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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
168/398

一人じゃない!

 苺大福を食べ終わり、アルコールの入ったメカニックの男性たちからあまり上品とは言えない言葉が溢れ始めた頃、紗季はその場を離れ、マシン整備用テントの裏に出た。

 少し一人になりたかった。大切なバイクや部品のあるチームパドック内をあまり歩き回るのはよくないと思ったが、警備をしていたルーシーさんと目が合っても、微笑んだだけで咎められなかった。

 スタッフの人たちは、多少ワイルドなところもあるけど、あの人たちが嫌いな訳ではない。むしろ、自分の仕事に自信と誇りを持つプロフェッショナルな姿を、格好いいとさえ思う。愛華もエレーナさんも格好いいし、スターシアさんは女性であっても惚れ惚れするくらい本当に素敵だ。


「目標に向かって一生懸命な人たちって、素敵でしょ?」

 急に声をかけられ、びくりとする。

 よく知っている日本語。紗季の様子が気になってあとを追ってきた亜里沙先生の声だった。

 紗季は振り返り、まっすぐな黒髪をかき上げて不器用な笑顔を作った。


「はい……。愛華もみなさんも、すごく輝いていると思うんです……けど、私、事故とか見たら物凄く怖くなって……エレーナさんが意識不明って聞いた時には、本当に死んじゃうんじゃないかって、今でも膝が震えてます」

 いつもみんなの中心にいる紗季が、レース前から不安に怯えているのに気づいていた亜理沙先生は、レースを嫌いにならないで欲しいと願いながら見守っていた。その上、エレーナのアクシデントだったので、相当ショックだったにちがいない。

「まあ確かにレースは危険な部分もあるけど、滅多に死んだりしないわよ。普通に生活してたって交通事故はあるし、他にも危険はいっぱいあるわ」

「そうかも知れませんけど、私、そこまで割り切れなくて……」

 地元ではちょっとした名士で知られる良家の大切な箱入り娘として育てられた紗季は、成績優秀、クラス委員や生徒会の仕事も積極的に引き受ける明るく健やかな優等生だった。そんな絵に描いたようなお嬢様紗季の唯一のコンプレックスは、自分がお嬢様であること。羨ましい限りだが本人にとっては深刻な悩みだ。


 子供の頃から習っていたお花とピアノは、特技と言えるレベル。

 運動はあまり得意じゃないけど、テニスやスキーは恥ずかしくないぐらいは出来る。


 容姿を含め、すべて平均以上。しかしそれ以上でないのも知っていた。両親の自慢の娘であることは誇らしい。でも愛華や智佳たちのように、本気で何かに打ち込んで、自分で築いたアイデンティティーがない事に、ずっと引け目を感じていた。


「去年、ここで初めて愛華のレース見て、ものすごく興奮しました。自分じゃ出来ないことを、一生懸命に走る愛華と、チームの人たちが一つになって栄光をめざす姿に感動したんです。私も応援することで、愛華と同じチームの一員になれた気がした……変ですよね」

「変じゃないわよ。レースに限らず、スポーツを応援する人たちはみんな同じ気持ちよ。応援することで、選手の興奮と感動を共有する。そしてファンの応援が、選手の力になるの」

 亜理沙先生は、紗季が本当に純粋な子だと思った。おそらく心から愛華と同じチームの一員となって、興奮と感動を共有したいと思っている。


「私はたぶん普通の人より恵まれて育ったと思います。自分でも両親の期待に応え、真面目に生きてきたつもりです。でも愛華は、なにもなくても全部自分の努力で築いて、普通なら無理だって諦めちゃうような夢も叶えて、あっ……愛華が不幸だったとかじゃ、けっしてなくて、すごく羨ましいというか、一緒に夢を見たいって……いえ、そうじゃなくて愛華の夢を応援したいって、心から思ったんです。でも、愛華のやってることはすごく危険で、私なんかが軽々しく頑張れとか言っちゃいけないんじゃないかって思えてきて……」

 軽々しくなんかじゃなく、心から応援しているからこそ、痛みや恐怖まで共有してしまうのだろう。都合のいいファンと比べたら、選手にとってとてもありがたいサポーターなのだが、人生に悩んだり挫折した事のなかった彼女には、競技スポーツの残酷な一面まで直視する覚悟がなかったのかも知れない。


 こんなとき、なんて励ましたらいいのか、亜里沙は慎重に掛ける言葉をさがした。レースは女の子にとって好きになる子と好きにならない子にはっきりと分かれる。特に知ってる人の事故シーンなど見てしまうと、離れてしまう子も多い。亜里沙も若い頃、知り合いのライダーがレース中に大怪我をした時、凄くショックを受けた記憶がある。

 出来れば親友の愛華が頑張っているレースを、嫌いにならないで欲しい。


 亜里沙が的確な言葉も見つからないまま口を開こうとした時、整備用のテントの隙間から覗いている瞳を見つけた。カラーコンタクトはなかったが、誰のものだかすぐにわかる。ゴスロリ衣装のシルエットがテントの幕に浮かんでいた。

 亜里沙の視線に釣られて、紗季も振り返った。

 

 



「シャルロッタさん……?そんなところでなにしてるんですか?」

 紗季は昂っていた感情を悟られないように、平常心を意識しながら英語で話しかけた。

「こ、ここはあたしのバイクの整備テントだから、あたしがいるのは当たり前でしょっ!」

 シャルロッタの方がかなり慌てて言い訳をする。確かにシャルロッタがいても責める理由にはならないが、レースが終わったあと、彼女が一人でバイクの整備していたとは思えない。

「そうですよね、ごめんなさい。今日は残念でしたね。私、あんな風に人とオートバイが転がっていくの、初めて見たんで驚きました。シャルロッタさんは怪我とかなかったんですか?」

 不審な点には敢えて触れず、あたり障りのない質問をする。

「痛いわよ。あたしは怪我してないけど、バイクが傷ついたから痛いに決まってるじゃない」

 バイクが傷ついたから痛い?どういうことだろうか。シャルロッタが常々「バイクは身体の一部」と言っているのは紗季も知っている。バイクが傷つけば、心も痛むということだろうか。

 紗季の表情を残念な子を見るようだと勘違いしたシャルロッタは、少しイラついたようだった。

「あんた、信じていないわね。本当に痛いのよ!バイクを自由に乗れるやつなら、大抵バイクが傷ついたら『痛い』って感じるわよ。嘘だと思うなら、アイカに訊いてみなさいよ」

「アイカも感じるんですか?」


 心の痛みでなく、肉体的な痛みを感じると言いたいらしい。それにしても、中二病のシャルロッタならともかく、愛華まで機械の痛みを感じるなんて、ちょっと信じられない。しかしそれを肯定したのは、一応教育者である亜里沙先生だった。

「ありえないことではありませんよ。こんな実験があります。自分の手足を見えないようにしておいて、偽物の手や足を自分のものだと思い込ませた被験者に、偽の手足を叩いたり切りつけたりすると、本当に痛みを感じるんです。口で説明するのは難しいですが、意外と簡単にできるので、今度やってみましょう。オートバイを自分の身体の一部と思い込んでいるなら、本当に痛みを感じたとしても、不思議ではないでしょう」


 人の脳というのは、簡単に勘違いを起こす。バイクの痛みを感じるというのが、シャルロッタの思い込みと妄想からだとしても、彼女が本当に痛みを感じたというのは、おそらく事実だろう。そして彼女は、愛華も感じていると確信しているらしかった。


 紗季にとって、オートバイなんて金属と樹脂とその他いろいろな材料で出来た機械でしかない。

 最先端の技術で造られ、メカニックの人たちが愛情を持って整備してるのはわかっている。でも機械は機械だ。

 将来、テクノロジーが発達して自動運転、人工知能なんてのによって、車が勝手に行きたいところへ連れていってくれる時代が来ると聞いたことがある。自動運転はもう出来つつあるし、人工知能もそう遠くない将来実現するらしいけど、痛みまで感じるのは進歩なのだろうか?


 最新のコンピューター技術の凄さはなんとなくわかるのだが、シャルロッタの言っていることは、進歩の逆に行ってると言うか、なんかアナログ的で凄く人間的に思えた。そして自動で運転してくれるより楽しそうだ。


「私もオートバイ、乗ってみたくなったかも……」

 正直な言葉だった。愛華が一生懸命になっているオートバイ。シャルロッタが痛みすら感じると言うオートバイを、自分も感じてみたい。

「いいことだわ。乗りなさいよ!今年もお正月はアイカんちに行くから、そんとき乗り方教えてあげる」

「ほんとですか!?……でも、私に乗れるかな……」

 紗季の瞳が輝いた。しかしすぐに不安そうに顔を伏せてしまう。シャルロッタはそんな紗季ともっと仲良くなりたくなった。なんとか興味を惹きたい。

「あたしに言わせりゃバイクなんて歩くより簡単。世界一のあたしが教えてあげるんだから、バッチリよ!」

 シャルロッタが世界一なのを異論を唱える者は少ないだろうが、人に教えるのは果たして向いているか疑問だ。ただ彼女は、自分が誇れるものはバイクしかないんだとこの時自覚した。

「アイカとツーリングとか行ってみたいなあ……あっ!もちろんシャルロッタさんも一緒に」

 今度は、シャルロッタの瞳が輝く。

「特別にあたしだけの秘密のテクニックを教えてあげるから、アイカなんかより上手くなれるわ」

「アイカのライバルになったりして」

 紗季が冗談めかして言うと、シャルロッタは顔をしかめた。

「ダメよ!アイカはあたしのチームメイトだから、それだとあたしのライバルになっちゃうじゃない!」

 誰にでもわかる冗談に、純粋に反応するシャルロッタが可愛い。

「じゃあ私もシャルロッタさんのチームメイトになります」

「それならいいわね。期待してるから、ビシバシしごくわよ!」

 どんな教え方するのか、とっても怖いけど、ちょっと楽しみだ。

「先ずはツーリングに行ければいいんですけど……ほかの子たちも誘っていいですか?」

「もちろん!みんな連れて来なさい。全員あたしのチームよ」

 二人とも目を輝かせ、揃って笑い合った。


 シャルロッタは、エレーナとスターシア、愛華と最近ではラニーニやナオミもいるが、それ以外と打ち解けて笑ったことがない。そもそも愛華と出会うまで、友だちと呼べる者はいなかった。


 みんなでツーリング!なんて楽しそうなの。


 速く走ることしか考えたことがなかったシャルロッタには、思ってもみなかった。


 初心者と一緒に走るなんて、いや、初心者じゃない。あたしが教えるんだから、サキだってすぐにバイクを手足のように扱えるはず。トモカなんか、アイカと同じくらい運動神経良さそうだから、本当にGPライダーになれるくらい上手くなるかも?スターシアお姉様より背の高いMotoミニモライダーの誕生!ライバルになったって楽しそう。ツーリング仲間でもチームメイトでもライバルでも構わない。

 自分にはバイクしかないけど、みんながバイクに乗ってくれたら、もっとあたしのことをわかってくれると思う。そして友だちが応援してくれるなら、チャンピオンだって簡単になれる!と思った。


 だけどこのアリサって先生、なんか見たことある気がする。



 紗季にはやっぱりオートバイは怖いけど、乗ってみたいと思った。


 愛華がどうしてあんなに一生懸命になれるのか、結局は乗ってみなくちゃわからない。もちろん愛華みたいには乗れなくても、もしかしたら少しはわかるかも知れない。

 転んだら痛いかなあ?でも大丈夫、私には世界一の先生がついているから。私の個性なんてよくわからない。でももういい。今は最高の友だちがいてくれるだけで楽しいのだから。


 だけど亜里沙先生って、本当はレースとか凄く詳しいんじゃないの?


 第16戦日本GP終了時点のポイントランキング


1 シャルロッタ・デ・フェリーニ(ストロベリーナイツ)S

            299p

2  ラニーニ・ルッキネリ(ブルーストライプス)J

            287p                 

3 アイカ・カワイ(ストロベリーナイツ)S

            213p

4 ナオミ・サントス(ブルーストライプス)J

            169p

5 アナスタシア・オゴロワ(ストロベリーナイツ)S

            161p

6 エレーナ・チェグノワ(ストロベリーナイツ)S

            160p 

7 ハンナ・リヒター(ブルーストライプス)J 

           159p             

8 バレンティ-ナ・マッキ(ユーロヤマダ)Y

            144p

9ケリー・ロバート(ヤマダインターナショナル)Y

            128p

10 リンダ・アンダーソン(ブルーストライプス)J

            125p

11 アンジェラ・ニエト(アフロデーテ)J

             83p 

12 マリアローザ・アラゴネス(ユーロヤマダ)Y

             67p            

13 フレデリカ・スペンスキー(USヤマダチームカネシロ)Y

             56p

14 ソフィア・マルチネス(アフロデーテ)J

             33p 

15 アルテア・マンドリコワ(アルテミス)LS

             30p

16 エバァー・ドルフィンガー(アルテミス)LS

             27p

17 ノリコ・カタベ(ヤマダインターナショナル)Y

             21p

18 エリー・ロートン(ヤマダインターナショナル)Y

             20p           

19 ジョセフィン・ロレンツォ(アフロデーテ)J

             17p     

20 コトネ・タナカ(ヤマダインターナショナル)

             16p

21 ウィニー・タイラー(ヤマダインターナショナル)

              12p

22アンナ・マンク(アルテミス)LS

              4p

22 ミク・ホーラン(ユーロヤマダ)Y

              2p

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