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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
133/398

裸のシャルロッタ

 サンマリノGPから次のアラゴンGPまで、二週間の間隔がある。イタリアのエミーリアからスペインのアラゴンまでは、距離的には比較的近く、時間にも余裕があるのだが、各チームにとって、いくら時間があっても足りない期間となっていた。

 アラゴンGPが終わると、シリーズはヨーロッパを離れ、マレーシア、オーストラリア、日本、そして再びスペインのバレンシアと、終盤の四連戦が控えている。マレーシアから日本まで毎週レースが行われ、日本と最終戦のバレンシアの間は一週休めるものの、毎回海を渡って大移動をしなければならない。

 Motoミニモでは、今季から新レギュレーションが導入され、シリーズを通して1エントリー、エンジン5基までしか使用出来なくなった。当然毎レース終了後には念入りなオーバーホールをしているが、排気量の小さなエンジンで高回転高出力を絞り出すのは、著しい消耗を強いる。どのチームもこの時期になると、パーツの交換だけでは対応出来ない、エンジンそのものが寿命を迎えた個体を何基か抱えている。残されたエンジンで、過密な四連戦を戦い抜くには、このアラゴンGPの前後で完璧な整備調整をして置かなければならない。

 因みに初参戦のヤマダには、『初参戦のチーム又はメーカーは、8基まで使用可能』のルールが適用されているが、開発途上のエンジンを、既に何基も使い潰しているので、それで優位とはなっていない。


 そのヤマダから、サンマリノGP終了後、フレデリカの次戦欠場がアナウンスされた。彼女の右手首の傷害は、もはやブレーキレバーすら満足に握れないほど酷い状態にまでなっていた。サンマリノGPのリタイヤも、一緒に走っていたシャルロッタも愛華も気づいていなかったが、フレデリカはブレーキイングが遅れ、二人にぶつかりそうになっていた。少しでも動かせる限り最後まで走りきる覚悟でいたフレデリカも、他のライダーを巻き込む危険性を感じ、リタイヤとようやく手首にメスを入れる決意をした。その状態でアラゴンに出場したとしても、好結果は望めないであろう。最後の四連戦は、さらに厳しい。それよりは一刻も早く手術し、走れる状態で四連戦に挑むことを選択した。それまでに回復出来る保証は、どこにもなかったが……。



 ストロベリーナイツにも、ツェツィーリアの工場からパワー不足を補う秘密兵器が送られてきた。秘密兵器と言っても、この時期に新しいエンジンを投入する事は現実的でなく、現時点でも他車より優れた操作性を誇る車体を、敢えて変更するのもリスクが高い。その秘密兵器とは、新型の空力カウリングだった。

 もともとスミホーイは、フレームの一部がカウルを兼ねるという斬新なデザインをしているが、空力的には意外と優秀と云われていた。それは、航空機を生産しているスミホーイ社が、おそらく世界でも最大規模の風洞実験室をもっており、そこで実際のレース場面と同じように何台も並べて、前後左右移動させながらの風洞実験までしてきたからである。

 短期間では簡単に解決出来ないパワー不足と燃費の問題を、空気抵抗を更に減らすことで少しでも埋めようと、徹底的にカウルの形状を見直したという。


 アラゴンに持ち込まれた新型カウルの一目見てわかる特徴は、美しい曲線で構成されたアッパーカウルだろう。薄く突き出したノーズから、半球状に盛り上がる透明なスクリーンは、ライダーが頭を臥せるときれいな流線形になるよう造形されている。ハンドルの下両サイドに口を開けるエアインテークは、如何にも多くの空気をエアボックスに送り込みそうで、力強い印象を受ける。塗装前の黒いカーボンの地肌が剥き出しなこともあって、不気味な威圧感を醸し出している。まさにロシアの怪鳥といった風貌だ。取材した記者たちは、スミホーイの最新鋭戦闘機suー35に擬えて『フランカー』と呼んだ。



「カッコいい!!!」

 愛華も気に入ったが、シャルロッタはもっとお気に入りの様子だ。興奮しすぎて、またおバカなことを言い始めた。

「せっかくだから、カラーリングもスペシャルにしたいわ!そう、ここの嘴みたいなところには、縞々の蛇を銜えてる絵を描いて。縞々の蛇はねちねちしつこいブルーストライプスの象徴よ。それから下の方には、爪でキツネを捕らえているのも描いて。雌狐よ。もちろん狡いバレンティーナのことよ」

 いつものように意味不明のめんどくさいことを言ってカウル担当のヴァシリーを困らせた。

 ストロベリーナイツのマシンは、今季全車同じカラーリングがされているが、別に規則で決められている訳ではない。エースライダーだけ目立つスペシャルカラーにするチームは珍しくないし、個人スポンサーのデザインが加えられることもある。その場にエレーナがいなかったのを幸いに、シャルロッタはヴァシリーにしつこく迫った。

 困ったヴァシリーは、エレーナに相談したが、彼女も忙しかったので、「めんどくさい奴だな。カラーリングで遅くなることもないだろう。ヴァシリーに任せる。適当におまえの好きにしろ。但しスポンサーのロゴとゼッケンだけは目立つようにしといてくれ」と返事をした。


 ヴァシリーも暇ではない。ライダー四人、最低でも八台分のカウルを明日までに塗装しなくてはならない。カウルは一番破損しやすいパーツの一つである。予備もいくつか用意しなければならない。走る広告塔であるGPマシンのカラーリングの仕事は、最も大切なレース資金の源だと誇りを持っているヴァシリーは、シャルロッタの我が儘に腹をたてたが、丸投げしたエレーナにも少し苛ついた。そして、ちょっと困らせてやろうと思いついた。



 アラゴンGP開催初日、ストロベリーナイツのパドックに並べられたマシンは、これまで通りのきれいにカラーリングが仕上げられたマシン三台に、剥き出しのカーボン地にスポンサーロゴとゼッケンだけが貼られたマシンが一台だけあった。未塗装のマシンには、シャルロッタのゼッケンが貼られていた。


「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・なにこれ?」

 一同が茫然と眺める中、シャルロッタがやっと口を開いた。

 エレーナがヴァシリーを睨みつける。彼は軽いジョークのつもりだったが、エレーナに睨まれびびった。ちゃんと塗装したカウルも用意してある。すぐに取り替えようとした時、エレーナがニヤリと笑った。


「おおっ、シャルロッタだけずいぶん派手なカラーリングだな」

「いや、エレーナ様、派手って、これは………」

「どうしたシャルロッタ?気に入らんのか?」

「気に入らないっていうか、これはなにも……」

「ちょっと待てシャルロッタ、おまえまさか………」

 エレーナは隣のスターシアの耳元に顔を近づけ、小声で何か話しかけた。

 スターシアは最初不思議そうな顔をしていたが、大袈裟に驚いた表情をすると、愛華にもコソコソと耳打ちをした。シャルロッタは気になって仕方ない。

「ええっ、そんなのまさかいくらシャルロッタさんでも、ないですよぉ」

 愛華が突然大声をあげたので、シャルロッタは愛華に詰め寄った。

「なに、なに?あたしにも教えなさいよ!」

「あっ、えっと、これは、」

「だからなによ?早く言いなさい!」

「ロシア軍が開発した、特殊なすてるすとりょうで……」

 愛華はスターシアから言われた通りの言葉を棒読みした。

「すてるすとりょう?」

 シャルロッタは頭にいっぱい『?』マークを浮かべて訊きかえした。

「あ、えっと、だあっ!だから愚か者には見えない塗料なんだそうなんです」

「ほへ?」

「そうだ、ステルス塗料だ。凄いだろう?実はこの塗装は、アメリカ軍のステルス技術に対抗するために我がロシアが密かに開発していた、敵から見えなくなる塗料だ。しかし実際に出来たものは、愚か者にしか効力がない欠陥品だった。優秀な敵に効果がないのでは使い物にならない。改良の見込みもなく、計画は中止されてしまったが、これまでの塗料では出せなかった、幻想的な色が出せたので、軍事目的以外で使われる日を夢みて、極秘に保管されていたのだ」

 愛華のしどろもどろな棒読みに、エレーナが助け舟を出した。助け船と言っていいんだろうか。


 なんですか、その中二病的設定は?

 エレーナさんまで中二病になったのかと愛華は不安になる。

「どうだ、シャルロッタ。この獰猛そうな面構え、まさしくサーキットの怪鳥だろう」

「え……と、獰猛そうと言われても……」

「おいシャルロッタ?まさかおまえ、この鮮やかなカラーリングが見えてないのか?本当に見えないのか?」

 シャルロッタはまだ理解出来ていないようだった。自分からは振るくせに、他人から振られるのは慣れてないようだ。まじめに困っている。

「まるで幻想世界から迷い出てきたような幻影的な色なのに。おまえなら絶対に気にいると思ったが、見えないのか………そうか、やっぱりおまえは、本当の愚か者だったんだなぁ」

「うぅ………あたし、おろか者なんかじゃないもん」

「本当は見えているけど、気に入らないのでは?」

 スターシアさんまでもが煽ってる。


 あの……シャルロッタさん真剣に悩んでますから。もう苛めるのやめてあげましょうよ。シャルロッタさんも、きっとわがまま言ったの反省してますから。愛華は少しかわいそうになってきた。


「す、すごくカッコいいわ!まさに魔界の怪鳥!魔王(あたし)の乗るマシンに相応しい幻影的な色だわ!」

 本気(マジ)で!?

 あまりの反省の無さに「シャルロッタさんは、ケンタウルスじゃなかったの!」っと突っ込むのも忘れてしまった。



 シャルロッタは、その幻影カラーのマシンがたいへん気に入り、そのままフリー走行を走った。外のライダーたちは「なんで?」と疑問に思ったが、「シャルロッタだから」とあまり考えないようにした。

 そしてハイテンションモードのシャルロッタは、ぶっちぎりのトップタイムを叩き出した。エレーナ、スターシア、愛華は、まずまずのタイムを記録する。気持ちストレートの伸びが良くなった気がするが、それほど速くなった実感はない。たぶんシャルロッタ(の頭の中)だけ、異世界に飛んでいってるのだろう。


 初日のフリー走行が終わると、トップタイムを出したシャルロッタへの取材に、記者が詰めかけた。記者の興味は、カーボンそのままのカウルの理由。あれだけ速ければ、カラーリングされてない漆黒のマシンもそれなりに迫力あって、カッコよく見えてはいたが、やはり普通でない。

 しかしシャルロッタは、記者からの「なぜカラーリングをしてないのか?」の質問に、「あんたらみんな、愚か者?この幻影的なカラーリングが見えてないの?魔界から召喚した幻の怪鳥よ。まっ、残念ながらバカにはわかんないだろうけどね」とどや顔で答えていた。




「アイカちゃん、ちょっといい?」

 着替えを済ましてモーターホームから出てきた愛華を、ラニーニが呼び止めた。

「あっ、ラニーニちゃん。どうしたの?」

「えっと、ちょっと言いにくいんだけど……」

 ラニーニが何かを言い淀む。

「どうしたの?なにかあったの?」

「その……、わたしはそんなことない、って信じているけど……、じつはシャルロッタさんのことだけど……」

「シャルロッタさんがどうしたの?遠慮にしないで言って」

 愛華は、またシャルロッタが迷惑かけているのかと心配した。

「その……シャルロッタさんが、なにか薬物をやってるんじゃないかって、噂になってるらしいの」

「えーっ!そんなの絶対ないよ!そりゃあ、ちょっと変なとこあるけど、それは素から変で」

「わたしもそう思うよ!でも……カラーリングしてないバイクの前で、『幻の怪鳥』だとか『幻影の色』とか言ってたから、記者の人たち、シャルロッタさんが幻覚見てるんじゃないかって思ったみたいなの。わたしはいつものおバカだと思ってるけど、薬物使用とかは、噂だけでもイメージ傷つくから、一応エレーナさんにも知らせた方がいいと思って」

 シャルロッタのおバカはいつものことだからあまり気にしてなかったけど、言われてみれば幻覚とか、かなり危ない人に見えてもおかしくない。それにしてもラニーニちゃん、シャルロッタさんのことずいぶん信用してるなぁ。シャルロッタさんには言えないけど。


「教えてくれてありがとう、ラニーニちゃん。シャルロッタさんは絶対変な薬なんてやってないから安心して。もとから変なだけ。でもエレーナさんたちに相談してみるから、悪いけどそれまでは誰にも言わないでね」

「うん、わかってる。わたしの方こそごめんね、変なこと言って」




「エレーナさん、大変です!」

 愛華はすぐにエレーナのところへとんでいった。エレーナはちょうどニコライたちと打ち合わせをしているところだった。スターシアもいるが、シャルロッタの姿はない。

「どうした?またシャルロッタがバカなことをしたのか」

「まあそうなんですけど……、シャルロッタさんが悪いというか、今回はエレーナさんにも責任があります!」

「私に責任?」


 愛華はラニーニから聞いた噂のことを話した。話を聞くうちに、エレーナの表情は、愛華の予想した以上に厳しいものとなっていった。愛華のあとにやってきたスベトラーナも、その噂が立ち始めている事を肯定した。

「まだ誰もネットにはあげていないようですので、記者同士で軽い冗談を言っていただけかも知れませんが、誰かが意図的に噂を拡めようとしている可能性も否定出来ません」

 スベトラーナの分析にエレーナは頷いた。エレーナが気に入らないのは、ラニーニがスベトラーナより早く愛華に知らせてきた事だ。ラニーニも十代の女の子であり、噂話は大好きだが、それはあの人とあの子がつきあってるとか、あっちのカップルはもう別れそう、とかいう他愛ない噂話をよく愛華たちとしている程度で、安易に人を貶めるような事を口にしたりしない。余程深刻な話を吹き込まれたのだろう。

 ストロベリーナイツにとって最大のライバルであるラニーニを使って、シャルロッタを貶めようとする影が見え隠れする。或いは標的(ターゲット)はラニーニかも知れない。いずれにしても企んだ奴は工作員としては三流だ。本物のライバル関係というものを理解していない。

「事実無根ではあるが、薬物疑惑となると放置しては置けんな」

 日頃から「トップ選手とは、少年少女たちの憧れの対象でなければならない。バカなのは仕方ないが、モラルに反する事は絶対に許されない」と語るエレーナである。シャルロッタに対する日頃の体罰は彼女のモラルの範疇だが、薬物の不正使用となるとまったく違うレベルの話だ。かつてソ連時代に、自身の知らないうちに禁止薬物を投与された経験があるエレーナは、薬物に対して特に厳しい。違法薬物撲滅運動にも積極的に協力している。薬物不正使用はスポーツ界だけでなく、全人類共通の悪である。


「あまり拡められる前に、手を打っておくか。それと心配ないと思うが、ラニーニにはしっかりと口止めしておいてくれ」

「ラニーニちゃんは大丈夫ですけど、手を打つって、どうするんですか?急にまともになったりしても、やっぱり変な薬してたんじゃないか、とか言われたりしないですか?」

 一度立ってしまった噂を、即座に鎮めるのは難しい。単なる誤解なので、その経緯を説明すれば済むのだが、騙されたと知ったシャルロッタが、もっと大きな問題を起こしそうだ。

「大丈夫だ、心配するな。もし誰かに何か訊かれたら、例のステルス塗料の話でもしてやれ」

 いや、ぜんぜん大丈夫じゃないでしょう?そんな話したら、愛華まで疑われてしまう。それどころか、チーム全体がおかしいと思われそうだ。そもそもエレーナさんが、変ないたずら思いつくからいけないんでしょ!



 愛華の心配をよそに、その日更新されたストロベリーナイツのホームページには、未塗装のマシンの前でどや顔するシャルロッタの写真と『アラゴンGP初日、愚か者には見えないという特殊なカラーリングを施されたマシンでトップタイムを叩き出したシャルロッタ』のキャプションがつけられていた。


 そのまんまなのに、彼女の人となりであろうか、翌日にはシャルロッタの薬物使用の噂は跡形なく消え、記者たちは口々に、「やっぱりシャルロッタだったな」「全部シャルロッタってことだよ」「まあシャルロッタだし」「シャルロッタなら当然さ」「ほんとシャルロッタだね」と語り合い、納得してしまった。はじめから彼らも冗談のつもりだったようだ。

 愛華は変な方向に信用されてるシャルロッタを、気の毒に思った。


 因みにシャルロッタは、今日も朝から「最高のカラーリング」と言い張っている。


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[一言] チョットだけ可哀想に見えてきた...。
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