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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
120/398

乙女心とシルバーストーンの空

 スリックタイヤを履いたエレーナとシャルロッタに、コントロールライン手前でパスされたラニーニは、次の周でのピットインを決意する。そのラニーニを、チームメイトのリンダとナオミが抜き際に伝言を伝えた。

「ラニーニ、監督の指示を伝えるわ。また雨は降り出すから、それまでそのままのタイヤで走って。これはハンナさんの指示でもあるから。ピットで用意してるのは、レイン用のマシンよ」

「えっ?」

 愛華と共に、少しでも順位を上げようと夢中で走っていたラニーニは、天候の変化に注意している余裕がなかった。それでも路面が乾いてきているのはわかっていた。もうシャルロッタたちに抜かれるまでもなく、スリックの方が明らかに速く走れるコンディションとなっている。

「どうして……?」

 そう呟いた時、シールドに水滴が当たった。

 最初は、今インから抜いて行くバレンティーナの跳ね上げた水しぶきだと思った。しかしバレンティーナが離れても、視界で弾ける水滴は、二つ、三つ、と増えていく。

「雨……?」

 シールドに当たる雨粒は、瞬く間に増えていき、乾いていた路面をも黒く染めていく。


 愛華とラニーニが旧メインストレートに差し掛かった時には、完全なウェット状態となり、すり減ったインターミディでは恐いくらいになってきた。スリックを履いた連中は、もっと悲惨だ。Motoミニモのレース用バイクで、スリックタイヤを履いてウェット路面を走らせるのは、氷の上を走るようなものだ。

 旧1コーナー高速のコプスコーナーで、先ほど抜いていったバレンティーナたちがヨタヨタと走っているのに再び追いついた。愛華がパスしようとした瞬間、出来るだけマシンを寝かさないよう超スローで走っていたマリアローザが、突然足払いを食らったようにスコーンと転んだ。モニターを観ていた解説者すら、一瞬愛華が接触したかと思ったほどだ。四輪ならスピンするだけでも、二輪では、水膜(アクアプレーン)に乗ると、何の対処も出来ないまま路面に貼りつくように転倒する。さすがのトップライダーたちも、為す術がない。エレーナやシャルロッタすら初心者のようにゆっくり走るしかない。だがピットまでは、まだ遠い。



「エレーナさん!わたしどうしたら?」

 エレーナにも追いついた愛華は、指示を窺った。

「どうもこうもないわよ!さっさとちっこいの追いなさいよ!」

 エレーナより先に、シャルロッタが怒鳴り立てた。

「でも………」

 どうすることも出来ないのはわかっていても、エースを見棄てることに気が引けた。

「スターシアが先にレイン仕様に乗り換えているはずだ。シャルロッタの言う通り、ラニーニを逃がすな」

「あたしが行くまで抑えてなさい!って言いたいとこだけど、ちょっときびしいわね。とにかくあんたは、そのちっこいのに負けるんじゃないわよ!」

 トップグループにいた二人だったが、この状態でピットに辿り着くまでには、完全にトップ争いから脱落してしまっているのは明白だった。逆にピットスルーペナルティを受けたラニーニに、思わぬチャンスが回ってきていた。そしてラニーニの勝ちを止められるのはスターシアと、スタートで失敗した愛華だけだった。

「おそらくハンナも準備してラニーニを待っているだろう。スターシアと力を合わせて、そいつらに勝て!」

「いい?絶対勝ちなさい。負けたらクビよ!」

 思いがけず巡ってきたラニーニとの真剣勝負のチャンス。シャルロッタのアシストとしてでなく、自分が勝つために競い合える!

「だぁっ!」

 愛華の弾んだ声が、エレーナとシャルロッタに届いた。

「なに嬉しそうに返事してんのよ!仲良しだからって裏切るんじゃないわよ!」

 しかしシャルロッタの声は、もう愛華には聞こえてなかった。届いてはいたが、意識はすでにラニーニに集中していた。悪天候を諸ともせず、全身で走る歓びを表して水煙の彼方へ消えていく。


「あたしだって、レイン履いてればあんなちっこいのなんか」

「妬くな、シャルロッタ。おまえが悪い」

「別に妬いてなんていないです!それにどうしてあたしが悪いんですか!?」

 今日に限っては、シャルロッタに非はない。純然たる運だ。しかしエレーナは無情に言った。

「おまえ、雨を呼ぶ魔術を使ったろ?」

「あれは魔導力で雨を止めたんです!」

「それでこうなった」

「うっ………」

「それよりアイカとスターシアにだけ仕事をさせられん。我々も1ポイントでも多く稼ぐぞ」

(本当の魔術使いは、アイカかも知れんな)

 エレーナは、愛華かラニーニの味方をしているとしか思えない空を仰いだ。

「どっちの味方か知らんが、あいつらの勝負には手を出すな!」

「なにか言いました?エレーナ様」

「なんでもない。集中して走れ。コケるぞ」

 不服そうな顔のシャルロッタを従え、インターミディエイトタイヤを履いたままの中堅クラス以下のライダーに追い越されながらも、アクシデントに巻き込まれないよう注意してピットをめざした。



 レインタイヤを履いて、真っ先にコースに戻ったのはヤマダのフレデリカとケリーだった。

 ヤマダワークスのメカニックたちの作業は迅速で、再び雨が降り出すと素早くスペアマシンをレインタイヤに交換し、二人を待っていた。充分には温められていなかったので、最初から全力でとばすことは出来ないが、目まぐるしく変化した路面状況を確認するにはちょうどいいだろう。


 ハンナは交換したバイクに跨がったまま、ラニーニが来るのを待っていた。フレデリカとケリーに追いつくには、ラニーニ単独では難しい。周回遅れ(バックマーカー)の露払いもしなくてはならない。そして、スターシアと愛華がラニーニに挑んで来るのは間違いなかった。

「私とラニーニさん、スターシアさんとアイカさん。面白いことになってきたわね。果たしてどちらが上かしら?」

 まるで他人事のようなハンナの呟きをインカムで聞いたメカニックは、彼女のフルフェイスを覗き込んで背筋がぞっとした。

 言葉とは裏腹に、その眼は、獲物を狙う猛禽のようだった。

 残りのレースで、実力で劣るラニーニがシャルロッタに勝てるレースは少ないだろう。大量のポイント差を得る最後のチャンスかも知れない。このチャンスを、絶対に逃すことはできない!



 スターシアも愛華を待っていた。一応ハンナの動きに合わせ、ラニーニを迎え撃つ形ではあるが、彼女的には愛しのアイカちゃんが来るのを待っている。

 しかしそれは、愛華を溺愛する気持ちだけではない。スターシアにとっても、この勝負には絶対に負けられない意地がある。

「アイカちゃんとラニーニちゃんの実力はほぼ互角。勝敗を決めるのは、アシストの能力次第ということですね。ハンナさん、どちらがナンバーワンのアシストか、はっきりさせましょう」

 スターシアは、二つ先のピットでじっとバイクに跨がっているハンナの背中に話しかけていた。




 ピットロードにマシンが入って来る事を知らせる三連ホーンが響き渡った。

 ラニーニが先にピットロードに現れる。愛華も少し遅れて姿を見せた。

 ラニーニがストロベリーナイツのピット前を通過していく。ハンナのいるピットでマシンを停め、シートから降りたところで愛華もストロベリーナイツのピットに入って来た。


「頭下げてください!」

 マシンのテールを持ってスタンバイしているミーシャに向かって愛華が叫んだ。インカムを通して愛華の絶叫を聞いたミーシャは、愛華が自分に向かって来るのを見て、理由もわからずしゃがみ込んだ。

 愛華はミーシャの真後ろでブレーキレバーを強く握って急停止すると、そのままステップを蹴ってジャンプした。

 跳び箱の要領でハンドルを支点に身体を浮かせ、両足を開いたままミーシャの頭を飛び越えて、見事狙い通りレインタイヤを履いたマシンのステップに着地した。お尻がドスンとシートにのし掛かるとサスペンションが大きく沈み、勢いで前に押し出される。

「ミーシャさん!お願いします!」

 唖然としていた彼は、ハッとしてマシンを押した。

 万全に調整されていたエンジンが、スミホーイ特有の甲高い咆哮をあげた。


 元体操選手の愛華の運動神経に、ピットクルーを含め、注目していたすべての人たちから驚きの声が洩れた。シャルロッタが見ていたら、さぞや悔しがっただろう。横で待ち構えていたメカニックが、慌てて無人となったバイクを支える。

 スターシアもすぐにスタートした。


 先のピットから、ちょうどハンナとラニーニも出てきていた。制限速度ぴったりに合わせた四台のバイクが、並んでピットロードを進んで行く。それだけで緊張が伝わってくる。彼女たちを、メインスタンドのすべての観客、テレビカメラ、中継を観ている世界中の人たちがわくわくしながら注目していた。



「アイカちゃん、確認しておくわね。私たちの仕事は、ラニーニさんに高ポイントを獲らせないこと。必要ならフレデリカさんたちに協力します。それでいい?」

 ラニーニの前でゴールすればそれで役目は果たせる。誰が優勝しようと関係はない。むしろフレデリカやケリーが前にいてくれれば、それだけラニーニの獲得ポイントは少なくなる。


 そんなのちがう!勝つ為にみんなと力を合わせるのはいい。それがチームだ。でもラニーニちゃんの邪魔をする為だけに協力するなんて我慢できない。夢に見た対決なのに、そんな戦い方したくない。

「嫌です!ラニーニちゃんとは、正々堂々と思いっきり競争したいです。フレデリカさんでもケリーさんでも、邪魔するなら容赦しません」

 敵の敵は味方、ライバルチームのエースを囲い込むのは、よく行われる行為だ。戦術として認められており、卑怯でも汚ない戦い方でもない。愛華はそれを否定するとごろか、二人とも容赦しないと言いきった。

 言った本人は気づいていないが、フレデリカとケリーをも差し置いてラニーニに勝つとは、愛華自身の優勝宣言に他ならなかった。


「それでこそ私のアイカちゃんです。私のすべてを尽くして、あなたを勝たせてみせます」

 スターシアは、誰がなんと言おうと愛華を初優勝させると決めた。

「だぁ!お願いします!」

 初優勝など、まったく意識していない愛華は、純粋な声で答えた。 


(大丈夫、アイカちゃんの初めての経験は、私がリードしてあげますからね)

 スターシアは口には出さなかったが、心の中で愛華にささやきかけた。こういうところがなければ、スターシアさんは本当に完璧なのだが……。


 速度制限区間が終わると、降りしきる雨の中、四台は同時にフル加速していった。


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[一言] 雨は伝説を生むスパイス。
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