取材
決勝レースでの作戦は、いつも通りで問題ない。今回はエレーナもフロントローに並んでおり、スターシアも二列目スタートだ。彼女ならすぐに追いつくだろう。海からの風が強いであろう事を想定しても、出来るだけ四人まとまって走るのがもっとも確実な作戦だ。
おそらくブルーストライプスも同じようにチームで固めて来るのは間違いない。ケリーとバレンティーナがどこまで追い縋って来るかは予想出来ないが、平均速度が高く風が強い条件では、単独では如何にパワーで上回っていても、必要以上に恐れる敵ではない。
「あたしだったら単独でも楽勝だけど、あいつらには無理ね」
ハイスピードでのマシンコントロールに絶対的な自信を持っているシャルロッタは、守られて勝つのではなく、鮮やかなぶっちぎり優勝でチャンピオン決定の前祝いを演出したいところだろう。
「行きたかったら単独で行ってもいいぞ」
エレーナが珍しくシャルロッタの暴走を許す発言をした。
「そうですね。シャルロッタさんなら大丈夫でしょう」
スターシアまで暴走を容認する。いったい何を考えているのか、愛華からみれば、調子に乗ってるだけにシャルロッタの暴走が尚更心配だ。
「そんなのダメです!ここはどんなアクシデントが起こるかわからないんですから、みんなで固まって走るべきだと思います!」
思わず強い口調で言ってしまった。
「アイカ、あんたあたしの魔力を信用してないの?魔方陣の威力は自然をも操れるのよ。それに魔法シールドを使えば、どんなアクシデントも跳ね返せるわ」
予想通りの意味不明な反論が返ってきた。
「すいません、信用してないわけじゃないんですけど……、でもカモメさんの糞は防げませんでしたよね?」
「っ!」
シャルロッタは言葉につまった。今度は反論がない。
「……仕方ないわね。あんたがどうしてもって言うなら、あたしの前を走らせてあげるわ。ジョナサンが近づいてきたら、あんたが全部受け止めて頂戴」
「えええ、そんなのイヤですよ。っていうか、そんなこと出来るわけないじゃないですか」
シャルロッタがカモメの糞を相当嫌っているのは、よくわかった。魔法シールドもカモメのジョナサンには効果ないらしい。
たぶんエレーナさんもスターシアさんも、わかっていて言ったのだと思う。もちろん愛華も糞をつけられるのは嬉しくはないが、気休めでもシャルロッタがおとなしくしてくれるなら我慢しよう。前を愛華が走ったからといって、上から落ちて来るものに対してどれだけ効果があるかは疑問だが。
「そんなに嫌ってやるな。空を飛ぶ鳥たちは、私たちと同じだ。飛ぶために余分な贅肉を削ぎ落とし、少しでも軽くするために、絶えず排泄をしているんだからな。無駄をすべて省いた姿は美しい」
エレーナにとっての美的基準は、突き詰めた機能美にある。それは最速を求めるレーシングライダーとマシンにも共通する無駄を省いた美しさともいえる。
「そうなんですね!すごいです。わたしもカモメさんみたいになりたいです」
自分の最大の武器は、軽い体重だとわかっている愛華は、カモメに強い親近感を憶えた。まるで自分がエレーナから賛辞されたように嬉しくなった。しかしシャルロッタは、飛びながら糞を落としていくカモメなど美しいとは認めたくないらしい。エレーナの話にいい気になってる愛華に水を差した。
「あんたも走りながらお漏らししてるんじゃないでしょうね?あたしの前で漏らさないでよね」
「してません!まったくなに考えてるんですか!せっかくエレーナさんがいい話してくれたのに」
「スタート前にちゃんとトイレは済ましておいてほしいわ」
シャルロッタも実はちょっとだけカモメに共感していたが、やはり糞を落とされたのを根に持っていた。
そんなところで決勝レースについての作戦会議を終えると、あとは明日に備えてゆっくり体を休めるだけ、のはずだったが、エレーナは愛華を呼び止めた。
「アイカに日本のテレビ局から取材の申し込みがあった。このあと30分だけ受けてやってくれ」
「えっ、もしかしてまたあのテレビ局ですか……?」
前に取材された時は、芸能人リポーターのド素人丸出しの質問にかなり不快な思いをさせられた愛華は、忽ち憂鬱な気分になった。素人だけならいいのだが、下世話で真剣に戦っている自分たち、チームメイトやライバルを笑いネタにするような態度に我慢出来ない。
確かにシャルロッタさんとかは残念なところあるけど、なにもわかっていない人に言われると腹が立つ。
シャルロッタさんだって、本当は世界一の天才なんだから。
「そんなに嫌そうな顔をするな。これもプロとして仕事のうちだ。私は忙しいので相手してやれないが、スターシアも一緒に受けることになってる」
気の乗らない表情を察したエレーナは、愛華をなだめた。スターシアさんの美貌を目の前にすれば、中途半端なタレントリポーターなどタジタジだろう。
「あたしも忙しいけど、仕方ないわねぇ」
シャルロッタが面倒くさそうに言っている。そのわりに目を輝かせているのはなぜだろうか。
「いや、おまえが出てくとネットが炎上では済まなくなるから、おとなしく寝ていろ」
「エレーナ様、酷い……。日本にはあたしのファンがいっぱいいるんです!」
「日本のファンは、おそらくおまえの本当の姿を知らんからな。そのファンのイメージを壊さないためにも、おまえは引っ込んでいた方がいい」
「その点は大丈夫です!ちゃんと眼帯をしていくんで、本当の姿は晒しません」
エレーナも愛華も、何故に眼帯?と思ったが、アニオタのスターシアだけは納得してくれたようだった。
「魔眼を見せなければ大丈夫でしょう。でも絶対に眼帯を外してはいけません」
エレーナも愛華も、スターシアに対してまで心配になった。
愛華の憂鬱な気持ちが届いたのか、取材にやって来たのは前のチャラいタレントではなく、かつて125ccクラスで活躍した上野晃という元GPライダーだった。しかし愛華は彼の活躍していた頃の事は、全然知らない。
彼はチャンピオンこそ獲れなかったものの、当時、実力ではトップと云われており、現在MotoGPで活躍しているスーパースターも若い頃尊敬するライダーの一人として必ず名をあげるほどの人物だと、隣に座ったスターシアから聞かされて緊張してしまった。
GPアカデミーに入るまで、レースについてほとんど素人同然だった愛華は、今度は逆にそんな偉大な人を知らなかったのが恥ずかしい。
そんな愛華の緊張を弛めるように「昔の人のことなんかより、今目の前のライバルを研究するのは当然だよ」とにこやかに言ってくれた。
上野からの質問は元GPライダーらしく愛華のライディングをよくみており、質問も的確で、スターシアを交えて時に鋭く、また時に自らの経験を交えてコースの攻略法なども語ってくれて、愛華にとってもとても有意義な時間となった。
「若いライダーは、とかく小手先の技術に頼ろうとするけど、愛華ちゃんは基本がしっかりしてるから、安心して観ていられるんだよね。特に今は、情報が溢れて変なテクニックを鵜呑みにしてる若い子多いから。僕なんか現役の頃は、技術的な質問とかされても適当な事ばかり言っていたもんだよ。だってそうでしょ?誰がライバルになるかも知れない奴に秘密ばらすかって?」
愛華は彼に好感を持った。親しい人以外から「ちゃん」付けで呼ばれるのは好きじゃなかったが、上野から「愛華ちゃん」と言われても不快な気はしない。初対面なのに彼の人柄に惹かれていた。
「最高のテクニックは基本にある」。尊敬する人たちは皆同じ事を言う。バイクレースに限らず、世界で戦ってきた人は共通の認識を持っているんだと思った。ほんの一部に変人はいるが。
「最後に今後について教えてくれるかな。もちろん来年の契約なんかは紳士協定でシーズン終了までタブーなのは知ってるから、もっと将来のこと。例えば、ファンなんかは愛華ちゃんがチャンピオンになることを期待してると思うんだけど、やっぱりライダーである以上いつかはエースとしてチャンピオンになりたいとか、あるよね?」
番組制作者は、もっと具体的な質問を要求していたが、彼自身、現役時代に先走った報道のおかげでチームやスポンサーからの信頼を失った苦い経験がある。慎重に言葉を選んだ。
愛華はスターシアの顔を窺った。スターシアは正直に答えて大丈夫と頷いた。
「わたしの目標はエレーナさんなので、もちろんいつかはチャンピオンをめざしたいとは思ってます。エレーナさんに追いつくなんて、絶対に無理だと思いますけど。でも今はストロベリーナイツの一人として、自分の役割を果たすことしか考えられないですね。たぶんエレーナさんを越えるなんて、誰にも出来ないと思います」
優等生的ではあったが、上野にとっては十分な答えだった。
しかし番組プロデューサーはそれで納得しなかった。スポンサーのご機嫌を取ろうと、もう少し具体的な質問をするよう上野に要求した。
上野は現在この局のレース解説の仕事をしていた。
彼は引退後、エレーナと同じように自分のチームを立ち上げた。現役時代苦労した経験を生かして、若いライダーを育てようとした。ライダーの気持ちがわかる監督の率いられ、若手は順調に力を伸ばし、徐々に上位に顔を出すようになっていったが、資金繰りに行き詰まってしまった。
彼がチーム運営を怠けていた訳ではない。彼はこの業界では人が善すぎたのだ。気がつけばハイエナのような連中が、彼のまわりに群がっていた。
チームは瓦解し、現役時代に稼いだ貯蓄も残っていなかった。
その上野を拾ってくれたのが、ヤマダだった。ヤマダは彼をアドバイザーとして迎え、他にも雑誌やケーブルテレビの仕事も紹介した。レース解説者の仕事も、ヤマダからの口利きがあったからだ。
この番組のメインスポンサーはヤマダだ。上野はプロデューサーの引き出したい回答はわかっていた。しかし彼は、目の前にいる一途な少女を、大人の事情に巻き込みたくなかった。
マスコミ嫌いと云われるスターシアから、せっかく信頼関係を築きかけているのにスポンサーへの胡麻すりの愚かな質問で潰したくはない。が、今の仕事も失なう事は出来なかった。
彼は最大の注意を払いながら、最後の質問をした。
「愛華ちゃんの活躍によって、日本でもMotoミニモ、というより今、二輪業界全体が活気づいているんだよね。ヤマダが今シーズンから参戦したのも、愛華ちゃんの存在は凄く大きい。そうなると日本のファンとしては、愛華ちゃんが日本製のバイクに乗っている姿を夢見ちゃうわけだけど、日本のバイクメーカーについて、どう思う?」
愛華はこれまでと違う曖昧な質問の意味がよくわからなかったが、通訳から聴いていたスターシアの顔が一瞬ピクリとしたのに、上野の背中を冷や汗が伝った。
それでも愛華は真面目に答えた。
「わたし、アカデミーをめざすまではぜんぜんオートバイとか興味なかったんで、正直に言ってメーカーの名前ぐらいしかわからないんです。あっ、でも祖父はヤマダの軽自動車乗ってました。わたし、おじいちゃんのクルマは好きでした」
惚けているのか、本当に純粋なのか、上野にはわからなかったが無難な答えに安心した。これで給料分の仕事は果たした。愛華のまわりに余計な波風を立てるのは、上野も望んでいない。
もう終わりにしよう。
彼がそう思った矢先、スターシアから終わりを告げられた。
「私たちは明日レースですので、そろそろこの辺りで失礼します。とても楽しい時間でした」
やはりスターシアは、プロデューサーの企みに気づいたのだろう。
上野は慌てて立ち上がり、ぎこちない仕草で右手を差し出す。
「こちらこそ、お忙しいところありがとうございました。決勝頑張ってください」
「貴方もいろいろ大変そうですね。僭越ながら、上野さんほどの方であれば、もっと相応しい場所で活躍されるべきだと思います」
華やかなモータースポーツの世界に長くいても、これまで見た中でおそらく最高クラスの美女だろう。その美女から、微笑みながら心臓をえぐるような事を言われて固まるしかなかった。
愛華がペコリとお辞儀して、スターシアに続いて出て行っても動けなかった。
スターシアは、上野が信頼を裏切ったとは思っていない。ただ彼はマスコミとしても善人過ぎるのだろう。それでも彼なりに、誠意あるインタビューをしてくれたと感謝していた。もっといやらしい質問、素人の低レベルの質問でなく、こちらを揺さぶるようなインタビューを警戒していただけにほっとした。
この時の収録が、後に思わぬ騒動を起こすとは、スターシアも上野も想像していなかった。




