対決
◆ ◆ ◆
寝室へ行き、静かに眠るマテリアをベッドに寝かせると、ハミルは枕元に椅子を置いて腰かけ、彼女の髪を優しくなでた。なめらかな感触が指に心地よい。
「……マテリア」
名前を呼んでも、マテリアは身じろぎひとつしない。
しっかり眠っているのを確かめてから、ハミルはマテリアの頬に手を当てた。
温かい。
確かに彼女が、生きて自分の前にいるのだと実感できる。
ふとマテリアの左顔にある、獣の傷が目に入る。
自分を守るためについた傷跡。
この傷を醜いと思ったことは一度もない。
ハミルは四爪の傷跡へ、愛しげに口づけた。
「やっと君を捕まえることができた」
今も昔も、望んでいたのはマテリアだけだ。
純粋で真っすぐなマテリアに憧れていた。
清廉潔白な僧侶を演じて、大人たちに取り入る自分とは違うことがうらやましかった。
彼女のように生きてみたい。
そう思えば思うほど、自分は彼女のようにはなれないと、諦めていったけれど。
だからマテリアと一緒にいたかった。
彼女と一緒にいる時だけは、自分の汚れを忘れることができたから。
「小さい頃は、君と一緒にいられるだけで嬉しかった。でも、いつからだろう。満足できなくなったのは」
ハミルはマテリアの額に、己の額を重ねる。
昔と変わらず、彼女からは日向の匂いがした。
「すべてを捨てて、君とともに生きたい。心からそう思っていたんだけどね」
ずっと次期教皇の肩書きから逃げたかった。
けれど周囲の期待が強すぎて、逃げ出せなかった。
そして前教皇が亡くなり、逃げ場を失った。
マテリアからも、教皇への道を示された。
二人を別つ道だと知っていながら。
自分の中で、何かが狂った。
「教皇になってから、君を求める気持ちがさらに強くなったんだよ。もう耐えられなかった……だから私は国を乱し、教会を壊そうとしたんだ」
そのために王をそそのかし、国の腐敗を進めた。
まさかその途中で、マテリアに殺されるとは思わなかったが……。
皮肉なことに、百年がすぎて国は形を変えたが、教会は未だに残っている。
もう誰にも邪魔はさせない。
ロンドは三年経って成人したら、自分を自由にしてくれると言った。
だが、ヴィバレイを始めとするほかの僧侶たちが、それをよしとするはずがない。
確実に彼女を手にするために、邪魔なものは排除する。
教会はもちろんだが、まず先に――。
「マテリア……私の望みはただひとつ、君の隣にいること。別の人間が君の隣にいるのは、我慢できない」
頭を上げると、ハミルはもう一度マテリアの頬をなでた。
スッ――。背後からハミルの頬へ、剣が並んだ。
「つまりオレが邪魔だから、どうにかしたいってコトか?」
突然の声にハミルは驚かない。背を向けたまま声を返す。
「貴方が来るには、二刻以上も早くありませんか、ビクター」
「ちょっと虫の知らせがあったから、マテリアを迎えに行く時間を早めただけだ。大方オレをおびき寄せるためにマテリアを足止めして、心配したオレが来るのを待つつもりだったんだろ?」
口調は軽いままだが、振り向かなくとも、背中越しにビクターの気迫が伝わる。
成り行きで甦らせ、仕方なくマテリアの面倒を見ているような空気ではない。
自分たちが甦ってから、数日しか経っていないのに悪い虫がついた。
ハミルは瞳を流し、わずかに背後のビクターを見やった。
「ようやく会えたマテリアを、得体の知れない流浪の旅人に渡せませんからね」
「得体が知れないのは、お前もだろうが」
顔の横にあった剣が、ハミルの頬に刃を向ける。
「マテリアを連れて行かせてもらうぜ。オレはこいつを幸せにしてやりたいんでね……少なくとも、今のお前には渡さねぇ」
予想外の静かな声に、ハミルは思わず立ち上がってビクターへ体を向ける。
そこには昼間の道化を消した、真顔のビクターがにらんでいた。
何も聞かずとも、顔を見ればわかる。
この男も彼女を求めている。
思った通りに厄介な男だ。ハミルはビクターをにらみ返す。
「貴方に認めてもらわなくとも、マテリアを手元に置かせてもらいますよ」
「ああそうかい。じゃあ、力づくで連れていくぞ!」
ハミルの声を一蹴し、ビクターが一歩踏みこんで剣を閃かせた。
ビクターの片足が床から離れる。
その瞬間を見逃さず、ハミルは足元にあった椅子を蹴り倒す。
「うわっ……と」
態勢を崩し、前のめりになったビクターからハミルは身を引き、言霊をつぶやく。
『天駆ける光の精霊、今ここに、その存在の徴を見せたまえ。我が命を奪わんとする穢れを、我が前から払えたまえ』
ハミルを中心に、辺りへ光球が散らばる。
意思があるかのように、いくつかの光が剣を持つビクターの手へぶつかっていく。
一撃、二撃と絶え間なく手を叩き――。
キィンッ。ついに光は彼の剣を弾き落とす。
手を振りながら、ビクターは舌打ちした。
「おいおい、聖職者のクセに場慣れしてるな」
「こんな外見と立場のせいで、色々と襲われましたから。自分の身は自分で守ります」
ハミルは息を深く吸いこみ、新たな言霊を口にする。
『天駆ける光の精霊、今ここに、その存在の徴を見せたまえ。穢れにまみれた罪人へ――』
「言わせてたまるか!」
剣を諦め、ビクターが素手で殴りかかってきた。
左へ来る。
ハミルは動きを見切って拳を避けると、すかさずビクターの腕の内側をつかみ、払い投げた。
『――天罰の雷を』
ハミルが言い終わると、辺りに浮かんでいた光球が槍のように伸び、次々とビクターの体を貫いていく。
「くっ……!」
床へ這いつくばったビクターが、歯を食いしばりながらハミルを見上げる。
光の槍は肉体を傷つけはしないが、彼の動きを止めていた。




