決断
決勝当日になっても、シャルロッタは愛華に謝罪はおろか、口を効こうともしなかった。ただ愛華の方もそれほど深刻な事だとは思っていなかった。
こういうことは前にもあった。あの時のシャルロッタは、愛華に心を閉ざし、エレーナやスターシアをも拒絶していた。今の彼女が無視しているのは愛華だけで、どんなにどつかれても一応エレーナには逆らわない。
レース前のチームミーティングでも、あからさまに愛華を無視してはいたが、どこか言い過ぎて引っ込みがつかなくなったツンデレっぽくて、なんとなく微笑ましいと思ってしまった。
(なんだかんだと、レースでは勝つために走ってくれますよね。少しでも役に立ちたいけど、わたしを必要としなくても勝てるなら、それでいいから)
昨日エレーナから助けなくていいと言われたとき、ちょっとショックだったが、愛華は必要となればいつでもアシスト出来るよう、シャルロッタから離れないと決めていた。
(エレーナさん、少しつめたすぎだよ)
シャルロッタと愛華の間にわだかまりを抱えつつ、ドイツGPの決勝を迎えた。
フォーメンションラップを終えて、全車がグリッドにつく。赤いシグナルが消えると、一斉に唸りをあげて動き出した。中でもフロントローに並んだ四台が、きれいにスタートを決めて真っ先にとびだした。四人ともスタートには定評がある。軽い体重を活かして、一気に後続を引き離していく。
トップ四台は、グリッドそのままの順で1コーナーに向かう。
愛華の真後ろにラニーニが付いて1コーナーに進入していく。まだ仕掛けるつもりはないようだ。おそらく序盤は離されない位置で様子を窺うつもりだろう。
愛華はシャルロッタの位置が気になったが、回り込んだコーナーで接近して走っているため、振り返る余裕がない。たぶんラニーニの後ろか、外側にいるはずだと思った瞬間、突然愛華のインにシャルロッタがこじ入ってきた。
「っ!」
ちょうどクリップポイントに差し掛かろうとしていたところで、無理矢理割り込んでくる。愛華とゼブラとの隙間は、50センチもない。もう少しインに寄せていたら、確実にぶつかっていた。他のチームだったら抗議されてもおかしくない。たぶんラニーニもヒヤリとしたはずだ。たとえチームメイトであっても、連携せずにこのラインはあり得ない。
愛華は自分のレシーバーの具合を疑ったが、後方からエレーナの怒鳴り声はちゃんと聞こえてくる。それにもシャルロッタは応えず、愛華の前に出るとそのまま振りきろうとするようにコーナーを攻めている。だとすると、シャルロッタの無線が故障しているのか、スイッチを入れ忘れているのかも知れない。とにかく愛華は、離れないようについていくしかない。
シャルロッタは最初から超ハイペースで飛ばしていった。ザクセンリンクのコースは、タイトなコーナーが多く平均速度こそ低いが、それだけにタイヤへの負担は大きい。特に長い区間深く曲がり続けなければならないフロントタイヤへの負担は、他のコースより遥かに大きい。それなのに最初から予選タイムアタックのような走り方をしていては、ハードタイヤを履いていてもとても最後までもたない。その事は、後ろのラニーニにもわかっているようで、無理について行こうとせず、ナオミと負担を分け合いながら距離を測っている。
セカンドグループに分かれたエレーナとスターシアも、一刻も早く愛華に合流しようとしていたが、ケリーとバレンティーナ、フレデリカの激しい争いに巻き込まれて脱け出す事が出来ないでいた。
ブルーストライプスのハンナとリンダも同じ集団にいたが、彼女たちにとっては、セカンドグループのペースが遅れてラニーニから離れる方が都合がよかった。シャルロッタと愛華は連係がとれていない様子で、エレーナとスターシアはセカンドグループに呑みこまれている。ラニーニにはナオミがついているので、この状況の方が優位に運べる。
「シャルロッタさん!ペースを落としてください。わたしが前でペースメーカーになります」
愛華は何度も呼び掛けたが、一向に応答もなければ、ペースを落とす様子もない。このままでは愛華のタイヤまでもたなくなる。
愛華はエレーナの指示を仰ごうとしたが、セカンドグループとも距離が離れ過ぎて、無線は届かなくなっていた。
レースはそのまま大きな変動もないまま、ずるずると進み残り周回を減らしていった。半分を過ぎても分裂も吸収もないが、シャルロッタと愛華、ラニーニとナオミ、そしてエレーナたちのいる集団との差は、より明確になっていた。
愛華はすでにタイヤがダレ始めているのを感じていた。前をいくシャルロッタのマシンも時折暴れるのがわかる。
愛華はもう一度シャルロッタに呼び掛けてみたが、やはり返事はない。なんとか前に出ようとしてみるが、シャルロッタのペースが速すぎて追い抜けない。
(このままだと、本当にまともに走れなくてなって、スローダウンするか、最悪転倒それともバーストしてリタイヤするしかなくなっちゃうよ)
《もしまたあいつがバカな事をしたら、今度は助ける必要はない》
エレーナの言葉が頭に浮かんだ。
(どうしたらいいの?助けたくても助けられないよ)
《その時は、アイカがトップでフィニッシュをめざせ》
あの時のエレーナの眼は、本気だった。
(幸いラニーニちゃんとの差がかなり拡がっているから、今からタイヤを庇う走りに徹したら、なんとかわたしだけでも逃げ切れるかも知れない)
こうしてる間にも、タイヤはどんどん摩耗していっている。一旦滑り始めたら、タイヤは熱を持ってあっという間に終わってしまう。今すぐ決断しないと手遅れになる。
『やっぱり見捨てるんだ?もう信じない』
シャルロッタの声が聞こえた気がした。
(シャルロッタさんは、たぶん意地を張ってるだけだから、わたしが遅れればペースを落とすかも知れない。シャルロッタさんのテクニックなら、ギリギリでも逃げ切れるよ、きっと)
まるでシャルロッタに言い訳しているような気がする。
『本当はラニーニと優勝を争いたいだけじゃないの?』
考えてもいなかった言葉が、愛華の心にぐさりと突き刺さった。
(そんなこと、思っていない!ただチームを勝たせたいだけ。変なこと言わないで!)
正直に言えば、ラニーニとは競い合いたかったが、優勝したいとは本当に思っていない。
ただそう思われるのを怖れていた。
その点ではシャルロッタの方が自分に正直だったかもしれない。今は故意かトラブルかわからないが、通信を閉ざしてる。おそらく故意に間違いない。
(言いたいことがあるなら、ちゃんと無線で話してよ)
これだけは、はっきりと言える。シャルロッタを優勝させたい思いに偽りはない。
シャルロッタが呼び掛けに答えないのを恨んだ。
愛華はシャルロッタの声を借りた幻聴を振り払おうと、声に出して叫びたくなった。
「もう!どこまでめんどくさい人なのっ!」
とにかくこのままでは、二人ともリタイヤで、ラニーニが優勝する。そうなれば、再びポイント差が大きく開いてしまう。ラニーニの優勝を阻止できるのは、愛華しかいない。
がむしゃらに走るのは簡単だ。
自分が犠牲になるのも、実は気楽な立場なのかも知れない。
チームメイトを切り捨てる方が、ずっとつらい。
愛華は初めて決断する厳しさを知った。
(やっぱりエレーナさんは本当に強い人なんだなぁ。でもわたしも逃げちゃダメなんだよね)
愛華はもう一度呼び掛けた。
「シャルロッタさん、お願いだからゴールまで走ってください。でないとわたしが優勝しちゃいます」
愛華は、シャルロッタが気づいてくれる事を願って、スロットルを弛めた。




