ラニーニの決意と愛華の自信
予選のタイム順に並んだ色鮮やかなマシンの群れ。取り囲むメカニックや傘持ちガール、カメラマンやら関係者だか観客だかよくわからない連中。レース前の一時の華やかな風景。華やかさを一層引き立てているのは、その中心でバイクに跨がっているスリムな女性ライダーたちである。プロアマ問わず、多くのカメラマン、カメラ小僧を、他のクラス以上にグリッドウォークに群がらせている。
主催者は結構な値段の入場パスの売上げが増え、スポンサーもネットや雑誌に商品企業名が広がる事を歓迎している。ライダーを容姿だけで選ぶ事は出来ないが、キャンペーンギャルには各スポンサーが選りすぐりのモデルを投入して、中にはライダーよりキャンギャル狙いのカメラマンも少なくない。
これから危険と背中合わせのレースを前に何を不謹慎な、との声もない訳ではないが、愛華はこの時間が割りと好きだった。
カメラを向けられるのは今でも恥ずかしいけど、一見のんびりしてるようなこの空間が、フォーメーションラップの時間が迫るにつれ、タイヤからウォーマーが外され、傍観者たちをコースから追い出していくに従い、レースに向けた緊張が高まってくる。次々に耳をつんざくエキゾストノートが唸りをあげると、興奮のボルテージは一気に高まる。
その瞬間、エレーナさん、スターシアさん、シャルロッタさんと神経回路がつながり、一体になれる気がする。友だちだったラニーニちゃんや恩師のハンナさんが、負けられないライバルに変わる。華やかな世界から、スピードと爆音の支配する非日常の世界へと流れ込んでいくこの時間が好きだった。
シャルロッタはいつも通り、係り員に追い立てられるカメラ小僧相手に、ギリギリまで意味不明な決めポーズをとっている。
フレデリカは悲壮感すら漂わせ、じっとおちゃらけたシャルロッタを睨んでいた。
すぐ横に並んだラニーニからは、特に気合いが入っているのが伝わってくる。
やがてシャルロッタが動き始めるのに合わせて、愛華もクラッチをつないで、ゆっくりとフォーメーションラップに入っていく。
シャルロッタの後ろに並んで彼女と同じように、大きくマシンを左右に振り、タイヤを路面に押しつけるようにコンパウンドを馴染ませながら、コースの状態を確めていく。
後ろを振り返ると、ラニーニも二人にぴったり付いてウォームアップをしていた。
いつもは黙々と集中力を高めながらフォーメーションラップをまわるラニーニにしては、かなりシャルロッタと愛華を意識しているのが窺えた。
(ラニーニちゃん、このレース絶対敗けたくないんだね……)
二連勝を許し、一気にポイント差を詰められたラニーニとっては、なんとしてもシャルロッタの三連勝だけは阻止したい。前半戦のリードで逃げ切れるとは思ってなかったが、ここで流れを変えないと後半戦は完全にシャルロッタと愛華のペースになりかねない。
愛華はラニーニの作戦が、序盤は自分たちをぴったりマークし、終盤のチャンスを狙っていると感じた。シャルロッタは、熾烈なバトルの最中より、勝ちの見えたゴール前に迂闊なミスを犯しやすい。そのときまで射程距離にいれば、チャンスはあると踏んでいるようだ。
(ごめんね、ラニーニちゃん。シャルロッタさんが本気になったら、ラニーニちゃんでもついて来れないと思うよ)
友だちであっても、勝負に手を抜く気はない。お互いに正々堂々と、持てる力を尽くして戦いあえるからこそ、欠けが得ないライバルだ。
ラニーニも、ずっと培って来た技術と知識と経験を尽くして、今や最も波に乗ろうとしている最速コンビに挑む決意を固めていた。
フォーメーションラップを終えたライダーたちは、正規のスターティンググリッドにマシンを停めていく。
最後尾の一台がスターティンググリッドについた。エンジン音が一際大きくなり、そのときを観客たちも固唾を飲んで見守る。
レッドシグナルが消えた瞬間、白煙とともに一斉に動き出した。
先頭で飛び出したのは愛華だ。すぐ後ろにシャルロッタが入る。ラニーニも遅れず、シャルロッタのスリップに潜り込んだ。フレデリカは外側にラインをとり、1コーナーから仕掛ける構えを見せている。後ろでは、ナオミが三列目から四人を抜き、エレーナとスターシアの前に出た。しかしフロントローの四人とは、やや開いている。
愛華がホールショットで1コーナーにとび込んだが、予想通りフレデリカが外側から被せてきた。愛華は無理に張り合わず、フレデリカに先行させることにする。
フレデリカに譲るような形でアクセルオンを遅らせると、フレデリカは初っ端から全開で抜いていく。今回も最後まで走りきるつもりはないかのようだ。愛華はシャルロッタが熱くならないように、ペースを保とうとした時、フレデリカに続いてラニーニまで、愛華たちの外側を抜けていくのを目にした。
「!!!」
一瞬、シャルロッタが熱くなって、フレデリカを追い立て始めたかと思った。まさかラニーニが、最初から全力で来るとは、思ってもいなかった。
ラニーニはフレデリカと同じように、フロントが浮きあがるほど全開で加速して行く。あの調子でとばせば、タイヤもエンジンも消耗して、終盤のシャルロッタとの勝負のときには、力尽きてしまいかねない。
「どきなさい、アイカ!あたしらも行くわよ!」
後先考えないシャルロッタがすぐに反応し、二台を追おうとする。
「待ってください!フレデリカさんは最後まで走りきれません。つきあえば、こちらも消耗するだけです」
「そんなこと言っても、ラニーニまでとび出したじゃない。あのチビもゴールする気ないの!?」
それが愛華にもわからない。逃げ切れる根拠があるのか、単なる一か八かの賭けなのか、シャルロッタを揺さぶる作戦なのか、あまりに予想外過ぎて今の時点では判断がつかない。
「わかりません。でも今はペースを保って様子を見る方がいいと思います」
「あんた友だちなんでしょ?それくらいわかりなさいよ!」
友だちだから尚更わからない。ラニーニが逃げ切れる根拠は思いつかないし、彼女がそんな無茶な賭けをするとは思えない。シャルロッタを挑発したとしても、ラニーニのリスクも高くなる。シャルロッタのミスを誘う作戦は、可能性は低くはないが、上手くいかなかった場合、ラニーニの完走さえも危うくする危険性がある。そもそもシャルロッタは、追っているときの集中力は凄まじい。逃げ切り作戦なんて、シャルロッタのやる気を高める効果しかないのは、ラニーニもよく知っているはずだ。
それに愛華には、ラニーニが堅実な方法で挑んでくる以外のイメージを持ち合わせてなかった。
「大丈夫です。逃げに入られてもシャルロッタさんならすぐ捕まえられます!ペースを保ってください」
多少離されても、相手は別々のチームのまったくスタイルの違う二人だ。フレデリカの瞬発力とラニーニの最近の速さを考慮しても、愛華と連係したシャルロッタから逃げ切れるとは思えない。場合によっては、エレーナとスターシアが合流してから動いても手遅れではないと判断した。
シャルロッタもその場はとりあえず愛華に従ってくれたのはよかったが、せめてエレーナさんの指示を受けたかった。
それは愛華らしい真面目な性格と慎重さと言えたが、レース中における司令塔としての自信のなさの表れでもあった。
そのエレーナとスターシアは、セカンドグループに埋もれ、抜けだせない状況にあった。
スタートで前に出たナオミを阻まれ、ハンナとリンダにも囲まれていた。その上ケリーとバレンティーナ、それにマリアローザにまで後ろから仕掛けられ、当然ペースは上げられず、早くもトップグループとの距離は広がりつつあり、愛華たちとのコミニケーションは遮断されていた。




