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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
106/398

猟犬

 USGPの決勝が幕を開けた。スタートからとび出したのは、やはりフレデリカである。シャルロッタはとりあえず大人しく、スターシアと愛華、エレーナたちに歩調を合わせ、集団を形成した。その集団の背後にケリーがぴったりとつけ、一旦下がったラニーニも、ハンナたちと合流していつでも仕掛けられるポジションを確保する。レース序盤は、フレデリカが単独で突出し、後方にストロベリーナイツとブルーストライプスにケリーを含めた大きな集団になっていった。少し遅れてバレンティーナとマリアローザのユーロヤマダが追っていたが、その差は徐々に拡がっていた。


 シャルロッタとのバトルを楽しみにしていたフレデリカだが、誰もついて来ないことにがっかりしながらも、地元の応援と初優勝の期待を背負って一人旅を続け、一時は15秒以上二位集団との差を拡げていった。


 しかしフレデリカはレースの半分を過ぎた17周目に、突然ピットに入り、マシンを降りてしまった。

 発表されたコメントでは「右手首の腱鞘炎が悪化した為」とされたが、期待を裏切られたファンからは「天才に有りがちな気まぐれだろう」と冷ややかな声も少なからずあった。


 実際にフレデリカは、深刻な腱鞘炎に悩まされていた。体も出来ていない幼い頃から、ハードなダートトラックレースなどで上腕を酷使してきて、絶えず痛みを抱えていた。そして今彼女の乗るフレデリカスペシャルと呼ばれるヤマダYC212は、Motoミニモのマシンとは思えないほどパワフル且つじゃじゃ馬で、体で押さえつけないと乗りこなせないマシンだ。それでも彼女は、ハードなアクセルワークが信条のアグレッシブなライディングスタイルを変えようとしなかった。シャルロッタすら一目置く才能であったが、肉体はマシンほどチューニングされていない。彼女の身体は、短期間の療養だけではどうにもならない状態になっていた。

 フィジカルトレーニングと自身の健康管理が出来なくてはアスリート失格と言われればそれまでだが、小学生の頃から大人を負かしていた彼女に、これまで的確なアドバイスが出来る者がいなかった。如何に天才といえど、どこに落とし穴があるのかわからない。彼女のまわりに、尊敬できる先人がいたなら……否、レースに仮定は意味がない。

 彼女は手術するよう医者から勧められていたが、それには長期の欠場を余儀なくされる。このまま騙し騙し続けても、症状は更に悪化するだろう。とはいえ、怪我が治っても、もう一度チャンスがあるかはわからない。まだ実績の残せていない新人には厳しい選択となった。



 一方、もう一人の天才は、頼れるチームメイトに守られ、スパートをかけるタイミングを今や遅しとウズウズしていた。

 彼女はフレデリカのリタイヤに気づいていない。エレーナがレース前に、他のライダーの情報は、シャルロッタに伝えないようニコライに指示していたからだ。一緒に走っている愛華も気づいていないが、エレーナとスターシアは、ブルーストライプスやケリーのピットからのサインボードから情報を得ていた。

 さすがのエレーナも、フレデリカの腱鞘炎までは予想していなかったが、シャルロッタに余計な情報を与えるのは、ロクな結果にならないとレース前から考えていた。

 愛華には悪いが、そのままシャルロッタには知らせない方が賢明だろう。勝ちがみえた途端、必ずアホなことをするのがお約束になっている。


「ねぇ、まだスパートしないの?フレデリカが見えなくなっちゃっているわよ」

 なにも知らないシャルロッタは、奇跡をおこす演出を信じて、おとなしく退屈な走りに我慢していたが、そろそろ辛抱も限界らしい。

 愛華もエレーナの顔色を伺う。いくらフレデリカが後半にはダレると言われていても、不安を感じ始めているようだ。他チームのサインボードに気づくのも時間の問題だろう。

「少し離されてしまったが、いけるか?」

 エレーナはしらっと訊いた。

「とうぜん!」

「だあぁ!」

 ヤル気MAXの返事が返ってくる。あまり焦らしても自爆しかねない。

「シャルロッタ、奇跡をみせてやれ。アイカ、追いつけなくても、無理をするな。背中は私とスターシアが守るから、確実にゴールしろ」

 意外だがエレーナの心配は、愛華にあった。獲物を追う時のシャルロッタは凄まじい集中力を発揮する。速く走る事だけに集中したシャルロッタは、ほとんど完璧だ。愛華も信頼できるライダーだが、時に自分を犠牲にする部分が強く顔を出す。既にリタイヤしているフレデリカを追って、無理をし過ぎないよう気をつかった。せめて愛華にだけ本当のところを教えてやりたかったが、どこかで気づいてくれるだろう。


 残り10周をきって、シャルロッタと愛華が集団からとび出した。コークスクリューを、飛び降りるようにフロントタイヤを浮かせて駆け下る。

 解き放たれた猟犬のように、見えない獲物を追いはじめた二台のスミホーイに、警戒していたハンナたちとケリーも反応しようとするが、エレーナとスターシアが出鼻を抑えた。

 スパートした二台は、スリップに入るタイミングを逃した集団との差を、あっという間に拡げていった。

 集団内では、なんとか抜け出そうとするケリーとハンナたちが混乱した状態になり、それをエレーナとスターシアが煽る形で、ちょっとしたパニックになっていた。そうならなくても、シャルロッタと愛華の「逃げ」を阻止するのは困難だったろう。それほどシャルロッタと愛華の瞬発力は圧倒的だった。



 やっと開放されて、溜まっていたストレスもだいぶ発散して少し落ち着いた。まだ自分たちがトップにいることを知らずにいるシャルロッタと愛華だったが、意外にも先に違和感に気づいたのはシャルロッタの方だ。

「ねぇ、アイカ、なんかおかしくない?」

 シャルロッタから問われて、愛華もこれだけのペースで追っているのに、一向にフレデリカの姿が見えてこないことが、少し不思議に思えてきた。最初からハイペースでとばしているフレデリカは、そろそろタイヤがダレてきている頃だ。体力的にもきつくなっているはずだ。フレデリカはたぶんシャルロッタと同じタイプみたいだから、一人だと尚更集中力が途切れると思っていた。

 もしかしたら、ヤマダのマシンもタイヤも、遥かにこちらを上回っていて、フレデリカもエレーナのような超人的な意思を持つ人かも知れないと不安になってくる。

「とにかく、今は走ることに集中しましょう。ピットからの指示もありませんし、それしかありません」

 愛華は、自分とシャルロッタに言い聞せた。


 メインストレートに戻っても、ピットからのサインボードは残りの周回数しか提示されない。シャルロッタは頭を傾げて通過していくが、愛華はタワーにある電光掲示を仰ぎ見た。


(えっ?わたしたちがトップ?)


 フレデリカの表示がない。どういうことなのか。どこかでトラブルか転倒でリタイヤしたらしい。しかしどうしてニコライさんたちが教えてくれないの?


「シャルロッタさん、あっ!」

 愛華はシャルロッタにも教えようとして、その理由に思い当たった。

 シャルロッタは今、奇跡の逆転という難儀な目的を拠り所に走っている。それが失われたら、別の派手な演出を求める。そして確実にめんどくさい状況に陥るのが見えている。おそらくエレーナも知っているだろう。いや、元々エレーナの指示かもしれない。


(わたしにだけは教えてくれてもいいのに。危うく話しそうになっちゃったよ)


「どうしたのアイカ?なにかわかった?」

 話しかけて止めたので、シャルロッタが聞き返してきた。

「いえ、なんでもありません。フレデリカさんが見えなくても、諦めないでいきましょう」

 少し後ろめたさを感じたが、一応、嘘は言ってない。

「なにそれ?わかっているわよ。あたしから逃げられると思っているの。でもやっぱりなんか変なのよね」

「なにがですか?ぜんぜんへんじゃないですよ」

 白々しく答えた。

(ごめんなさい、シャルロッタさんのためなんです)

 しかしシャルロッタは納得しない。

「獲物の匂いがしないのよ」

 匂いときた。この人が一番変だ。確かに2サイクルエンジンのマシンは、オイルも燃やして走るので、白煙と独特の匂いがする。しかしレースも終盤だ。そんな匂いはコース中に満ちている。

「周回遅れとか出始める時間です。たぶん混じってしまって、わからないんですよ」

 誤魔化そうと適当なことを言った。たぶんシャルロッタも適当に言っただけだと思う。

「だからぁ、そんな雑魚の匂いしかしないの!どんなズルしてるか知らないけど、あたしがこんだけ本気で走って追いつかないような強敵だったら、もっとスパーンって抜けのいい匂いがしてるはずよ!」

 絶好調のエンジンをピークパワーまで回していれば、排気も高温でマフラーの抜けがいい。メカニックの人たちは、排気音を聴いただけでエンジンの調子をズバリと言い当てたりするし、音なら愛華にもある程度わかる。オイルの燃え方とか、匂いにも違いがあるのかも知れない。


(あり得ないことではないけど、走っていて嗅ぎ分けられるものなの?嗅覚まで猟犬並だ)


「わたしにはわかりませんが、気を抜かないでいきましょう」

 正直に返答した。シャルロッタも直感だけで、論理的説明ができるわけでも、確かな証拠があるわけでもなかったので、素直に魔力をフルに発動した走りに戻った。余計な心配をしていて、もし追いつけなかった場合、自分が許せないのだろう。愛華はホッとした。


(いつも思うんだけど、その超人的能力を、どうして当たり前に勝つことに使ってくれないの?)

 ライディングだけでなく、すべての感覚が自分とは違うと感じる愛華であった。


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[一言] まさかの匂いまでとは⁈
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