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最速の女神たち   作者: YASSI
デビュー
13/398

縫いぐるみと猫耳

「すいません。わたしがもう少し速く走れれば……」

 愛華は予選終了後、エレーナとスターシアに頭を下げた。

「気にする必要はありませんよ?初めてのこのコースでセカンドローは立派ですから」

 スターシアが優しく愛華の頭を撫でて上を向かせる。

「……でも、わたしが寝込んだせいで、サーキット入りが遅れて、その上コースもロクに覚えられなくて……、エレーナさんのサポートどころか足手まといになってます」

「誰が足手まといになるつもりだ? 愛華には決勝でしっかり仕事を果してもらうつもりだ」

 愛華の言葉をエレーナが制した。 それでも愛華は再び俯いてしまう。

「すいません。せめてフロントローに並べていれば、もっと役に立てたのに……」


「スターシアの言う通り、ブルノを初めてで二列目は立派だ。第一、アイカがフロントローに並んだら、私が二列目に落ちる。アイカは私の真後ろからのスタートポジションを確保した。ある意味サポートとして理想的なポジションと言える。狙って出来るものではない」

 ここまで聞いて、ようやく愛華は自分から顔を上げた。

「得意のスタートで私にピッタリつけ。私のスタートが不味ければ前に出て構わない。その時はスターシアにくっつけ。一周目前半の下り区間で、チェコの双子の前にいたい。それほど強敵ではないが、コースを知り尽くしている上に息の合った双子だ。前を走られると面倒そうだからな」


「……」


「返事は!?」


「だあ……」


 愛華はあまり元気なく返事をした。

 自分のためにエレーナさんとスターシアさんがペースを落とさなくてはならないような事になったら、耐えられない。愛華は先週あれほど活気を漲らせていたのに、体調を崩してからすっかり自信をなくしていた。


「もし、わたしが遅れたら、二人で先に行ってください」

 なんだか烏滸がましいとは思ったけど、言わずにはいられなかった。

「当然そのつもりだが、遅れてもらっては困る」

 エレーナが敢えて冷酷に応えた。

 愛華の心中を察したかのようにスターシアが励まそうとする。

「思うように走れない日もあるけど、私たちのチームは決して諦めたりしないんだ、と示すことも大切な役割よ。くよくよ悩んでないで、決勝ではアイカちゃんらしく元気いっぱいで走りましょ」

 愛華自身気づいていないが、彼女の最大の武器は、粘り強さだ。相手には苛立たせ、観てる者は応援したくなる。エレーナがスポンサーと交渉するにも有効な材料だ。

「それに、ストレートでは風避けになってもらうつもりですからね。アイカちゃんにも、しっかり働いてもらわないと。ドイツGPのあと、寝込んで自分でおトイレにもいけない甘えん坊のアイカちゃんに、させてあげたんですから」

 スターシアの衝撃暴露に、二人を置いてチームスタッフと先にチェコ入りしたエレーナの耳がぴくりと反応した。

「なんだ、それは? トイレの世話までしてもらったのか?私には頼まなかったぞ!」

「いえ、誰にも頼んでませんから!! 」

 愛華は慌てて否定したが、

「そうでしたね、女の子の内緒でした」

 スターシアの意味あり気の微笑みに愛華は真っ赤になった。

「どうしたんだ? 本当に、下の世話までしてもらったのか?」

 エレーナが興味深そうに、が、少し怒りの表情を滲ませて訊き返した。そんなエレーナの反応を楽しむように、さらにスターシアは意味深発言をする。

「真夜中にアイカちゃんが私のベットに潜り込んできたのには驚きました」

「ちがいます!変なこと言わないでください! 潜り込んでませんから!」

 愛華が必死で否定するが、それ自体が何かあった事を物語っていた。

「アイカから迫ったのか!?」

「内緒です」

 スターシアは、如何にもふたりの秘密とばかりに微笑みを浮かべている。

「だから、ちがいます、ちがいます!スターシアさんが寝る前に怖い話するからいけないんです。夜中に目が覚めて、おトイレ行きたくなったんですけど、バスルームの方から物音がしたような気がしたんです。それで……泥棒かと思ってスターシアさんを起こしただけで……、甘えたわけでもないし、その……、幽霊とか、お化けとかぜんぜん怖くないんですから……」


 エレーナの表情が険しくなった。しかし怒りの色はない。もっと深刻そうだ。


「スターシア、まさかあの話をアイカにしたのか?」

「アイカちゃんもチームの一員ですから。やはり知っておくべきです」


 愛華の全身に鳥肌がたった。


「ええっ!あれはやっぱりこのチームの話だったんですか?」

「あまり宣伝するような話ではないからな」

 エレーナが沈痛な面持ちで言う。愛華が青ざめる。

「わ、わたし、夜寝れなくなりますぅ。夜中におトイレにもいけなくなりますぅ」

「睡眠は大切だぞ。仕方ない、今夜は私が一緒に寝てやる。トイレにも連れて行ってやる」

「えっ、エレーナさんとですか。なんだか恥ずかしいです」

「なら一人で寝るか?」

「うっ……怖いですぅ。毒盛られるの怖いです。レース中に心臓止まるのも嫌です。エレーナさん、一緒にいてください。おねがいします」


 別の意味で怖い気がしないでもないけど、死者か生者かと言われたら、生きている者の方がまだマシだ。まあスターシアさんが毒を盛るとも思えないし。自分よりずっと綺麗で才能もあるのだから嫉妬のしようもない。それより一ヶ月前まで雲の上の存在だったエレーナさんが、自分の傍で寝てくれるのはちょっと自慢だったりする。


「アイカちゃん、騙されてはいけません!あの話は全部出鱈目の作り話です」

 愛華の身が危険と感じたスターシアが、思わずネタバラシをしてしまう。

「ちっ」

 エレーナが舌打ちをした。

「ちっ!て、嘘なんですか? ひどいです! わたし本気で怖かったんですから!」

 ようやくかつがれていた事に気づいた愛華が、恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら二人に抗議した。


「悪かった。まあ新兵の洗礼みたいなものだからな。しかしアイカがそれほどお化けの話が苦手だとは。普通はその場でバスルームに隠れていたメカニックの誰かがガタゴト音出して『きゃあぁ』でおしまいなんだがな。おわびに今夜は一緒に寝てやってもいいぞ」

 エレーナが悪びれもせず、愛華の頭を撫でた。

「『寝てやってもいいぞ』じゃないです! 死ぬ程恥ずかしいです。エレーナさんは乙女心がわからないです!」

 実は憧れのエレーナと一緒に寝れることに少し期待していたのに、冗談のように言われて傷ついた。別に性的な意味の期待ではないので念のため。

「なんだ?アイカは騙された事でなく、私と一緒に寝る口実がなくなったのを怒っているのか?」

 恥ずかしがる愛華を楽しそうにいじる。愛華の気持ちは、恥ずかしさから、怒りへと変わっていった。

「もおぅ、ちがいます、絶対ちがいます!エレーナさんなんて嫌いです!」

「嫌い……、って冗談でもそこまで否定されるとちょっとさみしいものだな……」

 嫌いと言われ、エレーナは少し動揺した。

「本気です。エレーナさんなんて大嫌いです」

「大嫌い……?落ち着けアイカ。そこまで言うことないだろう?」

 どこで怒らせたのか、エレーナには本当にわからず、凹んでしまう。

「エレーナさん、随分嫌われましたね。でも安心して一人で寝てください。アイカちゃんのことは私に任せてください」

 戸惑うエレーナを踏みつけるようにスターシアが胸を張って言った。

「アイカちゃん、怖かったらいつでも言っていいのよ」

「スターシアさんも嫌いです!」

 スターシアも唖然とする。

「どうして?またカティちゃんを一緒に抱いて寝ましょ」

「もともとスターシアさんが、あんな話するからいけないんです!でもカティちゃんだけはお借ります」

「カティちゃんを連れて行かないで! 連れて行くなら私を。エレーナさん、カティちゃんを頼みます」

「知るかい!ぬいぐるみの面倒などなんで私がしないかんのだ。それよりアイカ、そんなにネコが好きか? それなら私だって猫耳つけてやるぞ。あの変なネコのぬいぐるみよりずっと可愛いぞ、いや、かわいいにゃん!そうだ!しっぽもつけた方がいいか?にゃん?」

 エレーナは、スターシアがいつも観ている日本のアニメ定番の猫耳少女の真似をした。指を曲げた右手を顔の横で招くようなポーズをとり、語尾に『にゃん』をつけて愛華のご機嫌を取ろうとする。


 冷たい空気が部屋を包んだ。否、そんな生易しいものではない。極寒のシベリアの如く、すべてを凍りつかせていた。


 しばらく固まっていた愛華は、ようやく口を動かせるようになると、開口一番エレーナに怒りの言葉を投げかけた。

「エレーナさん!ふざけてないで真面目にやってください。前から思っていたんですけど、全然イメージがちがいます! エレーナさんはもっとクールでいてください!レースを舐めているのですか?もし、スタートで失敗するような事があれば、エレーナさんのお尻に頭から突っ込んで、わたし死んでやりますから!」

 愛華がぷんすか文句を言った。彼女に深い意味もなく、スタートで起こり得るアクシデントを大袈裟に言っただけだが、愛華の片言のロシア語と、軍で野蛮な表現を散々経験しているエレーナは別の意味と受け取った。


「あの真面目なアイカが、放送出来ないような過激で下品な事を言ったぞ。むちゃくちゃ怒ってる。スターシアのせいだ。なんとかしろ」

 テレビ放送などではピーと入るので知らない人も多いであろうが、よい子は欧米人(ロシア人含む)に『ケツの〇〇にどタマ突っ込むぞ』などと言ってはいけません。


 振られたスターシアも、妙案が浮かばない。それにこれ以上嫌われたくなかった。

「エレーナさんが悪いんです。監督ならなんとかしてください。アイカちゃんの言う通り、くだらないウケ狙わず、もっとクールでいてください。凍らせなくてもいいです。でも、普段大人しいだけにインパクトありますね。萌えます」

「萌えてる場合か!私のお尻に突っ込むと宣言したんだぞ。私の貞操の危機だ。いや、別にアイカが嫌とかじゃないんだが、ただ、いきなり後ろからは……、こう見えても私はあまり、スターシアと違って……♀♀Хэпъ、やはり最初は優しく……эчяои☆」

「何を意味のわからない事言ってるんですか?アイカちゃん本気で怒ってます」

「だからそれはスターシアが怖い話を聴かせたからだ」

「私の責任ですか?エレーナさんがからかうからですよ」

 二人は責任の擦り合いを始めた。愛華にはどうしてこの二人が、レーストラックではぴたりと息の合った走りが出来るのか不思議で仕方なかった。

 その愛華自身も、実はこの不思議な調和にいつの間にか加わっていた。

 先程までの不安は、もう消えていた。


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