ラグナセカの亡霊
ニ戦続けて、ストロベリーナイツの連続表彰台独占を許したバレンティーナは、大量リードをしていた筈のエレーナとの差を一気に詰められ、チームに対策を迫った。サマーブレーク前のサンマリノで、シャルロッタが優勝したのを含めれば三連敗を喫していた。
シャルロッタの長期欠場により、シーズン半ばにしてタイトルをほぼ手中に収めたと思っていたのに、エレーナをエースにしたストロベリーナイツに猛追されているのだ。バレンティーナだけでなく、ジュリエッタ本社もチームに屈辱的な連敗を止め、再びスミホーイを突き離すよう求めてきていた。
ジュリエッタが主力とする市販車は、GPマシンのレプリカであり、他のバイクもそのイメージを強く打ち出している。レースでの惨敗は、イメージを傷つけ売り上げに直接響くおそれがあった。
ブルーストライプスのチーム監督アレクセイ・ジーロフは、新型タイプのRS80の投入を決めた。まだ最終的なテストは終わっていないが、従来型から基本設計自体はあまり弄っていない。主に足回りの改善とエンジンの高出力化を遂げていた。
エンジンパワーについては、元々スミホーイにアドバンテージがあったが、立ち上がりでチャターが出易かった足回りを見直し、更にパワーアップを計った。
限られたテストしか終わっていないマシンの実戦投入は賭けではあるが、正常進化ゆえに大きなトラブルは少ないと判断した。
ポイント上ではまだバレンティーナ優位ではあるが、ストロベリーナイツには勢いがある。 かつて指揮したエレーナの強さはよく知っている。
彼女は最後まで諦めない。根性だけではなく、何をすべきか知っている。そしてやり遂げる。
余裕のある今のうちに手を打たねば、バレンティーナは喰われるだろう。
アイカ・カワイの登場は予想外だった。どうやって見つけてきたのか、彼女の加入により明らかにチームの空気が変わった。
初めはそれほどのライダーとは思わなかったが、チームに与えた影響は大きいようだ。彼女のお陰でバレンティーナのリズムも狂わされた。
身体が小さく、スタートで有利なのは確かだ。際立った速さはないが、コーナーでも軽さを上手く使っている。彼女の立ち上がりからストレートにかけての伸びは侮れない。
パワーアップした新型を投入すれば、彼女の加速に対抗出来るだろう。
あとは、如何にエレーナとアナスタシアが優れたライダーであっても、数で勝れる。
優秀な指揮官とは、劣勢を覆す者ではない。勝つ為の条件を積み重ね、優位な状況を構築出来る者である。戦いの基本だ。エレーナなら知っているだろう。
最終的に勝敗を決めるのは、運や奇跡でなく、必然である事を。
第11戦USGP ラグナセカ マツダレースウェイ
東欧のどこか重くるしい空気と代わって、カルフォニアの開放的な雰囲気と明るく輝く太陽が、ここが新大陸なのだと実感させる。太陽など地球上どこからでも同じ太陽を観ている筈なのに、違って見えるのはなぜだろう。
ラグナセカのコースはシリーズ中、最も平均速度の低いテクニカルなコースだ。ストレートは短く、しかもベンドしており、名物のコークスクリューでは、フロントを浮かしての切り返すシーンが観れたり、最終の極低速コーナーが勝負処だったりする特異なコースである。ドイツのザクセンリンク同様、大排気量バイクではかなり窮屈なコースであるが、逆にモトミニモにとっては見所の多い面白いコースと言えた。
90年代、カルフォニア州の厳しい排気ガス規制の施行によって、2サイクルエンジン車によるレースが禁止され、一時期、世界GPから外されていた。
今世紀初めには、日本のメーカーがインジェクション化に依る燃焼効率の向上と環境汚染物質の少ないクリーンな潤滑油の開発などにより、世界で初めて2サイクルで規制をクリアした。
2サイクルエンジンであっても、最新の小排気量バイクの方が大型バイクより遥かに環境への影響が少ないという事実が証明された。
その後の世界的な原油価格の高騰と公共交通機関の利便性の悪さ、都市部の交通渋滞などから、気軽に動ける小型バイクが見直されるようになり、主にヨーロッパや日本のメーカーの働きかけによって、5年前から世界GPに復帰していた。
スリルとスピードを好む国民性と趣味に適度なお金を掛けられる中間層の充実したアメリカ市場は、低価格な小型バイク市場を中国や台湾、韓国製に圧されかけていたヨーロッパや日本のメーカーにとって、ブランドと高い技術力をプレミアムとして売り込める魅力的な市場だった。
愛華はフリー走行を終えて、コースの攻略法をノートに書き留めていた。フィーリングやライン、ポイントなどをバイクに搭載されたデータロガーの記録とつき合わせて、自分の走りとコースを分析する。
「アイカちゃん、なにかわからないことない?」
スターシアが、鉛筆をくわえてノートと睨めっこをていた愛華に話しかけた。
「いえ……、さっき教えてもらったので、今は大丈夫です」
「そう? 遠慮しないでなんでも訊いてね」
「ありがとうございます……」
遠慮はしていない。先ほどから、1〜2分おきに同じことを訊かれれば、問うべき事もなくなる。
チェコのレース終了後、愛華は前日に言った「エレーナさんもスターシアさんも嫌い」発言を取り消し、本当は二人とも大好きだと伝えた。それ以来、ずっとスターシアは甘デレモードになってしまった。
自分から大好きだと言った手前、あまり邪険に出来ないが、少々ウザくなっている。好意でアドバイスしてくれようとしているのはわかるのだが、まずは自分でじっくり考えたい。
「アイカちゃん」
「何ですかか?」
「えへへ……、呼んでみただけ」
「……」
「だってアイカちゃん、ぜんぜん頼ってくれないんだから……もっと甘えていいのよ。甘えたいでしょ?甘えて欲しいなぁ」
甘えたいのはスターシアの方である。突っ込みたいのを、いろいろ面倒そうなので我慢する。
二人のやり取りを黙って見ていたエレーナが、とうとう堪らず口を挟んだ。
「いい加減にしろ、スターシア。アイカが迷惑しているだろ!」
「……」
ウザいとは感じていても、迷惑だと突き放すことも出来ない優しい愛華であった。しかし無言なのが何よりも肯定を意味していた。
「アイカちゃん……私、迷惑だった?ごめんね。私、いない方がいいよね。アイカちゃん……頑張ってね。私のことなら大丈夫、気にしないで……。いつも見守っているから……」
ウザかった。もうヤンデレである。
愛華がチラリと横目で見ると、スターシアは美しく澄んでいた瞳を曇らせ、愛華に背を向けた。背中が震えている。
「あっ、いえ……迷惑だなんてそんな……。そうだ!コークスクリューの進入が難しくって、どこから入って行けばいいのか悩んでたところなんです。アドバイスください!」
優しさは、時に罪である。
コークスクリューとは、ラグナセカ最大の難所で、長い上りを登りきった頂点にあるS字状のコーナーである。最初の左コーナーを曲りながら、上りから先の見えない急激な下りへと斜面変化するため、目隠しして崖から飛び降りるような感覚だ。
スターシアは振り返ると、パッと明るい顔で愛華に肩を寄せた。愛華の身体を抱くようにノートに手を添え、説明を始めた。
「いい?ここのアウトいっぱい、そう、この辺りから、尾根向こうの立ち木の先っぽが見えるから、それを目指して飛び込んで行くの。でも下りに入る前に次のコーナーに備えて、バイクは起こしておかなくちゃダメよ」
「ちょっと待て!それはスターシアの視点だろ?低いライディングポジションのアイカの目線から枝の先は見えにくい筈だ」
再びエレーナが口を挟む。二人して愛華のノートに図を描いて言い争いを始めた。愛華は一人でコークスクリューの進入場面を思い出していた。
「確かに、わたしには空しか見えなかったかな……」
愛華のつぶやきに、エレーナが空かさず応える。
「そうだろ?いいか、アイカ。あそこはイン側ゼブラからだいたい5フィートの路面を目指せ。ちょうどこの辺りだ。スターシアの言葉を真に受けたらとんでもないぞ」
「ニェート!あそこは上体を起こして、目線を高くして入る方が走りやすいんです。アイカちゃんでも身体を起こせば立ち木が見える筈です。身体を起こしていた方が、斜面変化にも柔軟に対応出来るし、切り返しも素早く出来ます。空気抵抗も急な下りだから問題にはならないので、無理に窮屈な姿勢を保つ必要性はありません」
スターシアも自分の論理に自信を持って食い下がる。
「確かにスターシアの言う事は理に合っている。だが、ポイントさえ見失わければ敢えてスタイルを変更するまでもない。切り返しも馴れない乗り方より、身体が覚えているフォームの方が対応が早い。アイカのライディングスタイルは、スターシアより私に近い。私の意見を参考にする方が走り易いと思うのだが、どうだ、アイカ?」
どうだ?と問われても困ってしまう。どちらもなるほどと思ってしまった。
「えっ、と、午後からの走行でどちらも試してみます。お二人のいい部分を採り入れた、わたしなりの走りが出来たらいいかな……と思います。すみません、生意気でした」
「謝る必要はない。スターシアの意見は参考にならんと思うが、その貪欲な姿勢やよし。私のようになりたいなら、私の真似だけすればよいというわけにはいかんからな」
「そうやって、本当によいものを自分で見極めていってください。エレーナさんの悪い部分まで真似る事はありません。やっぱり頼れるのはスターシアさんだって気づけばそれでいいんだから」
二人は愛華を挟んで睨み合った。
いつもの光景である。愛華はとりあえずほっとくことにして、参考にすべき意見だけをノートに書き留め、放置しておいた。
愛華にシカトされた形のエレーナとスターシアは、愛華に気づかれないようコソコソとアイコンタクトをし始めた。
“なんかアイカに無視されてないか?”
“前はオロオロしてちょっと可愛かったのに……慣れてしまったのでしょうか?”
“ワンパターンの展開だからな”
“でもつき合うのがチームワークと言うものです。最近のアイカちゃん、一人だけ大人ぶってません?”
“ちょっと可愛いからって調子づいてるな。ちょっと可愛がってやるか?”
“エレーナさん、めちゃ悪そうです。いじわる魔女キャラですね”
“誰がいじわる魔女だ!?”
“エレーナさんもちょっと可愛いですよ”
レース中にも行うアイコンタクトだけで意思を伝え合う。無線通話が解禁される以前は、アイコンタクトだけで意志疎通をしていた。
アイコンタクトだけでここまで複雑な会話が出来るとは、さすがエレーナとスターシアである。否、それはさすがに不可能だ。真相は簡単なロシア語しか聴き取れない愛華が解らないよう隠語を多用した早口で、且つ小声で話していただけである。
それはさて置き、二人は愛華の気を引くため一時休戦する事にした。
「ところでアイカ、走っている時から気になったのだが、身体とか怠くないか?」
「えっ、別になんともないですよ。どうしてですか?」
「私も気になりました。アイカちゃんが走っている時、路面に映る影が後ろにもう一台走っているのが見える時があるんです。誰もいないはずなのに……」
愛華の背中を冷たい汗が滲んだ。ジョークとわかっていてもそのネタは嫌だ。
「やめてください!」
やはり二人のことは大きらいになった。
「でも、もしわたしが死んだら、エレーナさんとスターシアさんにとり憑いて、ずっと傍に居てやりますから!死ぬまで二人と一緒に走ってやりますから!その時は、お二人こそ、影によく気をつけてください!他のライダーとか、絶対に近づけさせませんから!」
「アイカ、怖い……。幽霊になる気満々だぞ」
「アイカちゃん、死んでも死ぬまで走る気です。よくわかりませんが、ゾンビです。ゾンビライダー怖いです。生きてるアイカちゃんと一緒に走りたいです。死なないでください」