栄光を棄て
巨額の資金を投じてMotoミニモに参戦したヤマダであったが、これまで期待されたような成績は残せていない。辛うじてバレンティーナが一勝しているものの、シャルロッタを失格に追い込んだ後味の悪い勝ち星だ。それ以外ではフレデリカとケリーが一度ずつ三位表彰台に上がっているが、開幕前の評判からは期待はずれの印象が濃い。
もっとも前評判はMotoGPクラスで最速を誇るヤマダのイメージで勝手に盛り上がっていただけで、もともとの予定を一年早めた参戦であることを考慮すれば、一年目にしては十分評価できる成績と言える。たとえ予定通り来シーズンから参戦したとしても、実戦での蓄積のないマシンがどれほどの結果が出せるかは疑問だ。いくら完璧なマシンに仕上げても、実際のレースで強力なライバルたちと競り合ってみないとわからない部分は必ずある。「今シーズンは開発の為の参戦」との会見でのYRC(ヤマダの二輪レース活動を統轄する100%ヤマダ出資の子会社)の言い分も、負け惜しみとは言いきれない。
快晴で迎えたサンマリノGPMotoミニモ決勝スタートは、予選上位のライダーが揃ってきれいに決め、ほぼグリッドそのままの順で1コーナーに雪崩れ込んだ。そこからフレデリカが早くもトップのシャルロッタに激しく仕掛けていく。シャルロッタも受けて立つ構えで、愛華はその間になんとか割り込もうとするが、激しく火花を散らす異端児同士のバトルに、なかなか入ることが出来ない。ラニーニはそれにつき合わず、一旦下がってハンナたちと合流する動きをみせた。
オープニングラップを終えて、シャルロッタとフレデリカがトップでコントロールラインを通過、愛華、スターシア、エレーナのストロベリーナイツとバレンティーナとケリーが入り乱れてそれに続いた。ブルーストライプス勢は早くも態勢を整えて、その後ろから様子見を決め込んでいる。
「シャルロッタ、レースは始まったばかりだ。無理にフレデリカに付き合うな」
エレーナの声がシャルロッタにとんだ。
前のレースからフレデリカとケリーの協力関係が出来上がったようだが、決して息の合ったコンビとは言えない。フレデリカに合わせるのは、ケリーと云えど容易くはないだろう。おまけにバレンティーナの存在が、彼女たちには目障りな筈だ。二人のアメリカ人ライダーの協力関係は、浮いてしまったバレンティーナにとっておもしろくない事だろう。バレンティーナとしては今シーズンのタイトル争いは既に手遅れとしても、来シーズンの契約に向けたアピールをしておきたいところだろう。ましてここは彼女の地元イタリアである。
エレーナからみて、序盤からフレデリカとのバトルにつき合わなくても、十分勝算はある。ヤマダ同士で潰し合ってくれれば、余計な手間が省ける。むしろ警戒すべきは逸早く態勢を整えたブルーストライプスだろう。
めずらしくシャルロッタが素直に指示に従い、先頭を譲った。彼女も勝たなければならない相手が誰だか理解しているらしい。エレーナとスターシアがシャルロッタと愛華を守る万全のフォーメンションを組む。レース終盤にシャルロッタと愛華がスパートする作戦だ。
前に誰もいなくなったフレデリカは、一気にペースを上げた。バレンティーナとケリーもそれに続くが、エレーナたちは無理に追おうとはしなかった。とは言え、あまり離されて余裕を与えてしまうのも危険だ。レースは何が起こるかわからない。ストロベリーナイツもブルーストライプスも、ヤマダ勢に引っ張られる形で序盤からハイペースなレース展開となった。
そしてトップのヤマダ三台には、エレーナの想定外の何かが起こっていた。スミホーイより二千回転以上は回ると言われるフレデリカ仕様のヤマダエンジンは、ストレートにおいて単独でもスミホーイがスリップストリームを使ってやっと対等というハイパワーを見せつけていた。それが若干デチューンされてるとは言え、バレンティーナとケリーのマシンにも積まれているらしい。しかもあろうことか、フレデリカとケリーだけでなく、バレンティーナまでストレートでの先頭引きに協力していたのだ。
(パワーアップに合わせて強化された車体の操作性にまだ問題が残るのと、完全ではないチームワークのおかげで、辛うじて彼女たちのスリップストリームに入っていられるが、一旦離されれば、瞬く間に引き離される!)
エレーナは、シャルロッタと愛華を温存してばかりもいられなくなっていった。
スミホーイより若干エンジン性能が上回るジュリエッタに乗るハンナたちだが、かなりいっぱいいっぱいの走りを強いられていた。これまでストロベリーナイツ相手にコーナーリング性能ではやや劣っていても、エンジンパワーの優勢を感受してきた彼女たちだったが、今度は自分たちがヤマダのパワーを見せつけられ、改めてパワー差の優位性を思い知る事となっていた。
ヤマダのパワーには、まだ余裕が感じられる。まともにつき合っては、オーバーペースに巻き込まれる。タイトル争いに関係ないヤマダ勢を無視して、ストロベリーナイツとの一騎討ちに持ち込むのが両チームにとっても無難な策であろうが、ポイントでリードされてるシャルロッタは是が非でも優勝ポイントを狙いに行くだろう。エレーナの性格からしても、最終目標がタイトル奪取とはいえ、目の前の強敵から背を向けるような真似はしない。一戦一戦が真剣勝負、もう獲り溢しは許されない。シャルロッタとラニーニの間に、ヤマダの三人まで入られてはラニーニのタイトルに黄色信号が点灯する。
(競り合いならまだしも、スピード勝負はきついわね。ラニーニはともかく、ナオミとリンダがどこまでついてこれるかしら。その前に私が後れないようにしないと)
ハンナも作戦を見直さざるおえなかった。
イギリスGPのあと、ヤマダに乗るライダー全員に、YRCから通達があった。
ヤマダはこれまで、マシン開発の多様性を探るために、各ライダーそれぞれに裁量を与えてきた。結果ライダー同士の軋轢を生み、マシン開発に関しても迷走した時期もあったが、ある程度成果は得られた。最新のヤマダYC213vのポテンシャルは、既にスミホーイとジュリエッタを上回るまでになった。マシンの方向性が決まれば、次にチームとしての態勢を整えなければならない。収益の一割近くをレース活動に注ぎ込んでいると言われるヤマダとて、いつまでも不要なライダーを走らせる資金はない。エントリーするライダーを半数程度に減らし、勝てるチームへの一本化が決定された。エースを誰にするかは未定だが、ケリーがリーダーとなって今シーズンの残りのレースに挑む旨の通達である。
本格的にタイトル奪取を狙うチーム作りの為に、ケリーの指示に従えない者はたとえ複数年契約であっても来シーズン、ワークスのシートには跨らせないという宣言だった。
バレンティーナは、自分がスターの座にいるのがあたりまえだと思っていた。しかしそれは何の根拠もない思い込みだった。考えてみれば当然の話だ。自分自身、多くのトップライダーを押し退けてその座をものにしてきたのだ。
GPライダーだった父親のもとに生まれて、幼い頃から周囲の期待通り順調に勝ち上がってきた。シャルロッタという天才に出合ったときはショックを受けたが、努力すれば必ず報われると信じて、ひたすら走り続けてきた。GPにデビューしてからは、天性のスター性とジュリエッタの全面支援で、瞬く間にトップライダーへと駆け上がった。
GPデビュー二年目にしてチャンピオン獲得。それなりの苦労もしたが、その頃はレースが愉しくて仕方なかった。
イタリアのエース、世界のスーパースター。
自分が世界の中心にいる実感と、裏腹にその座を守るのは、手に入れるより憂鬱で難儀なことだと知った。
レース以外にも時間を奪われ、プライベートもなくなっていく日々。トレーニングする時間を確保するのも苦労する。やがてバイクに跨がるのも、以前ほど楽しくなくなっていった。それでも勝ち続けたかった。スーパースターで居続けたかった。
いつしかバレンティーナは、ライディングを高めることより、勝てる環境を維持することに苦心するようになっていった。
そして昨年、エレーナに屈辱的な逆転敗けを喫した。
エレーナを憎み、愛華が厄病神に思えた。今思えば、自分自身が厄病神だったかも知れない。
前回イギリスGPで、途中で自らマシンを降りたバレンティーナが見たものは、純粋に力をぶつけ合うスターシアとハンナ、愛華とラニーニの姿だった。
いつからだろう、あんなふうに走れなくなったのは………
以前のボクは、誰よりも速くなりたいって純粋に走っていたのに……。
わかっている。スターの座にしがみつこうとすればするほど、レースは楽しくなくなっていく。
マリア様のお与え下さったやり直しのチャンスかも知れない。フレデリカのアシストになるのは屈辱だけど、もう一度、毎レース上に向かって走っているのを実感できたあの頃のように走りたい。もしかしたらあの頃より厳しいかも知れない。でもまたあの興奮が味わえるなら、どんな代償を支払ってもいい。
鳴り物入りでデビューして、周囲からもてはやされた過去も、チャンピオンだった栄光も忘れて、一人のライダーとして一歩ずつ勝ち取って行こう。アシストでもなんでもやってやるさ。レースの楽しさを取り戻すために。
ほとんどの者はまだ、バレンティーナが地元での優勝を狙っていると思っていた。




