意地と誇りの報酬
四台のジュリエッタのエキゾーストパイプから弾き出された排気音は、きれいに同調してまるで一台の四気筒エンジン音のように背後に迫ってきた。それでもエレーナは自分の走りを乱す事なく、スターシアにぴったりとくっついたまま旋回に入っていく。
一台が突出して、インにこじ入ろうとするエンジン音を聞き取ったが、動じずそのまま最速ラインをキープする。行き場を失ったエンジン音は、スロットルを緩めて後ろに下がっていく。今のはナオミのスロットルワークだ。揃って走っているときにはぴったりと同調していても、アタックの仕方はそれぞれ微妙な違いがある。
これで七度目だ。ラニーニとナオミが、コーナーのたびにインに入ろうとしてくる。そしてその都度、押し戻している。元気のいい娘相手の度胸比べは、エレーナでも楽ではないが、ゴールまで残り少ない。気にいらないのは、ラニーニとナオミしか仕掛けて来てないことだ。一番プレッシャーの強いリンダを投入して来ないのは、なにか企んでいるのだろう。
エレーナはコーナーを立ち上がると、スターシアの前に出て、先頭を交替した。
ミザノサーキットは、直線とコーナー区間がはっきり区別された最近のレイアウトのコースだ。連続するコーナーや複合コーナーはあまりない。フルブレーキングからのタイトコーナーが多く、そのほとんどがパッシングポイントと言えるが、きつく回り込んだコーナーは抜けるラインも限られる。其所さえ譲らなければ、簡単にはパスされない。一番厄介なのは、怒濤の勢いでアタックされることだった。エレーナもスターシアも、単独では力負けする相手ではないが、パワープレイでこられると消耗が著しくなる。少々悪どいが、最終的にはラニーニに絞ってブロックするつもりでいた。
ブルーストライプスはエレーナの作戦を予測してか、怒濤の攻勢はなかなか仕掛けて来ない。かと言ってラニーニとナオミが単発で仕掛けても、弾き返されるだけなのはハンナにもわかっているはずだ。考えられるのは、ラニーニとナオミで単調なリズムに慣れさせて、突然強引なリンダを投入する。それくらいしか浮かばないが、勢いに乗せられ易いシャルロッタや愛華相手ならともかく、そんな手がエレーナとスターシアに通じるとは、おそらくハンナも思っていないだろう。
相手の考えが読めぬまま、最終ラップに入った。出方がわからないというのは、あらゆる場面に対処しておかなければならないので意外と疲れる。相手を疲労させるのは追う側の基本だが、それがハンナの狙いだとしたら甘すぎる。追いつめてミスを誘うなら、もっと早い時点から攻めはじめておかなければ、効果は表れないだろう。特にGP最強コンビと謳われる相手には。
ミザノサーキットのコース図に記載されているコーナーは全部で16。うち三つは緩やかな高速ベンドで、Motoミニモでは全開で駆け抜けるため、仕掛けるられるポイントではない。ハンナにどんな秘策があるにせよ、実質仕掛けられるのは、十から一四箇所のコーナーぐらいしかない。それでも十分のプレッシャーではあるが……。この一周のどこかで必ず仕掛けて来る。
エレーナはハンナの性格についてもう一度振り返った。
彼女は基本を重んじるライダーだ。作戦においても奇策を好まない。
セオリーに従うとしたら、勝負に出るのはこのサーキット唯一といえるコーナーの連続する区間、右、右、左と続く4~6コーナー、そこしかない!
すでにエレーナたちは3コーナーを抜けて、短い直線をフル加速していた。4コーナーはもうすぐそこだ。
「スターシア!ここで来るぞ」
エレーナは叫びながら自分の右のアスファルトに映る影を捉えた。これまでの二人より、重い感じの排気音が近づく。
リンダか!?いや、二人いる!
二人同時だろうと関係ない。構わず、被せるようにアウトから切れ込んで行く。
先に飛び込んできたのは、やはりリンダだ。一瞬早く入られた。並んだ状態で4コーナーを曲がる。無理な進入をしたリンダが孕んで、エレーナに近寄って来る。続く5コーナーも同じ右コーナー。ここで譲っては、主導権を奪われる。リンダの後ろにいたハンナも接近してくる。エレーナはグッと肩に力を込めて、接触に備えた。ふいにぶつけられるより、自分から当たっていった方が安全だ。エレーナのプレッシャーに対して、リンダもなかなか退かない。肩と肩をぶつけあう。その時、ハンナの陰からラニーニが飛び出し、リンダの内側を潜り抜けていくのが見えた。
人数で上回る場面での基本、教科書に載っているようなありきたりの作戦である。
うっとうしいがワンパターンの揺さぶりから、いきなりライダーを変えての強引なアタック、と同時に全員による猛攻。
やはりハンナは正攻法で来た。ありきたりと言えども、ブルーストライプスほど統率のとれたチームがすれば有効な作戦だ。もともと秘策だの奇策などというものは、まともにやりあえない劣勢な側が、仕方なく採る作戦だ。頭数もマシンの状態も優位なブルーストライプスが正攻法で来たとしても、あたり前と言えばあたり前の話だ。
とは言え、エレーナとスターシア相手に、しかもあとのないこの場面で真っ正直に攻めるのは、余程の自信家か怖いもの知らずだろう。
確かに予想するのが遅れていたら、もう少し慌てさせられただろうし、リンダの気迫には正直驚いた。ラニーニとのタイミングもピッタリだ。自信と言うより、決死の覚悟を感じる。
(だが残念ながら、その程度では我々の前には行かせられないな)
「内側から一人いく。スターシア、よろしく頼む」
エレーナが言い終わらぬうちにスターシアはラインを右に寄せて、そこにいるのが当然のようにラニーニの前に立ち塞がっていた。
一団は、5コーナーを抜けると、逆に曲がるの6コーナーに向けてマシンを起こしはじめた。ラニーニはスターシアに任せ、エレーナがコース中央から出来るだけ溜めを作って、外側となったリンダの切り返すタイミングを遅らせていたとき、突然視界の左側にナオミが現れた。
(っ!いつの間に並ばれた!?まったく気配がしなかったぞ!)
気配というのは、シャルロッタのような動物的嗅覚ではない。レーサーたちは、排気音で死角のライダーの気配を感じとっている。高速で疾走している場合などは、自分の排気音すら後ろに流れ去り、他のライダーの音がわかりづらいときもあるが、ここはシフトアップとシフトダウンを短い区間で繰り返し、何度も開け閉めをしなければならない低速の連続コーナーだ。それぞれタイミングで、他のライダーの位置も把握し易い。エレーナは、しっかりと全方向に注意を払っていたが、右後ろからのハンナの気配しか感じていなかった。さすがのエレーナも一人足りないことまでは、気が回っていなかった。
ナオミは4コーナー手前で一旦、集団から距離を置き、4、5コーナーをスピード重視のラインで抜けてきた。そしてスピードをのせたまま、5コーナー立ち上がりで更に思いきり加速すると、クラッチを握り、惰性で集団に飛び込んだ!
コース中央から曲がり込もうとしていたエレーナの横をすり抜け、直線的に6コーナーの頂点に突っ込んだところでアクセルを煽り、クラッチを繋いだ。大きくマシンを揺らしながらも、スターシアの近くまで進むと、マシンを寝かし込む。
スターシアの驚きは、エレーナ以上だった。後ろをエレーナに任せ、ラニーニの動きに集中していたところに突然真横で轟いたエンジン音。エレーナが抜かれた場合も想定はしていたが、まさかいきなり現れるとは思っていない。状況が掴めぬまま、反射的にマシンをナオミの方に寄せてしまう。
「そいつは囮だ!ラニーニから離れるな!」
エレーナが叫んだ時には、既にラニーニが動いていた。
スターシアが対処すべき相手を見失うシーンというのは、おそらくほとんどの者が想像すらしたことがなかった光景だろう。GP界No.1の変人、シャルロッタを以て「スターシアお姉様のマークを外すなんて、絶対無理」と言わしめた神業的ディフェンスが、初めて乱れを晒した。
ナオミがシャルロッタ以上の変わり者だった訳ではない。少し変わったところはあるが、シャルロッタとは正反対のとても真面目な子だ。否、エレーナも含め、皆が勝手にそう思い込んでいただけかも知れない。まさかここで裏の裏をかいたトリックを繰り出して来るとは、完全に出し抜かれた。
エレーナとスターシアの連係に出来た一瞬の空白を、リンダも見逃さない。ラニーニに続いて、スターシアの横をすり抜ける。なんとかマシンの振れを収束させ、インを固持していたナオミも、ラニーニのあとを追って加速する。
「やったよ、ハンナさん!!エレーナさんたちを抜いたよ、私たち!」
「すごい、夢みたい……」
「レースはまだ終わってないわ!気を抜かないで!」
リンダとナオミが興奮するのを、ハンナが制した。
「えっ!?」
長い裏のストレートを、勝った気分でラニーニの後方を走っていた二人のぎりぎり横を、スターシアとエレーナが一瞬で抜き返していった。一瞬と言うのはオーバーかも知れない。しかし実際、リンダとナオミにはそう感じた。
気が弛んでいたのは事実だ。だがそれよりも、リアタイヤとフロントタイヤが接触しているんじゃないかと疑うほど接近したスターシアとエレーナが真横に現れた瞬間、凍りつくような恐怖を感じ、二人とも思考が停止してしまった。
気がつけば、エレーナたちはもう届かないところまで離れていた。
「わたしたち、本気で怒らせちゃったかも……」
普段は温厚なスターシアさんの、怒りを含んだ風圧をもろに浴びせられたナオミが呟いた。
「ラニーニ、逃げて。無責任だけど、あと少しだから、がんばって……」
リンダも、ほとんど励ましにもならない言葉を口にするしかなかった。
「えっ、ちょっと、わたしだけ……うわっ、なにそれ?早く逃げないと、ほんとに殺されちゃうかも!?」
ナオミとリンダの悲痛な声を聞いて振り返ったラニーニは、背後から凄まじい恐怖が迫っているのを見た。




