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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
114/398

真面目すぎる才能と、イカれた天才

 見知らぬ相手でも、共に走っていると相手の事がなんとなくわかってくるときがある。相手の僅かな動きや仕草を無意識に拾い、脳内で意識がシンクロしてくるのかも知れない。科学的な事はわからないが、意外と当たっているものだ。技術屋がマシンを見れば、乗り手や整備したメカニックの腕や考えがわかるのと似たようなものだろう。

 ラニーニもフレデリカの後ろについて走っているうちに、彼女を感じられた。


 乗り方は普通でないが、センスも並みでない。豪快に見えて、繊細なコントロールもしている。

 そしてマシンを酷使するような乗り方に見えるが、決してエンジンやタイヤを痛めつけているわけではない。これはラニーニも最初はわからなかったが、フレデリカのマシン操作に、彼女がバイクを本当に愛しているのを感じた。

 バイクを磨く事が愛情だと思っている人には理解し難いが、乱暴に扱うのとマシンのポテンシャルを限界まで引き出そうとするのは違う。エンジンを限界まで回すのは、パワーをスピードにするためだ。それはレーシングマシンだって望んでいるはずである。ホイルスピンを意図的に発生させていても、荷重(トラクション)をかけるポイントと抜くポイントを明確に使い分け、一見乱暴そうに見えて、じつに丁寧に扱っている。まるで恋人の身体を愛撫するような、淫靡さすら想像してしまう。そしてそれらは、すべてスピードへと繋げられていた。


 バイクにとって、持てるポテンシャルのすべてを発揮できるのは歓びだろう。フレデリカは、自身の肉体に多大な負担をかけてまでも、バイクを歓ばせようとテクニックを駆使している。その証拠に、フレデリカのヤマダYC212は、歓びの声をあげていた。


 エンジン音を聴いてそんなこと考えるなんて……、ラニーニは少し恥ずかしく思いながらも、フレデリカが心からバイクを愛しているのを強く感じた。


(この人、ただ目立ちたいだけで走ってるんじゃない!)

 言われているような、フレデリカは自分の速さをアピールするために走っているという噂が間違っていると確信した。

 根拠などなかったが、フレデリカの背中からそう伝わってくる。

(この人はただの変わり者なんかじゃない。わたしたちと同じように、本当にバイクが好きで、本気で勝つつもりで走っている)


 ただその勝負への本気さが、彼女の右手を痛みつけ、おそらくは痛みが酷くなればデリケートなアクセルワークが出来なくなるであろうことも想像できた。





 多くの予想に反して、レースが後半に入ってもフレデリカの勢いは然程衰えなかった。

 ロードレースのライディングスタイルは、ハイグリップタイヤの進化に伴い、近年一層タイヤのグリップ力に依存するようになっていた。強力なグリップ力前提であるために、タイヤのコンディションによってタイムが大きく変わってくる。場合によっては、レース前半と後半で、走るラインまで変えなくてはならない。しかし一昔前、エンジンパワーが完全にタイヤや車体の性能を上回っていた時代に活躍したアメリカやオーストラリアなどのダートトラック出身ライダーにみられたような、最初からドリフト前提のライディングスタイルの場合、意外とタイヤが消耗してきても乗り方は変化しない。タイムはそれなりに落ちてくるが、近年主流のコントロールし易さを重視したロードレーサーよりも安定していたりするから皮肉なもだ。

 フレデリカもその例に洩れなかった。そしてフレデリカは、特別なフレデリカ仕様のセッティングによって、今の時代でも十分速かった。


 レースは3分の2を終えて、残り10周を切っていた。後ろのシャルロッタと愛華の姿は、ストレートで振り返っているも見えないまで拡がっていた。


(もしかしたらこのまま行けるかもしれない!)


 ラニーニの頭に勝算が浮かんだ。ただその場合、新たな二つの問題が生じてくる。フレデリカがこのまま走り切るとすれば、彼女はラニーニにとって、優勝を争う相手であるという事になる。

 はたしてこの怪物に勝てるのか?もし勝てるとしても、フレデリカはずっと先頭で負担を背負ってきた。ずっと後ろで負担を避け、最後の場面で抜くのはフェアと言えない。反則ではないが、ラニーニが新しいイタリアのエースとして、チャンピオンをめざす者としての資質が問われるだろう。


 『イタリアのエース』、それはイタリアにおいて特別な存在だ。イタリア国民のアイドルであり、子供達の憧れの存在なのだ。これまでその地位を守ってきたバレンティーナは、ムジェロでの一件以来、すっかりファンから見放され、イタリアの面汚しとまで言われてしまってる。イタリアのエースに卑怯な戦い方は許されない。フレデリカが先頭交代を拒み続けるなら、ラニーニから積極的にアタック仕掛けるしかなかった。


 ────因みにシャルロッタはイタリアでも人気は高いが、イタリアのエースとは呼ばれない。彼女が卑怯とは誰も思わないが、さすがのイタリア人も、彼女を自分たちの代表であるとは認めたくはないらしい。シャルロッタの奇行のせいもあるが、彼女はイタリア人の誇りとするバイクブランド、ジュリエッタを貶め続けているためだ。


 




 ラニーニがフレデリカへのハードなアタックを始めた後方で、愛華はまだ追い上げるタイミングを計りかねていた。

「そろそろ追い上げ始めた方がいいんじゃない?なんか前の二人、えらく調子いいみたいよ。もう見えなくなってきたんだけど」

 シャルロッタもこの頃には、ようやくフレデリカとラニーニの“逃げ”に危機感を感じ始めていた。シャルロッタがそう感じるとは、相当ヤバい状況である。

「えっ、そうですね……っ、離され過ぎちゃったかも!いかなくちゃ」

 シャルロッタから催促されて、愛華は自分の失敗してはいけないという思いから、明らかにスパートのタイミングを逃したことに気づいた。


「すいません、シャルロッタさん。わたしのせいで……」

 怒られるのを覚悟して謝ろうとする。

「ぐだぐだ言ってないで、さっさと追いかけるわよ」

 愛華の予想に反して、シャルロッタは責めなかった。

「でも……もう追い」

 追いつけない、と言おうとした。

「こんなにがまんしたの、去年エレーナ様に挑んだとき以来よ。あんときは朝ごはん食べてなかったから負けたけど、今日は絶好調よ」

 去年の最終戦でエレーナに挑んだ話は、シャルロッタの黒歴史になっていた。それを自分から持ち出してきたことに、愛華は少々戸惑った。

「それに今日は、あんたがあたしの味方してくれるんでしょ?負けるわけないわ」

「シャルロッタさん……」

 愛華は自分を恥じた。こんなにも信頼してくれているのに、自分から諦めようとしていた。愛華の胸に熱いものがこみ上げてくる。しかしシャルロッタは、愛華のそんな感動なんて、まるで理解していないように言い放った。

「あんたにしてはおいしい見せ場用意してくれたじゃない。スーパースペシャルウルトラバーニングライドで行くから遅れないでついて来なさい!」

「あっ、ちょっとまっ」

 愛華の返事を待たず、シャルロッタはとびだす。愛華もあわてて後を追う。

 このときを待ちわびていたシャルロッタは、意気揚々と飛ばしに飛ばし始めた。感動的シーンより、この方がいきいきとしている。走ることしか脳がない、訂正、走ることが本能の生粋のサラブレッドなのだ。


 落ち込みから立ち直った愛華も、必死であとを追う。少しでも自分の判断ミスを取り戻すために、シャルロッタの風避けになろうとするが、焦るばかりで付いていくが精一杯だ。

 シャルロッタのスーパースペシャルウルトラバーニングライドに付いていくには、余計な事を考えている暇なんてなくなっていく。知らないうちに愛華は、走ることだけに集中していた。



 ラニーニから追い越しを仕掛けられ、フレデリカのリズムが乱れ始めた。後方から一気にスパートしたシャルロッタと愛華が、拡がった間隔を詰めていく。

 トップ二台のペースが遅れ始めた事とシャルロッタと愛華のMoto2クラスにも迫るハイペースを考えれば、レースの行方はまだまだわからなくなった。


 追い上げこそ、シャルロッタの最も得意にして大好物のレーススタイル。逃げ切りより、圧倒的破壊力で観客を魅了する快感は堪らない。シャルロッタは温存していた力を解き放ち、フルスピードでトップを追う。愛華もそのシャルロッタのアシストすることだけをめざして、必死に付いていく。観客たちは、愛華の判断ミスなど想像もせず、元からそういう作戦だったと思い込み、興奮を爆発させた。当事者のシャルロッタでさえ、素敵な見せ場を演出してくれたと、半分本気で愛華に感謝しているぐらいなので、観客が気づかないのも無理はない。



 観戦席から、歓声と鐘を打ち鳴らす音、大音響のホーンや爆竹の音と煙まで沸き起こり、走っているライダーにもその興奮が伝わってくる。興奮の波は、シャルロッタと愛華がどの辺りを走っているのかコースを見なくてもわかるほどサーキットを震わせた。

 

 

 フレデリカは、ラニーニから激しいアタックを受けながら、背後から津波のように追いかけてくるプレッシャーに気づいた。

(やっと来てくれたわね。遅かったじゃない。あんたが来るまでリタイヤ出来ないって、ずっと痛いの耐えていたのよ。楽しませてもらうから)


 ラニーニも迫り来る緊張と恐怖をひしひしと感じていた。

(アイカちゃんとシャルロッタさんがきてる!やっぱりそんなに甘くないよね)

 どこかで期待していたものではあったが、実際の圧力は想像以上だ。それは熱狂した観客の打ち鳴らす鐘やホーンのせいだけでない。ゾッとする威圧感が迫ってくる。


 これまでまったく先頭を譲ろうとしなかったフレデリカが、突然ラインを外した。ミスしたのではない。まるでこれからのバトルに、あなたは邪魔だとでも言うように、ラニーニを先頭に押し出したのだ。

 ラニーニは一瞬躊躇したが、そのまま前に出る。フレデリカは最初から、自分はおろか、レースすらどうでもいいと思っていたんだと、先ほどまで抱いていた考えの誤りを修正した。

(フレデリカさんはレースに勝つために逃げてたんじゃない。エレーナさんやスターシアさん、ケリーさんやバレンティーナさんたちに邪魔されない状況で、シャルロッタさんと勝負したかったんだ)

 おそらくシャルロッタもそれを感じ取り、愛華のアシストをも拒んで、承けて立つだろうと想像できた。シャルロッタがそういう人なのは間違いない。


 怪物同士の競争から除け者にされて、『イタリアのエース』の自負が傷つけられたのは事実だが、そこに加われないのも自覚している。そしてこのバトルのあと、必ずシャルロッタと愛華が自分を追いつめて来るのがわかっていた。



 追い上げてきた自分と同じ属性のライバルを迎えるように下がったフレデリカを見て、シャルロッタも彼女の目的をすぐに理解したが、愛華はシャルロッタを守ろうと前に出た。

「アイカ、そいつはあたしと勝負したいみたいだから、手出ししないで」

 厳しい口調ながら、どこか楽しんでいるようにも見える。愛華の胸に不安がよぎる。

「大丈夫、レースにはちゃんと勝つから。あんたはちっさいのが逃げないように抑えに行って」

「でも、」

 そんなこと言われても、簡単にフレデリカの前に出られるとは思えない。第一そんな私闘みたいなバトルを見過ごすわけにいかない。しかしシャルロッタは、さも当然のように愛華に言った。

「そいつの目的はあたしだけだから、あんたは通してくれるわ」

 シャルロッタの言った通り、フレデリカはあっさり愛華にもコースを譲った。

 本来なら許せるはずもないのに、愛華は止めることも出来ず、フレデリカの前へと押しやられる形となった。

 先ほどの判断ミスに、まだ負い目を感じているからだろうか、成り行きに逆らうことができなかった。


(きっとエレーナさんに叱られちゃうなぁ)

 こんな状況になったことを、なんて説明したらいいんだろう?スパートが遅れたのは確かに自分が萎縮してしまったからだが、結果的には追いつけた。しかしここでシャルロッタを不要なリスクから守れず、アクシデントに捲き込まれでもしたら、エレーナからの信頼を完全に失ってしまう。

(わたしがエレーナさんだったら、シャルロッタさんも言うこときいてくれるのに……)


 果たしてそうだろうか?そもそもエレーナからして、こういったプライドを賭けたガチンコバトルが嫌いじゃない。それこそ昨年の最終戦でよくわかっていた。

(みんな自分勝手ばっかりして……真面目に悩んでたわたしが馬鹿みたいじゃないですか)


「もぉ、勝手にしてください!」

 とにかく信じよう。シャルロッタさんが負けるはずがない。わたしは全力でラニーニちゃんを足止めしよう、と開き直った。


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― 新着の感想 ―
[一言] 所詮、みんなライバルに勝ちたいだけだな! う〜ん、健全な果たし合いだ。
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