約束だよ
シャルロッタと愛華のワンツーフィニッシュで終ったダッチTTだったが、ストロベリーナイツのエースは、あまりに危なげないレースに少々不満顔であった。
「なにこれ?優勝したあたしがぜんぜん映ってないじゃないの!」
全レースが終了して、レース中継をしていたチャンネルは、ちょうど各クラスのダイジェストを流していた。
編集されたMotoミニモクラスの模様は、シャルロッタが映っている場面はスタートシーンと独走体勢に入った中盤が所々、そしてチェッカーを受ける一瞬だけであった。全然とは言えないが、ラニーニとケリーの三位争いを中心に編集されていた。
「中継でもカメラが追ってたのは、ブルーストライプスとヤマダの争いばかりだったそうだぞ。でもまあ仕方ないだろう。おまえとアイカが仲良く走っているところを延々と流しても、退屈だからな」
「あたしだって退屈でしたっ!龍虎真眼を封印された上、雑魚ばかりが相手では、目立ちようがありません。世界中のあたしのファンのために、あと視聴率とスポンサーのためにも、どうか龍虎真眼の使用をお許しください」
シャルロッタはまだカラコンして走りたいらしい。
「おまえは余計なこと考えんでもいい。楽に勝てればそれに越したらことない。おまえの好きにさせたら、間違いなくロクでもないことになる」
当然エレーナに却下された。しかしスターシアは、
「カタロニアでは最下位になってもけっこう映っていましたものね、シャルロッタさん」
と危ないことを言う。シャルロッタの顔がパッと明るくなった。スターシアさんはときどき天然というか、無責任なところがある。
「でも再スタートした時はもうスベトラーナさんにコンタクトはずしてもらってましたよね。それまで泣きべそかいてたの誰でしたっけ?」
愛華が空かさず、痛いところを突いた。シャルロッタの扱いは、最近スターシアよりずっと慣れていた。
「うっ、あれは……、でも龍虎真眼があれば、次はもっと完璧な走りで、楽に勝ってみせます!」
「それじゃぁもっと退屈なレースになっちゃうんじゃないですか?」
「うぅっ……、あたしだって、エレーナ様みたいに伝説的なエピソード欲しいのよ!」
「シャルロッタさんならもう伝説的に痛いエピソード、いっぱいあるじゃないですか?」
聞き分けのないシャルロッタに、尽かさずきびしい突っ込みを繰り出す。中二病に甘やかしは禁物だ。
とうとうシャルロッタがキレた。
「アイカ!あんたちょっと最近生意気よ。いったい誰の味方なの?」
もちろんシャルロッタの味方である。全部本人のためだ。
愛華もシャルロッタ同様あまりテレビには映っていなかった。しかし愛華は、シャルロッタとはちがう。もちろん愛華の方が健全なのは言うまでもない。
エレーナはかねてから言っていた。『本当の優れたライダーは、けっして派手なレースをする者ではない。他を寄せつけない速さこそ、本物のチャンピオンだ』と。
今日はそんなレースができたと思う。もちろん愛華の力とは思っていない。でも少しは役に立てたはずだ。
愛華は今、このチームの一員であることが誇らしかった。
第6戦ダッチTT終了時点のポイントランキング
1 ラニーニ・ルッキネリ(ブルーストライプス)J
121p
2 シャルロッタ・デ・フェリーニ(ストロベリーナイツ)S
98p
3 ナオミ・サントス(ブルーストライプス)J
70p
4 ハンナ・リヒター(ブルーストライプス)J
70p
5 エレーナ・チェグノワ(ストロベリーナイツ)S
68p
6 ケリー・ロバート(ヤマダインターナショナル)Y
59p
7 リンダ・アンダーソン(ブルーストライプス)J
53p
8 バレンティ-ナ・マッキ(ユーロヤマダ)Y
55p
9 アイカ・カワイ(ストロベリーナイツ)S
52p
10 アナスタシア・オゴロワ(ストロベリーナイツ)S
36p
11 フレデリカ・スペンスキー(USヤマダチームカネシロ)Y
35p
12 アンジェラ・ニエト(アフロデーテ)J
30p
13 アルテア・マンドリコワ(アルテミス)LS
18p
14 マリアローザ・アラゴネス(ユーロヤマダ)Y
18p
15 エリー・ロートン(ヤマダインターナショナル)Y
14p
16 ウィニー・タイラー(ヤマダインターナショナル)Y
12p
17 エバァー・ドルフィンガー(アルテミス)LS
11p
18 ジョセフィン・ロレンツォ(アフロデーテ)J
9p
19 ソフィア・マルチネス(アフロデーテ)J
8p
20 アンナ・マンク(アルテミス)LS
3p
21 ミク・ホーラン(ユーロヤマダ)Y
2p
二週間後、GPの主役たちはMotoミニモ第7戦ドイツGPの舞台、ザクセンリンクにいた。ここは愛華にとって思い出の地だ。昨年このザクセンリンクでデビューし、ただ夢中で走りエレーナのタイトル奪取のきっかけを作った。どのレースも思い出はあるが、愛華のGPはここから始まった。
スケジュールの変更で、シーズン後半戦幕開けだったドイツGPが、今年は前半開催になったので、まだ一年経っていない。
長いような、あっという間のような、とにかく必死で駆けてきた。だからここでは、これまでの集大成のような走りをしたい。
(わたしの成長を、ザクセンリンクのコースと観客の人たちに見てもらんだ)
少し力が入り過ぎていたが、一旦コースに出ると、去年の印象と大分ちがうのに驚いた。
(このコースって、こんなに楽しいコースだったかな?)
昨年初めて走った時は、やたら深く回り込んだコーナーの連続に、いつまでもアクセルが開けられず、フロントのグリップが不安で堪らなかった。たぶん度胸だけで走っていた気がする。
それが今年は、タイヤが路面で踏ん張っているのを感じる。限界が高くなった訳じゃないが、自分の脚で捉えている信頼感がある。
(わたし、上手くなってる)
同じサーキットを走ってみて、改めて自分のレベルアップを感じた。わからないで限界付近を走るのと、把握した限界を攻めるのでは、タイムは大きく違わないかも知れない。以前の愛華のレベルでも、詰められる部分はそれほど多くない。そこから僅かな隙間を詰めていっても、場合によっては百分の何秒かを短縮するだけに過ぎない。しかし安心感は別次元だ。たとえ突然コンディションが変わっても、不安なく走れそうな気がする。
とは言え前戦ダッチTTのフリー走行の時とは反対に、愛華は初日からいきなりサーキットレコードを上回るトップタイムを記録して周囲を驚かせた。プレスはザクセンリンクと愛華の相性の良さを伝えた。彼女は昨年のデビューレースでもいきなりポールポジションを獲得しているので、そう思われるのも仕方ない。ただ昨年の予選は、ノーマークの愛華の好タイムに、他が慌てて崩れたのと偶然が重なったにすぎなかったが、今年の愛華は、実力でサーキットレコードを更新していた。
やはりここでも、愛華のレベルが数段アップしたのに気づく者は、一握りしかいなかった。
一方エースのシャルロッタは、こういう延々と回り込んだコーナーの続く、なかなかアクセルの開けられないサーキットが嫌いであった。けっして苦手ではないのだが……。
好き嫌いの激しいシャルロッタを抑え、ラニーニが愛華に継ぐタイムを記録し、チームメイトのナオミもそれに続き、ストロベリーナイツの追撃を迎え撃つ体勢をアピールした。
フリー走行が終了して、シャルロッタが恒例の『エレーナ様からのお説教タイム』を楽しんでいる間、愛華は歩いてサーキットの周囲を廻っていた。
回り込んだコーナーが続く前半部を、コース外側から眺めてみる。ちょうど最高峰クラスのMotoGPのフリー走行が始まっていた。250馬力を超えるMotoGPでは、かなり窮屈そうに見える。この区間に限っては、Motoミニモの方が速い。
(去年はここでバレンティーナさんとラニーニちゃんにお尻擦られたんだっけ。でもそれから仲良くなれたんだよね)
思えばフロントタイヤをコーナーで、意図的に前のライダーのお尻に接触させるなんて、凄い高等テクニックだ。ラニーニのテクニックは、遥かに愛華より上だったんだと、今さら思い出す。
(そりゃそうだよね。今やランキングトップだもん、ラニーニちゃん)
愛華が観戦席から別の観戦席へと繋ぐ通路に戻ると、ちょうど二人乗りのスクーターが通りかかった。逆光で見えつらかったが、近づくとブルーストライプスと同じカラーリングをしたジュリエッタのスクーターだとわかる。スポーツドリンクの商標が大きく描かれている。そして二人の被っているレース用のフルフェイスヘルメットは、ハンナとラニーニのものだった。たとえヘルメットを見なくても、運転しているのがハンナだと、愛華には一目でわかった。スクーターに乗っても、完璧なフォームをしている。
二人も愛華に気づき、スクーターを止めた。
後ろに乗っていた小柄な少女が、スクーターからぴょんと飛び降り、ヘルメットを脱いだ。
よく日焼けした顔に大きな瞳をくりくりさせている。やっぱりラニーニちゃんだ!
「アイカちゃんもコースの研究?」
「うん、『コースの外から見ると、走っているときには気づかないこともわかるから、必ず見ておけ』ってアカデミーの頃先生に言われたの」
愛華はハンナを意識しながら答えた。ハンナがニヤリとする。
「あれは嘘だから、忘れなさい」
「そんなことないです!舗装の継ぎ目とか、コーナーのカント角(路面の傾き)とか、意外と走ってると見落とすこと多いから、とてもためになります」
「教えるんじゃなかったわ」
ハンナは心にもない事を言った。もちろん愛華にもわかっているが、今自分のチームが最大のライバルなのを考えると、ちょっとどう返していいのか悩んだ。
「アイカちゃん、もしかして気をつかってる?」
「べつにそんなわけじゃないけど……」
「前回は完敗だったけど、まだまだラニーニがリードしているわ。アイカさんに気を使われる立場ではないわよ」
ハンナの口調はきびしかったが、親しみが込められているのを感じた。
「すいませんでした。わたしなんか眼中にないですよね」
「そんなことないよ。アイカちゃんは強敵だよ。最近ますます速くなってるもん」
「ええ~、ラニーニちゃんこそ、ケリーさんに競り勝ったんでしょ。すごいよぉ」
「アイカちゃんたちに追いつけなかったんだから、アイカちゃんの方がすごいよ」
「あれはチームのみんなに引っ張ってもらっただけだよ。やっぱりラニーニちゃんの方がすごいよ~ぉ」
「ちがうよ、」
「あなたたち、いつまでイチャイチャ話し続けるつもり?勝負と友情は別とは言っても、もう少し緊張感あってもいいんじゃない?」
ハンナが水を差さないと延々と女の子トークが続きそうだった。赤くなっているこのゆるい二人が世界を争うトップライダーとはとても思えない。
「そうだよね、わたしたちライバル同士だもんね」
「そうだね、わたしたちって敵同士だったんだよね。去年はここでラニーニちゃんに皮つなぎ削られるぐらい激しく攻められたんだよ。でもすぐ友だちになったね」
「あのときはごめんね。でもアイカちゃん、ぜんぜん退かなくてびっくりしちゃった。すごいコがデビューしたなぁって」
「わたしだって、」
「だからやめなさいって!まるでバカップルみたいよ。いい、アイカさん。あなたは驚くほど成長してるわ。でも私たちも強くなってるから、簡単にランキングトップは明け渡さないわよ」
さすがにイラついたハンナが強い調子で言った。彼女が苛つくのもわかる。バカップルぶりもあるが、レースになれば友だちでも師でも弟子でもない。恨みや憎しみもないが、真剣に戦わなければならない。それがレースだ。ハンナは先生でなく、勝負師の顔をしていた。愛華もそれを理解する。
「わたしたちのチームワークだって、絶対負けません!本気の本気になったシャルロッタさんに勝てるライダーなんていませんから」
ライバルとして力強く宣言したものの、シャルロッタさんを本気にさせるのがたいへんだな、とふと思う。
「お互い、レースではがんばりましょう」
ハンナはそう言って、スクーターに跨がり、ラニーニにも乗るように促した。
「じゃあね、アイカちゃん。レースじゃわたしも本気だよ」
「もちろん!わたしだって、本気でラニーニちゃんやっつけるからね」
「わたしが勝っても恨みっこなしだよ」
「ラニーニちゃんこそ、約束だよ」
「本当にいつまでやってるつもり?早く乗りなさい!」
ヘルメットを被って走り去る二人の後ろ姿を見送った。愛華はもっともっと話していたかったが、レースのことを考えるとわくわくしてきた。
本気で競い合える関係が、とてもうれしかった。