タイトルの重み
無理な進入を仕掛けてエレーナとシャルロッタを転倒に巻き込んだフレデリカには、次戦出場停止の裁定が下された。故意でぶつかったのではなく、引き離されそうになった焦りと手術した右手首の感覚が万全でなかった為のアクシデントだったという主張は認められたが、他者を巻き込む危険な事故を引き起こした事に変わりなく、少なくとも右手が完治するまでレース復帰は控えるように示唆された。
エレーナに大ケガを負わせ、シャルロッタのチャンピオン決定を先送りにした彼女に対して、軽すぎるという声も当然あった。シャルロッタなどはライセンス剥奪すべきだと息巻いたが、もう一人の当事者であるエレーナは、オフィシャルの裁定に異を唱えなかった。
ヤマダは来シーズン、ライダーを絞って勝てるチームに集約する事を表明している。フレデリカはこれによって来シーズンのレギュラーシートを失ない兼ねない、厳しい状況に追い込まれた。
シャルロッタのケースと同じように、メンタルの未熟さ故の一度のミスで、並外れた才能を潰してしまうのは、エレーナも望んでいない。とはいえ、たった一度のミスで人生まで終わらせてしまう場合もあるのがモータースポーツの世界だ。無謀さは他人をも危険にさらす。今回の事故を反省して、再びチャンスを掴んでくれる事を期待したい。
なんとかシャルロッタのチャンピオン決定に待ったをかけたラニーニにも、日本GPの結果は決して満足いくものではない。
今回四位でリタイヤしたシャルロッタに12ポイント差まで詰めたラニーニだが、アンジェラ・ニエトを捕らえきれず、三位の表彰台を逃したのは惜しまれる。
残り一戦で逆転するには、さらに13ポイントの差をつけて勝たなくてはならない。同ポイントであれば優勝回数の多いシャルロッタがチャンピオンとなる。
つまり、例えラニーニが優勝しても、シャルロッタが四位以内でゴールすれば、タイトルはシャルロッタのものになってしまう。日本GP前の絶望的な状況と比べれば希望は繋がったが、相手は半人半馬を自称する(そして誰もが認める)天才だ。エレーナの出場が危うくなったとは言え、アシストにはスターシアと愛華もいる。たとえエレーナがいなくても、GPで最も華やかなメンバーだ。
逆に言えば、シャルロッタは最も波のあるライダーと言える。対するラニーニは、コツコツと入賞ポイントを積み重ねて対抗してきた。前半リードしていられたのも、シャルロッタの不安定さにある。今回のシャルロッタのリタイヤは、完全なもらい事故だったが、こういう時こそ、少しでも差を詰めておきたかった。
勝負事に「たら」「れば」を言っても栓無き事だ。相手にも同じような「たら」「れば」はある。
誰もが今ある条件で戦うしかない。
シーズンが終わった時に、「あれが勝負の行方を決めた」と記者やファンが騙るネタになるぐらいの価値しかない。
シャルロッタにとっても、今回のノーポイントは大きなショックだった。終わった直後は、フレデリカへの怒りとエレーナの怪我もあり、総合ポイントの事は忘れていたが、時間が経つにつれ、思い出したようにチャンピオンを獲得する難しさを噛み締めていた。
ウォッカの瓶が回り始めたテントを一人離れて、シャルロッタは自分のバイクが置かれているテントに向かった。
誰もいないテントで、カウルの外された彼女のバイクが静かにたたずんでいる。傷ついたカウルが、横に置いてあった。
「痛い……」
まるで自分が傷ついたみたいに、痛みを感じた。
スピードでは絶対に負けない自信があった。
本気で挑めば、チャンピオンなんて簡単に獲れると思っていた。
事実、シーズン後半までリードされていたポイントも、連勝を続けて、あっという間に逆転し、タイトルは目の前にある。
確かにフレデリカの強引な突っ込みに巻き込まれなければ、ほとんどタイトルは決定していただろう。
レースに「だったら」はない。それを言い出せば、そもそも自分がスタートで出遅れたのが始まりだ。スタートから飛び出していれば、楽に勝てたかも知れないが、フレデリカからすれば、シャルロッタのスタートミスに釣られるように出遅れたのであって、「あそこでああだったら」の話をするならストーリーは無限にある。
未来を予測するならともかく、終わってしまった過去を仮定で語っても、意味はない。
納得しようがしまいが、正しいストーリーは結果の中にしかない。
中二病のシャルロッタでも、レースにおいては時間が巻き戻ったりしない事は、十分に理解している。シャルロッタが唇を噛む理由は、自分がスタートをミスした事実だ。
バイクは身体の一部だ。混合気を吸い込み、ピストンが上下し、燃焼したガスが掃き出される。クランクが回り、クラッチを通ってギヤを回す。チェーンがスプロケを噛んでタイヤに、そして路面にパワーを伝えるすべてを感じられる。いつだって自分の思い通りにバイクをコントロールしてきた。
極端にトルクが細く、繊細なアクセルとクラッチワークの要求されるMotoミニモのスタートも、シャルロッタにとっては自分の脚で歩くより簡単な事のはずだった。
急いで走りだそうとして、脚をもつれさせた、そんな感じの笑えるミス。
なぜ脚がもつれたのか?
シャルロッタは自分に問いかける。
わかっている。
怖かった……。
事故とか怪我とかじゃなくて、負けることが怖かった。
負けるはずないと思っていても、もしかしたらって、心の奥でずっと思っていた。
チャンピオンを獲ろう!って愛華と約束して、連勝続けてきたけど、ランキングを逆転しても、ポイント差を拡げても、目標が近づけば近づくほど、ここで逃したらどうしようと怖くなった。レースが怖いなんて、初めての経験だ。
どんなに強がっても、強がれば強がるほど、もし負けたらって、不安は消えるどころかどんどん大きくなっていった。
きっとみんなに笑われる……。
エレーナ様にも怒られる。
笑われるのも、怒られるのもいい……。エレーナ様は何度もこの重圧に耐えてきた。スターシアお姉様だって、チャンピオンを経験している。
もし負けたらアイカに愛想尽かされるんじゃないかって……。
アイカは、あたしの走りに合わせられる唯一のライダー。
エレーナ様もスターシアお姉さまも尊敬してるけど、あたしと合わせて走ることは出来なかった。
GPで一番下手なクセに、一緒に走る楽しさを教えてくれたのはアイカだけ。
ヘタレなあたしに愛想尽かして……来シーズン、ヤマダに移籍したりするんじゃ……
もしかして、もう愛想尽かされてて、最終戦、ラニーニの味方するかも……。
シャルロッタの中で、当初見下していた愛華だが、いつしかエレーナやスターシアと同等以上の得難いパートナーになっていた。
ライディングには絶対的な自信を持っているシャルロッタらしくないと言えるのか、並ぶ者のいなかった天才ゆえに、対等なパートナーを求めていたのか、本人にもわからない。
ただ一つだけわかっているのは、愛華と一緒にタイトルを掴みたい。それだけだった。
シャルロッタは深く息を吐き、自分はこんなにも寂しがりだったんだと、初めて気づいた。
その時、テントの外に人がいる気配を感じた。
話し声が聞こえてくる。
誰だろう?日本語だ。
聞き耳をたてるが、当然理解出来ない。




