おばあちゃんの忍者フード
初日の走行を終え、メカニックのミーシャくんと明日のセッティングについて打ち合わせを済ませると、愛華は革ツナギからチームから支給されたスポンサーのロゴが大きく入ったポロシャツとスウェットのパンツに着替えた。日が傾いて来ると、少し肌寒くなるので、上に同じようにスポンサー名入りのウィンドブレーカーを羽織った。
シャルロッタは例によって、ゴシックロリータファッションに着替えていた。走っている時は汗ばむほどでも、もう日本は秋だ。それでは体が冷えてしまったりしないのかと心配したりするが、コスプレイヤーには寒さとか暑さは関係ないらしい。なんだかいつもより気合いが入っているような気がする。左目はカラコンではなく、眼帯をしているが、たぶん下にはカラーコンタクトもつけていると思う。
「アイカ、おなか空いたわ」
シャルロッタが空腹を訴えた。ゴスロリ衣装とメイド服の違いがよくわからない愛華は、なんだか立場が逆のような違和感を感じたが、素直にエースライダーに尽くす。
「わたし、持ってきます」
チームのテント内には、レース期間中はなかなか落ち着いて食事の取れないメカニックたちが、いつでも手の空いた時に食べられるように、サンドイッチなどの軽食が用意してある。当然、愛華たちライダーも、昼はそれで済ませていた。けっこうおいしいし、お腹いっぱい食べることもないのでそれで十分だ。
「なんか別のものが食べたいわ。たまには外に食べにいきましょ」
シャルロッタも普段は文句も言わずに食べているのだが、なぜだか今日は他で食べたいと言い出した。
エレーナとスターシアは、なにかマシンに問題でもあるのか、フリー走行終了後からメカニックのニコライたちと何やら話し込んでいる様子だった。愛華たちには、問題がなければ今日は体を休めておくように言ったきり、整備用のテントから出てこない。そいえば二人とも今日のタイムはあまり伸びていなかった。
気になったが、愛華がいてもどうなるものでもない。少しナーバスになっているシャルロッタにつきあって、チームの外をぶらつくのもいいかも知れない。
「なに食べましょうか?でもサーキットのレストランとか、人でいっぱいじゃないですかね?あっ、そうだ!ラニーニちゃんところ行ってみましょう。ブルーストライプスのホスピタリーブースには、イタリア人コックまで連れて来てるから、本場のイタリアンが食べられるって言ってました。ラニーニちゃんも誘えば、たぶん入れてもらえると思います」
「あんたバカ?あたしは今、あのちっこいのとタイトル争っているのよ。毒でも盛られたらどうするの?」
まさか毒を盛られる事はないと思うが、確かにタイトル争いをしているライバルチームからご馳走になるのはまずい気がする。
「せっかくだから日本食が食べたいわ。あんた案内しなさい」
そんなこと言われても、ここはサーキットのパドックだ。日本食が食べられるところなんて知らないし、第一あるのかも疑問だ。外の施設にならあるかも知れないが、パドックを出るのも面倒だし、たぶんもっと混んでると思われた。結局パドック内にあるレストランしか思い浮かばない。
仕方なくレストランの方に歩いて行くと、思った通りすごい人だった。入口から行列が出来ている。愛華はともかく、シャルロッタが我慢出来ないだろう。シャルロッタの顔を窺うと、すでにイラついた顔をしていた。
「アイカちゃん!」
やっぱりチームのテントでサンドイッチでも食べましょうか、と二人で顔を見合わせていたところへ、後ろから声を掛けられた。振り返ると、愛華と同じようにブルーストライプスのスポンサーカラーのウィンドブレーカーを着たラニーニとナオミがいた。
「なにしてるの?」
「うん……シャルロッタさんが日本の食べ物が食べたいって言うんで来てみたけど、すごい人で……」
シャルロッタはラニーニとは目を合わさないようにそっぽを向いてしまっている。
「すごい行列だね。でもちゃんと並んで待ってる日本人って偉いなぁ……」
「ラニーニちゃんたちもレストラン来たの?」
「わたしたちはコンビニに行くところ。向こうでレースウィーク中だけ外のコンビニが店出しているって聞いたから、ナオミさんと『おにぎり』買おうと思って。そうだ、アイカちゃんたちも一緒に行こ。この行列だと何時になるかわからないよ」
「ラニーニちゃん、おにぎり食べるんだ?」
「わたしお米、大好きだよ。ナオミさんから『おにぎり』は日本の携行食だって聞いて、食べてみたくなったの」
「お餅のほうがコンパクトで長期間保存できるが、食べるには調理が必要。おにぎりはそのまま食べられる。日本では昔からサムライもニンジャも食していた」
日本通のナオミが説明してくれた。言われてみれば、おにぎりも立派な日本食だ。忍者が食べてたかは知らないが、時代劇なんかではよくお侍さんも食べている。
小学生の頃、遠足とかでよくおばあちゃんがおにぎりを作ってくれたのをふと思い出した。梅干しや昆布を入れて手で握った昔ながらのおにぎりだったけど、とってもおいしかった。中学生になって、なぜか恥ずかしくなって、朝練のあとに食べるように作ってくれた祖母に「おにぎりはいらない」と言ってしまったのを、すごく後悔している。それでも祖母は、黙って中に入れる具をいろいろ変えたりして持たせてくれた。朝練終えて、授業が始まるまでには、全部愛華のお腹の中に納まっていた。
コンビニのおにぎりは、おばあちゃんのとは少しちがうけど、のりのパリパリした食感も、それはそれでおいしい。
「シャルロッタさん、わたしたちもおにぎり買いに行きましょう!」
シャルロッタは最初、あまり気の進まない顔をしたが、レストランに並ぶ行列とサムライもニンジャも食べてたという『おにぎり』を食べたいという誘惑に負けた。
「仕方ないわね。早く連れてきなさい」
結局、ラニーニたちと一緒に特設のコンビニに行くことになった。まあブルーストライプスのホスピタリーブースでご馳走になる訳ではないので、それくらい大丈夫だろう。
ライバルとは言っても、レース以外で憎み合うような関係ではない。人によっては、モチベーションが下がるので、レース以外でも仲良くしないようにしてる人もいるが、この四人がどんなに仲良くなっても、ぬるいレースをするなんてことは絶対にない。
シャルロッタは、相変わらずラニーニとナオミに対してぶっきらぼうな態度をしているが、そんなに嫌がっていはいないだろう。本当に嫌なら、我慢して一緒にいるような性格ではない。
ラニーニはいつもとあまり変わりない様子だ。彼女もシャルロッタを意識してはいるが、ある意味開き直った境地に至っている。諦めているのとはちがう。
(今更まともに戦って、シャルロッタさんに勝てないのはわかっている。エレーナさんやスターシアさんに駆け引きや小細工は通じないのもわかっているし、アイカちゃんとは正々堂々と競走したい)
甘いと言われれかも知れないが、精一杯走って負けるなら受け入れる覚悟は出来ていた。
アレクセイ監督も、ハンナも、ラニーニの姿勢に何も言わなかった。
特設コンビニは、パドック駐車場の隅に、トラック二台の荷台を商品棚のようにして設営されていた。
ここにもけっこう人が並んでいたが、買い物済ませればすぐに立ち去るので、行列の流れはレストランより遥かに早い。
愛華たちも列の後ろに並ぶが、タイトル争いをしている二人のエースとそのアシストがいることを、高額なパドックパスを買って、金曜日の練習走行まで観に来てる熱心なファンに気づかれ、たちまち取り囲まれてしまった。
騒ぎに気づいた店員が、四人をトラックの後ろに案内して、運び込まれたばかりの箱から欲しいものを選ぶように配慮してくれた。
愛華は店に迷惑かけたと申し訳なく思ったが、シャルロッタは並ばなくてもいいと喜んでいる。
上機嫌のシャルロッタは、店員の制服の背中に、勝手にマジックでサインをしてしまった。なんでマジックを持っていたのかは謎だ。
慌てて愛華が謝ろうとしたが、店員は大喜びで、愛華にもして欲しいと頼んできた。戸惑いながらも愛華もサインすると、今度はラニーニとナオミにも頼んだ。
喜んだ店員は、勝手に四人では食べきれないほどのパンやおにぎり、お茶やジュースをかごに入れて、代金は要らないと言い出した。
アルバイトだか正式な店員だか知らないが、仮に店長でもそんなことしたらまずいだろう。愛華は代金を払おうとしたが、店員は自分の財布からお金を出してレジに入れ、レシートだけを愛華に渡した。
「サインのお礼に僕のおごりです」
溢れんばかりの笑顔で言われた。
当然だろう。シャルロッタとラニーニのどちらかが、確実にチャンピオンになるのだ。今季のMotoミニモを代表すると言っていいライバル四人のサイン入りコンビニユニフォームなら、けっこうなレア物だ。それくらい奢っても惜しくはないだろう。
結局、四人はパドックの隅に目立たないところを見つけて、揃ってそこでおにぎりを食べた。
シャルロッタもあまり居心地悪そうな感じではなかったが、愛華もラニーニも、意識してレースの話は避けた。決勝が近づいてくるほど、やっぱりお互いに緊張してくる。シーズンの結果が、週末には明暗となって分かれるかも知れない。今はレースのことを忘れたかった。
「これ、どうやって食べるの?」
ラニーニがコンビニおにぎりの包装のめくり方がわからず、愛華に尋ねた。
「えっと、ここを引っ張って、片側のビニールを外したら、こう、のりで包むように持って、反対側のビニールも取っちゃえばいいんだよ」
愛華が説明しながらやってみせる。ラニーニとシャルロッタが、愛華の実演を見ながら揃って包装を外した。
「わぁ、なんかすごい!」
当たり前だと思っていたけど、上手いこと考えてあると愛華も今更感心した。ナオミを窺うと、先にビニールを広げてしまっていて、ちょっと困った顔をしていた。
「大丈夫です、ナオミさん。のりを先に出して、おにぎりを包んでください」
日本通を自認するナオミは、少し恥ずかしそうにしていたが、上手くのりで包むことができると、ほわぁとした笑顔を見せた。
普段、あまり感情を顔に出さないナオミが笑顔を見せてくれたのに、愛華までほわぁとした気持ちになれた。
「おいしいね」
ラニーニがニコニコ顔で頬張っている。それを聞いて、シャルロッタが大きく口をひらいて、がぶりとかぶりついた。
「まあまあね」
口をもごもごさせながらシャルロッタも満足そうだ。そこで初めて、愛華はシャルロッタが剥がした包装に気づいた。
(あれ?意外と口に合うんだ、梅干し……)
何となくシャルロッタはすっぱいものとか苦手なイメージあったが、人の味覚なんてのは、わからないものだ。それに愛華だって梅干し入りのおにぎりは嫌いじゃない。
「おうちで作るおにぎりはこれとはちょっと違って、最初からのりが巻いてあるんだよ。パリパリした感じじゃないけど、作った人の愛情が込められてるみたいで、そっちも大好きなんだぁ」
愛華は祖母の作ってくれたおにぎりの思い出を話した。中学生の時は『おばあちゃんのおにぎり』を恥ずかしいと思ったりしたけど、今は愛華の自慢だ。
「今年のクリスマスも、あんたの家行くから、おにぎり作ってくれるように頼んでおいて」
愛華の話を真剣に聞いていたシャルロッタが、突然言い出した。
「ええっ?クリスマスにですか?いえ、たぶん大丈夫ですけど、クリスマスとかにおにぎりって、あんまり合わないんじゃないんですか?」
「なによ?文句あるの。あたしにも古来伝統のニンジャフード食べさせなさいよ」
シャルロッタはシーズンオフの昨年のクリスマスから正月の休暇に日本に来て、愛華の家に泊まっていた。古い日本の家屋が凄く気にいっていた様子で、おばあちゃんの焼いてくれたお餅をパクパク食べてくれて、おばあちゃんも喜んでいた。
意外と日本好きな外国人は、懐石料理やお寿司なんかより、一般の人がいつも食べてるものに興味あるのかも知れない。
愛華の好きなイタリア料理だって、パスタやピザだ。贅沢な高級レストランより断然好きだ。
「あんたたちも招待してあげるわ。あんたらも正月とかは休みでしょ?アイカのうちに来なさい」
なぜかシャルロッタが勝手にラニーニとナオミを愛華の家に招待していた。二人は揃って困ったような眼差しを愛華に向けている。
「えっと……二人ともクリスチャンだから家族一緒にクリスマス過ごしたりするんじゃないですか……?」
「あたしだってクリスチャンよ!」
魔王とか魔女とか言ってても、一応シャルロッタもカトリックだ。
「わたしたちも行ってもいいの……?」
ラニーニが遠慮がちな声でたずねる。
断れなくて困ってるんじゃなくて、遠慮してたの?ナオミも期待して愛華の返答を待ってるみたいに見えてきた。
「え?ええ、もし良かったら来てくれるとうれしいな。なにも大したおもてなしできないけど、おじいちゃんもおばあちゃんも、きっと歓ぶと思うから」
「行くよ!絶対に行く。クリスマスは一回おうちに帰るけど、新年はアイカちゃんちで迎えたい!」
「私も日出る国の初詣に興味ある」
即座に二人も愛華のうちに来ることが決まった。
ブルーストライプスのチームカラーを着た二人とストロベリーナイツカラーとゴスロリの四人が、喧騒から隔たったパドックの片隅で、愉しそうにおにぎりを食べていたのに、不思議と気づく人はそう多くはなかった。気づいても、決戦を前にした少女たちの、ひとときの愉しい時間を邪魔しないように通り過ぎて行く。
それでもサインや写真をねだろうと近づく者を、ストロベリーナイツのボディーガードが阻んでいたのは、愛華たちの知る由もない。




