予選と献身とツンデレの嫉妬
予選タイムアタックでも愛華は好調を維持し、ベストタイムを叩き出した。バレンティーナやフレデリカ、そしてスターシアとエレーナといった、いつも好グリッドを占める実力者たちも、昨年同様、前半部分の超低速コーナーの連続にもてあまし、高速区間でも最後の登りに苦しめられた。ザクセンリンクのような超低速コースだとやはり単独では、体格の良さが大きなハンデとなっていた。
そんな中、ブルーストライプスのナオミが好タイムを記録し、ラニーニの援護役のポジションを獲得。
愛華のタイムに刺激されたのかようやく本気になったシャルロッタは、嫌いな低速区間、後半の高速区間ともパーフェクトにこなし、スーパーラップかと思われたが、計測ライン手前で体を起こし、両手でガッツポーズをするという意味不明な行動に出たため、愛華にコンマ1秒及ばなかった。
愛華に花を持たせたと好意的にとるファンもいなくはなかったが、ほとんどの人はトップタイムを確信したシャルロッタが、早まって計測ラインを勘違いしたと疑わなかった。実際その通りなのだが、本人はエレーナ様になんと言い訳しようか必死に考えていた。
最後にアタックしたポイントリーダーのラニーニも、小柄な体格を生かして積極的に攻め、愛華に迫ったが100分の3秒届かなかった。
結局ポールシッターは愛華、二番手ラニーニ、三番手シャルロッタ、四番手のナオミまでが一列目、二列目にケリー、ハンナ、スターシア、フレデリカと並び、バレンティーナとエレーナは三列目のスターティンググリッドという結果となった。
予選終了後、上位三人のインタビューがプレスルームに設けられた会見場で行われた。
「このサーキットは、小さい頃走っていたミニバイクコースに似てるから好きなコースです。でも決勝ではきっとエレーナさんやスターシアさんたちも実力を発揮してくるから、きびしいレースになると思います。一番マークしてるのはアイカちゃんかな」
「今でも小さいくせに!」
集まった記者からの質問に、ラニーニが無難に答えたつもりだったが、片方の瞳が金色という奇抜なヘテロクロミアのシャルロッタにツッコまれた。しかし記者たちの苦笑いはシャルロッタへと向けられていた。シャルロッタとラニーニの身長は、あまり変わらない。
シャルロッタへの質問はもう済んでいたが、ラニーニの口から自分の名前が出なかったのが相当気に入らないならしい。彼女への質問が、予選の『計測ライン勘違い疑惑』に集中したのも機嫌悪くしている原因の一つだろう。ライディング時のカラコン禁止令の反動か、バイクを降りるとますます奇異になっていく彼女の瞳は、本人の狙いとは反対に、神秘性とはかけ離れたものになっていた。
会場全体がなんとも居心地の悪い雰囲気になった。
「シャルロッタさんは当然今回も優勝を狙っていると思いますが、なにか作戦は?」
あまりの場の不味さに、ベテラン記者の一人がもう一度シャルロッタに質問してくれた。
「作戦なんて必要ないわ。はじめからぶっちぎりよ!」
まあ予想通り機嫌よく答えたので、質問はポールポジションを獲得した愛華に移った。
「アイカさんは昨年ここでデビューを果たし、私たちに鮮烈な印象を残しました。そして二年連続のポールポジションを獲得したこのコースは、ラニーニさん同様得意なコースだと思います。そろそろ初優勝を期待する声も聞こえてますが、その可能性は?」
「わたしはチームの一員として役割を果たすだけです」
愛華はきっぱりと言った。それが本心であることは、彼女を知る者なら疑っていない。しかし最も愛華を信頼すべき者の口から、思わぬ言葉が発せられた。
「相変わらずの優等生なセリフね。でもホントはそっちのちっちゃいのと組んで優勝したいんでしょ?隠れてコソコソしてんの知ってるわよ。いいわよ、やってみなさい。あたしがまとめて思い知らせてあげるけど」
場内がどよめく。誰もが昨年のここでのレース以来、愛華とラニーニが仲のいい親友同士なのは知っているが、二人が裏で手を結んで不正なレースを企てるようなコたちではないのも知っている。シャルロッタのツンデレぶりも、ここまでくると醜悪でしかない。新世代の最速コンビと目されたペアが早くも崩壊の危機に陥っている。重たい空気が会場に漂う。全員が愛華の反応を待った。ラニーニも困った顔で見つめていた。
しかし愛華は、ただ黙って座っているだけだった。
「いったい何を考えているんだ、おまえは!」
会見場を出るなり、シャルロッタはエレーナにどつかれた。
「あっぅ、だってみんなアイカとラニーニのことばっかりで、あたしには予選で間違えたことしか訊かないんだもん」
「全部おまえが悪いんだろ!このバカ!これまでどれくらいアイカに助けられたと思っているんだ!」
エレーナはもう一発どついて、やはりまだどつき足りないと更にどつこうとしたところで愛華に止められた。
「エレーナさん、記者の人とかいっぱいいます!それくらいで」
「アイカは甘やかしすぎだ!もうこいつを助けんでいい。こいつはエース失格だ」
なんだか大変な事になってきたようだ。プレスルームにいた記者たちも出てきて取り囲んでいた。
「あの……もしかしてわたしの言ったことが原因で……?」
ラニーニが心配そうに伺ってきた。シャルロッタがここぞとばかりラニーニを指差して叫んだ。
「そうよ!コイツらあたしを『心理的動揺』させようと『メンタル面の揺さぶり』仕掛けてきたんだわ、卑怯者め!」
どこで覚えたのか、よくわからん言葉を使ってラニーニを責めた。たぶんアニメかコミックででも使われていたのだろう。
「そんなつもりじゃなかったんです、すいません」
真面目に受けとめて謝ろうとするラニーニを、エレーナが制した。
「ラニーニもハンナも、そんな手を使わないのはわかっている。アレクセイならやりかねんが、今回は100パーセントこいつがアホなだけだ」
もう一度、頭をポカンと叩いた。記者たちは、シャルロッタの面倒をみるエレーナの苦労を知っているのであまり驚かない。
「取り合えず、ラニーニとアイカに謝れ!」
「なんであたしがこんなのに謝ら☆痛っ!」
シャルロッタは文句を言おうとしてまたどつかれた。
「わたしは別に謝られるような……」
ラニーニはまったく関係ないのに責任を感じて戸惑っている。
「気にすることないよ、ラニーニちゃん。シャルロッタさんとエレーナさんは、いつもこんな感じだから」
「そうなの?」
「うん、いつものこと」
ラニーニも大体想像はしてたが、目の当たりにするとやっぱり恐い。あんなにポカポカ叩いたら、本当にバカになりそうだ。いや、たぶんなっている。ていうかラニーニが心配してるのは、愛華とシャルロッタの関係だ。
アイカちゃんも天然なの?
愛華に代わって、エレーナの怒りはまだ収まっていない。
「アイカはやさしすぎる。腹が立つだろう、こいつには。さすがの私も、今回ばかりはキレた」
「いつもキレてるじゃないですか!」
「黙れ!」
シャルロッタは要らんこと言ってまたどつかれた。愛華が再び間に入って止めようとする。
「確かに『まためんどくさいこと言い出したなぁ』って思いましたけど、やっぱりわたしが頼りないからだと思んです。レースで一生懸命走れば、きっと信頼してくれると思ってますから。あっ、そうじゃなくて、シャルロッタさんに信頼してもらえるように一生懸命走ります」
取り囲んで眺めていた記者たちから感嘆の声があがる。
「健気だなぁ、アイカちゃん」
「いいコだなぁ、アイカちゃん」
「嫁にしたいなぁ、アイカちゃん」
「ラニーニちゃんもいいコだよなぁ」
「それに引き換え……」
一斉に視線がシャルロッタに集中する。
「なによ!アイカはあたしの下僕なんだから、そんなの当たり前でしょ!」
視線の冷たさが、氷点下にまで下がる。
「なによもう!みんなしてあたしだけ悪者にして!あんたたちの顔、忘れないから!もう絶対インタビューとか応えてやんないからね、おぼえてなさい!」
シャルロッタは棄てセリフを吐いて、ツカツカと立ち去ってしまった。
「見苦しいところをお見せした。あのバカのことは気にしなくていい。ちゃんと取材にも協力させるので、出来ればこの事はあまり記事にしないようお願いする」
エレーナは集まっていた記者たちに向かって言った。
会見は中継されていたし、会見後の騒動も、いずれ噂が広まるだろうが、エレーナにお願いされたら彼らは記事には出来ない。別にエレーナの圧力に屈した訳ではない。この顛末を記事にしなくても、シャルロッタはいつでも話題を提供してくれるし、取材対象としての愛華の魅力を考えれば、エレーナからの取材協力は、是が非でも取りつけておきたかった。
記者たちがざわざわとプレスルームに引き返して行くと、エレーナと愛華は、同時に溜め息をついた。
「シャルロッタさんが大人しくしていたの、ひとレースだけだったみたいですね」
「あいつにとっては、騒ぎは食事と同じだ。一日最低三回は問題を起こす。起こさないと生きていけない生き物だ。よくもった方だろう」
「明日のレース、大丈夫ですかね」
「いっそアイカをエースにするか?」
「そうですね、って!冗談じゃないです、真面目に考えてください!」
「アイカにはいつも苦労させるな。だが、もしまたあいつがバカな事をしたら、今度は助ける必要はない。そのときはアイカがトップでフィニッシュをめざせ」
愛華はまだエレーナが冗談を言っていると思った。しかしエレーナの眼は本気だった。
「きっと大丈夫ですよ、シャルロッタさん、レースになったらちゃんと走ってくれますから……」
愛華は自分に言い聞かせるようにシャルロッタを擁護しようとしたが、エレーナの表情が変わらないのに、急に不安になっていった。