ファンと書き込み
愛華はスマートフォンから、智佳が教えてくれたページを覗いてみた。
そこは相当のレースファンと思われる人が書いているらしく、MotoGP全クラスのレース結果は勿論、展開、レース前後のライダーの言動から解説と今後の予想まで、事細かに書かれている。知識だけなら愛華よりずっと詳しいみたいだ。最新の写真も数多くあげられており、基本的にはしっかりとした内容で、動画が観れない以外は、MotoGP公式ホームページより詳しくて、舞台裏の興味を惹く話が盛り沢山書かれている。愛華から見ても概ねデタラメではなく、それだけに信頼を得ているようで、閲覧者の評価も高い。もしかしたら本当のジャーナリストかも知れない。
フリップアイランドの決勝で、シャルロッタがトイレをがまんしていた事も書かれていたが、あれはその場にいた人しか知らないはずだ。それも事実とは少し違うのだが、愛華がトイレに行きたいと言った声は、マイクを手で押さえていたのでテレビでは聞き取れないし、場面をすぐに切り換えてくれたので、一般の人には伝わっていないはずだ。ビデオでも確認したので間違いない。
テレビや公式ホームページで自粛してくれても、いずれ何処かからは漏れるとは思っていたが、書かれた日付は昨日、つまり決勝の翌日になっている。
ジャーナリストじゃないとすると、余程まめにレース関係のページやブログをチェックしている熱心なレースマニアに違いない。
肝心の愛華がヤマダに移籍するという記事を捜してみるが、それらしい部分は見つからない。
遡って詳しく読んでいくと、愛華が初優勝したイギリスGP辺りから、ヤマダが愛華を欲しがっているらしいみたいな記事があった。
その記事自体は、主の推測と願望であると断りが入っているが、コメント欄が凄い事になっていた。
一か月以上前の記事なのに、現在も書き込みが続いている。
『愛華ちゃんは日本レース界の期待の星!』
『ヤマダに乗って日の丸揚げてほしい』
『愛華ちゃんの移籍はありえないでしょ』
『愛華がヤマダのエースになって、シャルロッタとのエース対決が見たい!』
『それは興味ある』
といったファンの希望から、どんどんエスカレートしていき、最近では、
『前にインタビューで、愛華ちゃんはおじいちゃんの乗っていたヤマダ車が好きだって言ってた。ヤマダは本気で愛華ちゃん獲得に乗り出すべき!』
『ヤマダの伊藤社長も、花束を送って熱烈なラブコールしたらしい』
『既に交渉に入っているという話だ』
『愛華ちゃんのかわいさと実力、それにヤマダの広報力が加われば、日本でもMotoミニモの大ブームが起こる事間違いなし!』
『琴音とも仲いいみたい』
『ヤマダは愛華にバレンティーナを上回る契約金を提示したらしい』
『テストライダー田中琴音の体格は、愛華とほぼ同じ。つまりヤマダのYC213は、はじめから愛華が乗ることを想定して開発されたマシン』
『範子はお払い箱?』
『純日本人チームとか?』
『琴音はともかく、範子では愛華ちゃんのアシストは無理。ラニーニもジュリエッタから引き抜くのでは?』
『それも夢だけど、やっぱり愛華、シャルロッタ、ラニーニのエース同士の三つ巴バトルが見たい!』
『夢は無限に拡がる』
『愛華のヤマダ入りは決定事項』
……………etc.
なかには批判的な意見や愛華には意味不明なもの、読むだけで赤面してしまう下品な書き込みもあったが、ほとんどは愛華に好意的な人が書き込んでいるようだ。デタラメな噂を拡めて楽しんでいるというより、ファンだからこその願望が思い込みみたいになってる気がする。
しかしそれ故に、もしかしたらと思わせるワクワクを感じさせる。
愛華自身、ラニーニちゃんと同じチームで走れたらいいなと思ったこともある。
それ以上に、シャルロッタさんやラニーニちゃんと、エース同士として競い合う日を夢見たことがないと言えば嘘になる。
だけど今はまだシーズン中だ。それも一番大事な時。こんな噂があるってことだけで、シャルロッタが知ったらいろいろ面倒なことになりそうだ。それに第一、愛華にストロベリーナイツを離れるつもりは毛頭ない。智佳だってそれは承知でメールした。愛華に知らせたかっただけだ。
本人から、否定するコメントを書き込もうかと智佳に相談してみたが、「そんなことしたら、ますます炎上しちゃうからやめときな」と言われた。それに話題になってるのはここだけではないらしい。ある巨大掲示板では、もっと凄いことになってるという。「まともじゃない奴もいるから、あいかは気にしないほうがいい」と言われた。
愛華を応援してくれる人が大部分と思われるここでも、ちょっとショックな書き込みも見受けられたので、大体想像がつく。とても見る勇気はなかった。
ヤマダが愛華を獲得をしたがっているのは事実だ。ただしヤマダの伊藤社長は、Motoミニモにある不文律の紳士協定を厳守するよう指示していた。
主にストロベリーナイツのエレーナとブルーストライプスのアレクセイが、GORNA(MotoGP主催団体)とは関係なく取り決めた協定ではあるが、伊藤にとっても賛同出来る取り決めであった。
チーム競技の色合いの濃いMotoミニモに於いて、シーズン途中に移籍話が飛び交うのは、走る側にも走らせる側にも、決して良い事ではない。何より観る側に余計な勘繰りを与え兼ねない。
他のクラスでは、ヤマダもライバルチームに先駆けて勝てるライダーを確保する動きを堂々としている。チーム同士でのスターライダー争奪戦は年々時期が早まっている。
ライダーも有力チームのシートを早く決めておきたい。それは競争している世界では自然な流れだろう。
しかし、来シーズンには敵となる人間を、どれだけ信頼できるだろうか?
ヤマダの伊藤社長には忘れられないレースがある。かつて四輪のF-1チームに関わっていた頃、同じチームのドライバー同士が激しいライバル関係にあり、タイトルの懸かった最終戦で、移籍の決まっていた一方がチームメイトに接触、リタイヤさせる事があった。伊藤は当時、現場で見ていた。実況していたアナウンサーは、これがプロの世界だとプロレス調で大そうに語っていたが、冗談じゃない。フェアプレイも敬意もない、あれほど後味の悪いレースのどこに誇れるものがあるのか。
「何も生産しないプロスポーツ選手が社会に貢献できるのは、青少年の憧れとなる事だけだ」
エレーナがよく口にしている言葉だ。
今やサッカーや野球のようなメジャーなプロスポーツですら置き忘れた理念。
選手の価値は、金額で評価される。
高額な契約金は、めざす若者たちの憧れとなるかも知れない。
それは否定しない。
しかし、一番大切なのは、応援するファンに最高のプレーを見せる事の筈だ。
契約更新や移籍の話は、マスコミを賑わす。通は知ったかぶりで裏の事情を自慢気に話すだろう。
そんなドロドロした話題ばかりが中心のスポーツ界を、子どもたちに薦められるだろうか。
共産主義時代のソ連邦を生きてきたアレクセイとエレーナが、我々よりプロスポーツをわかっているのは、なんとも皮肉なことである。
ヤマダにとっても、理想論と切り捨てる訳にはいかない。
一時的なブームで終わらせては、二輪メーカーに未来はない。
10年先、20年先を見越して、モータースポーツが社会に根付く文化として、育てていかなければならない。
ヤマダは夢を創造する企業なのだ。
ヤマダが愛華獲得に動いているなどとネットを賑わせてる噂は、ヤマダにとって無実であるばかりか迷惑な話である。
誇張した報道で目先のブームを作ろうとするテレビ局に、自粛を求めたのはヤマダである。
確かに欲しているが、モラルは守っている。それにどんな条件を提示しても、今すぐ愛華がストロベリーナイツを離れるとは思えない。
愛華獲得には、じっくりと時間をかけて、レース界全体のプラスとなる形で進めたい。
だがファンの期待は、そのヤマダの目論みをも上回っていた。
時に純粋なファンの期待が、想わぬ方行へ加速させてしまうこともある事を、どれだけの人が知っているだろうか。




