ベストを尽くして
土曜日、午後に予選を控えた朝のフリー走行でも、シャルロッタは軽く流しただけで、早々とマシンをピットに入れた。
愛華はいつものように、念入りに慣熟走行を行ったあと、一周だけのフルアタックをしてみた。
2コーナーの立ち上がりで少し膨らんだが、上々のタイム。その時点でのトップタイムだ。
すぐにラニーニがコンマ03秒だけ上回るタイムを記録するが、スターシアやナオミたちも、ほとんど差がないと言っていいタイムをマークする。
多くのライダーが早めに切り上げる中、終了間際にバレンティーナが、愛華やラニーニたちを1秒近く上回る、ベストタイムを記録した。
ラニーニとの差は、僅かな条件の違いやちょっとしたメンタルの持ち様で入れ替わってしまうくらいの僅かな差だったが、バレンティーナとの差は、雨でも降らない限り、ひっくり返せそうにない。
本気になったシャルロッタなら、予選でどれくらいのタイムで走れるのか愛華は気になった。肝心なのは、決勝で先にフィニッシュラインを通過する事だとわかっていても、ストロベリーナイツとブルーストライプスのピット前で、ガッツポーズをして通り抜けて行った、あの高く伸びた鼻を、シャルロッタさんにへし折ってもらいたくなった。
時間内に何度もチャレンジするアタック合戦が繰り広げられた他のクラスの最終予選が終わると、いよいよ土曜日最大のイベント、Motoミニモクラスのスーパーポール方式の予選が始まった。
ランキング下位から順にスタートする一回きりのタイムアタックは、ここ数戦定番になっている、琴音が早いスタート順で出した好タイムを、誰が最初に上回るかで進んでいった。
暫く琴音から大きく水を開けられるライダーが続いて、マリアローザ、リンダ、ケリーが迫るタイムを記録するも、琴音の暫定ポールは動かなかった。
しかし、ケリーのあとに登場したバレンティーナが、驚きと言うべきか予想通りと言うべきか、琴音を1秒17上回るタイムを叩き出した。
琴音のタイムも決して悪いものではなかったが、これはMoto2クラスでも予選を通過出来るタイムだ。スリップストリームを使うレース中ならともかく、Motoミニモのマシンが単独走行でのタイムとしては、驚異的な記録だ。
続くハンナも琴音より遅れ、スターシアですら、ほぼ完璧と言っていい走りをみせたにもかかわらず、バレンティーナにコンマ5秒届かない。そのタイムが、Motoミニモのタイムとして、如何に規格外なものであるかが証明される結果に終わった。
ナオミがタイムアタックに入ったところで、愛華もコースインをする。気合いを入れつつもバレンティーナのタイムは意識しないように努めた。
(予選はあくまでも決勝のスタートグリッドを決めるものでしかない。いいポジションを確保するのは大切だけど、心理的に圧されちゃったらだめ!余計なこと考えず、自分のベストを尽くすだけ)
エンジンは快調に甲高い歌声をあげている。「思いきり走っても、まだまだ大丈夫」と言って送り出してくれたミーシャくんの顔が浮かんだ。
ナオミが計測ラインを通過すると、サーキット中が溜息に包まれた。おそらく彼女もバレンティーナに及ばなかったのだろう。だが今の愛華には、そんな雑音は耳に入らない。
「思いきり行きます!」
愛華が最終コーナーから全開で加速して、アタックラップに突入していく。
1コーナーの進入はイメージ通り。フリー走行の時は少し膨らんでしまった2コーナーの立ち上がりも、ぴったりといった。
それでいちいち満足しない。意識はもう次のコーナーだ。力んだりもしていない。コースをイメージ通りに走る事だけに集中出来ている。
決勝では、最後の勝負処になることも予想される、最終コーナーが迫る。
今はバトルの想定を頭から追い払い、ラップタイムだけを考えたラインをたどる。
スターシアさんの美しいライディングを、自分なりに重ねてマシンを寝かせる。
アスファルトの感触が、タイヤを通して感じる。
スイングアームがしなやかに、そして力強く、強烈な横Gを受けとめてくれているのがわかる。
(この感じ!)
まるでバイクが「大丈夫だよ」と言ってるような安心感が伝わって来る。愛華の右手は自然にスロットルを捻っていた。一瞬、リアが"ブルッ"と震えたが、構わずいつもより大きく開け続ける。
(大丈夫、ぜんぜん転ぶ気がしない)
後輪は、路面に黒々とブラックマークを描きながら、力強く愛華をストレートに向けて押し出していく。フロントフォークがいっぱいまで伸びて、前輪の接地感が消えるが、後輪だけで、加速しながら曲がっていく。
(バイクが、わたしを乗せて翔ぼうとしてるみたい!)
愛華は、矢のように計測ラインを駆け抜けた。
スロットルを緩め、振り返って電光掲示板を見ると、トップから0.52秒遅れの三位のタイムだった。スターシアからは0.03秒遅れだ。
それでも愛華は納得していた。
(バレンティーナさんとヤマダが速すぎるんだ。スターシアさんに100分の3秒差だったら、スミホーイの性能、大体引き出せたって言えるよね。もちろんわたしには、まだまだ課題もあるけど、今のわたしのベストを尽くした、って胸張って言っていいよね)
バイクのせいにするなんて、愛華のために一生懸命整備してくれたミーシャくんや、たくさんのスタッフに後ろめたさもあったが、負け惜しみではなく、現実としてヤマダとスミホーイのパワー差は歴然としていた。
(悔しくないと言ったら嘘になるけど、決勝でシャルロッタさんを支援できるスタートポジションは獲得した。あとはラニーニちゃんとシャルロッタさん次第だけど、頭を切り替えて、決勝で頑張ることを考えよう)
バレンティーナがあのペースで決勝を走りきれない事は、これまでのレースでわかっている。しかも彼女には、ついていけるパートナーがいない。
愛華がピットに戻ると、ちょうどラニーニのアタックラップが、最終コーナーに差し掛かるところだった。
愛華はヘルメットを脱ぐのも忘れて、モニターに注視する。
最終コーナー手前までのスプリットタイムは、やはりバレンティーナからは遅れている。愛華には、ほんの少し上回っていた。
愛華はグローブを嵌めた手を、ぎゅっと握りしめた。
ラニーニのミスを願う自分が、ちょっと嫌だ。タイムアタックは、どうしてもこういう部分があるから好きになれない。
体操競技なんかも同じだけど、自分の出番が終わってしまうと、あとは待つしかない。
(ラニーニちゃん、決勝で思いきり競争したいから、がんばって!)
愛華は自分の中の嫌な気持ちを封じるように、心の中で叫んだ。べつにいい子ぶるつもりはない。ラニーニちゃんにだって負けたくはないけど、強いライバルであってほしい。そのほうが、絶対楽しいから。
ラニーニはミスなく最終コーナーを抜けたが、ラップタイムは愛華が0.01秒だけ勝っていた。
つまり、最終コーナーの走りで愛華が勝ったということだ。
ようやく我に帰って、ヘルメットを脱いだ愛華に、エレーナが松葉杖を脇に挟んだ腕で、よくやったと言うように拳を握って示した。
愛華の最終区間のタイムは、スターシアをも上回っていたそうだ。
直線に入ってからの加速を差し引けば、バレンティーナより速く最終コーナーを抜けたことになる。
愛華もグーを握って、エレーナのげんこつに当てた。
そして、シャルロッタがメインストレートに現れ、タイムアタックに入った。




