二人の快走
思った以上にリンダに手こずったシャルロッタは、ストレスも頂点に達しかけていた。
「ここからガンガン行かせてもらうわよ!」
これまでの鬱憤をぶつけるように、前を走るアンジェラ・ニエトに襲い掛かる。しかし相手は、まるで道を譲るようにすんなり抜かせてくれた。
拍子抜けしたシャルロッタだが、すぐに次の獲物を求めた。しかし前に現れたのは、あえてバレンティーナたちを先行させたエレーナとスターシアだった。
「エレーナ様、なぜここに?」
「アイカにペースアップさせたら着いていけなくなった。もう一度追いつくのを手伝ってくれ」
さすがにシャルロッタでも、その嘘はわかる。シャルロッタの負担を減らし、無茶しすぎないように見張りにきたのは明白であり、シャルロッタからすれば「手伝いなんて要らない」と言いたいところだが、「手伝ってくれ」と言われるとなんだか反抗心が萎える。この三人で走るのも久しぶりだし、ラニーニと調子よく走ってる愛華に、この三人の本当の凄さを見せてやりたい気もする。
シャルロッタが少しは落ち着いたことを確認したエレーナは、これからのレース展開を組み立てた。
残りはまだ半分以上ある。愛華とラニーニが予想以上に飛ばしてくれるおかげで、バレンティーナもかなり熱くなっている。彼女が冷静になって、マリアローザや琴音たちと連係されるとちょっと厄介だと思ってたが、ハンナとナオミがチョロチョロしてくれるおかげで、シャルロッタ同様剥きになってるらしい。フレデリカに関しては、左手の回復具合も含めて、現時点では何を狙っているのか、ちょっとわからない。ハンナとしては、バレンティーナたちをシャルロッタにぶつけて時間を稼ぎ、その間にラニーニを逃がそうと魂胆だろう。それはそれで厄介だが、ヤマダがチームとしてまとまって先頭に陣取られるよりは対処のしようがある。
─────それより困ったのはアイカとラニーニだな。思った以上に速い。アイカはともかく、ラニーニに追いつけなくては意味がない……。
通常、競争になればペースは落ちる。なのに愛華とラニーニは、息の合ったペアのように互いを牽引し合っている。決してプライベートで仲がいいから協力し合っているとのではなく、互いに隙有らば刺すという感じで前に出ては、ラフなブロックはしない結果として、同じチームのライダー同士のようにスピードを上げている。
─────二人は今、互いに刺激し合って速くなっている。大きくレベルアップするチャンスだ。
出来れば、愛華にペースダウンの指示はしたくなかった。愛華が退けば、ラニーニのペースも落ちるだろう。しかしそれでは、再び混戦になってしまう。
─────自分たちが追いつけば問題ない。まあ、あまりのんびりとは、してられないということだ。
「シャルロッタ、もうウォームアップは済んだか?アイカに追いつくぞ」
「フ、フ、フ、まさかアイカがあたしを本気にさせてくれるとは……」
「お遊びは無しだ」
中二病お約束のセリフをエレーナに遮られた。しかし本気で怒っている様子ではない。シャルロッタが訳のわからないキャラになりきるのは、本気になるための儀式みたいなものだと、エレーナも知っていた。
愛華は、すごく気持ちよかった。
タイヤがしっかりと路面を掴んでいるのを感じる。どんなにバンクさせても、トレッドはしなやかに、そして確実に愛華とバイクを支えてくれる。それに体重を載せてアクセルを開けば、グングンと曲がりながら加速して行く。バイクをコントロールしているというより、まるでひとつになったみたいな感覚だ。
気持ちいい……
シャルロッタの言う「バイクはあたしの半身」という意味が、少しわかる気がする。バイクが体の一部みたいだ。
エレーナさんやスターシアさん、そしてシャルロッタさんに少しでも追いつけるように、懸命に走って来た。自分でも、だいぶ近づけたと思っては、近づけば近づくほど、奥深さを知り、自分の自信が勘違いだったと思い知らされてきた。
きっと、まだまだ同じレベルにまでたどり着いてはいないと思う。わかったと思っても、また新しい発見がある。
頂上は遥か上。でも確実に登っている。
きっとシャルロッタさんは、もっと気持ちいいんだろうなぁ……。わたしも、もっと速くなりたい!
シャルロッタは、生まれた時から自分なんかとはまったく違う感覚を持っていると思っていた。
でも今、彼女と同じ景色が見たくなった。
愛華と同じ空間に、もう一人同じ気持ちのライダーがいる。
ラニーニもまた、同じタイミングで階段を上がろうとしていた。
正直、逆転できる可能性は小さいと思ってる。去年までバレンティーナさんのアシストでしかなかった。ハンナさんよりタイムは出せるけど、テクニックや駆け引きは、まだまだ学び足りない。シャルロッタさんとのセンスの違いは、誰が見ても歴然としている。本当のチャンピオンに相応しいのは、シャルロッタさんかも知れない。
シーズン前は、まさか本当にシャルロッタとチャンピオン争いが出来るとは思ってなかった。それが一時はランキング首位に立ち、僅かでもまだ可能性を残している。周囲の期待が、凄いプレッシャーだったが、彼女を大きく成長させたのも事実だ。
ジュリエッタのファンだけでなく、ハンナさんとリンダさんとナオミさんがいつもついていてくれてると思えた。
シャルロッタさん、エレーナさん、スターシアさん、そしてアイカちゃんたち凄い強敵が、強くさせてくれた。
逃げだしたくなるようなプレッシャーに、彼女は耐えた。逃れられない立場は、人を成長させる。
シーズン前のラニーニとは、テクニックも意識も、別人のように強くなっていた。
いろいろなものを乗り越えた時の気持ち良さ。
今、走るのが楽しくて仕方なかった。
二人でダンスを踊っているように、くるくると順位を入れ換えてトップ争いをする愛華とラニーニ。二人にとっては極限の中の至福のひとときでも、端から観れば緊迫したデッドヒートだ。特にレーサーの心情を知らない人にとっては、命懸けの意地の張り合いをしてるようにも見える。
「私、怖くて見てられない……」
ストロベリーナイツのピット上のテラスで応援していた紗季は、コースに背を向けた。
「紗季、今あいかは一生懸命戦っているんだから、ちゃんと見てあげなよ」
バスケでアメリカ留学をめざす智佳には、勝負している愛華の気持ちが少しわかる。
「そうです!愛華先輩、今、世界のトップを走っているんです!目を逸らしちゃだめですよ」
体操部の後輩、由加里も智佳に賛同する。
人と真剣に競い合う経験のなかった紗季にだって、素敵なライバル関係というのがあるのは知っている。愛華とラニーニが、普段は凄く仲のいい友だち同士で、信頼しあっているのも知っている。Motoミニモの前に行われたMoto2の決勝の時、1コーナーのブレーキング争いで、無理にインに入ったライダーが転倒、外側のライダーを二人巻き込むアクシデントを偶然近くで見てしまった。一人は再びコースに戻ったが、最初に巻き込まれたライダーが、凄く痛そうに足を引き摺ってコースの外に出て行く姿が、紗季の頭から離れなかった。
「わかっているけど、もしほんの少しでも間違えたら、って考えると……、あいかが怪我する姿なんて、絶対に見たくない」
中学生の時、怪我で体操が出来なくなった愛華が凄く苦しんだのを見てきた紗季は、もうあんなにつらい姿を見たくなかった。「私だって愛華先輩が怪我するところなんて、見たくないです!でも、先輩が一生懸命頑張ってるんだから、私たちも一生懸命応援しましょう!」
由加里が興奮気味に紗季に呼びかけるが、逆にあの頃の愛華の姿を思い出して、ますます感情が昂ぶっていく。
「あなたは、あいかがどんなに苦しんだか知らないから、そんなこと言えるのよ!」
遂に紗季は、ヒステリックに叫んでいた。近くにいた人たちが、何事かとチラチラ見ている。
「紗季さん、今の言い方は、ちょっと由加里ちゃんに失礼よ。あなたが愛華さんを心配する気持ちはわかるけど、由加里ちゃんは、愛華ちゃんに憧れて白百合学院に入って、ずっと愛華さんを目標にしてきたんだから。同じ競技者として、あなたの知らない愛華さんも、見てきてるのよ」
亜理沙先生が、紗季に注意した。朝、サーキットに入ってから勝手にどっか行ってしまっていたのに、いつの間にかそこにいた。レースとか無縁そうに思えて、意外とレース場の勝手を知っているみたいだったりする。いろいろと謎が多い先生だ。
先生の行動の疑問より、その言葉に紗季は胸に詰まった。
スポーツをやってる人たちには、自分には入り込めない共有感を持っていると感じていた。愛華と智佳の関係もそうだ。どんなに仲良くなっても、二人には紗季の入り込めない領域があった。二人が特別な関係なんじゃないかと疑った時期もある。でも今、はっきりとわかった。愛華と智佳、そして後輩の由加里と自分のちがい。
紗季には、何かに真剣に打ち込み、誰かと本気で競い合ったことがない。
「去年は夢中で応援してた。テレビで観ていても、そんなに危ないって思わなかった。でも、今日、間近で音を聞いて、人が人形みたいに転がっていくの見たら、凄く怖くなった。私、今日来ない方がよかったかも……」
泣きそうな声で紗季がつぶやく。
「怖かったら、無理に見なくてもいいのよ。レースには危険がつきものなのも事実だから。でも愛華ちゃんは、あなたが見てようと見ていなくても、一生懸命に走るわ。きっとみんなが応援してくれてるって信じて。だから目を瞑っててもいいから、がんばれ!って応援してあげましょ」
なんだろう?いつも頼りなくて、謎の行動してる亜理沙ちゃんが、すごく信頼できる先生に思えてくる。
「そうですよね……。あいかが頑張っているのに、私が目を背けてちゃダメですよね。由加里さん、酷いこと言って、ごめんなさい」
「全然平気です。一緒に愛華先輩の応援、お願いします!」
紗季は頷くとメインストレートに向き直った。
「あいかーっ、がんばれー!」
レーシングマシンの轟音に慣れてた周囲の人たちも、思わず振り向くほどの大きな声で叫んだ。
「紗季、あいかは今、コースの反対側走っているから……」
耳元で叫ばれた智佳が、片方の耳を押さえて紗季に教えてあげた。




