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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
108/398

シカゴの長い夜

 GPは、ちょうどシリーズの中間を過ぎて、ラグナセカから次のインディアナポリスまでの四週間の夏休みに入った。昨年、この期間にシャルロッタが負傷したため、愛華が代役として抜擢され、スミホーイのテストコースで走り込みをしていた時期だが、今年はのんびりアメリカ観光でもしながら休養するようにとエレーナから言われた。

 愛華はもっともっとバイクに乗っていたかったが、ライダーもマシンも、特に問題もないので愛華とシャルロッタは休養、というより、バイクに跨がることを禁止された。昨年シャルロッタは、モトクロスバイクで転倒して、大怪我をしたのだ。

 シャルロッタと愛華には、バイク禁止と言っておきながら、エレーナとスターシアはツェツィーリヤのテストコースに戻り、燃費向上を図るプログラム変更とデータ取りに向かった。極限まで突き詰めたマシンは、簡単に短期間で改善されるものではないが、少しでも多くのデータを集めることは、レースの作戦展開をより確実にする。燃費の不安がないシャルロッタと愛華を休ませたのは、エレーナの心使いだ。但し、シャルロッタがアホなことしないか見張っているように言われたので、完全にリラックスも出来ない。


 もしかしてエレーナさんは、シャルロッタさんを押しつけたのかも?との疑いも浮かんだが、初めてのフルシーズン参戦で、緊張の連続だった愛華には、息抜きも必要だ。考えてみれば、世界中を転戦していても、ゆっくり観光などしたことがなかった。バイクを降りたシャルロッタは、只の中二病で、一緒にいてちょっと恥ずかしい以外は、それほど迷惑にはならない。この休暇が、愛華にとって大きなモチベーションの補充となる。


 はじめは大袈裟すぎると遠慮したかったが、エレーナがつけてくれた運転手兼ボディガードは、ルーシーという二十代後半ぐらいのきれいな女性で、車の免許がないシャルロッタと愛華には、とても助かった。この女性、顔はすごくきれいで、背も高く身体も引き締まっているが、肩幅は広く、襟と袖口から覗く首や腕の筋肉は、いつも鍛えていることがスーツを着ていてもわかる。普段はスミホーイのアメリカ支社の警備員をしているそうだが、運転だけでなく、宿泊やチケットの手配から観光案内まで、有能な秘書のように働いてくれた。愛華はもっとフランクに話をしたかったが、必要な時以外口を開かず、話しぶりも完璧っぽい英語で、なんとなくエレーナさんに似ていて、知らないと冷たい感じと思われそうだ。ルーシーが本名かどうかも疑わしい気もするが、あまり詳しく詮索しない方がいいみたいだ。

 しかしシャルロッタは、そんな執事のようなルーシーさんを、えらく気に入ったようで、観光で訪れたハリウッドでも、ゴシックロリータファッションに身を包んだシャルロッタと一分の隙もないスーツ姿のルーシーが並んでいると、何かの撮影と思われてしまった。愛華にはコスプレイベントの参加者にしか見えないのだが……。


 そんなこんなで、はじめは愉しい日々をすごしていたが、哀しいかな、観光旅行など無縁だった二人は、観光地めぐりも4~5日もすれば、もう飽きてしまった。アメリカは広いので、インディアナポリスに向かう間、色々なところを廻ればいいと考えていたが、雄大な景色も、巨大なテーマパークも、思ったより感動がない。

 シャルロッタなど、グランドキャニオンの深い渓谷を、バイクで飛び越えてみたいなどとアホなことを言い出す始末だ。お目付け役の愛華も、遊園地の絶叫マシンのスリルより、サーキットの緊張と充実感が恋しくなっていたから、シャルロッタの気持ちが解らなくもない。早くエレーナさんやラニーニちゃんに逢いたいなぁ、と思っていたところへ、意外な人物から連絡があった。


『あいか、いまどこにいるの?』

 スマホから聞こえる明るい日本語は、中学の頃のクラスメイト、智佳だ。

「どこって、アメリカだよ」

『それは知ってるって。だからアメリカのどこ?』

「ラスベガスだけど、どうして?」

『わたしも今アメリカにいるんだ。あっ、そうそう、アメリカGP二位おめでとう!』

「ありがとう、ってホント!?アメリカのどこ?」

『今シアトルだけど、これからニューヨーク行って、そのあとブルズの本拠地、シカゴに行く予定』

 バスケガールの智佳は、あのバスケットボールの神様がいたシカゴブルズの大ファンだった。

「ええっ、シカゴのあるイリノイ州ならインディアナの隣だよ。わたしたち、このあとインディアナポリスに向かうんだ」

『うん、知ってる。だからもし時間があれば、会えないかな?って思ったんだけど』

「もちろん会いたいよ。シカゴにはいつまでいるの?」

『それがさぁ、来週中には日本に帰らないといけないんだ。インディのレースは三週間後なんだよね』

 レースウィークの水曜日にはサーキットに入るとしても、まだたっぷり時間はある。せっかくの休暇なので、のんびりとアメリカ各地を旅しようとシャルロッタと計画していたが、すぐにでも飛んでいきたい。しかし愛華が勝手に決める訳にはいかない。

 気がつけば、シャルロッタが愛華の横に来て、聞き耳を立てていた。愛華はシャルロッタの顔を窺う。

「なによ!?あたしにも解る言葉で話しなさいよ。それとも聞かれてまずい話なの?」

 シャルロッタは、盗み聞きしていた事を悪びれもせず、逆に文句を言ってきた。彼女も、アメリカンロードムービー的なのんびり旅には、すでに退屈しているみたいだ。思いきって訊いてみることにした。

「えっと、わたしの友だちのトモカって、覚えてますか?バスケットボールやってる背の高いコです」

「当たり前でしょ。あたしの友だちでもあるんだから」

 友だちの少ないシャルロッタの中では、去年日本GPのとき知り合った愛華の元クラスメイトは、みんな自分の友だちになっていた。

「そのトモカちゃんが、今アメリカにいて、これからニューヨークへ行くそうなんです。そのあと来週にはシカゴへ行ってから日本に帰るそうだけど、その……ちょっと予定早めて来週シカゴに行ってもいいですか?」

 シャルロッタの眼が輝いた。

「あたしたちも今すぐニューヨークへ向かうわよ!」

 シャルロッタが、愛華のスマホに向かって叫んだ。

「だそうです」

『あはは、うれしいけどごめん。ニューヨークではいろいろ大学とか見て廻る予定なんだ。ちょっと時間作れないかも』

「トモ、アメリカの大学に留学するの?」

『まあ、ちょっと考えてるところ。で、シカゴで会えるってことでいいよね。詳しいことは会ったときに』

「うん、楽しみにしてる」

 愛華は、智佳の日程と宿泊先を訊いて、電話を切った。

 振り返ると、シャルロッタはルーシーさんにシカゴ行きのチケットを、すぐ手配するように命令していた。

「シャルロッタさん、トモがシカゴに行くのは来週ですから、そんなに慌てなくても」

「なに言ってるの!来週中には日本に帰るんでしょ?遅れたら逢えなくなっちゃうじゃない。ルーシー、今日中にここを発つわよ」

「早急に手配します」

 シャルロッタが当たり前のように命令すると、ルーシーも当然のように応えた。まるで本物の(あるじ)と執事のようだ。

「わがまま言ってすいません」

 愛華がわがままお嬢様に代わって謝った。

「いえ、お気になさらず。エレーナ様から、お二人の要望に可能な限り沿うように言われておりますので」

 たぶんエレーナは「シャルロッタのわがままをいちいち聞け」とは言う筈ないので、この人も執事役が結構気に入っているのかも知れない。



 結局その週の内にシカゴに到着したが、智佳も土曜日にはやって来れそうで、おかげで早く会えて、長く一緒に居られることになった。

「何ごとも余裕をもって行動しなくちゃダメってことよ。あたしのおかげよ、わかった?」

 シャルロッタのおかげと言うより、ルーシーさんのおかげだ。シャルロッタは余裕と言うより、慌てただけである。

 ルーシーさんはここでも抜かりなく、智佳の泊まる予定のホテルの最上級の部屋を予約しておいてくれた。超一流のホテルではないにしても、愛華には贅沢すぎると感じてしまう。

「シカゴの街は、あまり治安がよくありませんので。警備上、最上階が最も安全と判断しました」

「わたしは別にトモカちゃんと同じ階でいいですよ」

「ご安心ください。三人とも同じ部屋です。トモカ様もこちらに移ってもらいます」

「それじゃルーシーさんは?」

「私は廊下にいますので、ご心配なく」

 この人、絶対ただの警備員じゃない。もっとも愛華自身自覚がないが、シャルロッタはスター選手だし、愛華も有名人物になっているので、それなりの警護も当然と言えば当然だ。



 智佳がやって来ると、愛華よりシャルロッタの方がはしゃいで、智佳と愛華を困惑させた。やっぱり友だち少ないんだなぁ、シャルロッタちゃん。

 その夜は、修学旅行の女子高生のように、ベッドでお菓子をポリポリしながら深夜まで語り明かした。愛華と智佳が日本語で話すと、シャルロッタは「あたしにもわかる言葉でしゃべりなさい!」と怒るので、面倒でも英語で話すか、いちいち二人で説明しなければならなかったが、それなりに楽しかった。


 精神年齢と相応の睡眠時間を必要とするシャルロッタが、すやすやと寝息をたてはじめた頃、愛華が気になっていたことを智佳に尋ねた。

「トモ、アメリカの大学に留学するの?」

「まあね、出来ればだけど。やっぱりバスケットボールの本場、アメリカでやってみたくなった」

「やっぱり白百合じゃあ、トモ不完全燃焼だったんだね……」

 愛華は、智佳の高校三年の夏が、もう終わってしまったのは、薄々感じていた。母校白百合女学院のある愛知県は、全国大会で何度も優勝している超強豪校がある。『愛知代表になるには、全国制覇より難しい』とさえ言われていた。もし予選を勝つ抜いていれば、この時期旅行なんてしてられないはずだ。

「別に不完全燃焼ってわけじゃあないんだ。チームメイトや後輩たちと力を合わせて精いっぱいやったし、全国三連覇中の短大付属を苦しめたんだから、満足してる」

「でも、もっとバスケットボール続けたくなった?」

「そういうこと。実は、高等部にあがるとき、短大付属から来ないか、って声あったけど、わたし白百合好きだから……、あいかもいたしね。それなのにあいかは外国行っちゃうし」

「ごめんね……」

「別に非難してるんじゃないよ。わたしがアメリカ留学めざしてるのも、あいかのせいだしね」

「ええっ!わたしのせい?」

 愛華が思わず大きな声をあげた。智佳がその口を塞ぐ。

「しーっ、シャルロッタちゃんが起きちゃうよ」

 智佳がイケメン顔をよせて、小声で言う。智佳の顔が近すぎてドキドキしながら頷いた。

「あいかが世界で活躍してるの見て、わたしも頑張らなきゃ、って思ったわけ。日本の大学からも誘われてるんだけど、なんか日本の強い学校って、わたしのイメージと違うんだよね」

「どうちがうの?」

「県予選敗退で満足してるわたしが言うのも変だけど、最終目標が全国制覇みたいな感じでさぁ、世界とか最初から諦めているとこあるんだよね。そりゃあ体格差とかあるし、厳しいと思うけど、NBAにだって小柄な選手いるし、あいかだって小さいのに活躍してるじゃん」

「レースは小さい方が有利なこといっぱいあるから」

「でもまったく経験もないのに挑戦したじゃん。それって凄い勇気だと思う」

 愛華は当時のことを思い出した。

「あたし、あの頃体操が出来なくなって、もう自分の存在価値なくなったと思ってた。たまたま観たテレビで、エレーナさんのこと知って、わたしもあんなふうに強くなりたいって思っただけ」

「それで本当になっちゃったんだから凄いよ」

「まだまだぜんぜんだよ。それにエレーナさんに拾ってもらえなかったら、たぶん今頃才能ないってアカデミー追い出されていたかも?だから全部エレーナさんのおかげなんだ。あっ、もちろんわたしが引きこもりみたいになってるときも心配してくれたり、ずっと応援してくれたトモやみんなのおかげでもあるんだけど」

「無理してフォローしなくてもいいよ。あいかが本当に頑張っているのは、わたしたちもわかっているから。エレーナさんもきっと、あいかの根性を見抜いてたと思うよ」

 智佳の顔に、ちょっと寂しそうな表情が浮かんだが、愛華は気づかなかった。

 少しの沈黙のあと、智佳が再び口を開いた。

「中学生の頃からオリンピックめざして必死に頑張ってたあいかと、楽しんでただけのわたしとの差が、今のあいかとわたしの差だと思う」

「わたしなんか……、そんなことないよ」

「ホント言うと、全然満足なんてしていない。やっぱり口惜しい」

 楽天的でいつも人気者だった親友が初めて見せたつらい表情。愛華は黙って聞いた。

「現実は、わかってるつもり。ちょっと遅れたけど、本気でどこまで行けるか、試してみたくなったんだ。無謀だって笑われるかも知れないけど」

「わたしは絶対笑わない。トモなら出来るよ。わたしの方がずっと無謀だったから。バスケのことはあまりわからないけど、トモの運動神経、オリンピック選手レベルだと思う」

 愛華などバイクに乗ったこともなかったのに、GPライダーになろうとヨーロッパに渡ったのである。智佳なんて日本の大学とはいえ、誘いがくるほどの選手だ。どちらが無謀かは、はっきりしている。

「世界のアイカに言われると、ちょっと自信湧くわ」

 そんな曖昧な言葉でなく、もっと力になってあげたかった。

「そうだ、あの人に相談してみようよ。バスケの神様だから、なんかアドバイスもらえるかも。もしかしたら、大学のコーチとか紹介してくれるかも知れないし」

 愛華は、昨年のアメリカGPのとき知り合ったバスケの神様をもち出した。彼は今年もラグナセカに来ていたが、自分がオーナーのチームがMoto2クラスに出場していたため、彼も忙しそうで挨拶を交わした程度だった。それでもレース後、メールのやり取りは何回かしていた。

「ありがたいけど、それは遠慮しとく」

 大ファンの智佳なら、きっと大喜びしてくれると思ったのに、あっさり断られた。

「余計なこと言ってごめんなさい……」

 智佳のプライドを傷つけたような気がして謝った。

「いや、そんなんじゃなくて、スゴくうれしいけど、あいかと同じように、一人で頑張ってみたいんだ。コネとか使わないで、自分の力と運を信じて」

 智佳がむちゃくちゃカッコよく見えた。愛華は思わず智佳に抱きついていた。

「ちょっ、ちょっとあいか、どうしたんだよ?」

「トモ憶えてる?中学のとき、よく紗季ちゃんたちから、わたしとトモはベストカップルとか言われて、からかわれてたじゃない。修学旅行とか行ったときも、わたしたちのお布団くっつけられたりして。わたしはすごく恥ずかしかったのに、トモは堂々として、反対にみんなに見せつけるみたいにわたしの布団に入って来るんだもん。みんなきゃぁきゃぁ騒いで大変だったよね」

「みんなふざけてただけだから。あうゆうときは恥ずかしがる方が、もっと恥ずかしいんだよ。みんなも喜んでいたし。あいかは嫌だった?」

「うぅん、わたしも楽しかった。でも騒ぎすぎて、先生に叱られたよ」

 清らかで甘酸っぱいおもいで。

 あの頃より、智佳の体はさらに大きくなって、筋肉がゴツゴツしている。楽しむためにバスケをしていたなんて言ってるが、ハードなトレーニングを続けてきたのがわかる。

 智佳が体の向きを変えて、愛華の正面を向こうとしたとき、愛華はお約束のようにバスケの神様とのメールを思い出した。

「あっ、いけない!」

「どうしたの?」

 智佳の尋ねる声が、少しがっかりしていたのは気のせいか?

「わたし、神様にブルズの大ファンのトモとシカゴで会うって伝えたら、今はオフシーズンだから試合はないけど、メモリアルセンターやチームの練習とか、見学出来るように連絡しておくって返信もらったんだ。残念だけど断らなくちゃ」

「いや、いや、いや、それは断らなくていいから!」

「でもトモ、コネとか要らないって」

「それはバスケの話だからっ」

「ブルズはバスケのチームじゃないの?」

「だから、それは……、観光だから……、ああっ、もうあいかの意地悪!ごめんなさい、あいかさん、見学だけは見逃してください」


 ルーシーさんは、部屋の前の廊下で、二人の笑い声を夜明け近くまで聞いていた。


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[一言] アイカちゃん、そりゃあ酷って言うもんだよ。
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