い難いが、パワフルで二輪用レーシングエンジンとしては、まさに最速だった。

 単純で気分屋。それでも嵌まった時の速さは、シャルロッタそのもの。


 構造的に排気ガスを減らす事が困難なために、主要メーカーのラインナップから消えていき、レースも今や小さなMotoミニモクラスのみとなった。


 GP最速の座が、大きくて重い4サイクルエンジンになって久しい。

 吸排気まで電子制御された大きなエンジンは、大出力でありながら、街乗りにも使えそうなほど洗練されている。


 だけど二輪の魅力ってのは、身軽さと危険と背中合わせの野蛮さのはずだった。


 中低速のコーナーリングスピードは、最高峰のMotoGPをも上回るMotoミニモ。軽量な車体と体重の軽いライダーたちは、コースによっては排気量が三倍以上あるMoto3クラスのラップタイムを上回る。


 シャルロッタなら……


 MotoGPクラスは無理としても、Moto2クラスのレコードを超えるかも知れない。

 シンプルな2サイクル80ccの小さなエンジンで、制約があるとはいえ600ccもあるMoto2のバイクに勝つ!

 ライダーなら誰でも憧れる子供じみた夢。


 後半の高速セクションと最終コーナーからの立ち上がりでは、Moto2マシンとのパワーの差が歴然と表れるので馬鹿げた妄想なのはわかっている。


 興味ない人には不快でしかないかん高い2サイクルの排気音。でもそれこそが、生粋のレーシングサウンド。洗練とは程遠い、剥き出しの野性。それに惹かれてバイクに嵌まった事を、小さなバイクと頭の逝かれた天才が思い出させてくれる。


「常識なんて、くそ食らえ!」

「バイクは理屈じゃねぇ!魔法力だ!」


 シャルロッタファンだけでなくすべての観客、他チームの関係者たちまでもが熱病に浮かされたように、シャルロッタに声援を送っていた。





「あのバカ、真剣に走ってるのはいいが、無駄に速すぎるぞ」

 愛華の隣でモニターを見ていたエレーナが苦々しく呟いた。愛華にも、エレーナの言ってる意味が今度は理解できる。


 シャルロッタは今、スミホーイの限界を超えるパフォーマンスを引き出して走っている。それは驚愕すべき事ではあるが、当然マシンにも計り知れないほど負担を強いているはずだ。特にエンジンは、リミット一杯まで回され続けていることだろう。


 今のシャルロッタなら、プレッシャーに潰されることはないと確信していたエレーナだったが、アクシデントを期待する観客をも味方に変えるほどのキレた走りに、逆の不安に頭を抱えなければならなかった。


 あのエンジンを壊したら、レースに勝てない。


 予選タイムに大差をつける意味はない。1000分の1秒でも上回ればいい。否、二番手でも三番手タイムでも、愛華より後ろでも構わない。むしろチームで固まったグリッドの方が良いくらいだ。それくらいは理解できるようになったと信頼していたのに……。


 シャルロッタはやはりシャルロッタだった。


 カメラは最終コーナーに入ったシャルロッタを追っていく。


(シャルロッタさん……)


 愛華には、無事に終わることを願って、見守るしかなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 本物の紙一重のライディングは見る者を惹きつける。
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