新たなライバルの出現?
二日目のフリー走行でも、バレンティーナは精力的なタイムアタックを続け、好タイムを連発した。しかし、ラニーニを中心としたブルーストライプス勢がそれを上回るタイムを更新し続けた。ただしこれは、決勝での走りを想定した、スリップストリームを使い合う集団でのタイムなので、どちらもあまり意識はしていない。
前日、セッティングに終始していたシャルロッタだが、この日は彼女にしては念入りなウォームアップのあと、数周でバレンティーナに迫るタイムを叩き出すとピットに戻り、ヘルメットを脱いでしまった。
エレーナの代わりとはいかないまでも、なんとしてもタイトル獲得に貢献しようとやる気満々でシャルロッタに付いていた愛華も、あとを追ってピットに入る。スターシアも一緒に入ってくる。
「どうしたんですか?シャルロッタさん」
後ろから見てる限り、シャルロッタに問題があるようには思えなかった。バイクの調子は悪くないみたいだし、身体の斬れだっていつもにも増して良さそうだ。愛華の調子もいつも以上にいい。自分ですらまだタイム短縮出来そうなのだから、シャルロッタさんならまだまだ余裕のはずだ。
しかしシャルロッタは、愛華の心配そうな表情から暑っ苦しそうに顔を背けた。
「ちょっと疲れてるの」
長いシーズンもいよいよ最後のレースなので、少しは疲れが溜まっているのはわかる。しかし、一時間ほどのフリー走行も走れないほど疲れているとは思えない。最終決戦を前に、精神的には一番気合い入ってるはずだ。
愛華は昨年の最終戦のシャルロッタの異変を思い出して、不安な気持ちに襲われる。
シャルロッタも愛華の表情からその事を思い出したのか、気不味そうに言葉を足した。
「あたしはもう十分だから、あんた、走り足りないなら一人で走ってきなさいよ。でも張り切りすぎて、バイク壊さないでよね。エレーナ様がいないから、あんたでも頼りにしなくちゃならないんだから」
だんだん声が小さくなっていき、最後は消え入りそうだった。
やっぱりわたしじゃ、エレーナさんの代わりにはなれないのかなぁ……。走りじゃ敵わないけど、せめて心の支えになれたら、って思ってたけど……。あたりまえだよね、わたしだってエレーナさんがいないの不安なのに、なに偉そうに考えてるんだろ。
「アイカちゃん、シャルロッタさんが疲れているって言うのなら、きっとそうなんでしょう。ここはあの子の言葉を受け入れてあげましょう」
空虚な表情で立ち尽くす愛華に、スターシアがやさしく声を掛けた。
「でも……わたしは疲れていませんし、シャルロッタさんだって昨日もぜんぜん本気で走ってないから疲れてるとか、……信じられないって言うか、なにか別の事情があるような気が」
愛華にとって、勝つとか負ける以前に、シャルロッタさんとラニーニちゃんには、正々堂々と思いきり戦って欲しかった。そして自分もスターシアさんと、ハンナさんやナオミちゃんやリンダさんたちとも全力で競い合いたい。
「疲れているのはシャルロッタさんじゃなくて、いえ、彼女にとっては彼女自身なんでしょうね。私も少し感じていたんですけど、やっぱりシャルロッタさんなら、自分の一部のように感じられるんでしょう」
愛華には、スターシアがなにを言ってるのか意味がわからなかった。スターシアが愛華のマシンを点検していたミーシャに視線を向ける。愛華もつられて彼の方を見た。
美女二人(?)に見つめられたミーシャは、仕事がやりつらくなって顔をあげた。別に女の子同士の会話を盗み聞きしていたのではなく、メカニックとして、ライダーの言葉を気にしていたんだと言いたげに、わざとらしく咳払いをしてから、スターシアの言ってる意味を愛華に解説することにした。
「今シーズンから各ライダーに1シーズン5台のエンジンしか使えなくなったからね。Motoミニモは排気量が小さくて、絶えず限界まで回すから、本当は2レースぐらいで載せ代えたいところなんだけど、今載せてるこのエンジンは3レース目。アイカちゃんはあまり負担を掛けない乗り方だから、あと2レースぐらいは行けそうだけど、シャルロッタさんは高回転域を多様する乗り方だからなぁ……セルゲイおじさんが念入りに整備してても、たぶんサイクルはもっと短いと思う。スペアのマシンに載せてるのは、もっとくたびれているはずだから、雨のレースなら誤魔化しも効くけど、ドライじゃきついんじゃないかな」
そうか、シャルロッタさんは、フリー走行からフルに走ったら、決勝までもたないって感じたんだ。
愛華は消えたくなるくらい恥ずかしかった。タイトル獲得のためにシャルロッタを支えようと張りきっていたのに、シーズンを通して戦うってことが全然わかっていなかった。
「シャルロッタさん……、呆れちゃったかな」
愛華は、ぽつりとつぶやいた。
「たぶん呆れてなんかいませんよ。シャルロッタさんにとって、アイカちゃんはかけがえのないパートナーですから」
「スターシアさんは慰めてくれるけど、わたしなんか気持ちばっかりで、下手だし考えも浅はかだし、エレーナさんのぶんまで頑張ろうって思ってるのに、空回りしてるだけで……エンジンのこととか、ぜんぜん気づかなかった」
「それでいいのよ。エレーナさんの代わりなんて、誰にも務まらないし、シャルロッタさんは異世界チートレベル。でもアイカちゃんが初めてこのチームにきた時から、一生懸命に頑張るアイカちゃんの姿にみんな力もらってるのよ。あんな言い方してたけど、シャルロッタさんが頼りにしてるなんて口にするのは、特別なことよ。きっとシャルロッタさんが望んでいるのは、そのままのアイカちゃんですよ」
半分は慰めだけど、半分は本当の気がする。じゃなきゃ、こんな自分を必要としてくれるはずがない。
ちなみに「異世界チートレベル」というレース用語は聞いたことがなかったが、たぶんシャルロッタみたいなレベルの事なんだろうと理解した。(待て!レース用語じゃないから、それ!)
「で、アイカちゃんはまだ、走り足りないんじゃない?」
モチベーションが少し盛り返した愛華に、スターシアが尋ねた。
今日はシャルロッタがペースを上げるのにも、後れずついて行けてた。昨年の自己ベストに近いタイムを出しても、まだまだペースを上げられると思ったところでピットに入ったのだ。明日の予選は一発勝負なので、その前にフルアタックを試しておきたいのが本音だ。シャルロッタなら流して走っても、マシンの問題点を感じられるだろうが、愛華にそこまでのスキルはない。しかしエンジンの消耗の話を聞いたあとで、練習でフルアタック試したいとは言いづらい。
「大丈夫、行っておいで」
愛華の迷いを察して、ミーシャが頷いた。
「でも……」
「さっきも言った通り、このエンジンはあと2レースぐらいは走れるよ。シャルロッタさんじゃないけど、バイクって人と同じで、過度に疲労が溜まると出来るだけいたわるしかないけど、適度な疲労なら、きちんとケアすれば回復するから。そりゃ走らせれば少しは傷むけど、アイカちゃんが納得する走り込みできるのとどっちがプラスか?ってことだよ。バイクのことは僕に任せて、思いきり走っておいで。あっ、もちろん転ぶほどムチャはしないでね」
「だあっ!ありがとうございます!」
愛華は深々とミーシャに向かって頭を下げた。腰から深く曲げる日本式のお辞儀に、ミーシャは少し戸惑う。
(礼儀正しくて可愛いなぁ、アイカちゃん)
ニヤけるミーシャくんの顔を、スターシアさんがムッとして睨んでいるのは気のせい?
「私も久し振りにアイカちゃんの走りをチェックしてあげようかな」
久し振り?スターシアさんはいつもチェックしてくれてますよね?
「うれしいんですけど、スターシアさんのエンジンは大丈夫なんですか?」
「スターシアさんは、四人の中で一番マシンに負担を掛けない乗り方をしてるんだよ。前にレース後のエンジンの中、見せてもらったことあるけど、本当にきれいだった」
愛華の問いに、誇らしげに答えたのはミーシャだった。しかしスターシアの態度はなぜか刺々しい。
「まぁ!私の中まで覗いたんですか!」
「エンジンの中です!なんか誤解されるような言い方やめてください。でも本当にスムーズに乗ってるのがわかるぐらい傷んでなくて、スターシアさん担当のイリーネさんは、楽でいいなって思っちゃいました(でも僕はアイカちゃん担当でよかった)」
「あら、意外と口がお上手ですね、ミハエルさん。アイカちゃんのマシンの整備の方も、しっかりとお願いしますよ(アイカちゃんに指一本でも触れたら、死んでもらいますよ!)」
ニコニコ
「僕はメカニックですから、自慢できるのは口じゃなくて、腕ですから(いくら美人でも、僕は年上は苦手ですから)」
ニコニコ
「あの、あまり時間がないんで、バイク出していいですか?」
ニコニコと微笑みながら見えない火花を散らす二人を押し退けて、愛華は自分のバイクに跨がった。




