エースライダー
ストレートを全開で加速するシャルロッタを、ラニーニはグリップのゴムが捩れるほど力を込めて捻って追おうとしたが、スリップストリームに入ることすら叶わなかった。
シャルロッタがフィニッシュラインを駆け抜ける。愛華の目に、ストロベリーナイツのスタッフが拳を突き上げ、観客席も沸き上がるのが写った。シャルロッタの望んだ通りの逆転勝利だ。
愛華の目の前でチェッカーを受けたラニーニは、力を使い果たしたように項垂れてスロットルを握る手を弛めた。勝負とは言え、少し心が痛んだ。横に並んで、なんて話し掛けようかと躊躇していると、ラニーニの方から微笑みながら握手を求めてきた。
「おめでとう、アイカちゃんの作戦にまんまとひっかかちゃった」
ラニーニは愛華が囮になったと思っているようだ。微笑んでいても、瞳は潤んでいた。
「えっと、あれは」
「いいレースだったわね。あんたたちのおかげよ」
愛華の言葉を遮ったのは、優勝したシャルロッタだった。
ウィニングランを得意のウィリーで観客を歓ばせながら、とっくに行ってしまったと思っていたら、善戦したラニーニを待っててくれた。普段お馬鹿でも、そういう礼を忘れない姿勢は見習いたい。派手なパフォーマンスなんかよりカッコいい。………あれ?もしかして本人もそれをわかっていたりして。それはそれでシャルロッタさんらしいけど。
「おめでとうございます。二人の作戦に完敗です」
ラニーニはシャルロッタにも手をさしのべた。
「ま、まあね、あんな手に引っ掛かるなんて、まだまだね……」
ラニーニと握手を交わしながら、もごもごと小声で言う。
「あれは作戦じゃなくて、シャルロッタさんが遅」
「そう!アイカの作戦は無理があると判断して、咄嗟にタイミングを遅らせたのよ!経験の差ね!」
この人、本当に遅れたんだ……
愛華もラニーニも、あの時シャルロッタが、やはりボーとしていたんだと知った。独りでぶつぶつ言ってたし。
「次は騙されませんから」
ラニーニは大人の対応をしてくれた。つっこむといろいろめんどくさい。それに今日はシャルロッタさんに助けられたから、そういうことにしておこう。
「楽しみにしてるわ。アイカ、行くわよ!」
下僕を従えるように愛華に命令すると、ヒョイとフロントを浮かせてそのままウィリーで逃げるように離れて行く。愛華ももう一度ラニーニと握手してから、同じようにウィリーであとに続いた。シャルロッタはシートに立ち上がって手まで振っていたが、愛華にはウィリーで走り続けるだけで精一杯だった。
最終ラップでトップグループから脱落したフレデリカであったが、なんとかゴールまで愛車を連れて行こうと痛む右手で走り続けていた。最終コーナーでエレーナたちのセカンドグループに追いつかれ、次つぎに抜かれていく。ストロベリーナイツやブルーストライプスのアシストライダーだけでなく、バレンティーナとマリアローザにも抜かれた。
悔しかった。シャルロッタ以外眼中にないつもりだったが、格下と思っている連中に、成すすべもなく抜かれるしかないのは涙が溢れるほど悔しい。
客席から拍手が起こった。初めはエレーナたちのゴールに向けられたものと思っていたが、どうもこちらに視線が向いているようだ。振り向くと、ケリーが並走していた。
(どういうつもり?同情されてるの?)
そのままフレデリカが先にチェッカーを受けた。観客の拍手すら惨めだった。
「あんたセカンドグループにいたんでしょ?どうしてこんなことするの!?」
屈辱された思いを、ケリーにぶつける。しかしケリーは、如何にも先輩らしく答えた。
「同じヤマダのライダーでしょ」
その余裕がますます神経を逆撫でる。
「はあ?あんたはワークスチーム、あたいはサテライトチーム、全然立場が違うでしょ?同じヤマダでも別のチームじゃない!会社から文句言われるわよ」
「どの道もうチャンピオン争いには脱落してるから。今さら一つ二つ順位が下がっても、大したことないわ」
ケリーが何を考えているのかわからなかった。チャンピオン争いから脱落していようと、少しでも良い結果を残さねばならないはずだ。
「………」
「シャルロッタはどうだった?まっ、訊くだけ野暮ね。凄いでしょ?あの子」
馬鹿にするためにわざわざ遅れてゴールしたのか?
「もう一度やったら勝てる?」
「あたりまえでしょ!絶対に負けないわ」
正直自信はなかったが、勢いで答えていた。
「たぶん無理ね。手首が痛かったからとか思ってるかも知れないけど、今のままじゃ、もうチャンスすらないでしょうね」
「別にレースに勝てなくてもいいのよ!あいつより速いって証明出来ればいいんだから」
「そんなこと言っても、シャルロッタとバトルに持ち込むまでにあなたの右手もマシンも、ボロボロの状態になってるでしょうね。今日だってそうだったんじゃない?向こうは優れたアシストに守られて、ちょっと相手してくれただけ。でもこれからはたぶん構ってもらえないでしょうね。タイトルが掛かってくるから、エレーナもお遊びは許さないでしょうし」
お遊びと言われて悔しかったが、否定できない。相手は世界チャンピオンを目標にしており、自分はただの自己満足だ。
「どう?私と組まない?シャルロッタと勝負させてあげるわよ」
「どうゆうこと?あんたのチームに入れって意味?」
「公式には今でも同じチームよ。あなたをエースにしてあげるから、私の指示に従って」
思わぬ申し出に、フレデリカは戸惑った。
「でもそれじゃあんたは、あたいのアシストになるって言うの……?」
ケリーが偉大なチャンピオンだった事もヤマダの首脳陣から気に入られていることも、フレデリカだって知っている。当然会社もケリーをエースと見なしている。それが自らアシストをすると言ってきたので、驚きは隠せない。
「驚くことないわよ。私は別にエースにこだわりはないわ。私はもうロートルよ。今さらシャルロッタと張り合える力もないわ。もともと若いエリーかウィニーのどちらかをエースにするつもりだったの。それが急にバレンティーナが加わって、スポンサーからごちゃごちゃ言われ、おまけにエリーもウィニーも、Motoミニモの走り方に全然慣れなくて、こんな有り様。正直あなたとは、はじめからうまくやれる自信はなかったわ。でもこの際そんなこと言ってられない。私のめざすのは、世界最強のチームを創ること。今年のタイトルはもう無理だけど、今からでもストロベリーナイツを負かして、エレーナをぎゃふんと言わせてやりたいの」
「あんた本気?」
「もちろん本気よ。あなたには無理かしら?シャルロッタに勝つの」
フレデリカは右手をハンドルから放し、拳をケリーに向けた。
「あんたの言う通りに走ってあげるわ。その代わり必ずシャルロッタに勝たせて」
「ステージは用意してあげる。勝てるかどうかは、あなた次第よ」
ケリーも左手で拳を作り、フレデリカの拳に合わせた。
「痛っ!」
「………」
フレデリカは勝つためになら従ってくれるだろう。ケリーはシャルロッタの才能に唯一対抗できる才能を、駒にすることに成功したが、不安も大きい。これほどの才能を、1シーズンで潰してしまうかもしれないのだ。本来なら、右手の腱鞘炎をしっかり療養させるべきなのはわかっている。しかしそれを言っても聞かないこともわかっていた。ケリーはそれを利用し、フレデリカもケリーにすがった。少なくともフレデリカ自身、これまでのように単独で無理するよりは、いくらかマシだろうとケリーは自分を納得させた。
ピットに戻ったケリーはヤマダのチームマネージャーから「なぜゴール前で集団から遅れ、フレデリカの後ろに下がったのか」と問われた。
「エースを優先するのがアシストのつとめでしょ?」
ケリーの返答にしばらく考えた彼は、フレデリカの様子を窺い、納得したように頷いた。
第10戦チェコGP終了時点のポイントランキング
1 ラニーニ・ルッキネリ(ブルーストライプス)J
195p
2 シャルロッタ・デ・フェリーニ(ストロベリーナイツ)S
193p
3 エレーナ・チェグノワ(ストロベリーナイツ)S
118p
4 ナオミ・サントス(ブルーストライプス)J
117p
5 アイカ・カワイ(ストロベリーナイツ)S
108p
6 ハンナ・リヒター(ブルーストライプス)J
104p
7 ケリー・ロバート(ヤマダインターナショナル)Y
88p
8 アナスタシア・オゴロワ(ストロベリーナイツ)S 83p
9 バレンティ-ナ・マッキ(ユーロヤマダ)Y
82p
10 リンダ・アンダーソン(ブルーストライプス)J
81p
11 フレデリカ・スペンスキー(USヤマダチームカネシロ)Y
45p
12 アンジェラ・ニエト(アフロデーテ)J
43p
13 マリアローザ・アラゴネス(ユーロヤマダ)Y
38p
14 アルテア・マンドリコワ(アルテミス)LS
22p
15 エバァー・ドルフィンガー(アルテミス)LS
19p
16 エリー・ロートン(ヤマダインターナショナル)Y
15p
17 ソフィア・マルチネス(アフロデーテ)J
14p
18 ウィニー・タイラー(ヤマダインターナショナル)Y 12p
19 ジョセフィン・ロレンツォ(アフロデーテ)J
10p
20 アンナ・マンク(アルテミス)LS
3p
21 ミク・ホーラン(ユーロヤマダ)Y
2p




