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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
113/398

予想通りと思い違い

 フレデリカが序盤からハイペースでとばすだろうとは、誰もが予想していた。もしかするとシャルロッタが釣られるかもとの期待も、ライバルだけでなく、彼女のファンの中にもあった。強すぎるチームは、レースを退屈にする。

 シャルロッタの負けるのを期待しているのではないが、簡単に勝ってもつまらない。

 エレーナや愛華たちには悪いが、シャルロッタはいつものお馬鹿キャラで、ピンチに陥ってからチームメイトと協力しての奇跡的な追い上げを魅せて欲しい。

 そんなわがままで贅沢な期待は、ファンだけでなく、スポンサーやスミホーイの広報、重役たちまで期待している節があった。

 シャルロッタが通常ならクビになってもおかしくないような自滅的行動をとっても、エレーナにどつかれるだけで済んでいるのは、スミホーイ社内やスポンサーにもそんな雰囲気があるからだろう。


 しかしチェコGP決勝の展開を不明瞭にしているのは、フレデリカに釣られたのが、堅実なラニーニであった事だ。

 ラニーニが、ここまで優勝二回しかしていないにもかかわらずランキングトップにいるのは、安定して表彰台に上がっているからだ。表彰台を逃がしたのは、四位に終わったラグナセカだけである。

 シャルロッタの直情的な速さとは対極に位置する安心感、愛華と並んで嫁にしたいライダー、トップ2のラニーニが、リタイアするのがわかっているフレデリカと共に逃げを仕掛けた。逆にシャルロッタは愛華と共に、計算されたペースを維持している。その他のアシストたちは、どちらのチームもセカンドグループから脱け出せないでいた。


 予想外の流れに、観客たちは最初戸惑っていたが、やがてはフレデリカがリタイアし、ラニーニのペースが落ちたところでシャルロッタと愛華がスパートをかけて、あっという間に勝負が決まるだろうという空気に変わっていった。シャルロッタがスパートした時がお祭りの始まりと、その時に備えてのんびりレースを見守り始めた。


 しかし、走っているライダーたちには、観客が思うほど単純なレースではなかった。


 フレデリカの走りは、以前レースでラニーニが見たときより一段と異質になっており、予想以上に激しいものであった。

 ラニーニはこれまで、様々なライダーと走り、個性豊かなライディングを見てきた。


 レース運びが巧みで、テクニックのバリエーションも豊富なバレンティーナ。エレーナの圧倒的迫力の走り。芸術的な走りのスターシア。それまでのライディング技術を進化させ、現在主流のライディング理論を完成させたケリー。そして真似しようにも到底届かない天才シャルロッタ。ハンナからは完璧なテクニックと戦術を学んだ。誰もが同じ時代にいるのが不幸なほどの名ライダーたち。フレデリカは、その誰ともまったく違うのに、同じくらいか、それ以上に速い!


 パーッン、パン、パン、とシフトダウンをしながらコーナーにとび込んでいき、リアをスライドさせながらバイクを深く寝かせていく。そしてフルバンクの最中もリアタイヤはドリフト状態のまま、しかもエンジンはパワーバンドを維持している。それだけでも異常なのに、その状態で他とは違うラインを正確にトレースし、クリップを過ぎるとすぐにトラクションをかけ始める。スロットルを開いて、マシンは強烈に加速しようとするが、当然すぐにホイルスピンを始め、エンジンはオーバーレブ域に達するも構わず、むしろそれを楽しんでいるかのようにドリフトさせながらのシフトアップを繰り返し、信じられない加速で立ち上がっていく。


 まるで考えられない走り。一言で言えば、常識はずれだ。シャルロッタでさえ、まともに思える。

 幼い頃より(本人曰く生まれた時から)ヨーロッパのサーキットで育ったシャルロッタの走りは、超人的な感覚を持っているとは言え、基本テクニックは他のライダーと同じだ。その次元が余りに高過ぎるのと彼女の言動から変人扱いされているだけで、特殊なテクニックは使っていない。(本人は中二病的名前で呼んでいるが、大半は基本テクニックを高度に応用したものに過ぎない)

 しかしフレデリカの走りは、ロードレースに於けるコーナーリングセオリーそのものを無視している。

 パワーバンドの狭いMotoミニモのエンジンで、まるでホイルスピンを半クラ(ハーフクラッチ)代わりのようにタイヤを滑らせて、回転を落とさずコーナーを抜けていく。

 めちゃくちゃに見えて、不思議と危なげない。それが彼女にとってあたり前の走り方なのだ。


(あんな走り方してたら、エンジンもタイヤも、すぐにダメになっちゃうはずだよ)

 ラニーニは、フレデリカの走り方に驚きながらも、間近で観察させてもらった。


 豪快な中にも、繊細さも窺える。小さな排気量と言えど、レース専用に作られたMotoミニモのエンジンは、ピーキーでパンチがある。中でもフレデリカの仕様は、特にピークパワーを追求していると言われている。そのフレデリカ仕様のマシンを、ドリフト状態のままフルバンクさせ、正確にクリップを掠めていくには、卓越したバランス感覚とマクロ単位のスロットルコントロールが要求されるはずだろう。その上暴れるマシンを抑えるのだから、右手の負担は計り知れない。



 違うチームであっても、二台で逃げを仕掛けた場合は、先頭交代しあって負担を分け合うのがルールだ。明確なルールがあるわけではなく、いわゆるレースマナーというものなので、守らなくてもペナルティーが課せられるわけではないが、ラニーニも先頭を交代しようとした。しかしフレデリカがそれを拒み、ラニーニをも引き離そうとペースをあげた。

 仕方なく、と言うよりラニーニにはついて行くのがやっとのペースに引きずられ、そのままフレデリカの後ろを追う。確かにラニーニが前に出ても、こんなペースは維持できない。

 ラニーニにとって速すぎるペースではあったが、おそらくシャルロッタと愛華が何らかの焦りを感じてくれる事を願った。スタート直後に二人のリズムを狂わせる目論みは失敗に終わったが、見えなくなるほど引き離してしまえば、シャルロッタも我慢できなくなってくれるかも知れない。

 そう信じるしかなかった。今さら後には退けない。

 もう賽は投げられた。

 

 

 フレデリカとラニーニとの距離がひらいても、まだシャルロッタと愛華は、最初の作戦通りのペースを維持し続けていた。ラニーニの突出は想定外だったが、フレデリカはゴールまでもたないという前提は変わっていない。シャルロッタはイラついてはいるようだったが、レース前に余程エレーナにくどく言われたのか、気味悪いほど愛華に合わせてくれていた。


「あんたの方が、レース展開は見えるようだから、あんたの指示に従ってあげるわ」

「え?」

 シャルロッタとは思えない謙虚な言葉に、愛華は無線が壊れたか混線してるかと思ってしまった。

「わかっていると思うけど、あくまでもあたしがご主人様なんだから、ちゃんとド派手な見せ場を用意しなさいよ」

 やはりシャルロッタの声だった。いつも暴走するシャルロッタに手をやく愛華にとっては、とてもありがたい言葉なのだが、同時に責任の重さを意識する。


 フレデリカとラニーニは、更にペースを上げて、その差を広げている。

 絶対に負けられないとの思いが、それまではフレデリカさんは途中で止まる、ラニーニちゃんだけならいつでも追いつける、と確信していたものから、もしかしたらフレデリカさんの右手はもう治っているかも?ラニーニちゃんとの差が拡がりすぎて、ゴールまでに追いつけなかったら?スパートするタイミングを逃したら負けるかも?と不安が沸き起こってくる。


(スパートのタイミング、慎重に見極めなきゃ……負けたらわたしの責任だよ。せっかくのシャルロッタさんの信頼を裏切るだけでなくって、エレーナさんやスターシアさんをがっかりさせることになる。それだけじゃなくて、シャルロッタさんを勝たせるために頑張ってくれたメカニックの人たちやチームの人たち全員の苦労を無駄にしちゃうんだ)


 そう思った途端、急に自信が揺らぎ始めた。一度浮かんだ不安は、たちまち愛華の頭の中で膨らみ、重圧となってのし掛かってきた。

 

 

 シャルロッタが愛華の指示に従うと言ったのは、まったくの本心からだ。

 自分が感情を抑えることが苦手なのは自覚している。エレーナ様にいつも叱られてる。そしてアイカは約束してくれた。一緒にチャンピオンを決めようと。

 もう自分でもわかっている。愛華はいつだって、シャルロッタの力になってくれる。


 愛華が急に緊張したのは、すぐにシャルロッタにも伝わった。どんな状況でも諦めず、最後はまわりを捲き込んむガッツを見せるあのアイカが、おもしろいほど不安がっている。

 この時点ではまだ、シャルロッタはラニーニを舐めきっていた。動揺する愛華を見て、ちょっとしたイタズラ心が顔を出してしまった。


 いつもエレーナ様にどつかれている自分と違って、アイカはエレーナ様からもスターシアお姉様からも信頼されている。

 嫉妬心もなかったとは言えないが、実力を認めているからこその軽い悪戯だった。


「前の二人、見えなくなりそうなんだけど、どうすんの?まさか負けるなんてことないでしょうね。あんたの言う通り走るから、ちゃんと勝たせてちょうだいよね」

 優等生の困り顔をちょっと見てみたいという、先生に目をつけられている問題児のようなノリ。ほんの軽い気持ちだった。信頼し合ってる者同士の軽口のつもりだった。

 ラニーニなんかに負けないという自信と愛華なら多少動揺しても、最終的には仕事を果たしてくれるという甘い考えがあったのは否めない。


 愛華が悩んでいのがおもしろい。「追撃します」と言ってくれれば、すぐにそうするつもりだったし、「まだ早いです」と言われれば、我慢して従うつもりだった。


 しかしこの時、真面目な愛華は、シャルロッタほど楽観的になれない心理状態に陥っていた。


 ピットからの情報(サインボード)は、前回同様残りの周回数しか示されていない。


 ラニーニちゃんの意図がわからないよ。フレデリカさんのペースは速すぎるみたいに見えるけど、もしラニーニちゃんがわかった上でついていってるとしたら、早めに追い上げないと逃げ切られちゃうかも……。ラニーニちゃんタイヤの使い方上手いし、フレデリカのさんの後ろでセーブしてるかも知れない。でも早すぎるスパートは、墓穴を掘ることになるんじゃ……シャルロッタさんが無理して追いついても、力温存してたら、どうしよう……。


 この場合、シャルロッタの楽観的思考で正解である。ラニーニの不利は動かし難い事実であり、この時点で追い上げても、或いはこのままペースを保っても、間違いではない。しかし愛華は、誤った判断をした。否、判断する事から逃げてしまった。


「とりあえずこのままで、エレーナさんたちを待ちましょう」

 ペース維持を判断したのではない。信頼に応えなくてはというプレッシャーは、逆にエレーナを頼るという責任放棄とも言える選択をさせてしまった……。



 シャルロッタも、愛華らしくない言い方に違和感を感じた。

 コンタクトにゴミの入ったカタロニアGPで、エレーナ様顔負けの迫力で自分を引っ張ったパートナーと同じ人物とは思えない。

 ちょっと意地悪しすぎた?とも思ったが、まだそれほど深刻には捉えてなかった。今さら励ますのもシャルロッタらしくない。もしエレーナが来なくても、どうせ愛華なら自分で立ち直って、偉そうに導いてくれると思っていた。


 絶望的な状況にあっても、決して諦めないのが愛華である。しかし考えてみれば、愛華はアカデミーで初めてバイクに乗って、僅か三年足らずのレースビギナーでしかない。それがGPのトップチームで、タイトルを争う戦いの中にいるのだから、本来緊張するのも無理はない。これまでは、負けることを恐れず、がむしゃらに走るだけの立場にいられた。自分の判断で走ったレースも経験しているが、あくまでアシストとしての立場である。エレーナに代わって、勝敗を決定する司令塔としての役割を意識した途端、急にその重責が怖くなってしまった。


 プレッシャーとは、時に困難な状況より、勝つのがあたり前の状況の方が大きく深刻になる場合がある。それはちょっとしたきっかけで突然現れ、一旦囚われると、どんどん怪物化していく。


 この件でシャルロッタを責めるのは間違っているだろう。エレーナも、愛華の身にこういった試練が、いつか訪れるだろうとは想像していた。これまでも悩んだり落ち込んだりする事はあっても、順調すぎるほど急激に駆け上がってきた愛華である。シャルロッタのような天性の能天気ならともかく、生真面目な愛華であれば、尚更責任の重さを感じやすいだろう。しかしそれは、必ず乗り越えなくてはならない壁だと思っていた。時間がかかっても、愛華なら必ず乗り越えられると信じていた。

 一流のライダーになるには、いくつもの壁を乗り越えなくてはならない。中でもこの壁は、愛華にとって大きな意味を持つ。この壁を越えられなければ、エレーナの後継者としての資質は、ないといえるのだから。


 エレーナはまだ、愛華が今、その時を迎えているのを知り得ないポジションに足留めされていた。


 ラニーニが期待したものとは違っていたが、シャルロッタと愛華の間に、微妙な距離が生じたのに変わりない。

 ラニーニにとってのチャンスは、シャルロッタの暴走ではなく、愛華の強い責任感と真面目さによって生まれようとしていた。


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[一言] コレばかりは経験がモノを言う領域かと。 でも、誰もが辿る道ですよね。
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