愛華熱
オーストラリアGPから日本GPまで、僅か一週間のインターバルしかない。実際には金曜日から公式練習が始まるので、遅くとも木曜にはサーキット入りしなくてはならないのだから、正味四日でフリップアイランドから茂木まで移動する。
マレーシア、オーストラリア、日本と毎週続く終盤の三連戦は、ライダーもスタッフも、疲れがピークに達している。
愛華たちライダーはまだいい。自分の身の回りのものだけ持って移動すればいいのだから。それでもオースラリアの南端の島から飛行機を乗り継いで海を渡り、更に日本のわりと田舎にあるサーキットまで車で移動するのは結構疲れるのだが、大変なのはメカニックたちだ。
個人の着替えや身の回りの物、レーシングメカニックの整備工具だけでも一般旅行者を遥かに上回る荷物なのだが、マシンと膨大なパーツ類、コンピューターなど諸々の設備まで運ばなければならない。勿論彼らが全部持って運ぶ訳ではないが、税関に提出する書類をチェックするだけでも、気が遠くなりそうだ。レース用マシンは勿論、小さな消耗パーツひとつでも、目が飛び出るほど高価なものもある。それらを一つ一つ、リストと照らし合わせて調べられたりしだせば、いつサーキットに入れるかわからない。
主催者側からもスムーズに運べるように要請されており、スタッフにとっても毎度の事ではあるが、日本の税関職員は、以前から職務に忠実な事で有名だ。
特にストロベリーナイツの場合、スミホーイ=軍事兵器というイメージが強いため、他所のチームより念入りにチェックされ、ロシア大使館が抗議するという事も過去にあった。
しかし、今年は驚くほどスムーズに事が運んだ。その理由は、日本で急にMotoミニモが認知され始めた為であり、背景には愛華人気があった。
最近ではほとんど地上波では取りあげられなくなった二輪ロードレースだったが、特にMotoミニモは、余程のレース通以外、存在すら知られていなかった。
ところが今年になって、地上波のスポーツニュースで愛華の活躍を取材した特集が、二度に渡って放送され、それをきっかけに一般の人にもようやくMotoミニモというカテゴリーが知られるようになった。
巷では、至る処で俄かレース通が出現し、テレビ局も急遽レースの模様を放送し始めた。
日本GPが近づくにつれ、一般のニュースでも取りあげられるようになり、朝昼のワイドショーでも愛華の活躍が取りあげられた。
今日本では、ちょっとした愛華熱に浮かれていた。
一番驚いたのは、愛華自身だろう。けっこう話題になっていると紗季からのメールで知らされてはいたが、成田の税関を出た途端、ものすごい数の取材陣の出迎えに、はじめは同じ便に話題のタレントか有名人でも乗っていたのかと思った。
数多くのカメラやマイクを向けられるのには慣れてきた愛華だったが、まさか空港で自分が取材されるとは思ってもなかった。
人気は愛華個人だけでなく、ストロベリーナイツや他のチームの個性豊かなライダーたちまで興味を持たれることとなった。
日本より遥かに人気のある地域を転戦してきた彼女たちも、ここまで過熱気味の取材には驚いた。いつもなら、空港で出迎えるのは業界関係者とせいぜい一部のコアなファンがいる程度だ。
何にせよ、大半の日本人に知られてすらなかったMotoミニモという競技に、多くの注目が集まるのは、自分の活躍によって、日本でもMotoミニモを知ってほしいという、愛華のデビュー前から夢でもある。
急激に浮かれ上がった人気は、一時的なブームに終わることが多いのも知っている。それでも、これをきっかけに多くの日本人がMotoミニモを知ってくれた訳だし、その中から一人でも多くの人がMotoミニモのファンになってくれるなら、愛華の夢の一つは、叶ったと言っていいだろう。
しつこい取材(大半はレースとはあまり関係ない質問や親しみを込めた激励、応援してくれるのはとっても嬉しいが、今は長旅で疲れ早く休みたかった)から、愛華たちストロベリーナイツのライダーは、何処からともなく現れた数人の男女に守られて、用意されていたバンに乗り込んだ。
車は今夜宿泊する都内のホテルへと向かった。はじめからそこで、チームとしてのプレスカンファレンスも行われる予定だ。エレーナは決してマスコミ嫌いではないが、強引に取材しようとする者にはそれなりの対応しかしない。
愛華は車の中でようやく落ち着いて、初めて助手席に乗っている女性が、アメリカでラグナセカからインディアナポリスまで、シャルロッタと一緒に旅をしたルーシーさんだと気づいた。
「あれ?もしかしてルーシーさんじゃないですか?」
「あんた何言ってんの、ルーシーが日本にいるわけないでしょ」
愛華が助手席の女性に尋ねるとシャルロッタが身を乗り出して助手席の女性の顔を覗き込んだ。
「わっ!ホントにルーシーだ」
「お久しぶりですね、シャルロッタさん、アイカさん。お二人の活躍、いつも中継観ながら応援しておりました」
ルーシーは、前に視線を向けたまま、二人に挨拶をした。
「お久しぶりです!でもどうして日本にいるんですか?」
アメリカでは、献身的に面倒みてくれたルーシーさんとの再会に、愛華は歓んだ。
「彼女は私が呼んだ」
愛華の後ろの席から、エレーナの声が聞こえた。
「日本でアイカが熱狂的な人気になっているという情報があったので、念のためだ」
「え?でも日本はわたしの国ですし、わりと安全なのでボディガードとか大袈裟じゃあ?」
「彼女がいては不服か?さっきも報道陣に取り囲まれて困っていただろ。レースに集中してもらうためだ」
「不服だなんてとんでもないです!ルーシーさん、たぶんモテギにはトモカも来てくれるから、またバスケとかしましょう!」
「ルーシーはあたしのメイドなんだから、あんたが気安く誘んじゃないわよ!」
「話しかけるな!今、彼女は仕事中だ」
「「失礼しました……」」
エレーナの厳しい声に、二人が揃って詫びた。
愛華とシャルロッタの声ではない。愛華とルーシーの声だった。
なぜルーシーさんが謝るのか不思議な気がしたが、たぶんそういう世界の人なんだと納得する。前にも特殊な世界の人だと感じたことが度々あった。それに間違いなく、エレーナさんが信頼を寄せている。
生まれ育った国といっても、中部地方出身の愛華には、あまり成田から東京に向かう風景に思い入れはない。車窓からの景色に退屈した頃、日本に着いてからまだ一度もメールのチェックをしていなかったのを思い出し、スマフォを取り出した。
(わぁー、メールがいっぱい届いてる!)
ほとんど日本の友だちからのメールだった。
FROM 紗季
おかえりあいか!日本GP絶対応援に行くよ
FROM 唯
到着したの、ワイドショーで中継してた!すごい有名人だね(^o^) あいかは私たちのスーパーヒロイン
FROM 美穂
おかえり!茂木にはいけないけど、テレビで応援してるからがんばって!シャルロッタさんとエレーナさんとスターシアさんにもよろしくね(*^-^)/\(*^-^*)/\(^-^*)
去年茂木まで応援に来てくれた子たちはもちろん、来られなかった元クラスメイトや体操部の仲間、先輩後輩からも、すごく沢山のメールが届いていた。返信するだけでも大変そうだと読み進めていくと、智佳からのメールに目が停まった。
FROM 智佳
あいか、ヤマダに移籍するって噂、本当なのか?
えっ、なにそれ…………?




